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35)抗えない理性
湿度の高い浴室で、梓は一人、湯舟に身体を沈めてその芯から温まろうとしていた。
先ほどまでは、和司が優しく梓の身体を愛撫していたことが嘘のように、今は静寂に包まれた空間が広がっている。
浴室の扉は開け放たれ、湿度は高いものの、適度に換気されているため息苦しさを感じることはない。
梓は、湯に浸かりながら俯いていた。
身体はもう充分に温まっているはずなのに、手足は震えが止まらない。
冷静を保とうと努力し、思考を整理しようとするが、ふとした瞬間に襲ってくるトラウマが、梓を飲み込もうとする。
和司の手が触れていたことには一切嫌悪感は感じていなかった。
しかし、ある音が梓の心に残り、それがトラウマを呼び覚ましたのだろう。
シャワーが止まった瞬間、響き始めた粘着質な音。
それは水の音とは違い、浴室の壁に反響する音が梓に強く印象を与えた。
ただそれだけの小さな音の違いが、梓の中の過去を引き出した。
その瞬間から、梓はまるで引きずられるように、あの恐ろしい記憶に囚われていった。
梓が小さく震え始め、顔色が蒼白に変わっていくのに気づいた和司は、すぐに手を止めた。
パニックには至っていなかったものの、このまま先へ進むわけにはいかないと感じたのだろう。
和司は静かに言葉をかけ、身体を温めるようにと促してから、浴室を後にした。
梓は震える手を見つめながら、その心を痛めた。
恐怖が襲わなければ、きっと今、和司の腕の中で安心していたはずなのに、という後悔が胸を締めつける。
そして過去の記憶と恐怖が重なり、胸の中に湧き上がる悲しみと後悔に、梓は吐き気を覚えた。
涙がこぼれ、嗚咽のように声が漏れた。
どれほどの時間が経ったのだろう。
長く湯舟に浸かりすぎたせいか、梓の皮膚は水分を吸いすぎて白くなり、少し硬く感じる。
浴室の鏡で、目が赤く腫れていないかを確認した。
まだ感情の波は続いていたが、震える手はようやく落ち着き、梓は浴室を出る決心をする。
脱衣所に用意された服。
梓は、雨に濡れてしまった自分の服を着ることができなかったため、代わりに和司の服を羽織ることにした。
下着は未使用のものがあったので、それも和司が置いて行ったものを履いた。 しかし、華奢な体格の梓には、下着がすぐに脱げてしまい、さらに用意された服もサイズが合わず、体に余裕がありすぎた。
ズボンもずり落ちてしまい、結局、長袖シャツだけをかぶるようにして着ることにした。
ビッグシルエットのシャツと言えば少しは聞こえが良いが、実際には女性が着るワンピースのようだが、だらしなく体を包み込んでいるだけだった。
その姿を鏡で見ると、自分の体格の違いに思わずため息が漏れる。
服の中からほんのり香る和司の匂いが、梓に心地よく響く。 その香りに包まれているような気がして、梓は少しだけ安心感を覚えた。
脱衣所からリビングへと歩き、和司のもとへ向かう。 和司はキッチンに立っており、梓が部屋に入ると、彼は動きを止めた。 梓の姿を目にした瞬間、和司の目は驚きに見開かれた。 その姿があまりにも不格好で、和司の服が梓にとってはあまりにも大きいため、まるで着せられているように見えてしまう。 ズボンも履いていない梓は、無意識に手に持った下着を握りしめていた。
「……大きすぎて、ズボンも下がってきちゃって……すみません」
梓は、和司の反応を察して、少し申し訳なさそうに言う。 和司はそれに対して何も言わず、ただ「仕方ない」と頷く。
キッチンに戻りながら、梓の目に優しく映るコーヒーの香りが漂う。
「インスタントしかないが……」
和司がコーヒーを持って戻ってくると、立ち上がる梓に、何かを察したように和司はコーヒーを渡した。 そのマグカップから立ち上る湯気が、温かさを一層感じさせる。
