きもちいいあな

松田カエン

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獣軍連邦潜入編

98.恋する魔族

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 ご主人様の口調は至極穏便で、こちらに攻撃の意図を少しも感じられなかった。そうだ、別にご主人様は先ほど一度として、エリーアス様に攻撃する素振りも見せなかった。そのあと団長たちが来てからのことはわからないが、ヒュギル様には敵対するつもりは全くないのだ。
 過剰な反応ばかり見せて、ヒュギル様がお優しい方だからよかったものの、短気な相手なら狼などぼこぼこにされている。

「ユストゥス、降ろしてくれ。私はヒュギル様と一緒に、魔界とやらに行かなければいけないのだ」
「駄目だ」
「……せめて、顔を出してはだめか?もうどうせ、私がここにいることはバレている」

 不思議と呼吸がしにくいわけではないが、視界が塞がっているというのはストレスが溜まるものだ。私の訴えにユストゥスは少しだけ躊躇したが、袋の紐を解いて顔を出させてくれた。
 周辺は変わらずジルチグアの巨木の枝の上で、周辺には人気もない。喧騒も何も聞こえなかった。元々孤児院は首都の中では端の方だが、さらに端にまで逃げてきたのだろうか。顔を出すと、目が合ったユストゥスの状態に、私は少しだけ虚を突かれた。

 怯えている。

 、そんな相手の心理状況など私にわかるはずもないが、耳は伏せがちになり、触れている身体は震えている。ちらりと見れば、尾は股の間に縮こまっていた。
 ふてぶてしい狼が、こんなにも怯えてみせるなんて。なぜ。あんなにもご主人様は良い方なのに。確かにヒュギル様はお強いし色々できる方だが、一方的に何かしら悪いことをする方ではない。

「ユストゥス、頼む。行かせてくれ」
「駄目だ。戻ってこれないぞ」
「いやだから、ボクちゃんと返すって言ってるよね。なんで信じてくれないの」

 いい加減、言葉を繰り返すのも飽きてきたのか、空中に寝そべりながら、ヒュギル様は頬を膨らませた。それに、狼は私を抱き締めたまま、首を横に振った。
「どこをどう見たら、お前を信用できるんだよ。オリヴァーも洗脳されていた。クンツも現在進行形で洗脳されてる。それに俺には偽者を寄越しやがって。だいたい何のためにクンツを連れていくんだ」
「私は、ヒュギル様の愛玩動物だからな!どこにでも付いて行くぞ」
「……こんなことを言わせる相手に、信用も何もねえだろうが」

 私が自信満々に言い切ると、忌々しそうに吐き捨てられた。どうして。私はヒュギル様に愛されているから、害されることなどないのだぞ。私が首を傾げると同時に、ヒュギル様はこめかみを抑えた。

「だってクーちゃん、王国の肉爆弾だからだね……魔族とみるとすぐに殺そうとするし、なんなら自爆しようとするんだよね。爆発するための術式は無効化したし、話し合いのために、多少魅了魔法で好意を埋め込んだけど、それ以上の他意はないね」
「他意がない、だぁ?お前らのそういうところが信用ならねえんだよ。ペットだなんて言われて、喜ぶような奴じゃねえぞクンツは」

「初対面のお前が、私の何を知っているというのだ」
 むっとして私が口を挟むと、ユストゥスはわずかに表情を歪めた。それを眺めていたヒュギル様がため息を零す。

「今回は間に合わなかったけど、クーちゃんの記憶の忘却をなくすために、魔界に連れていって手術する予定だったんだね。そうすれば今後、クーちゃんは記憶を失わない。狼くんにも利点のある話だと思うけどね?」

 そう、そうだった。そういえば、そんな話をしていたな。……さて、なぜ私は、元々兄弟従兄弟には必ずかけられている忘却を、なぜなくすために魔界に連れて行ってもらうのだったか……。覚えがないな。

「ヒュギル様。別に、私には大事にしたい記憶などないので、ご面倒なら別段、このままにしておいてくれて構わないのですが」
「っ」
「……うーん。ねえ、本当にこのままでいいと思ってるの狼くん」
 息を飲んだ狼は、問われてゆっくりと首を横に振った。

