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獣軍連邦潜入編
61.魔族について
しおりを挟むうま耳をぱたぱたと揺らした先生は、苦笑して手を伸ばしながらツェルリリの頭を撫でた。ツェルリリの方が身長が高いが、それでも嬉しそうに、膝を屈めて撫でられている。それから私にも視線を向け、手を伸ばしてきた。
私も同じように撫でられろと言うのか。むずがゆさを感じたが、同じようにかがんで頭を撫でられる。優しい手つきには、思わずうっとりとしてしまった。
「ヒュギル様は孤児院の出資者でもある方なのだから、そんな言い方は駄目よ、リリちゃん。……それでね、とても物腰が柔らかで、立派な方ではあるのよ?本来ならなかなか受けられない治療も、無償で施していただいているし……でもあの方に、女児を診ていただくわけにはいかなくて、男児を診ていただいているのよ。だからクーちゃんも、女の子と一緒に「私は男だ」」
私がきっぱりはっきり言い切ると、先生は困った表情でため息をついた。先生方を困らせる意図はないが、私とて引けぬところがある。
幼児に思われてしまうのは、百歩譲って仕方がないとしよう。匂いのせいで女児と思われてしまうのも慣れた。だが、それでも実際に女児に混ざって、身体測定されるなどもってのほかだ。私は男なのだ。それに女性に対する配慮が足りない。彼女たちとて、男の私と一緒に診察されるのは嫌だろう。
「……わかったわ。院長先生にお伝えしてくわね」
「すまない。ありがとう」
頑として意見を変えない私に、彼女はそう言いながら立ち去った。改めて私はツェルリリに向き直る。
「それで、その変態紳士とやら、どんな獣人なのだ?もし本当にろくでもない者なら、私が懲らしめてやる」
「小さい女の子が好きなのよ。あたしも愛してるって言われたわ。でもヒュギル様、小さい女の子なら誰でもいいみたいで、その辺り、大人のひとは許せないみたい。いろいろ物知りで教えてくれて、いい人なのに」
「……なるほど、変態紳士か」
私の周囲にも1人いるではないか。狼獣人で目つきの悪くて、私が幼女だと自覚しつつ、嫁と呼ぶ変態。あいつは紳士でも何でもないからな。……それに、もしかしたら私は、都合の良いだけの穴なのかもしれないし。
「クーちゃん?」
「っああ、それで、そのヒュギルとやら、なんの獣人なのだ?」
うっかり落ち込みかけて、私は頭を横に振った。相手が大型獣人だった場合、より念入りに作戦を考えなければならない。脳震盪を起こさせて気絶した後に、性欲の元となる玉を潰してやろう。
なに、ドゥシャンなら良くやったと褒めてくれる。出資者というから、院長先生には怒られるかもしれないが……さては、幼児が攫われる事件の犯人は、その変態紳士なのではないか?
珍しく私の頭が冴えている。これはさりげなく、ツェルリリから情報を聞き出して、その変態紳士をきっちり締めあげなければ。その際に、もったいないから精液は搾り取ろう。そうすればユストゥスも、……ユストゥスも、あんな忙しいのに、私を毎日抱かなくて、済む……。
今度こそ確実に落ち込んでいると、ツェルリリはそんな私の状態には気にも留めずに、うさちゃんを抱き締めたまま、うんうん唸った。
「難しい質問ね。ヒュギル様、複合獣人なの」
「複合……?近似種族ではないと、子が生まれぬのではないのか?」
先ほどライニールから聞いたばかりの知識で尋ねれば、ツェルリリには首を横に振られた。
「あたし、よく知らないわ。でもたまに、複数の獣人の特徴を持った人はいるわよ。すごく少ないけどね。ヒュギル様も、背中につやつやした蝙蝠羽を持っていて、立派な角を持ってて、足は山羊なの。尻尾には鱗があったわ。先祖返りしてるのよ」
「………………ひょっとして、肌は青みがかっていて、赤目で、虹彩は、縦に割れていないか?」
私の質問に、ツェルリリは不思議そうに、つぶらな瞳をぱちりと瞬きをした。
「クーちゃん、ヒュギル様とお知り合いだったの?なら私に聞く必要ないじゃない」
その言葉は私の質問を肯定するものだった。ざわっと総毛立ち、私の中での警戒レベルが、一気に上限まで跳ね上がった。ぎゅっと強くジュストを抱き締めて、奥歯を噛み締める。カチ、と何かの感情が、一気に切り替わった。
「……」
「じゃあクーちゃんは、ヒュギル様とお会いできるのね。あたしは会えないけど、もっとお胸を大きくする方法、教えてもらってきてね」
押し黙った私に、ツェルリリは笑顔で手を振りながら、自分の席へと向かっていった。食事を終えた私は、逆によろよろと食堂から出ていく。外では、手持ち無沙汰そうにライニールが立っていた。私が出てくるやいなや、駆け寄ってくる。
