オメガのホストはベータとして生きる

宮路 明

文字の大きさ
57 / 64
アフターストーリー

アフターストーリー「持井新」

 持井新は山積みになった書類の中に目を留めた名前に、思わず眉をひそめた。

「やっぱり、慣れねぇっすわ」

 事件の概要がまとめられた書類には、「担当者:村上和司」と記されている。その名前に違和感を覚えるのも無理はない。新にとって、彼の名前はずっと「斎藤和司」だった。長年親しんできた名前が変わったことへの戸惑いと、どこか寂しさのような感情が胸をよぎる。

「かずさんが斎藤和司じゃなく、村上和司なんですもんねぇ……まだ実感湧かないっすよ」

 書類を淡々と整理する和司に向かって、ぽつりと呟く新。その口調に責める色はなく、ただ言葉にできない感情を吐露しているだけだった。そんな新の様子を横目に、和司は慣れた手つきで書類を片付けながら、話題を変えることで軽くいなした。

「それより、お前は恋人とどうなんだ?」
「なんすか!話題変えるために俺をネタにしないでくださいよ!」

 突然の矛先に、新は顔を赤らめながら抗議する。しかし、その抗議が和司に届く前に、さらに別の声が会話に割り込んできた。

「そういえば、もちの恋人って有名な華道家らしいな」

 低く落ち着いた声の主は、上司である久保田健だった。腕を組みながら、少し興味深げにこちらを見つめている。

「え?健さんも俺に興味あるんすか?」
「まあ、そういうことにしとこうか。けど、例の事件で協力してくれた彼……遥くんだっけ?ベータなんだろ?」
「ええ、まあ……」

 新は言葉を濁しながらも軽く頷いた。久保田はそれ以上深掘りすることなく、新を励ますようにぽんと肩を叩いた。

「頑張れよ」

 その励ましに、照れくささと不思議な安心感が混じる。久保田が少し離れたところへ行くと、今度は和司が話題を拾った。

「あの風月薫の弟だったか……」

 和司の声はいつも通り淡々としているが、その無表情の裏には、自分に矛先が向かないよう話題を続けている意図が透けて見える。

 風月家――それは世間でも広く知られる華道家の名門だ。特に長男の薫は、アルファが優位とされる社会の中でベータとして成功を収めた象徴的人物。華道界では風月という姓は二次性が存在する以前からその名が知られていたが、特に優れた薫は今やメディアにも頻繁に登場する有名人である。その弟である遥もまた、風月家の名を背負って生きている。

「そうですよー!有名な家紋の家出身で、しかもベータ男性とお付き合いさせてもらってますー!」

 新は少し自嘲気味にそう言い放った。同性同士の恋愛に対する偏見がまだ根強く残る世の中で、風月家のような著名な一族の一員が同性の恋人を持つという事実は、メディアにとって格好の話題となる。それでも、新は遥を選び、守る覚悟を決めていた。彼を選び取った責任を、どんな言葉よりも強く心に刻んでいる。

 遥と出会ったのは、遥が高校3年生だった頃のことだ。現在は大学生となった遥だが、二人が付き合い始めたのは遥が卒業してからのことだ。二人の事を知る者たちは年齢差を理由に揶揄されることも少なくないが、新は堂々と「犯罪ではない」と主張し、関係を貫いている。それでも時折、この二人からの軽いネタにされることが避けられない。

「俺の話はもういいっすよ!和司さんの惚気話でも聞きましょうよ!」
「カズの惚気話はもうお腹いっぱいだからなぁ」

 久保田が笑う中、和司はわずかに首をかしげる。最近では、彼が愛妻弁当を持参する姿や、梓が非番の日の予定を嬉しそうに語る様子が目立つようになった。かつては必要最低限の言葉しか発しなかった男が、私情を少しずつ口にするようになったのは、彼の心境の変化を象徴している。

