オメガのホストはベータとして生きる

宮路 明

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38)GPS

 清武に手を引かれながら、梓は自分の部屋の中へと足を踏み入れる。
自分が日々過ごすはずの部屋なのに、どこか圧迫感を感じ、胸が重くなった。胃のあたりに痛みが走り、思わず息を呑む。

 どう切り出すべきか。
梓は、普段通りに話を続ける清武に、別れを告げるべきタイミングを必死に見計らっていた。

 昨夜の出来事について、一言も口にしない清武は、出張先での出来事を楽しげに語り続けている。
梓に発言権を与えようとせず、まるで自分だけの世界に閉じ込めているかのようだ。

「それでさー」

「清武……」

 その途切れない言葉の波を、梓は真剣な眼差しで呼び止めた。
口にしたのは、慣れ親しんだ名前だったが、その声にはいつもの軽さは無かった。

「話があるんだけど」
「聞きたくないって言ったら?」

 ようやく発言権を得たかと思ったその瞬間、清武の表情が冷ややかに変わる。
その笑顔は、どこか歪み、梓が何を言おうとしているのか、すでに察しているかのように見えた。

「大事なことなんだ」
「なら、尚更聞きたくない」

 表情一つ変えずに、梓の発言を断ち切る清武。
その笑顔の裏に潜むものが見え隠れし、梓は胸が締め付けられるような感覚を覚えた。

「清武……お願い、ちゃんと話し合いたい」
「……」

 梓の真剣な気持ちを理解したのか、清武は一瞬、微かに表情を崩す。
しかし、すぐに冷たい空気がその場を支配した。
清武は無言でベランダへと足を向け、外の空気を吸いに行くようだった。
気持ちを落ち着かせたいのか、あるいは話す気が全くないのか、梓には分からなかった。
だが、この一瞬を逃してはいけないと感じた梓は、震える声を必死に絞り出す。

「ごめん……」

 その短い言葉が、梓の口からやっと出た。だが、言葉の重みは感じられない。

「……何に対して?」

 あまりにも短く、説明のない謝罪に、清武は苦笑しながら問いかける。
その笑顔の裏には、苛立ちの色がにじんでいた。

「何に対して謝ってるの?電話出なかったこと?心配かけたこと?帰りが遅かったこと?」

 その一つ一つの言葉に、梓は胸を締め付けられるような思いを抱えた。

「清武……もう、俺たち終わりにしよう」

 清武の苛立ちを肌で感じながらも、梓は別れの言葉を伝えなければならないと感じ、強く心を決めて口を開いた。

「……昨日は楽しかったか?」

 清武は一瞬、顔色を変えたが、すぐに表情を戻して話を逸らすような言葉を口にした。

「清武、話題を変えないで」
「昨日はカラオケ行って、バーガー食べてきたんだろ?女の子たちと」
「え?」

 梓はその言葉に、驚きと不安が交錯し、思わず言葉が詰まった。
なぜ清武が昨日の出来事を知っているのか、全く分からなかった。

「なんで……」

 驚愕の表情を隠せず、目を丸くする梓に対し、清武はにやりとした笑みを浮かべた。
その笑顔は、どこか冷たく、何かを隠し持っているような印象を与える。

「飯食った後、無事に帰ったと思ったんだけど、部屋にはいないし……そういえば、兄貴と一緒にいたんだよな」

 清武は言葉を続けるが、どこか話すのを渋っている様子だった。
その様子に、梓は違和感を覚える。

「昨日の夜、兄貴に身体を慰めてもらったんだろ?まぁ、俺はそれも許すよ。正直、悲しかったけど、寂しい思いをさせたのは俺のせいだし……今後は寂しい思いをさせないから、安心して」

「何を言ってるのか、分からない」

 理解しようとするが、言葉の意味が全く腑に落ちない。
清武の寛大な態度と、和司との関係について知っていることが、どうしても不気味に感じられた。

 その瞬間、梓は手に持っているスマートフォンを見つめた。

「まさか……」

 緊張が体を震わせ、無意識に口の中の唾液を飲み込む。
清武の微笑みの奥に潜む、どろりとした闇が見え隠れしているように感じた。

 梓のスマートフォンは、事件が起きた際に壊れてしまった。そのため、新しいものを手に入れたが、仕事復帰まで使わないつもりだった。しかし、今の時代には連絡手段が必要だと感じ、新調することを決めた。

