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獣軍連邦潜入編
69.エンカウント
しおりを挟む思案するようにエリーアス様は腕を組み、長い指で自分の肘辺りをとんとんとリズミカルに叩いている。
「その健康診断と出資者の人の話、僕にできる?」
「無論」
私は大きく頷いた。きちんと思い出せる。ヒュギル様が出資者なこと、彼のご厚意で、孤児院では皆健康診断が受けられること、私は来たばかりだったので、丁寧に診察してもらったことを伝えた。
「ヒュギル様は少々風変わりな方で、女児が大好きなのだ。自分で変態紳士を自認していたぞ。でもだからと言って女児に触れたりはしないし、あくまで一定距離を保って接されていた。とても優しい人だ」
「ふうん?」
何が解せないのか、エリーアス様の表情は晴れなかった。
「私がほかの子供と違うことを理解しておられてな。気にかけてくださっている。昨日孤児院に訪問されて、その時に孤児がいなくなるということはないか、伺ったのだ」
「……どこで?」
「私の部屋でだな。その日は、健康診断ではできなかった診療をされたいとおっしゃってくださって」
「それ、今僕にここで見せてもらえるかな」
表情を変えないまま、エリーアス様に低い声で告げられた。少し怖い。どうしたのだろう。見せろ、と言われて私は戸惑った。場面再現の魔法はあるが、私には使えない。
「無理だ。私にはそんな魔法」
「魔法じゃない。これは夢だ。クンツが僕に見せたいと思えば見せられる。昨日の話なら、記憶も鮮明なはずだ。再現して僕に見せて。……ジギー、ちょっと手伝って!」
エリーアス様が声を張り上げると、ぐわんと世界が少し揺らいだ。すぐに元通りになるが、エリーアス様は、なにか早口でまくし立てている。
「大丈夫、君ならできる。僕の魔力持ってっていいから。……え?しょうがないなあ。レディナさんへの紹介状書くよ。お金も出すし、足りない?じゃあ娼館貸し切りにしてあげるから!モテモテだねジギー!……なに、欲張りだなあジギーは」
『違う俺じゃ無理だって言ってんの!クンツちょっとそこの英雄様止めて!俺が死ぬから!』
急にジギー先輩の声が耳に響いて驚いてしまった。ジュストをぎゅっと抱きしめたまま周囲を見回す。部屋の中には私とエリーアス様とジュストしかいない。
空耳かと軽く瞬きをしていると、いつの間にか、エリーアス様の腕の中には、大きい箱があった。一抱えもある底の浅い木箱だ。
「もう、ジギーのケチ。いいよ僕が自分で頑張るから」
そういう問題じゃない!とまた空耳が聞こえた気がしたが、すぐに静かになった。得体のしれない感覚に、私は少し首を竦める。
口元までジュストを寄せれば、私の狼の……ユストゥスの匂いがして、少し心が和らいだ。頬をすりすりと寄せていると、エリーアス様に呼ばれる。
「クンツ、この中に君の部屋がある。想像して?この中には君と、その出資者の男がいる」
「そのなかに、私とヒュギル様が……」
「そうだね、男が入ってきたところからだ。いい?開けるよ」
私の様子を見ながら、エリーアス様が木箱の蓋を開けた。言われた通り、中には私の孤児院の部屋があった。私が、小さな人形のような私がいる。ブラウスにサスペンダーに、キュロットスカートの姿だ。片手にはジュストの前足を握ったまま、ドアを開けて、ヒュギル様を迎え入れている。
身振り手振りで、挨拶を交わしていたのがわかった。そうだあのとき、ヒュギル様に言われて、しゃがみ込んで……。