「このままでいい、とは思ってねえ。だがクンツが魔界に行くのは駄目だ」
「えええー?どうしてだね。もっとも簡単に、話は進むね。クーちゃんは記憶の蓄積が出来て、狼くんはもうクーちゃんに忘れられなくなって、それでハッピーだもの、なんの問題もないね」
「あんたの利点がない」

 狼はそうきっぱり言い放った。それにヒュギル様はぱちりと瞬きをする。それから柔らかく笑みを浮かべた。

「クーちゃんが幸せだと、主のボクも幸せになるね。だから」
「クンツの好意は魅了で、どうとでもコントロールできる。わざわざ人間一人を連れ帰るほどの利点が、あんたにはないだろう。……俺が獣人だからって舐めてるわけじゃねえんなら、本当の理由を言ってみな。言ってねえだけで、あんたにはこいつを連れ去る理由がある。わざわざ、こんな騒ぎを起こしてまで、連れ去る理由が」

 ユストゥスは低く唸り声を上げて言い放った。ごろごろと聞こえる振動音が、心地よい。不思議だ。私はそっと男の肩に頭を預けた。口では威勢のいいことを言っているが、首筋には汗が伝い、心拍数も上がっている気配がある。こんなに怯えているのに、どうして引かないのだ。……私のため?なぜ。どうして。
 私が答えの出ない疑問を考えていると、ヒュギル様が可笑しそうに声を立てて笑った。

「っくくく……いや、クーちゃん拉致は、元々あった予定に組み込んだだけだけど、でもそれの理由を、わざわざ君に話すと思う?狼くん」
「話すさ。俺は魔力抵抗値の全くない獣人だ。魅了だってすぐにかかる。正直、どうしてこの押し問答をしてるのかさえ、不思議に思うぜ。クンツには魅了をかけた。俺にはかけてない。つまりあんたは、意図があるんだ。そうだろ」

 おお。そうなのか?そう言われてみると、ヒュギル様がこうしてユストゥスと会話をしている理由が、確かにない。狼は、ユストゥスは、確かに身体能力はずば抜けていると思うが、私が本気で戦えば負けることはないはずだ。
 なぜならユストゥスには、魔法の要素が全くないのだ。私でも倒せる狼のことを、私より強いヒュギル様が、考慮なさってる理由は……わからんな!

 私は早々に考えることを放棄した。結果がわかったら、かいつまんで教えてもらおう。それが早い。理詰めで責められたヒュギル様は、少しだけ考え込むような仕草をした。

「……ううん……これ、ボク、フィルジ以外には話してないんだね。どうしようかな」
「端的に話せ。あまり俺とクンツが、ほかの人目に付かないのも良くない。王国に戻ってからが響く。あんたと長々と話す時間はないんだ」
「そっか……なら、時間が動かない空間にご招待しようね」

 ヒュギル様がぱちんと指を鳴らされると、瞬時に周辺が一変した。見知らぬ真っ白な空間に、テーブルとイスがぽんと現れ、卓上にはクッキーとプチケーキ、それにポットとティーカップが並ぶ。三脚あるうちの一脚にヒュギル様は、腰を下ろしてこちらに向けて手を差し出した。

「こっちにも、時間を止めて鮮度を保ちながら荷物を運ぶ魔法、あるよね。これはそれの応用魔法だから、ここで話している間は、外はほぼ時間が過ぎないね。だからいくら話しても大丈夫」
「…………生きてるもんが中に入ると、死んで出てくるやつだろその魔法。どういう原理か知らねえがな」
「うん?あれ、まだそれしか開発出来てないのこっち。はー……それは、いろいろと大変だね?」

「そのいちいち上から目線が、イラつくんだよな。で、こんなところに勝手に引きずり込んだってことは、短く済ませるつもりねえな」
「うん。クーちゃんの魅了のレベル下げてもいいけど、まずは狼くんに、ボクのこと理解してもらってからがいいと思ってね」

 にっこりと微笑むヒュギル様はとても紳士に見えた。だが私を抱えた狼はふんと鼻を鳴らす。

「俺にはユストゥスって名前がある。あんたと俺は対等だ。まずは名前から呼べ」
「……そうだね、失礼したねユストゥス。対話のために、椅子に座ってもらえるかな」

 会話を聞いているだけで、なんだか私の方がどきどきしてしまう。
 私のご主人様に対して、対等などと言うとは思わなかった。だってユストゥスは、単なる獣人の1人に過ぎない。とても強い魔族のご主人様に対して、堂々としすぎではないか?