「あ、ありがとうございます」
梓は立ったままコーヒーを受け取る。どうしたものかと少し迷いながら、立った姿勢でコーヒーに口をつける。 和司はそんな梓の姿をじっと見つめていたが、やがて言葉を発した。
「座らないのか?」
その問いかけに、梓は少し戸惑いながらも言葉を濁す。 足元でそわそわしている梓に気づいた和司は、顔を赤らめ、はっとした表情を浮かべた。 すぐに彼は、タオルを取りに行き、数秒後にはそれをソファに敷いて戻ってきた。
「すまない……気にしなくていい、座って」
和司の気配りに、梓は思わず感謝の気持ちを込めて微笑んだ。 やわらかな笑みを浮かべながら、彼はソファに腰を下ろす。 その後、和司はもう一枚、大きめのタオルを渡してくれる。 それは膝掛けとして、そっと手渡された。
「ありがとうございます……」
ほんの少しの気遣いが、梓にとっては大きな安心感となり、和司の気配りが、心の中に暖かく残っている。
対面に座った和司は、コーヒーを一口含んで喉を通す。
「すまなかったな」
「へ?」
「怖い思いをさせて」
和司が謝る理由が、梓には理解できなかった。
和司は何も悪くない。頼んだのは梓の方だし、むしろ気を使わせてしまったことが申し訳ない。
「斎藤さんが謝るような事じゃありません」
その瞬間、胸に痛みが走った。
梓は本当は、今ここで感情を整理できているわけではなかった。
それでも、和司を責めるつもりはなかった。
自分がその場面に居合わせたことは、他でもない自分の意志なのだから。
「俺が頼んだ事です。斎藤さんは悪くない」
本当なら、もっとずっと触れていたかった。
自分の過去を思い出しさえしなければ、今も甘い空気に溺れていたのだろうと思うと、心の中に残る後悔がさらに深くなった。
梓は素直に気持ちを打ち明けた。
「俺、斎藤さんが怖かったんじゃなくて、ちょっと思い出しただけで……本当はもっと触れてほしいです」
一瞬、記憶の奥底から恐怖がよみがえり、手足が震えた。しかし、それを抑えるように梓は苦笑いを浮かべる。
過去の汚れた身体が、どうしても頭から離れなかった。
「知らない男を何人も受け入れたこの体に、斎藤さんが触れることに申し訳なさを感じて」
―――その考えが心の中でぐるぐると渦巻いていた。
「どうして、斎藤さんが初めてじゃないんだろうって思ったり、色々ぐちゃぐちゃ考えて、それで」
不安定になった気持ちを押し込めようと、梓は無意識に手に力を入れる。
「……そんなこと……」
和司が困ったような表情を浮かべたことに、梓は今更ながら言葉にしたことを後悔した。
「すみません、言っても仕方ない事なのに」
慰めてもらいたかったわけではない。ただ後悔の念だけが湧き上がり、それを伝えたくなったのだろう。自分勝手な感情に嫌気がさし、梓はふと手の力が強くなっていることに気づく。
和司はすぐに立ち上がり、ゆっくりと梓に近づいて、隣に腰かけた。
「梓」
優しく低い声で呼ばれ、梓は少し驚いた。
これまで苗字で呼ばれていたこともあって、名前で呼ばれる感覚が新鮮で少し不思議だった。
最初に名前を呼ばれた時の、あの熱く激しい瞬間の感情がよみがえり、胸が締めつけられるような気持ちが走る。
しかし、今回は違った。和司はしっかりと目を見て、深い意味を込めて呼んでいる。
「斎藤さん?」
「俺の下の名前、解るか?」
「知ってますけど……」
その質問に梓は意味を理解する。
「結婚したら梓は斎藤になるんだが……このまま俺を苗字で呼ぶつもりか?」
和司の笑顔が、ふっと柔らかく浮かんだ。
その瞬間、梓の心臓が跳ねるように高鳴る。
「え……っと」
「言ったはずだが、俺は君が好きだよ」
和司は梓の頬に優しく触れる。
その手は少し冷たかったが、梓の急に熱くなる体温を冷ますために、逆にその冷たい手がとても心地よく感じられた。