細かく会話や情景を思い出そうとすると、ずるりとその幻影の箱庭に吸い込まれる感覚があった。一瞬後には、孤児院の部屋の中で、にこにこ満面の笑みを浮かべる、少し血色が悪いヒュギル様に向けて、私は腕を広げていた。
「相変わらず好きだな、私の匂いが」
「だあって、クーちゃんいい匂い!好き!女の子の柔らかい匂いが、堪らないね!」
膝をつくと、ヒュギル様が私の胸元に顔をうずめてきた。彼の背後のドアはすでに閉められていて、ここには私とヒュギル様の2人きりだ。
ヒュギル様の角が顔に刺さりそうで、少しだけ顔を斜めに逸らしながら、ぎゅっと少しだけ力をこめる。ヒュギル様はとても変態な方なので、苦しいぐらいが気持ちいいらしい。
「あー……クーちゃんのロリ臭、ほんと興奮するね……はぁはぁ」
褒められているのか何なのかわからない。なんとも言い難いが、ひとまず胸筋に力をこめて固くし、ヒュギル様に擦り付けた。しばらくして満足したのか、ぽんぽんと腕を小さい手で叩かれたので、彼を自由にして立ち上がる。
「そういえば、クーちゃん結婚するってほんと?」
「ああ。私の狼が、犯罪者として捕まるかどうかの瀬戸際だったので、結婚することになった。なりました。……だめですか?」
そうだ、ヒュギル様はご主人様なのだから、ちゃんと報告しなければならない。なぜ私はすっかり忘れていたのだろう。ここ数日の浮かれ気分に水がかかった気がして、私は恐る恐る尋ねる。もしだめと言われたら…どうしよう。
「灰色狼のユストゥスが相手だったね!うん、クーちゃんのことはちゃんと調べたけど、相手が獣人ならいいね!クーちゃんは獣人だものね、人族と結婚なんて言われたら、相手は抹消するところだったね!」
「良いのですか?よかった……嫌では、ないですか?その、愛玩動物の私が、結婚など」
「ううん?クーちゃんは放し飼いしてるんだし、そういうこともあるね。魔族の誰かに犯されて、勝手に孕んで帰ってくるようなことがなければいいね!」
なんと寛大なお方だろうか。私のご主人様がヒュギル様で良かった。
私が心の底からそう安堵していると、ことり、ことりと私の部屋の四隅に感知阻害魔具を置き始めた。全く見たことのない魔法陣が刻まれ、高位魔法が込められている。普通、感知できない空間ができれば、空白があることを感知されることもあるのに、これは全くそういうことがないらしい。
「これでよし、と。さークーちゃん!ベッドに裸になってね!」
「はい」
ジュストは丁寧に机の上に座らせた。服を脱いで畳み、それも机の上に置く。靴下は履いたままがいいと言われてそのままだ。……たいてい私の周囲の人間は、皆この靴下を履かせたままだな。変態なのかなんなのか……。
ともかく靴下は履いたまま、振り返れば、ヒュギル様はすでに靴を脱いで、私のベッドの上に横座りで座っていた。私と目が合うと、ぽんぽん、と自分の膝の上を叩く。
「ボクの膝の上に、頭乗せて横たわってね」
「はい」
膝に頭を乗せて横たわった。熊耳がぴくぴくと揺れる。重くはないだろうか……いや、重くてもヒュギル様なら喜ぶか。そう思い直して、私は身体から力を抜く。すると褒められるように頭を撫でられた。好き。
見上げていると、私とヒュギル様を囲む幾重もの魔法陣が浮かんだ。組まれた魔法陣の幾何学模様が綺麗で目を奪われていると、ヒュギル様に苦笑される。
「ちょっと怖いかもしれないから、クーちゃん自分で、おちんぽとおまんこ弄って遊んでてほしいね。下見てて」