「そんなに俺、惚気てますかね」
「無自覚っすか」

 新が呆れたように言い放ったその時、彼のジャケットのポケットから振動音が響いた。

「恋人からかな?」
「健さん、茶化しすぎっすよ」

 スマホを取り出して確認すると、画面には遥の名前と短いメッセージが表示されていた。

『今日の講義、先生の都合で早く終わったよ』

 その文面を目にした瞬間、新は椅子から勢いよく立ち上がった。

「俺、今日早退します!」
「おい、もち!この書類はどうするんだ!」
「明日やるっすー!」
「こら!もち!」

 書類の提出期限がまだ先だということを言い訳に、新は軽やかな足取りで部屋を飛び出した。今の彼にとって最優先すべきことは、恋人との時間を共有することだ。忙しい日々の中で、二人の時間を取り戻す。それは新にとって何よりも大切なひとときである。

 外に出ると、柔らかな風が頬を撫でた。少し湿り気を含んだ空気には、夏の気配が混じっている。街路樹の葉は生き生きと揺れ、どこからか初夏を感じさせる甘い花の香りが漂ってきた。新は深く息を吸い込み、少しだけ空を見上げる。

「今日は、いい日になりそうだな」

 遥の笑顔を思い浮かべるだけで、胸がじんわりと温かく満たされていく。
彼と過ごす時間が、どれほど新にとって特別なものか。それを噛みしめるように、新は一歩一歩を確かめながら進む。

 陽が傾きかけた空は、柔らかなオレンジ色に染まりつつあった。その中に遥が待つ場所が見えてきたとき、自然と足取りは速くなった。

「遥!」

 振り返る恋人の姿が、新を迎え入れる。その笑顔は、夕陽の光を受けてさらに輝きを増して見えた。
二人の距離が縮まる。たった数メートルが、やけに長く感じる。それでも、新は全力でその距離を駆け抜けた。

「待たせたな!」

 遥の笑顔が、さらに柔らかく広がる。新は息を整えながら、彼に言った。

「これからどこ行こうか?」

 遥が何か答えようと口を開く。

その声が耳に届く前に、ただ彼が隣にいる――それだけで、新の心は満たされていた。

 風の中に漂う夏の香りと、彼の笑い声。どこまでも続く道の先にあるのは、これからの新しい季節。
新にとって、今日は確かに「いい日」だ。

そしてそれは、これからも続いていくに違いない。
感想 12

あなたにおすすめの小説

売れ残りオメガの従僕なる日々

灰鷹
BL
王弟騎士α(23才)× 地方貴族庶子Ω(18才) ※ 第12回BL大賞では、たくさんの応援をありがとうございました!  ユリウスが暮らすシャマラーン帝国では、平民のオメガは18才になると、宮廷で開かれる選定の儀に参加することが義務付けられている。王族の妾となるオメガを選ぶためのその儀式に参加し、誰にも選ばれずに売れ残ったユリウスは、国王陛下から「第3王弟に謀反の疑いがあるため、身辺を探るように」という密命を受け、オメガ嫌いと噂される第3王弟ラインハルトの従僕になった。  無口で無愛想な彼の優しい一面を知り、任務とは裏腹にラインハルトに惹かれていくユリウスであったが、働き始めて3カ月が過ぎたところで第3王弟殿下が辺境伯令嬢の婿養子になるという噂を聞き、従僕も解雇される。

ただ愛されたいと願う

藤雪たすく
BL
自分の居場所を求めながら、劣等感に苛まれているオメガの清末 海里。 やっと側にいたいと思える人を見つけたけれど、その人は……

当たり前の幸せ

ヒイロ
BL
結婚4年目で別れを決意する。長い間愛があると思っていた結婚だったが嫌われてるとは気付かずいたから。すれ違いからのハッピーエンド。オメガバース。よくある話。 初投稿なので色々矛盾などご容赦を。 ゆっくり更新します。 すみません名前変えました。

