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第5話 打つべし、打つべし
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「イスカンダルさま」
「ん……? ライラか?」
今は深夜か早朝か。
月の明かりで窓の外がうっすら明るく、時間の把握が正しくできない。
「先日はわたくしを助けて下さいまして、どうもありがとうございました」
寝巻きのままイスカンダルの寝所にやってきたライラは、彼の枕元で深々と頭を下げた。
ゆったりとした寝巻きの胸元から、胸の谷間がちらりと覗く。
もちろんイスカンダルも男なので、幸運破廉恥に出くわしたら理性があろうがなかろうが、見てしまうのが悲しき性。縦に入ったその線は深く、彼女の乳房の豊かさを表す。
しかしながら、鼻の下を伸ばしながら淑女の胸元を凝視するなど変態以外の何ものでもない。イスカンダルは平然と、「何も見ていない」とでも言うように視線をライラの顔に戻し、「気にするな」とかその辺りの言葉を返す。当然、まぶたの裏にはライラのオッパイが焼き付いている。
「わたくしができるお礼と言えば、このくらいしか……」
どのくらいだ。
イスカンダルがそう思うよりも早く、ライラは己の肩紐に手を掛けた。立ち上がり、紐を肩からずらすだけで、薄く軽い寝巻きはハラリと彼女の足元に落ちていった。
彼は知っていた。彼女の腰がどれだけ細いのかも、彼女の胸がどれだけ豊かなのかも。ドラゴンの腹から出て来た時、胃液に濡れて体に張り付いた服は、彼女の見事なその肢体を隠す役目を果たせていなかったからだ――先ほど服の隙間から見てしまったのもあるけれど――。
しかし、今は布すらない、生まれたままの女の姿だ。
イスカンダルは慌てて目を伏せた。
「さ、どうぞ。イスカンダルさま、わたくしの体を好きに弄んで下さいまし。さあ」
一糸まとわぬ姿のライラが、ぎしり、と寝台に手を掛けた。
褐色の肌が誘惑する。どこからともなく、甘い花の香りもする。
「イスカンダルさま、どうぞ。いかようにも、あなた様のお好きなように。どこに触れても、どこをどう味わっても、わたくしは決して拒みません」
シーツを握りしめる手を、ライラが優しく解し取る。汗でべとべとになっていたが、気にせず己の胸に導く。
「さあ」
だめ押しだ。
これ以上、イスカンダルには耐えられない。
「まっままままま待ってくれ! ライラ、実は俺は……っ!」
イスカンダルは目をあけた。両手を天に伸ばした姿勢。
そこにはライラの存在はなく、ただ、紋様の刻まれた白い天井が見えるのみ。
「夢か……」
早鐘を打つ心臓を落ち着けるために、二度、三度深呼吸してから、イスカンダルはつぶやいた。
これが現実であることを己に自覚させるため、演技じみた台詞を言わねばならないなど。
先ほどはひどく慌てたが、夢であったこと、そしてあんな夢を見る自分のことが滑稽で、呆れ笑いをかすかにこぼす。
正確には、こぼそうとした。
「おはようございます、イスカンダルさま」
「うわあっ!」
夢の中で聞いたばかりの声が、起きたはずの今また再び聞こえたのだ。
慌てて飛び起きると、寝台の横の低い椅子に、ライラがちょこんと座っていた。
服は……夢とは違って、寝巻きではなかった。結った三つ編みを頭に巻き、銀色の髪飾りが刺さっているし、シェダル式のドレスの上には裾の長い羽織をはおって、完全に、朝の支度を終えた姿である。
「……どうなさったのですか? 何か、悪い夢でも?」
「いや……悪い夢というか……なんというか……」
さっきまでそなたに迫られる破廉恥な夢を見ていたのだ。などと、いくらイスカンダルといえども堂々と言い放てるわけがない。
しどろもどろになっていると、回答を待たず再びライラが口を開く。
「イスカンダルさま、突然寝所になどお邪魔してしまい申し訳ございません。わたくし、お礼が申し上げたくて」
「……お礼?」
「はい。先日はわたくしを助けてくださり、どうもありがとうございました。本当に本当に、ありがとうございました」
礼ならば、先日の朝議の場で申していたではないか。