「はい?わかり、ました」
しぶしぶ視線を剥がし、自分の下肢を見やる。だらんと萎えたままの性器に手を伸ばし、上下に揺する。あまり頭を動かせないので、おまんこには指が届かない。仕方なく自慰を続けていると、ちくり、と頭に痛みが走った。
「ご、ごしゅじん、さま……?」
「大丈夫、下見ててほしいね。……ぅわー、記憶の糸がこんなぐちゃぐちゃ……あ、これめんどくさいね」
「あの……なにを」
「んー?やっぱり気になっちゃうね。しょうがない。今クーちゃんの頭の中見てるんだけど、クーちゃん、結構記憶喪失してるね?大事なものが、いっぱいあったんだね。こんなに糸が千切れて繋がってない……」
「あ、……ぁ。こわ……やめっ」
ぞわぞわと背筋を寒気が駆け上がる。かちゃかちゃと、なにか金属が擦れる音がした。見上げたいが、首から上が動かない。視線だけでも上に向けようとすると、「目を閉じてて」と言われて、私は暗闇に置き去りにされた。
「ご主人様、ごしゅじん、さま……もう、見ないので、目を開ける、許可を」
震えながら頼み込めば、目を開ける許可をもらえた。
言い知れぬ恐怖に身体を蝕まれながら、私は下半身を弄ることでそれから逃れる。
「んんっ、ぁ……んっあっ」
上下に腰を揺らし、手の筒でペニスを刺激する。快感に意識が逸れると、少しだけ心が楽になった。キス……キスして欲しい……ユストゥス……。
自分の唇を指先で撫で、物欲しげに指を咥えたまま、手を動かす。だんだんと水音が大きくなってきた。金属音より、そちらの音が大きくなるように、わざとぐちゅぐちゅと手の中で皮から先端を出したり、被せたりを繰り返した。
「んんー……これ一度にやるの無理だね。全部記憶消した後なら、楽なんだけど……どうしよっかぁ……消すかなぁ……」
「え、ご主人様の記憶も、消えてしまうのですか?それは……嫌です」
私に告げられたわけでもない言葉に、つい反応して口を挟めば、頬を優しく撫でられた。
「うんクーちゃんかわいいね!偉い偉い!クーちゃんほんとボクの理想のロリっ子だから、この性格が変わっちゃうのは嫌だし、消さないでおくね」
「ありがとう、ございます」
ほっと安堵して、手に頬をすり寄せる。声色が優しい。好き。
「特別に少し、記憶の耐久度を上げておいてあげるね。すぐに大事な記憶を取りこぼさないようにね。婚約者の記憶は、だいぶ負担がかかってるからね。……大好きなんだね、彼のこと」
付け加えられた、吐息に乗せるような言葉に、私は切なさを覚える胸を手で押さえた。
「……きらい、だ。あんな、おおかみ……」
「ふふ……また糸がほどけたね。口で言っててもだめだよ。クーちゃん、自覚あるね?」
「……」
なにも答えられなかった。しばらく無音が続き、ぽんぽんと肩を叩かれる。
「終わり。しばらくは、これで大丈夫だと思うけど……やっぱり連邦じゃ、やれる処置が限られるね。クーちゃん、魔界連れていこうっかなあ。でも放し飼いじゃないと弱って死んじゃうって言うしうーん。……そういえば、任務解決しそう?」
「いやまったく。……孤児院から子供が消えると聞いてきたのだが、いなくなることがあるのだろうか?」
上半身を起こしながら尋ねると、あっけらかんと「ないない」と答えられる。這うようにして近づいてきたので、そのまま胡坐をかけば、私の股の上にヒュギル様が乗ってきた。先ほどまでペニスを弄っていたのでお召し物が汚れるが、いいのだろうか?