「呼んでくれないか?」
その言葉には、どこか熱を帯びた響きがあり、梓の心はさらに揺れ動く。
甘い空気が二人の間を包み込む。
もう拒むことはできなかった。恥ずかしさに顔を赤らめながらも、梓は小さな声で和司を呼んだ。
「和司……さん」
呼び捨てにはまだ少し抵抗があったが、名前を呼ぶと、和司はニッコリと優しい笑みを見せて返事をくれた。
梓の心臓は動悸のように早くなり、その息苦しさが甘い苦しみに変わった。
柔らかくて、甘くて、優しい空間が広がる。
それは、和司が梓に対してどれだけ気を使い、優しさを注いでくれているかを感じさせる瞬間でもあった。
「服は乾燥機をかけているから朝には仕上がっている。今日は休みなさい。寝室を使うと良い。俺はここで寝る」
和司がソファから立ち上がり、寝室へと導こうとする。
その言葉に、梓は少し戸惑った。まるで、今夜一緒に過ごすつもりのような雰囲気だと感じたが、和司がそうではないことに悲しみが募った。
「どうして和司さんがリビングなんですか……俺ならまだしも……」
「……」
「一緒に寝ないんですか?」
和司の袖をつかみ、少し強引に引き寄せる。
「……一緒に寝ると絶えれそうにないからだ」
和司の頬が少し赤くなっていることに気づき、梓はその言葉に少し驚く。
「そんなこと……」
「怖がっても、さっきみたいに止められる自信がない」
和司の瞳は真剣だ。彼の言葉は、梓のためを思ってのことだと伝わる。
「俺、もう怖くないです」
「……」
「怖がっても止めなくていいです」
「それはダメだ」
「俺は和司さんに抱かれたいんです」
和司の袖をつかんだ手を伸ばし、梓は少し身を寄せた。
今、梓は嫌なことを忘れるための上書きではなく、純粋に和司に触れたい、触れてほしいという気持ちでいっぱいだった。
「お願いです。和司さんが良い」
その言葉に、和司の理性がとうとう崩れ落ちた。
「……手加減ができそうにない……」
「いいですよ」
和司の言葉に答えるように、二人の唇が深く重なり始める―――。
先ほどまでは、和司が優しく梓の身体を愛撫していたことが嘘のように、今は静寂に包まれた空間が広がっている。
浴室の扉は開け放たれ、湿度は高いものの、適度に換気されているため息苦しさを感じることはない。
梓は、湯に浸かりながら俯いていた。
身体はもう充分に温まっているはずなのに、手足は震えが止まらない。
冷静を保とうと努力し、思考を整理しようとするが、ふとした瞬間に襲ってくるトラウマが、梓を飲み込もうとする。
和司の手が触れていたことには一切嫌悪感は感じていなかった。
しかし、ある音が梓の心に残り、それがトラウマを呼び覚ましたのだろう。
シャワーが止まった瞬間、響き始めた粘着質な音。
それは水の音とは違い、浴室の壁に反響する音が梓に強く印象を与えた。
ただそれだけの小さな音の違いが、梓の中の過去を引き出した。
その瞬間から、梓はまるで引きずられるように、あの恐ろしい記憶に囚われていった。
梓が小さく震え始め、顔色が蒼白に変わっていくのに気づいた和司は、すぐに手を止めた。
パニックには至っていなかったものの、このまま先へ進むわけにはいかないと感じたのだろう。
和司は静かに言葉をかけ、身体を温めるようにと促してから、浴室を後にした。
梓は震える手を見つめながら、その心を痛めた。
恐怖が襲わなければ、きっと今、和司の腕の中で安心していたはずなのに、という後悔が胸を締めつける。
そして過去の記憶と恐怖が重なり、胸の中に湧き上がる悲しみと後悔に、梓は吐き気を覚えた。
涙がこぼれ、嗚咽のように声が漏れた。
どれほどの時間が経ったのだろう。
長く湯舟に浸かりすぎたせいか、梓の皮膚は水分を吸いすぎて白くなり、少し硬く感じる。
浴室の鏡で、目が赤く腫れていないかを確認した。