そう思ったが、水を差すのは野暮でもある。もしかしたら、二人きりの時に言いたかったのかもしれないしと、イスカンダルはライラの気持ちを汲むことにした。
「いや、大したことはしていない。ただ戦利品として連れ帰ったドラゴンが、たまたまそなたを食べていただけで。そなたがドラゴンの腹の中で生きていたことは、我々は誰も予測していなかった。俺の手柄ではない」
耳飾りをきらきら揺らしながら、ライラが頭を左右に振る。
「いいえ、そんなことありませんわ。イスカンダルさまがわたくしをこの美しいシェダル国に連れて来て下さらなければ、わたくしはあのまま――」
「……あのまま?」
何か気が滅入るようなことが待ち受けていたのだろうか。
言い淀んだ続きを催促してみるも、ライラは力なく笑っただけだ。
「いえ、なんでも。……それより、イスカンダルさま、一つお願いがございます」
「なんだ」
服か、金か、宝石か。
そのような、即物的なものを考えている目ではなかった。
「わたくしを、わたくしも、魔獣の討伐に連れて行って下さいまし」
「そなたを? ……いや、危険すぎる。それはできない。女のそなたを連れていくなど」
「でも、ルゥルゥさまだって女性ですわ」
「ルゥルゥは確かに女だが、戦う術を持っている」
ルゥルゥは女である以前に、他の女性とは少し違う。彼女が魔石を使わなくても魔法を駆使できる理由もそのあたりにあるのだが、まだ知り合ったばかりの外国人のライラに、イスカンダルがそこまで話す義理もない。
ルゥルゥ本人も、イスカンダルも、もっといえばシェダルの国全体で隠していることである。これから先、いつかライラを本国に還す日が来るまで、もしかしたら打ち明けないということも、十分にあり得る話だ。
ライラはごくりと唾を飲む。
「わたくしには、癒しの力がございます」
触れ合うことにより、誰かの傷を癒す力。昨夜ルゥルゥにより、その力の存在を知ったばかりではあるけれど。
「ルゥルゥさまに教えていただきました。私の体には、確かに他者の傷を癒す力があると。だから、イスカンダルさまの助けになりたく……!」
昨夜治したルゥルゥの傷は、致命傷のようなものではなく、数日で消える程度の浅く軽い傷だった。確かに傷を癒すことはできたが、他の怪我にどのように作用するのかは、まだ未知数と言うほかない。
もしかしたら死人を生き返らせるほど強力な力かもしれないし、もしかしたらかすり傷程度のものしか癒せないのかもしれない。どんな傷でも治せればいいが、それにはライラ本人の体力を著しく消耗するのかもしれないし、ライラの命と引き換えに作用する力ということも考えられる。
何も分からないということは、ライラだって知っているだろう。それは、彼女の表情からも見て取れる。自信はない。けれども、こう言うしか、己の主張を通す道はないと知っているという、悲壮めいた決意の表情。
「どうしてそこまで」
何が彼女を突き動かしているのか。
イスカンダルは問いを投げた。すぐにそれは返ってきた。
「お慕い申しているのです」
うすうす、勘付いてはいた。
好かれている。
それは、帰還後初めて討伐に向かう時の応酬の中でも気づいたし、昨夜の口付けの一悶着でも気づいたことだ。もっと言えば、初めて出会ったとき――ドラゴンの腹を割いて助け出したとき――にも。
「イスカンダルさま、あなた様がわたくしを助けてくださった時、わたくしはあなた様に一目惚れをしてしまいました。もうこれはわたくしの中では揺るぎないことだから申し上げます。あなた様はわたくしの、エシュカムなのでございます」
「エ、エシュカム、だと?」
言葉の意味なら、イスカンダルも知っている。愛する相手を呼ぶときの決まった愛称のようなもので、直訳すれば「我が愛」となる。
「あなた様は、わたくしを暗い闇から救い出して下さいました。きらきら輝く青空のような澄んだ瞳に、太陽のようにまぶしい笑顔。日光さえ届かない、薄暗く湿った部屋の中で、まさしくわたくしが待ちわびていた方です」
イスカンダルは頭を掻いた。ひどく困惑していたのだ。
「そう言われても、姫」
「ライラです。わたくしは町娘のライラ」