「ここ、ボクの趣味で作った、ボクの孤児院だもん。同種族に引き取られなかったミックスが多いしね。かわいい子たちを出荷してるのは軍だから、頑張って証拠見つけてね」
「軍……そう、なのか」
「そうそう。あんな低レベルの戦闘魔具なんて買い漁ったって、今まで売った子の、爪のかけら分も価値がないのにね?ボクは手出し厳禁って言われて遊んでるから、手は貸せないけど、頑張ってね!応援してるからね!」
言いながら私に腕を上げさせて、また脇の匂いを嗅ぎながら興奮している。ギィスといい、本当に獣人にとって、私の身体はいったい何なのだろうな。しかし適度に刺激したおかげで、身体は高ぶっている。おまんこしてもらうタイミングを伺っていると、急に何もない天井から伸びてきた巨大な手が、私を掴んだ。そのまま持ち上げられると、ずるりとヒュギル様が私の膝から落ちる。
「えっ?」
なんだこれは。この後確か、脇コキした後にちゃんとヒュギル様にハメてもらって、満足してから別れたはず……。私が胴を掴む指を掴んで、じたばたと暴れていると、ヒュギル様までもが、記憶とは違う言動をした。
「……ぁはっ!なるほど英雄エリーアス・シュリンゲンジーフの紐付きかあ!道理でクーちゃん、頭にだけ、別の魔力の残滓があると思った!これは面白くなるね!」
高らかに笑い声をあげるヒュギル様の姿が、まるで液体のように溶け落ちた。声だけが響く。
『リンデンベルガーを送ってきたのは正解だ!ちゃんと動作すればの話だったけどね!今のクーちゃんは、ボクにとって都合の悪いことは、認識できないようになってるから、無理させないように!そうそう、要らないなら言ってね!……今すぐにでも、それはもらうから』
楽しそうな笑い声が薄れ、消えていく。気づけば私は、寮の地下の小部屋の、元居た椅子の上に座っていた。変わらずジュストは膝の上だ。服も、騎士服に代わっている。
ああ、これは夢だった。だから、自分で理解できないことも起こるのだ。そう思いながら、斜め上を見上げると、真っ青になったエリーアス様が、私を抱き締めていた。
「連邦に……軍に魔族だって?そんな……」
「大丈夫かエリーアス様、どうかしたのか?」
私の記憶を再現するという、そういう話だったはずだ。確かにヒュギル様とのやり取りは見せられた。孤児院では子供はいなくなっていない、という言質も取れたのだ。そこに齟齬は何もない。
私が首を傾げていると、より強く、抱き締められた。
「クンツは、認識……できていないのか。畜生!団長が、騎士団が狙っていたのはこれか!知ってて送り出したな……!ああもう!こんなのクンツには荷が重すぎるじゃないか!」
「……そこまで声を張り上げることもないだろう、私は一生懸命やっている」
むっとして唇を尖らせると、エリーアス様は緩く首を横に振った。何やらひどく考え込んでいる様子である。憔悴しきった様子に、私はエリーアス様の腕をゆっくりと解いて立ち上がった。空いた椅子に、エリーアス様を座らせる。
「クン……「大丈夫だ、エリーアス様」」
私がされていたようにエリーアス様の頭を抱いて、ゆっくりと頭を撫でる。きっとエリーアス様は、私には到底思い寄らない何か大変なことがあるのだ。少しでも慰めてさしあげよう。
「大丈夫。なにも怖いことはない。大丈夫」
「クンツ……」
「私はいつも、こうやって自分に言い聞かせている。すると、本当に大丈夫になるのだ。だから、これでエリーアス様も、大丈夫」
「……そうだね、そうだ、全部、大丈夫にしよう」
ようやくエリーアス様はぎこちなくだが、笑ってくれた。私も微笑み返す。
「僕が、クンツと繋がってることはバレた。けど他は……。クンツは、前回僕と会ったことは覚えてなかった……いやでも、知られてると思って動いた方がいいか。ごめんクンツ、今日はもう、これで終わりだ」
私の両頬を手で覆うと、エリーアス様は下からしっとりと柔らかい口づけをくれた。私も覆いかぶさるように口づけを返す。
「また来るから。次はもっといっぱい服を持ってくるから、全部着てね」
「……着ないとだめか?」
「せっかくデザインしたんだもの、いいのは実際に作る予定だしね。……またね」
とても不穏な言葉を残して、エリーアス様の姿が薄くなっていく。それに合わせて、世界がうっすらと、白いミルクに溶けていった。
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