世界の深淵を0歳までの退化デバフをかけられた俺が覗くとき

卵くん

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キリの村編 〜クーリエ 30歳〜

X-5話 声にならない涙

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「やばい! コルル逃げろ!!」

 一瞬にして肺中の空気が脳からの命令を無視して外へと押し出される。そのまま少し遅れて大きな衝撃が身体を駆け巡り、地球の重力に反しながら地面に触れることなく隣の家の壁にまで吹き飛ばされる。

「かはっ!!」

 ただでさえ負傷の身だ。そこに付け足すように加わるダメージと怪我は考えように至っては戦線離脱ものだ。

「これ以上のダメージは——本当に命に直結するぞ・・・!」

 軋む首に鞭を打ちながら視線を正面に戻す。どうやら吹き飛ばされたのは俺だけのようで、コルルと父親の姿は同じ場所にいることが確認できた。だが、先ほどとは異なるものがそこにはいた。そう、あの怪物が——2人の目の前にまで迫っていた。ここからは2人表情まで確認することはできないが、その顔に恐怖の色を浮かべているのは容易に想像ができた。

「——ッッ!!」

 無意識の内に俺は駆け出していた。身体中をこれ以上動かせないようにと激痛が駆け巡る。だが、それさえ押して俺は2人のところへ走り出す。そうしなければいけないという使命が自分にはかけられているように思えた。

「ここで動かなきゃ、いつ動くんだ!!」

 怪物の右手がゆっくりと上空に向かって突き上げられていくのが見える。攻撃のための準備に入っているのだろうか、大きな攻撃の溜めという空白の時間は俺に一縷の希望を残す。それを見るや否や、更に身体に鞭を打ち加速させていく。痛みが時間差で遅れてやってくるように最初は感じたが、目の前の救出しなければいけない彼女達をみているとそれすらも忽然と消えてしまう。

距離にして、ギリギリ間に合うかどうかの瀬戸際の位置にまで吹き飛ばされいた貧弱な自分の身体を思わず呪ってしまう。こんな時に天恵があれば、常々思う。そう、死んだ状態から復活できるなんて変わり種のものじゃなくて、こう一瞬にして動けるみたいな——。

 待てよ。俺の思考は途端に今までにない超高速で回り出す。駆け出している速度より早く動き始める思考に俺は少し戸惑いを覚えるが、そのままの流れに身をまかした。天恵に、一瞬にして移動できる、この場で——。答えを正確に頭で弾き出すより前に、口がそれを叫んでいた。

「コルル! 天恵を使え!! 俺のところに来い!!!」

 返答はない。聞こえているかどうか分からなかった。仮に聞こえていたとしても、極度の恐怖感の中冷静に指示を実行できるとは限らない。俺は、再び大きく息を吸って、同じ言葉を繰り返そうと試みようとする。その瞬間、言葉が口から放たれるより少し早く、コルルの脚だけがこの暗闇の中青く薄白く光るや否や、一瞬にして怪物の攻撃の間合いから離れ、瞬きの間に俺の胸にへと飛び込んでくる。

胸元の彼女は俺の顔を上目遣いで見上げると、大きな笑みを浮かべた。彼女の表情に釣られて思わず気が緩みそうになるが、俺はまだ戦闘態勢を解除してはいなかった。彼女の両手は父親を抱えていた時と同じ形をとってはいたが、掴んでいたのは何も存在しない空間のみだったから。

「あの加速の天恵を見切って父親だけを掴んでいたのかよ」

 どうやら、怪物の狙いは俺でもコルルでもなく父親だったみたいだとこの状況になってようやく把握する。そのまま少し遅れて、俺の緊張感を感じ取ったのか今置かれている現状に気づいたコルルはその息遣いを荒くした。そして、自分の手と怪物の手の中にいる父親の間を目で何度か行き来させると、途端に大粒の涙を押し殺す声と共に流した。

「大丈夫だ。なんとかしてみる」

 嘘をついた。天恵を何も持たない俺にとって怪物を倒すには何かしらの武器が必ず必要だ。だが、今まで俺の戦闘を支えてくれていた愛剣は一度死んだ時にすでに手放している。右手を軽く握って、また離してみる。そこには何の実態を持たないものだけを捉え、自分の手の感触しか伝わってこない。だが、それでもやるしかないんだ。

「おぉぉ!!!」

 地面を勢いよく蹴りつけ、怪物との距離を一気に縮める。心なしか、いつもの速度よりも早く走っている気がしたが、そんな雑念はすぐに取っ払った。相手に対しての集中力だけを上げることに努める。怪物が再び羽の上下運動を再開させ、今にも飛び出して逃げようと試みているのが確認できた。だが、このままの速度ではたどり着けないことは明白であった。確かに怪物との差は縮まってはいるものの、飛翔を妨害するための攻撃の間合いに入るまでには少し距離があった。

「もっと、もっと早くだ!!!」

 足にこれまで以上に力を込める。これで何か結果が変わるわけではないが、そうせずにはいられなかった。だが、俺の身体はそんな今までの現実を簡単に裏切るかのように、願ったようにどんどんとその速度を加速させた。それどころか、自分の意思で制御できないほどの速度が生まれていた。

「おいおいおいおいおいおいおい! どうなってんだよ!?」

 気がつけば目の前に怪物の姿を捉えていた。まだ、飛翔段階には入ってはおらず怪物はその場に滞在している。どことなくやつの目にも焦りが見えたような気がする。思いがけない逆襲の希望を俺の目は見逃さない。右手に頭の血管が切れそうなほど力を込め、大きく振りかぶる。抑え切れないほどの加速がその拳にも力を貸してくれているようだった。そして、そのまま拳の間合いに飛び込むと判断すると一気に溜め込んだ力を解放する。

ドゴォォォォ!!!

 地面で寝転がっていた木材や、ガラスの破片が予想だにもしない拳から放たれた一撃から生じる空気で拳の先にへの吹き飛ばされる。右手に激痛が走り、更なる怪我を負わせたことに心の中で謝罪しながら、吹き飛ばしたであろう怪物の姿を目で追う。やったという感触を感じることもできなかった。それほどまで過去に出したこのない威力の攻撃だった。

「どこにいったんだ?」

 怪物の姿だけではなく、父親の姿まで確認できないことに心がざわつく。もし、この一撃で致命傷を与えていなかったら俺にはどうすることもできないことは重々理解していたからだ。砂埃だけが暗闇の中に静かに立ち込める。依然として何の音も聞こえない、静かな夜がそこにはあった。

「キィェェェェェェ!!!」

 上空から奇声が再び上げられ、すぐさま視線を上にやる。そこには無傷の怪物と、右手には意識のない父親がしっかりと握られていた。

「躱されたのか? 直前に空中に飛ぶことで」

 怪物は俺の後悔などをよそにそのままくるりと顔を漆黒に染められた森の方に向けると、そのまま勢いよく羽を靡かせてその場から逃げていった。辺りには静寂が訪れ、何もない平穏なキリの村が再びその姿を浮かべる。だが、俺はすぐには後ろを振り返ることができなかった。声を殺して父親が連れ去られた方角をじっと瞬きもせず涙を浮かべた目で睨みつけるコルルの姿がそこにはあった。
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