【本編完結】あれで付き合ってないの? ~ 幼馴染以上恋人未満 ~

一ノ瀬麻紀
BL
産まれた時から一緒の二人は、距離感バグった幼馴染。 そんな『幼馴染以上恋人未満』の二人が、周りから「え? あれでまだ付き合ってないの?」と言われつつ、見守られているお話。 オメガバースですが、Rなし全年齢BLとなっています。 (ほんのりRの番外編は『麻紀の色々置き場』に載せてあります) 番外編やスピンオフも公開していますので、楽しんでいただけると嬉しいです。 11/15 より、「太陽の話」(スピンオフ2)を公開しました。完結済。 表紙と挿絵は、トリュフさん(@trufflechocolat)

Ωの不幸は蜜の味

grotta
BL
俺はΩだけどαとつがいになることが出来ない。うなじに火傷を負ってフェロモン受容機能が損なわれたから噛まれてもつがいになれないのだ――。 Ωの川西望はこれまで不幸な恋ばかりしてきた。 そんな自分でも良いと言ってくれた相手と結婚することになるも、直前で婚約は破棄される。 何もかも諦めかけた時、望に同居を持ちかけてきたのはマンションのオーナーである北条雪哉だった。 6千文字程度のショートショート。 思いついてダダっと書いたので設定ゆるいです。

借金のカタで二十歳上の実業家に嫁いだΩ。鳥かごで一年過ごすだけの契約だったのに、氷の帝王と呼ばれた彼に激しく愛され、唯一無二の番になる

水凪しおん
BL
名家の次男として生まれたΩ(オメガ)の青年、藍沢伊織。彼はある日突然、家の負債の肩代わりとして、二十歳も年上のα(アルファ)である実業家、久遠征四郎の屋敷へと送られる。事実上の政略結婚。しかし伊織を待ち受けていたのは、愛のない契約だった。 「一年間、俺の『鳥』としてこの屋敷で静かに暮らせ。そうすれば君の家族は救おう」 過去に愛する番を亡くし心を凍てつかせた「氷の帝王」こと征四郎。伊織はただ美しい置物として鳥かごの中で生きることを強いられる。しかしその瞳の奥に宿る深い孤独に触れるうち、伊織の心には反発とは違う感情が芽生え始める。 ひたむきな優しさは、氷の心を溶かす陽だまりとなるか。 孤独なαと健気なΩが、偽りの契約から真実の愛を見出すまでの、切なくも美しいシンデレラストーリー。

保護対象のはずなのに ~過保護なソーシャルワーカーと距離を間違えた関係~

田中 乃那加
BL
 それは【保護】であるはずだった。  けれどその距離はいつの間にか踏み越えられていた――。  オメガは保護されるべき存在であり、危険から遠ざけることは社会の義務とされている世界。  そこでのほほんと大学生活を送るオメガ、大西 叶芽は友人や家族に囲まれ幸せだった。  成人を超えた彼につけられた新しい担当ソーシャルワーカー。  それが御影という男だった。  物腰柔らかく親切な彼と同じく、このオメガ守り保護する【制度】も少しずつ叶芽を追い詰めていく。  オメガが希少化して保護されるようになった世界で、自立して生きるのを目指す青年の話。

番を拒み続けるΩと、執着を隠しきれないαが同じ学園で再会したら逃げ場がなくなった話 ――優等生αの過保護な束縛は恋か支配か

雪兎
BL
第二性が存在する世界。 Ωであることを隠し、平穏な学園生活を送ろうと決めていた転校生・湊。 しかし入学初日、彼の前に現れたのは―― 幼い頃に「番になろう」と言ってきた幼馴染のα・蓮だった。 成績優秀、容姿端麗、生徒から絶大な信頼を集める完璧なα。 だが湊だけが知っている。 彼が異常なほど執着深いことを。 「大丈夫、全部管理してあげる」 「君が困らないようにしてるだけだよ」 座席、時間割、交友関係、体調管理。 いつの間にか整えられていく環境。 逃げ場のない距離。 番を拒みたいΩと、手放す気のないα。 これは保護か、それとも束縛か。 閉じた学園の中で、二人の関係は静かに歪み始める――。