「クンツ、遅かったな。今日は午後から健康診断だから、早く行かないと……クンツ?」
私がぎゅっと彼の服を掴むと、色黒の少年は私の顔を覗き込んできた。おそらく少し青ざめた私の顔が、彼の目に映っていることだろう、表情が変わった。
「どうした、具合でも悪いのか?」
「……大剣が欲しいのだが、誰か持っていないだろうか。最悪、ドゥシャンから大斧を借りるか……いやでもあれは、私には少し大きすぎる」
「少しじゃないだろ?あんな大きいの。ドゥシャン以外には振り回せるわけないし……クンツ、いったい何の話をしてるんだ?」
「魔族を倒さなければならない。魔族は人間の敵だ」
「魔族?」
ぴんと来ない表情で、ライニールは私にそう聞き返した。
魔族。人間の敵。アダルブレヒトと名付けられた湿原を境に、我が国と国境を挟んでいる、敵対者だ。寿命は人間……人族や獣人族と比べても長く、その魔力量は豊富で、諸外国の上級貴族でも、太刀打ちできない強さを持つ者もいる。
魔物は彼らが生み出したとされていて、私がこの身体になった原因の悪魔の実も、彼らが作ったものだ。
男も女も、見目よく全員が恵まれた体格を持ち、翼を有しており、角に蹄のある足、竜のうろこを持つ尾が特徴的だ。その身体に流れる血は赤くなく、青いために肌は青みがかっている。しかし彼らは変身能力にも長けている。巨大な竜に化けたり、人にも魔獣にも化ける。化け物どもだ。
そんな魔族が本来の姿で、獣人たちの国にいるとはどういったことだろう。……考えても仕方がない。殺すだけだ。私はそのためにいる。任務とどちらが重要か、秤にかけることもしなかった。任務は騎士団からの命だが、魔族抹殺は長年続く、我らリンデンベルガーの主命だ。優先順位は何を差し置いても、こちらの方が高い。
殺す。絶対殺す。そのための私の命だ。逃げられては駄目だ。弱らせてから確実に殺す。そこまで才能のない私にも使える、破壊力の強い術式はある。代わりに命は落とすが、何よりも優先するのは、魔族を殺すことだ。
少しも集中できない午前中の作業を終え、午後は健康診断ということで、子供たちは男児から先に組み上げた水で汗を流した。診断も人数の多い、男から行うらしい。
私は1人、男児にも女児にも混ざらず、部屋で濡れた布で身体を清めるという形を取りつつ、洗浄魔法で身を清めた。
ついでに借りてきたくたびれた鍬の刃は、短時間ながら、これ以上にないと言うほど尖らせた。つやつやだ。これなら、作業もはかどるだろうと思うぐらいの鋭さだ。これで魔族の首を掻き切ってやる。そのあとは術式で殺す。治癒能力も高い魔族はすぐに回復してしまうから、回復前に爆散させるのだ。
……ジュストは部屋に置いて行こう。この子は綺麗な姿で、燃やしてもらわなければいけない。ぬいぐるみの鼻先に口づけを落とし、もう二度と嗅ぐことはない、ユストゥスの匂いを肺いっぱいに吸い込んで、私は部屋を出た。
集まるのは食堂の前の広場だ。テーブルや椅子がすでに運び出されている。代わりに必要な器具はすでに運び込まれているらしい。魔族が私に対して対抗手段を用意しているかもしれない。心してかからねば。絶対殺す。
私が鍬を握りしめたまま現れると、集まった幼児や先生方がざわめいた。驚いたライニールが駆け寄ってくる。
「クンツ……鍬は持ってったらだめだよ、診察の邪魔になる」
「でも、魔族は殺さなければいけない。皆のためだ。危ないから下がっていてくれ。巻き添えにしたくない」
そう心を決めた私に、ライニールは困惑したまま首を横に振った。
「どうしたんだよ急に……ここに魔族なんているわけがない。首都には、魔力を無効化する魔具が、あちこちに置かれてるんだ。強い魔力を持つ奴ほど、ここでは無力になるし、すぐに魔力反応を感知して軍が駆けつける。だから魔族なんていない」
「なるほど、それは重畳だ。確実に殺せる」
「クンツ!」
ライニールが悲鳴のような声で呼ぶが、私は魔族を殺すと決めている。邪魔だけはしてくれるなよ。
邪魔をするようなら、と私が剣呑な眼差しを向けると、信じられないと目を見開いたライニールが後ずさった。緊張感が高まる中、ゆっくりとした足取りでダーヴィド先生が現れた。私がぎろりと睨んでも、相変わらず穏やかそうな笑みを浮かべている。
「クンツくん。話は聞いたけれど、ヒュギル様を魔族と勘違いしているのだね。どうしてそう思ったのか……違うよ。長年、孤児院のために尽力してくれている、お優しい方だ」
私はその言葉に慄いた。魔族は孤児院を掌握している。やはり殺すしかない。
「院長先生、それは嘘です。騙しているに違いない」