 だが、このスマートフォンは梓が自分で購入したわけではない。

清武が機種を選び、梓にプレゼントしたものだった。

 契約をしたのは梓だが、機種も設定もデータ移行も、全て清武に任せていた。自分ではほとんど触ることなく、電話やメール、連絡ツールのアプリしか使わなかった。

 震える手でスマートフォンの画面をなぞりながら、梓はその中に何かを感じ取った。
アプリケーションは多く、どう使うのかも分からないものばかりだった。
元々入っているものだと思っていたが、今思えばこんなに必要なはずがない。

 この中に、何かが隠されている。そう直感的に感じた。

「見えないよ。隠しアプリだから」

 その言葉が響くと、梓はハッとした。驚きと恐怖が入り混じり、視線を上げて清武を見つめる。

「今は便利だよ。子供の行動とか記録してくれるアイコンを隠せるアプリもあるし、番号さえ登録しておけば、スマホを紛失しても検索してくれるアプリがある。さらに、それと連携しているサイトも存在する」

 清武は悪びれもなく、淡々と説明を続けた。その笑顔の裏には、冷徹な告白の色が漂っていた。

「それって、ストーカー行為じゃないか……盗聴までしてるじゃないか」
「ただのGPSだよ、梓。音声記録は何かあった時の証拠や防犯システムとして使うだけさ」

 清武は言葉で正当化しようとしたが、梓の怒りは瞬時に湧き上がり、それと同時に彼への幻滅も深まっていった。
その怒りも幻滅も、次第に冷めていき、残ったのは生ぬるく、気持ち悪い感覚だけだった。


「兄貴との一夜は、音声記録を聞かなくても分かるけどね」

 清武は首を指で軽くトントンと叩き、梓の首に刻まれた赤い跡を指差した。

「そんなのをつけて、気づかないわけがないだろ?」

 梓の首には、和司がつけたキスマークが残っていた。
清武の声は、悲しみと怒りが交じり合った濁った感情を含んでいた。


「でもね、梓……。梓がどんなに他に身体を許したとしても、俺は梓と別れないよ」

 その執着心は、どうしても理解できなかった。自分にそこまでの価値があるのかと、梓は疑問に思う。
しかし、清武は再び悲しさを含んだ笑顔を見せた。


「ごめん……俺はもう、清武にはそういう感情を抱けない」

 梓は自分の気持ちを正直に伝えることに決めた。

 清武の行動に幻滅したこともあるが、それ以上に自分にはもう、清武に対する感情が残っていなかった。
そして何より、今、好きな人が他にいる。
 これ以上の関係は続けられない。もう終わりにしたいという気持ちは、どうしても変わらなかった。
友達に戻るのは難しく、今後どうなるのかもわからない。しかし、それでも梓は和司と一緒にいることを選びたかった。

「兄貴を選んだら、俺と義理の兄弟になるけど、それでも平気なのか?」

 清武がそう問う言葉には、意味があった。

和司と一緒になれば、清武と義理の兄弟になる。それでも、梓は和司と一緒になることを選ぶつもりだ。
斎藤家の家柄がどうであれ、和司と一緒にいることが自分にとって一番大切だと、梓は確信している。


「俺なら、長男じゃないから両親を説得するのも楽だ。次男だから自由にできるし、親に気を使うなら、離れることだってできるよ」

 清武の言葉で、斎藤家の家柄の問題が浮き彫りになった。

「斎藤家のことはよくわからないし、反対されるのは理解してる」

 梓は自分の二次性に対する悩みを隠すことなく、家柄に対する憎しみがこみ上げてくるのを感じていた。
もし自分が丸馬だったら、オメガであっても家柄で歓迎されたはずだろう。
それでも、梓には何一つ歓迎される要素はない。
 家柄もそうだし、事件のこともある。ましてや、子供を持てない体である自分が和司に釣り合うとは、とても思えなかった。
それでも、和司の差し伸べた手を、梓は強く、強く握りしめてしまったのだ。

