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柴楽 松

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23)君はロコ

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 関根の一言に、店内の空気が一変した。笑い声がすぐに止まり、周囲の視線が一斉に彼に集まる。関根の冷徹な表情と、そこに込められた怒りが、誰にも無視できないほど強く伝わった。

「お前ら、勝手なこと言ってんじゃねぇ」

 関根の声は、冷たく、しかしその奥に深い憤りを湛えていた。彼の周りには不穏な沈黙が広がり、誰もがその空気を感じ取った。取り巻きたちも、今までのように軽薄な態度を崩し、気まずい沈黙の中で互いに視線を交わすばかりだった。

 谷口は一歩も引かず、関根の目をしっかりと見つめ返していた。その目の奥には、何かを訴えかけるような切実なものが感じられた。関根の冷徹な眼差しの中に、ほんのわずかな躊躇が見えたのを、谷口は見逃さなかった。

「関根、俺、ずっと思ってたんだ。お前がロコなんじゃないかって」

 谷口の声は、以前のような軽さを完全に失い、真剣そのものであった。その言葉は、関根の胸に刺さるような痛みを引き起こした。自分が過去に抱えた記憶が、再び鮮明に甦ってくるような気がした。
周囲が一瞬静まり返る。信夫も明美も、何かを察したように口をつぐんだ。誰もがその瞬間を見逃さず、関根の反応を注視していた。
関根は、深く息を吐き出すと、ゆっくりと立ち上がった。その足音が、まるで店内の空気を切り裂くように響く。彼は、一度も目を逸らさず、谷口の目を見据えた。

 谷口の手は震えていた。その大きな体に似合わず、心の中は小心者であることが見て取れる。周囲の視線が集まる中で発言する勇気を振り絞ったが、内心では逃げ出したい気持ちでいっぱいだろう。その震えが、彼の弱さを物語っていた。

「お前、昔っからビビりなのに、よくこんなとこにこれたなぁ」

 関根は少し苦笑を漏らし、谷口の様子を見ていた。その表情には、どこか遠くを見つめるような哀しさが含まれていた。自分に向けられる言葉が、谷口に対しての軽いからかいであることを理解しつつも、どうしても心のどこかでそれを受け入れられない自分がいる。

「俺がその猫だったとして、何があるんだよ。そもそも、生まれ変わりだとしたら、同い年なのがおかしいと思わないか?」

 関根はあくまで冷静に、そして少し不安そうに問い返す。その言葉に、周囲は何かを察したのか、ニヤニヤと笑い出す。まるで、今まさに一つの戯言が、解けない謎のように彼らには感じられていた。

「ロコは、俺が五歳の時に死んだ猫だ。優しい奴なんだ」

 関根の声が次第に、懐かしさと温もりを帯びる。彼の目の前に浮かんだのは、あの猫の姿。小さな体で、いつも家族を支えていたその猫の面影が、今でも心の奥深くに刻まれている。「俺や弟たちがケンカしたり泣いたりして、舐めて慰めてくれるような面倒見のいい、優しい猫だったんだ。熱を出した時とか、辛い時は一緒に居てくれた」
 その言葉に、関根の胸の奥で、懐かしくも切ない感情が広がっていく。しかし、谷口の反応を感じ取ると、その感情がさらに深まっていくのを感じた。谷口の声が少しだけ、強いものに変わり、自分の気持ちをぶつけるように語り始めた。

「関根が言う通り、年齢が合わないって思って、ロコの生まれ変わりだなんて考えなかった。けど、関根が俺を避けるようになって、気になって色々関根を見てるうちに気づいたんだ」

