オメガのホストはベータとして生きる

宮路 明

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5)幼い感情

 梓は、街中で救急対応を受けられる大きな病院のベッドの上で、深い眠りについていた。

「こちらに親族はいらっしゃいますか?」

 個室で点滴を受けている梓の病室には、三人の男が心配そうに目覚めを待っていた。重たい空気を気にも留めず、ライムグリーンの医療服に白い白衣を羽織った医者が、多少強面の眼鏡をかけて三人に問いかける。

「あ……梓に家族は……」

 清武の口調には、話していいものか迷うような戸惑いが漂っていた。

「そうですか……なら、彼が起きたらお知らせください」

 個人情報を親族以外に話せないという雰囲気で、医者は部屋を出ようとした。その時、小さく丸い背もたれもないパイプ製の椅子から、和司が静かに立ち上がる。

「先生、彼の容態についてですが」

「すみませんが、個人情報になるのでお答えできません」

 和司の問いに、医者は刀で竹を切るかのように、スパリと返答する。

「私は彼の知人でもあります。刑事をしているので、彼を保護する面でもお知らせ願えれば……」

 冷静さを失わず、和司は普段から持ち歩いている警察手帳を医者に差し出した。医者は手帳を確認し、ならいいでしょうと口を開く。

「彼らは?」

「彼の友人であり、私の弟とそのパートナーです」

 医者はこの場にいる三人の関係を確認すると、手に持つ硬いボードに挟まれた紙に目を送る。

「彼の血液を検査した結果、必要以上の抑制剤薬の反応が出ています。血中濃度からして使用している薬を割り出すと、かなり強い薬を使用しているようです。このクラスの薬品はアルコールと実に相性が悪い。それを抜きにしても、このまま使用を続けると命の危険があります」

 医者の言葉に、清武は眉を寄せる。

「抑制剤?なんで?」
「彼はオメガですよ?ご存じなかったのですか?」

 その言葉に驚いたのは、清武だけであった。

「……梓は……ずっとベータだって」
「本当に気づいていなかったのか」

 和司は呆れた面持ちで清武を責めるように言葉を発する。

「兄貴は知ってたのか?」
「ああ、多分そうだと思っていた程度だが」
「でも、発情ヒートを起こしたことは一度も……」

 驚きを隠せずに動揺する清武に、医者が深刻そうな面持ちで口を開く。

「この数値だと、ヒートなんて起こそうにも起きないでしょうね。彼が使用しているのは、私が思う限りこの国で一番強い抑制剤薬です。それを必要量以上に接種しているとなると、本当に命の危険があります」

 今のところ、早期の発見だったため命に別状はない。しかし、抑制剤の使用を控えなければならないことと、目が覚めたら精密検査を行うことを勧め、医者は部屋を出た。医者が出た後、空気はなおも暗さと重さを持っていた。

「丸馬……話がある」

 清武は丸馬を呼び、部屋を出る。和司は深く眠る梓と二人、広い個室に残された。

 ────────

「丸馬、お前は梓がオメガだって知ってたか?」

 背を向けたまま丸馬を見ようとしない清武は、いつもと様子が違っていた。いつも笑顔で優しく、冗談が好きな明るい性格の清武。
しかし今、その様子は一見落ち着いているようにも思えるが、怒りに震えているように見えた。

「僕は……」

 恐れていた事が現実になったと、丸馬は刺すような不安が背中を圧し、冷や汗が流れる。

 丸馬は梓がオメガであることを、ずっと前から知っていた。

 二次性を知ったのは中学に上がって二年が経った頃だった。
性が目覚める前の第一検査を終えた数日後、丸馬は胃の調子を悪くし、保健室に足を向けた。
 養護教諭は不在だったが、教諭の机の上にそれに似た薬はないかと目を向けたとき、大量の紙が裏返しで積み重なっていることに気づく。
好奇心に溢れた丸馬は、一番上の紙を静かにめくった。そこには生徒の名前と二次性検査結果が書かれていた。重なる紙の量からして、一学年分の検査結果がここに置かれているだろう。

 一番上の紙の生徒は、一番最後のクラスの最後の番号の人物で、クラス順にそして生徒番号順に並んでいることにすぐに気づいた丸馬は、とある人物の二次性に強く興味を持った。

 村上梓。

 小学校から親友として傍にいる人物だ。もう一人の親友、斎藤清武がいるが、その二次性は聞かずとも調べずとも分かる、確定されたアルファ。アルファ同士の親から生まれた清武が、ベータやオメガになる確率は宝くじを当てるよりも低い。それに比べて、母親がオメガであり、父親がベータと予測される梓は、どちらになるのかは神のみぞ知る。

 丸馬はどうしても梓の二次性を知りたかった。そして、彼がオメガでないことを切に願った。
何故なら、丸馬は清武のことが好きだからだ。

 梓と出会うずっと前の幼い頃から、丸馬は清武の傍にいた。
成長と共に清武に惹かれていることに気づいた丸馬は、自分はオメガであると信じて過ごしていた。しかし、ずっと傍で見てきた清武は、いつの日からか梓が映り、離さないようにと彼を目で追っていることに気づく。

 それは梓も同じだった。惹かれあっている二人を見ているのも辛い中、梓がオメガだとしたら、絶対に敵わない恋であろう。自分の二次性など二の次に、丸馬は急いで梓の検査結果が書かれた紙を探し出した。
梓のクラスの束を見つけ、名前順に並ぶ紙を素早くめくる。

 ようやく見つけた「村上梓」の文字。その結果に、丸馬は絶望を覚えた。
オメガと書かれたその文字を見て、破り捨ててやりたいとさえ思った。
しかし、結果を破り捨てたところで彼がオメガであることは変えられない事実。丸馬は絶望しながらも、一つの希望を自分の中で生み出した。

「そうだ、僕もオメガなら……」

 丸馬は自分もオメガであることを強く望んだ。自分が本当にオメガであれば、どうにかして清武を自分のものにできるかもしれない。そう思って丸馬は、自分の検査結果を探し出す。やっと見つけた結果に、書かれていた真実はオメガ。丸馬はこの時、恐ろしいほどに自分の中の黒い何かが奥底から湧き出す感覚を味わった。

「絶対に渡さない」

 そう強く心に決めて、丸馬は何事も無かったかのように保健室を出た。そんな、あの日のことを丸馬は思い出しながら、今の状況でどう答えるか戸惑っていた。

「知ってたんだな?」

 強く、何かを決意したかのように、清武が丸馬の方に振り返る。

「丸馬、別れてくれないか?」

 清武から告げられた、丸馬の中の一番の恐怖。

「婚約までしたのに、今更そんなこと言われても!」

 どうにかして繋ぎ止めなければ。
丸馬は清武の手を強く握り締める。

「好きなんだよ!ダメだよ……清武がいないとダメなんだ!」

 必死になって、考え直してほしいと何度も願う。しかし、力強く握ったその手は、彼の力よりも強く振り払われた。

「ごめん、慰謝料請求でもなんでも、裁判でもなんでもしてくれていい」

 清武は再び「ごめん」と言葉を吐くと、梓の眠る病室へと向かう。丸馬の悲しい顔が目に入るのを避けるように、清武は足早にその場を立ち去った。

「絶対に許さない」

 殺意に似た悍ましい感情から出た、丸馬の吐いた言葉に気づくこともなく。
感想 12

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