「俺は、和司さんの番になりたい」

 それが梓の本心だった。

「……兄貴を下の名前で呼ぶようになったんだな。でも、まあ、俺と結婚すれば、梓も兄貴の弟になるわけだし」

 清武は、梓が自分の気持ちをきちんと伝えていたにもかかわらず、返答としてそれを受け止めなかった。

「清武?ちゃんと話を聞いて」
「聞いてるよ。兄貴と番になりたいんだろ?」
「うん、だから……」
「ダメだよ。兄貴には家柄の良い婚約者がいるんだ。梓は俺と番になって、俺と結婚するんだよ」

 もはや話す気にもならず、梓は頭を悩ませた。
どれだけ話し合っても無駄だと感じていたからだ。
溜息をつきながら、梓は呆れた態度を見せた。

「ごめん、ちょっと料理したら、和司さんのところに行くから」

 諦めの気持ちで、梓はキッチンに向かって足を進める。

「梓」

 清武に呼ばれ、振り向くと、信じられない光景が目に入った。

「っ!清武!何してんの!」

 ベランダのステンレス製の柵に腰掛け、バランスを崩せばそのまま落下してしまいそうな危険な状態で清武がいるのだった。

「梓、俺さ……。俺は梓が全てなんだよ」

 強い風が窓を震わせ、冷たい空気が室内に流れ込んだ。その冷たさが、今のこの瞬間に漂う不安と張りつめた空気にぴったりと重なったようだった。

「清武、危ないから……」

 梓は声をかけながらも、胸の中で何かが締め付けられるような感覚を覚えていた。

「なら、俺を選んでよ、梓」

 清武の声には、今までのような軽薄さはなく、深い悲しみと決意が込められていた。微笑んでいるようでいて、その表情はどこか痛々しく、梓の胸に冷たい爪を立てる。彼が放つ言葉が、梓の心に重くのしかかってきた。

 しかし、どんなに心が揺れ動いても、梓は清武を選ぶことはできなかった。

「馬鹿なことしてないで、危ないから……子供じゃないんだから」

 梓は強く言いながらも、心の中では彼を止めたくて仕方なかった。でも、もうこれ以上引き止めることはできないと分かっていた。
冷めた口調が、どこか自分を守ろうとするように感じられた。

「ほら、清武」

 梓はそっと手を差し伸べるために、慎重にベランダへと足を踏み出した。もし清武が驚いて足を踏み外したら――そう考えるだけで胸が痛む。だから、少しでも刺激しないように、彼に近づく足取りは極力静かに、ゆっくりとしたものになった。

「どうしても、俺を選べない?」
「ごめん、もう決めたことだから。あと、この話は降りてからしよう」

 清武の言葉は悲しみを含みつつも、それが彼の本心であることを痛いほど感じた。だが、梓の心はもう決まっていた。選ぶべき相手は、他にいる。

「……俺はずっと梓が好きなんだよ。これからもずっとさ。……でも、兄貴の番になった梓を見ながら、梓と義理の兄弟として生きていくのは辛いな……」

 清武の声が、わずかに震えていた。その表情には悲しみと混じった怒りが見え隠れし、梓はその目を見ていると、胸の中が締め付けられるような苦しさを感じた。

 清武はそのまま笑みを浮かべ、振り返ることなく、ベランダの縁に足をかけた。

「清武?」

 その時、清武の顔が急に強い決意を宿した表情に変わり、梓は思わず足を止めた。

「愛してるよ、梓。梓がいない俺の人生なんて、要らない」

 その言葉は、冷たい空気を切り裂くように響いた。清武の目は真剣で、まるでそれが最後の言葉であるかのように、強い意志が宿っていた。

 そして、清武はその場から一歩踏み出した。

 それは、まるで全てを投げ出すような瞬間だった。彼は身体を背後の風に任せ、両腕を広げると、重力に従って無防備に落下していった。

「清武っっ!!」

 梓の声は、声を震わせながら叫んだ。その声が空気に吸い込まれ、届くことなく消えていった。
清武の姿は、すぐに梓の視界から消え、ベランダの縁を越えて、深い闇に呑み込まれていった。

 その瞬間、梓は体中が凍りついたように感じ、全ての力が抜けていくのを感じた。
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