「そうだった。町娘の……いや、だから、慕っていると言われても、そなたを危険な目に合わせるわけにはいかない。……俺は何をすればいい?」
愛しているから、魔獣の討伐にも連れて行って欲しい。その理由は、己の癒しの力を活用したいというわけではなく、イスカンダルのことを「エシュカム」だと言い放つくらいだ、おそらく離れたくないと、そういうことなのだろう。
討伐云々は置いておいて、まず第一にライラが何を求めているのか、何を必要としているのか、イスカンダルは尋ねてみた。
しかしなぜか、ライラは瞠目し、言葉に詰まっている。
「お、お好きなように」
ややあって口を開いてみれば、ずいぶんと曖昧かつ含みを持った言葉が出る。
女が男に「好きなようにしてくれ」というのは、どうしても性的な想像が挟まれる。ライラはそれを知っているのか、それとも、目の前の「賢王」を試しているのか。
にらめっこでもしているように、二人は動揺した表情のまま見つめあって固まった。
「そ、それとも……それともイスカンダルさまは、わたくしのこの見た目には、よ、欲情いたしませんか?」
「よ、欲じょ……っ!?」
褐色の肌、銀色の髪。黒い肌に白い髪がよく映える。琥珀色の瞳もとても美しいし、そういう意味ではイスカンダルは何も問題ないと考えている。
さりとて、「ではいただきます」という話でもない。
先ほどのあれは正夢だったらしいと、イスカンダルが頭を真っ白にさせている隙を狙って、ライラが先に動きを見せた。
ギシ、と寝台に手をかけて、イスカンダルにより近づく。
寝巻きではないし、秦野露出も特段多いというわけではないにも関わらず、夢に見たの光景が無駄に雄(オス)の想像を煽る。褐色の肌からは何やら甘い香りが匂い立つような気もして来る。
「わたくしには、イスカンダルさまを刺激できるだけの魅力はございませんか?」
そんなことはない。
言おうとするが、声が出ない。
さらにライラが肌を寄せる。
「わたくしでは……一夜の伽すら難しいでしょうか」
「そんなことはっ! な、ない、が……」
「でしたら、わたくしを討伐に連れて行って下さいまし」
「それとこれとは話が別だ!」
伽と、討伐随行。天秤にかけるようなものではない。
そもそも、一夜の伽などと、若い姫が提案するなどどう考えても異常事態だ。
イスカンダルが語調強めに反論するも、ライラは更に声を荒げて反論する。
「イスカンダルさまの力になりたいのです!」
気迫のこもった言葉だが、流されるわけにもいかない。
イスカンダルは毅然とした態度を貫く。
「危険すぎる」
ライラは頭を振って拒む。
「お側にいられるだけでよいのです! 邪魔はしません、イスカンダルさまに何かあった時、すぐにわたくしが治せるように」
次はイスカンダルが頭を振って拒む。
「そのようなものは不要」
二人の話し合いはそこで終了した。
イスカンダルは無造作にライラを押しのけて、朝議だからと寝台から出ていった。
***
それから数日後、再び魔獣の来襲があった。
しかし、当然ながらライラは同行することが叶わず、ただ、窓の外の広い空を眺めて待つことしかできなかった。
どうか、ご無事でお戻り下さいますように。
ライラは祈った。
侍女が食事を持ってきても、大して手をつけないままに、ひたすらイスカンダルを待った。
「……イラ、ライラ」
ひたすら待っているうちに、長椅子の肘掛けにもたれ掛かりながら眠ってしまっていたようだ。
それを起こしたのは、男の声。
「イ、イスカンダルさま!? お戻りで――」
「ああ。今戻ってきたばかりだ」
目を覚ますと、眼前には美しい顔。あたりが暗くなってしまっているせいで、イスカンダルの瞳も、夜空の色と同じに見える。
「申し訳ございません、さっきまでお待ちしていたのですが、眠気が……イ、イスカンダルさま、腕にお怪我を!?」
左の手の甲から腕を登るように一、二尺程度の切り傷があった。そんなに深い傷ではなく、すでに血も止まっているようだったが、それでもライラはぎょっとして、慌てて腕をひっつかんだ。
「かすり傷みたいなものだ。すぐに治る。……んだが……ライラ?」
「……はい?」
イスカンダルがにやりと笑った。