無駄なことだと知りつつ、一縷の望みをかけて、私はそう訴えた。周囲は静まり返っていて、皆が固唾を飲んで見守っている。院長先生は皺の寄った手で、私の腕を軽くさすった。
「そんな悪い魔族はいないよ。少し肩の力を抜きなさい。……私も魔族は見たことがあるが、ヒュギル様とは似ても似つかない姿をしていた。一度、ちゃんとヒュギル様のお姿を、きちんと拝見するといい。……ヒュギル様、こちらは最近孤児院に来た、熊獣人のクンツくんです。お姿を、見せていただけないでしょうか」
院長先生は、鍬を握る私の腕をやんわりと撫でたまま、そう食堂に声をかけた。きっと院長先生は私が動けば、身を挺して動きを封じるつもりだ。羊獣人の細い肩に手足。私が吹き飛ばせば、すぐに重傷を負ってしまうに違いないというのに、どうして。
「あの、ほんとにボク、あの、か弱いんで、その、殴ったりしないでね!?常々、死ぬなら幼女たちに抱き締められて、粉砕骨折させられながら、死にたいって言ってた!言ってたけどね!まだ愛しのツェルリリちゃんが、私の守備範囲外になって旅立ってくの見守る作業があるからね!推しの卒業は、見送るまでがファンの仕事だからね!だからまだ殺さないで!」
悲鳴交じりに、よくわからないことを喚きながら顔を出したのは、体長が1メートルほどの小さな男だった。彼の方が一回り大きいが、私の持っているジュストと大きさが近い。
確かに、角もあるし蹄もあるし羽もある。
だが私が知っている魔族とは、だいぶ姿が違っていた。角は山羊角ではなく、枝のような角で、確かにその体躯からしてみれば、立派なような気もするが、思っていたものより細い。感情に合わせてぱたぱたと動かしているのは蝙蝠羽だが、物理的に浮くには小さいものだった。足首までが獣足であり、すぐ上は普通の人足になっている。確か魔族は、膝辺りまで山羊足をしていたはずだ。肌は青みがかって……というより青白い。
二重のたれ目に水色の髪で、鼻筋は通っていて薄桃色の唇をしていた。全体的にほっそりとしている。見目の麗しさと身に着けている服の上質さは、さすがに孤児院の出資者というにふさわしいいでたちだが、外での騒ぎを聞きつけてか、半泣きだった。
なにより、彼からは少しの魔力も感じられなかった。
魔力持ちは魔力を感じとれるのに、この男からはなにも感じられない。その事実に、私の手から握っていた鍬が、からんと音を立てて地面へと落ちた。
「ちがう……」
思わずまろび出た言葉に、周囲の人間からほっと緊張感が抜けていく。ぽんぽんとまたダーヴィド先生に腕を撫でられた。
「クンツくんは、あの王国の騎士団に拾われていたから、魔族もよく知っているんだね。大丈夫、ここには君を害する者はいないよ。怖かったね」
ダーヴィド先生は周囲に聞こえるように、そう良い解釈をしてくれたが、私は心底いたたまれなかった。
「……お騒がせして、すみませんでした」
私は深く頭を下げた。小型の獣人たちは完全に私を怖がっているし、ライニールでさえ遠巻きにしている。ギィスは1人で「え、なんだ?何があった?」と不思議そうにしていた。
こんな思い違いで、孤児院に迷惑をかけてしまうとは思わなかった。目を伏せる私の手が引っ張られる。私が魔族と勘違いしたヒュギル……様が、いつの間にかそばに来ており、目をキラキラと輝かせながら、しっかりと私の手を握っていた。
「えっきみ何歳?7歳?8歳?いやもうボクの、もろ好みドンピシャ年齢!かわいいねー!大型獣人の幼女の、この無垢さ!そして力強い腕!はーもう天使!えっボクを握り潰したいんだっけか!いいよ!こんな可愛い子に言われたら、望みをかなえてあげないとね!小型獣人の女の子は、ボク触っちゃダメって言われてるんだよね!何にもしないのにね!紳士なのにね!」
「っえ、あの……?」
まくし立てられて私は目を白黒させてしまう。馬獣人の先生がそっと近づいてきて、「この子は男の子ですよ」と囁いてくれた。途端にぐっと拳を握り、わなわなと震える。
「男の娘……!!この甘く蕩けるような魅力的な香りで、男の娘……!!男は守備範囲外……ッ。でも男の娘なら、範囲内だよね?!そうだね!範囲内だね!!だってこんなに可愛い!!ガガジェの実、足りてる?もっと食べないと駄目だよ、大きくなれないね!今度もっと持ってきてあげるから、ちゃんと食べてね!……えっこの子、ボクが診察していいの?!あっ鼻血が……」
男がつうっと鼻から溢れさせた血は、青くもなく、普通に赤黒い。それは私の中から、完全に男が魔族という疑いが消えた瞬間でもあり、普通にドン引きした瞬間でもあった。
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