 谷口の目は真剣で、しかしどこか不安げだ。その瞳の奥に、過去の出来事や感情が渦巻いているようだった。

「ロコなんじゃないかって」

 その一言が、谷口の心から絞り出されたように響いた。関根はその言葉を聞いた瞬間、自分の胸が締めつけられるのを感じた。どんなに否定しようとしても、谷口の思いが真実であるかのように響いていた。
その沈黙がしばらく続く。周囲の空気が、まるで張り詰めた糸のように緊張を持ち続ける中、関根は一度、深く息を吐き出した。
その時、周囲の笑い声やざわめきが一気に消え、二人だけの世界が広がったような錯覚に包まれる。

関根はしばらくの間、谷口の言葉を噛み締めるように黙っていた。その眼差しはどこか遠くを見つめ、心の中で何かを整理しようとしているかのようだ。しかし、思い出が次々と押し寄せ、彼の心は乱れていく。


「関根君、子供の頃、事故に遭ったことがあるよな?」
「あぁ?」

 信夫が会話の流れを遮るように、古い新聞をテーブルにドンと置いた。
新聞の見出しには、幼児殺人未遂事件と大きく記されていた。関根の名前が、そこに載っている。年配の男性の飲酒によるひき逃げ事件の被害者、それが関根だった。自分でも記憶にないその事件について、関根はただ理解できないまま、話がどこに向かっているのかが分からなかった。

「……それで?」
「君は一度死んでいるんだ」

 信夫は静かに続けた。

「記事には、絶望的だとされた子供の命が、数日後に蘇生し、奇跡だと報道されている」
「それで?」
「ロコが死んだ日と、この事件は同じ日なんだ。君はその体に憑依したんだと、仮定する」

 その仮定により、年齢差が矛盾するという疑問が解消された。関根はその言葉を聞いて、ハッとしたように思考が一瞬で整理されるのを感じた。これまでずっと疑問に思っていた年齢差が、これで解決されたのだ。

「この年齢の疑念が拭われて、俺は、関根がロコなんじゃないかって思って……」

 谷口が関根に言った。

「あーはいはい。そう思いたいだけでしょ」
「関根、ちゃんと聞いて」
「うるさいな。そういうお涙頂戴話、お前の都合で押し付けないでくれるか?」
「関根が俺のこと好きなの無視してたことは謝るから!」

 谷口の言葉に、関根がピタリと身体を止めた。
 何?どういう状況?と、関根の取り巻きたちが再びざわめき出す。

 関根はしばらく無言で谷口を見つめていた。周囲のざわめきが、まるで遠くの音のように感じられるほど、静寂がその場を支配した。関根の目が一瞬、揺らぐ。
そのわずかな変化を見逃す者はいなかった。

 谷口は手を握りしめ、悔しさを滲ませた。

「……ずっと悔やんでるんだ」

 その言葉が、関根の心にひとしずくの冷たい水を落としたような気がした。心の奥底で抑え込んでいた感情が、じわじわと滲み出してくる。
関根は深く息を吸い込み、静かに口を開く。

「だから何だよ。俺がロコだったとして、お前はどうしたいんだ」

 谷口の目が真剣で、何かを決意したように光る。

「お前がロコで、俺が気づけなかったことを謝りたかった。それに、もう一度、関根とちゃんと向き合いたいんだ」

 関根の心の中で、何かが大きく揺れる。それでも、彼はその感情を必死に押さえ込もうとした。

「向き合う?何で今更そんなこと言うんだよ」

 関根は冷たく笑い、視線を外す。

「もう遅いんだよ」

 その言葉に谷口は何も言えず、ただ黙り込んだ。関根は立ち上がり、冷たい表情で言った。

「せいぜい、自分の妄想に浸ってろよ」

 その瞬間、周囲が静まり返った。

 関根は一歩、また一歩と店を出ようと歩みを進める。その背中は硬く張り詰めていて、彼の心中に渦巻く苛立ちや動揺を物語っていた。だが、その空気を破るように、沈黙を守っていた宮登が勇気を振り絞るように声を張り上げた。

「関根……!」

 呼び止める声に、関根の足がぴたりと止まる。店内に漂うざわめきが一瞬で静まり返り、全員の視線が宮登に注がれた。
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