まだ感情の波は続いていたが、震える手はようやく落ち着き、梓は浴室を出る決心をする。
脱衣所に用意された服。
梓は、雨に濡れてしまった自分の服を着ることができなかったため、代わりに和司の服を羽織ることにした。
下着は未使用のものがあったので、それも和司が置いて行ったものを履いた。 しかし、華奢な体格の梓には、下着がすぐに脱げてしまい、さらに用意された服もサイズが合わず、体に余裕がありすぎた。
ズボンもずり落ちてしまい、結局、長袖シャツだけをかぶるようにして着ることにした。
ビッグシルエットのシャツと言えば少しは聞こえが良いが、実際には女性が着るワンピースのようだが、だらしなく体を包み込んでいるだけだった。
その姿を鏡で見ると、自分の体格の違いに思わずため息が漏れる。
服の中からほんのり香る和司の匂いが、梓に心地よく響く。 その香りに包まれているような気がして、梓は少しだけ安心感を覚えた。
脱衣所からリビングへと歩き、和司のもとへ向かう。 和司はキッチンに立っており、梓が部屋に入ると、彼は動きを止めた。 梓の姿を目にした瞬間、和司の目は驚きに見開かれた。 その姿があまりにも不格好で、和司の服が梓にとってはあまりにも大きいため、まるで着せられているように見えてしまう。 ズボンも履いていない梓は、無意識に手に持った下着を握りしめていた。
「……大きすぎて、ズボンも下がってきちゃって……すみません」
梓は、和司の反応を察して、少し申し訳なさそうに言う。 和司はそれに対して何も言わず、ただ「仕方ない」と頷く。
キッチンに戻りながら、梓の目に優しく映るコーヒーの香りが漂う。
「インスタントしかないが……」
和司がコーヒーを持って戻ってくると、立ち上がる梓に、何かを察したように和司はコーヒーを渡した。 そのマグカップから立ち上る湯気が、温かさを一層感じさせる。
「あ、ありがとうございます」
梓は立ったままコーヒーを受け取る。どうしたものかと少し迷いながら、立った姿勢でコーヒーに口をつける。 和司はそんな梓の姿をじっと見つめていたが、やがて言葉を発した。
「座らないのか?」
その問いかけに、梓は少し戸惑いながらも言葉を濁す。 足元でそわそわしている梓に気づいた和司は、顔を赤らめ、はっとした表情を浮かべた。 すぐに彼は、タオルを取りに行き、数秒後にはそれをソファに敷いて戻ってきた。
「すまない……気にしなくていい、座って」
和司の気配りに、梓は思わず感謝の気持ちを込めて微笑んだ。 やわらかな笑みを浮かべながら、彼はソファに腰を下ろす。 その後、和司はもう一枚、大きめのタオルを渡してくれる。 それは膝掛けとして、そっと手渡された。
「ありがとうございます……」
ほんの少しの気遣いが、梓にとっては大きな安心感となり、和司の気配りが、心の中に暖かく残っている。
対面に座った和司は、コーヒーを一口含んで喉を通す。
「すまなかったな」
「へ?」
「怖い思いをさせて」
和司が謝る理由が、梓には理解できなかった。
和司は何も悪くない。頼んだのは梓の方だし、むしろ気を使わせてしまったことが申し訳ない。
「斎藤さんが謝るような事じゃありません」
その瞬間、胸に痛みが走った。
梓は本当は、今ここで感情を整理できているわけではなかった。
それでも、和司を責めるつもりはなかった。
自分がその場面に居合わせたことは、他でもない自分の意志なのだから。
「俺が頼んだ事です。斎藤さんは悪くない」
本当なら、もっとずっと触れていたかった。
自分の過去を思い出しさえしなければ、今も甘い空気に溺れていたのだろうと思うと、心の中に残る後悔がさらに深くなった。
梓は素直に気持ちを打ち明けた。
「俺、斎藤さんが怖かったんじゃなくて、ちょっと思い出しただけで……本当はもっと触れてほしいです」