「俺の力になりたいと言っていたよな?」
「はい。それはもちろん――」
ライラが言い終わる前に、イスカンダルは顔を近づけた。そして、距離を一気に詰めてしまうと、そのまま唇と唇を重ね合わせる。
ちゅううう、と、突然の口づけはそこそこ長く、そこそこ濃厚で、そこそこ――いや、完全に――ライラの思考は停止した。
「お、本当に治るんだな」
唇を離してすぐ、イスカンダルは己の腕を見た。そこにはつい先ほどまで一本の切り傷があったはず。しかし今では消え失せて、ただ、服の袖が裂けてしまっているだけだった。
口づけは、ライラの能力を確かめる意味合いだったのだろう。
イスカンダルはライラに微笑み、頰に一つキスを落とす。
「助かった。また、頼む」
ちなみに、ライラは都合など一切合財聞かれていない。
口づけも突然で、事前に同意を得ることなど、されたわけでもない。
「イスカンダルさま……すてき…………」
けれど、きっと同意がなくても、ライラは彼を拒まない。
イスカンダルが出て行った扉を、ライラは頰を染めながら、ずっとずっと見つめていた。
「ん……? ライラか?」
今は深夜か早朝か。
月の明かりで窓の外がうっすら明るく、時間の把握が正しくできない。
「先日はわたくしを助けて下さいまして、どうもありがとうございました」
寝巻きのままイスカンダルの寝所にやってきたライラは、彼の枕元で深々と頭を下げた。
ゆったりとした寝巻きの胸元から、胸の谷間がちらりと覗く。
もちろんイスカンダルも男なので、幸運破廉恥に出くわしたら理性があろうがなかろうが、見てしまうのが悲しき性。縦に入ったその線は深く、彼女の乳房の豊かさを表す。
しかしながら、鼻の下を伸ばしながら淑女の胸元を凝視するなど変態以外の何ものでもない。イスカンダルは平然と、「何も見ていない」とでも言うように視線をライラの顔に戻し、「気にするな」とかその辺りの言葉を返す。当然、まぶたの裏にはライラのオッパイが焼き付いている。
「わたくしができるお礼と言えば、このくらいしか……」
どのくらいだ。
イスカンダルがそう思うよりも早く、ライラは己の肩紐に手を掛けた。立ち上がり、紐を肩からずらすだけで、薄く軽い寝巻きはハラリと彼女の足元に落ちていった。
彼は知っていた。彼女の腰がどれだけ細いのかも、彼女の胸がどれだけ豊かなのかも。ドラゴンの腹から出て来た時、胃液に濡れて体に張り付いた服は、彼女の見事なその肢体を隠す役目を果たせていなかったからだ――先ほど服の隙間から見てしまったのもあるけれど――。
しかし、今は布すらない、生まれたままの女の姿だ。
イスカンダルは慌てて目を伏せた。
「さ、どうぞ。イスカンダルさま、わたくしの体を好きに弄んで下さいまし。さあ」
一糸まとわぬ姿のライラが、ぎしり、と寝台に手を掛けた。
褐色の肌が誘惑する。どこからともなく、甘い花の香りもする。
「イスカンダルさま、どうぞ。いかようにも、あなた様のお好きなように。どこに触れても、どこをどう味わっても、わたくしは決して拒みません」
シーツを握りしめる手を、ライラが優しく解し取る。汗でべとべとになっていたが、気にせず己の胸に導く。
「さあ」
だめ押しだ。
これ以上、イスカンダルには耐えられない。
「まっままままま待ってくれ! ライラ、実は俺は……っ!」
イスカンダルは目をあけた。両手を天に伸ばした姿勢。
そこにはライラの存在はなく、ただ、紋様の刻まれた白い天井が見えるのみ。
「夢か……」
早鐘を打つ心臓を落ち着けるために、二度、三度深呼吸してから、イスカンダルはつぶやいた。
これが現実であることを己に自覚させるため、演技じみた台詞を言わねばならないなど。
先ほどはひどく慌てたが、夢であったこと、そしてあんな夢を見る自分のことが滑稽で、呆れ笑いをかすかにこぼす。
正確には、こぼそうとした。
「おはようございます、イスカンダルさま」
「うわあっ!」
夢の中で聞いたばかりの声が、起きたはずの今また再び聞こえたのだ。
慌てて飛び起きると、寝台の横の低い椅子に、ライラがちょこんと座っていた。