 ヒュギル様の威圧にも慣れてきたのか、耳も元通りだし尾もゆっくりと揺れている。が、密着している私は、ユストゥスがとてもドキドキしっぱなしなことを知っているぞ。これだけのすごい魔法を使えるのだ、ヒュギル様もユストゥスの内心には、気づいているかもしれない。それでも豪胆に言い放つことができるユストゥスに、ヒュギル様が一歩引いてみせた。
 椅子を勧められて、ユストゥスは腰を下ろした。が、いいが、もう一脚椅子があるというのに、私を膝に乗せたままだ。

「ユストゥス、私もそっちに「駄目だ。いざというときに逃げられねえだろ」」

 ……そもそも、どう考えても私たちは、ヒュギル様の術中にいる。逃げられるわけがないと思うのだが、それでも狼は私を膝の上に乗せたまま、降ろさなかった。鎧も付けたままだし、居心地がそれほど良くないから降りたいのだが、身じろぎをすればするほど、腕が絡まってくる。ほら、ヒュギル様が生暖かい目で見ているぞ。
 さっき私は気付いてしまったからな。私が誰かの膝の上に乗ったり、甘えたりするのは見るに堪えないものだと。だから放してほしい。
 じたばたしているうちに、魔法で動かしたらしいポットから湯気立つ紅茶がティーカップに注がれ、私たちの目の前には二つ、それらが並んだ。ヒュギル様も椅子に腰を下ろしたまま、大きめのティーカップで、上品に紅茶を楽しまれている。

 仕方なく、諦めて私は首にストールで巻き付けたままだったジュストを解いで膝に乗せた。ジュストだけでも、あちらの椅子の上に乗せたらだめだろうか。そんなことを考えながらちらちらと見ていると、話が始まったらしい。

「で、あんたの目的は何なんだ」
「ユストゥス。対等だというのなら、ボクの名前も呼んで欲しいね。改めて自己紹介しよう。ボクはヒュガリアル・ジオラ・ギルファウス。ふふ……獣人に名乗るのは初めてだねっ。気軽にヒュギルって呼んでくれていいね」
「ギルファ……ッ」
「ぎるふぁうす!騎士の絵本に出てきたぞ!確か人族を攻めてくる、強い魔族の名ではないか!?」

 知っている名前が聞こえたので、私は嬉しくなって目を輝かせてしまった。さすがヒュギル様!すごい強そうな名前をお持ちだ!
 私がにこにこしている脇で、ユストゥスは絶句していた。んん?どうした?絵本では辛くも騎士が勝利して、その魔族を追い返しているのだぞ。

「あーそれ、こっちじゃ、有名な逸話になってるらしいね。みたいだけど。実は陣頭指揮取ってたの、ボクのおじいちゃんなんだよね。今は引退してパパが引き継いでる」
「……そうかよ。……で、あん……ヒュギルの目的は、いったい何なんだ」

 青ざめたままユストゥスが先を促すと、ヒュギル様は一口紅茶を飲んで、さらに飲んだ。少しどこか照れたような表情で、手持ち無沙汰のように、卓上にある皿の上のクッキーを指先で突いている。行儀悪いぞ、ヒュギル様。

「ボクはね。クーちゃんの遺伝子と出会えたことを、運命の出会いだと思ってるんだね……っと待って待って!話を聞いて!」
「あー?ヒュギルも、あのフィルジって野郎と一緒で、俺のお嫁様のえっろい身体に悩殺された口か、あぁ?」

 背負っていた小さなバッグから小さなナイフを取り出して、投げつけようとしているユストゥスの膝の上で、私は揺れながら紅茶を口に運んでいた。
 ……あの皿の上の菓子は、食べてよいものだろうか。バルタザールの菓子を思い出す。食べるならどれがいいだろうか。クッキーも、プチケーキも気になるな。そんな大量に食べれないからこそ悩む。