一瞬、記憶の奥底から恐怖がよみがえり、手足が震えた。しかし、それを抑えるように梓は苦笑いを浮かべる。
過去の汚れた身体が、どうしても頭から離れなかった。
「知らない男を何人も受け入れたこの体に、斎藤さんが触れることに申し訳なさを感じて」
―――その考えが心の中でぐるぐると渦巻いていた。
「どうして、斎藤さんが初めてじゃないんだろうって思ったり、色々ぐちゃぐちゃ考えて、それで」
不安定になった気持ちを押し込めようと、梓は無意識に手に力を入れる。
「……そんなこと……」
和司が困ったような表情を浮かべたことに、梓は今更ながら言葉にしたことを後悔した。
「すみません、言っても仕方ない事なのに」
慰めてもらいたかったわけではない。ただ後悔の念だけが湧き上がり、それを伝えたくなったのだろう。自分勝手な感情に嫌気がさし、梓はふと手の力が強くなっていることに気づく。
和司はすぐに立ち上がり、ゆっくりと梓に近づいて、隣に腰かけた。
「梓」
優しく低い声で呼ばれ、梓は少し驚いた。
これまで苗字で呼ばれていたこともあって、名前で呼ばれる感覚が新鮮で少し不思議だった。
最初に名前を呼ばれた時の、あの熱く激しい瞬間の感情がよみがえり、胸が締めつけられるような気持ちが走る。
しかし、今回は違った。和司はしっかりと目を見て、深い意味を込めて呼んでいる。
「斎藤さん?」
「俺の下の名前、解るか?」
「知ってますけど……」
その質問に梓は意味を理解する。
「結婚したら梓は斎藤になるんだが……このまま俺を苗字で呼ぶつもりか?」
和司の笑顔が、ふっと柔らかく浮かんだ。
その瞬間、梓の心臓が跳ねるように高鳴る。
「え……っと」
「言ったはずだが、俺は君が好きだよ」
和司は梓の頬に優しく触れる。
その手は少し冷たかったが、梓の急に熱くなる体温を冷ますために、逆にその冷たい手がとても心地よく感じられた。
「呼んでくれないか?」
その言葉には、どこか熱を帯びた響きがあり、梓の心はさらに揺れ動く。
甘い空気が二人の間を包み込む。
もう拒むことはできなかった。恥ずかしさに顔を赤らめながらも、梓は小さな声で和司を呼んだ。
「和司……さん」
呼び捨てにはまだ少し抵抗があったが、名前を呼ぶと、和司はニッコリと優しい笑みを見せて返事をくれた。
梓の心臓は動悸のように早くなり、その息苦しさが甘い苦しみに変わった。
柔らかくて、甘くて、優しい空間が広がる。
それは、和司が梓に対してどれだけ気を使い、優しさを注いでくれているかを感じさせる瞬間でもあった。
「服は乾燥機をかけているから朝には仕上がっている。今日は休みなさい。寝室を使うと良い。俺はここで寝る」
和司がソファから立ち上がり、寝室へと導こうとする。
その言葉に、梓は少し戸惑った。まるで、今夜一緒に過ごすつもりのような雰囲気だと感じたが、和司がそうではないことに悲しみが募った。
「どうして和司さんがリビングなんですか……俺ならまだしも……」
「……」
「一緒に寝ないんですか?」
和司の袖をつかみ、少し強引に引き寄せる。
「……一緒に寝ると絶えれそうにないからだ」
和司の頬が少し赤くなっていることに気づき、梓はその言葉に少し驚く。
「そんなこと……」
「怖がっても、さっきみたいに止められる自信がない」
和司の瞳は真剣だ。彼の言葉は、梓のためを思ってのことだと伝わる。
「俺、もう怖くないです」
「……」
「怖がっても止めなくていいです」
「それはダメだ」
「俺は和司さんに抱かれたいんです」
和司の袖をつかんだ手を伸ばし、梓は少し身を寄せた。
今、梓は嫌なことを忘れるための上書きではなく、純粋に和司に触れたい、触れてほしいという気持ちでいっぱいだった。
「お願いです。和司さんが良い」
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