「違う!あのね、ボクが本当に欲しいのは!クーちゃんのお腹にある悪魔の実のなんだね!」
「あ”ん?クンツの腹から、種をほじりだす気か?てめ……っ」
「違うってもー!種は卵子だね、適合する精液を注げば子が生まれる。!」

 投げられたナイフが頭に刺さっているのに、ヒュギル様は平然と声を張り上げながら、ナイフを引き抜いている。引き抜いたその箇所に傷跡は何も残っていない。と、またユストゥスがナイフを投げた。刺さったナイフはまた何事もないように引き抜いている。何か面白い劇を見ているかのようだな。劇など見たことはないが。
 ……決めた、クッキーにしよう!ジャムが乗っている、美味しそうだ。
 ユストゥスはちっと舌打ちをしながら、眉間のしわを寄せた。

「つまりヒュギルは、クンツを連れ帰って孕ませる気で……」
「違う!それじゃ、魔族とクーちゃんの特性を持った普通の子しか、生まれないんだね!ボクが欲しいのは、獣人の特徴を持つ、クーちゃんのロリ体臭を継いだ、僕と子供が作れる、魔族の子が欲しいんだね!」

 あ、美味しいぞこれ。ジャムは加糖していないのか、甘すぎず程よい味だ。クッキーもバターをふんだんに使っていて、サクサクとした食感が堪らない。
 私がクッキーを味わっていると、いつの間にかその場には静寂が満ちていた。

 なんだ、話は終わったのか?簡単にかいつまんで教えてほしい。ユストゥスを見上げると、信じられないものを見るような眼差しで、ヒュギル様を見ていた。その視線に晒されたヒュギル様の方が、どうやら居たたまれなさそうな表情を浮かべている。

「……は、なんだそれは。魔族が、なん、どういう……」
「…………クーちゃんは知ってるけど、ボクほんっと、心底、獣人幼女たちの、もふもふ感からあの甘い匂いから、可愛い外見からとにかく、隅から隅まで、全部丸っと愛してるんだね。それこそ、ボク一応後継者なんだけど、もう同族には勃起できないぐらいに」
「え、ヒュギル様勃起したのですか?おまんこしま……んぐ」
「クンツ頼むから、ちょっと黙っててくれ」

 話がまとまらない、とユストゥスに口を手で塞がれてしまった。腹は空いてはいないが、それでもそそり立つ立派なおちんぽがあるなら食べておきたい。ちろりとヒュギル様の下半身を見ようとするが、テーブルが邪魔をして見れなかった。チィッ!

「彼女たちはボクの天使だね。だから今まで獣人に紛れ込んで慈善事業もしたし、捨てられやすい混合獣人ミックスの子も保護したし、連邦から売られそうになる子たちを、匿ったりしてきたね。でも!彼女たちは獣人だし、ボクとは寿命が合わない。それに成長すると、ボクが性的に興奮する、してしまう、特徴的な匂いも消えてしまうね。刹那だからこそ、愛おしいと思って生きてきたね。だけど!」

 俯き加減で切々と語っていたヒュギル様が、だん、とテーブルを叩いて顔を上げた。……う、美しいのだが、顔立ちは美しいのだが、ちょっと目が血走ってないだろうか。元々赤目なのに、白目部分に青のラインが走っているのを見ると少し怖い。
 ひしっと抱きつくと、ユストゥスはヒュギル様の視線から私を匿うように、ヒュギル様に背を向ける形になってくれた。

「クーちゃんは成人男性なのにその甘い匂い……っもうほんと、ボクは運命だと思ったね!いくら遺伝子操作しようとしてもできなかった匂いの、その理想形がここにある!しかも都合のいいことに、腹には悪魔の実の種が仕込まれてる!これはもう、クーちゃんには獣人の子を孕んでもらって、是が非でも、獣耳尻尾がありつつ魔族の、ボクのお嫁さんを生んでもらいたいんだね!」
 ヒュギル様は、力いっぱい演説し始めた。


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