服は……夢とは違って、寝巻きではなかった。結った三つ編みを頭に巻き、銀色の髪飾りが刺さっているし、シェダル式のドレスの上には裾の長い羽織をはおって、完全に、朝の支度を終えた姿である。
「……どうなさったのですか? 何か、悪い夢でも?」
「いや……悪い夢というか……なんというか……」
さっきまでそなたに迫られる破廉恥な夢を見ていたのだ。などと、いくらイスカンダルといえども堂々と言い放てるわけがない。
しどろもどろになっていると、回答を待たず再びライラが口を開く。
「イスカンダルさま、突然寝所になどお邪魔してしまい申し訳ございません。わたくし、お礼が申し上げたくて」
「……お礼?」
「はい。先日はわたくしを助けてくださり、どうもありがとうございました。本当に本当に、ありがとうございました」
礼ならば、先日の朝議の場で申していたではないか。
そう思ったが、水を差すのは野暮でもある。もしかしたら、二人きりの時に言いたかったのかもしれないしと、イスカンダルはライラの気持ちを汲むことにした。
「いや、大したことはしていない。ただ戦利品として連れ帰ったドラゴンが、たまたまそなたを食べていただけで。そなたがドラゴンの腹の中で生きていたことは、我々は誰も予測していなかった。俺の手柄ではない」
耳飾りをきらきら揺らしながら、ライラが頭を左右に振る。
「いいえ、そんなことありませんわ。イスカンダルさまがわたくしをこの美しいシェダル国に連れて来て下さらなければ、わたくしはあのまま――」
「……あのまま?」
何か気が滅入るようなことが待ち受けていたのだろうか。
言い淀んだ続きを催促してみるも、ライラは力なく笑っただけだ。
「いえ、なんでも。……それより、イスカンダルさま、一つお願いがございます」
「なんだ」
服か、金か、宝石か。
そのような、即物的なものを考えている目ではなかった。
「わたくしを、わたくしも、魔獣の討伐に連れて行って下さいまし」
「そなたを? ……いや、危険すぎる。それはできない。女のそなたを連れていくなど」
「でも、ルゥルゥさまだって女性ですわ」
「ルゥルゥは確かに女だが、戦う術を持っている」
ルゥルゥは女である以前に、他の女性とは少し違う。彼女が魔石を使わなくても魔法を駆使できる理由もそのあたりにあるのだが、まだ知り合ったばかりの外国人のライラに、イスカンダルがそこまで話す義理もない。
ルゥルゥ本人も、イスカンダルも、もっといえばシェダルの国全体で隠していることである。これから先、いつかライラを本国に還す日が来るまで、もしかしたら打ち明けないということも、十分にあり得る話だ。
ライラはごくりと唾を飲む。
「わたくしには、癒しの力がございます」
触れ合うことにより、誰かの傷を癒す力。昨夜ルゥルゥにより、その力の存在を知ったばかりではあるけれど。
「ルゥルゥさまに教えていただきました。私の体には、確かに他者の傷を癒す力があると。だから、イスカンダルさまの助けになりたく……!」
昨夜治したルゥルゥの傷は、致命傷のようなものではなく、数日で消える程度の浅く軽い傷だった。確かに傷を癒すことはできたが、他の怪我にどのように作用するのかは、まだ未知数と言うほかない。
もしかしたら死人を生き返らせるほど強力な力かもしれないし、もしかしたらかすり傷程度のものしか癒せないのかもしれない。どんな傷でも治せればいいが、それにはライラ本人の体力を著しく消耗するのかもしれないし、ライラの命と引き換えに作用する力ということも考えられる。
何も分からないということは、ライラだって知っているだろう。それは、彼女の表情からも見て取れる。自信はない。けれども、こう言うしか、己の主張を通す道はないと知っているという、悲壮めいた決意の表情。
「どうしてそこまで」
何が彼女を突き動かしているのか。
イスカンダルは問いを投げた。すぐにそれは返ってきた。
「お慕い申しているのです」
うすうす、勘付いてはいた。
好かれている。
それは、帰還後初めて討伐に向かう時の応酬の中でも気づいたし、昨夜の口付けの一悶着でも気づいたことだ。もっと言えば、初めて出会ったとき――ドラゴンの腹を割いて助け出したとき――にも。
「イスカンダルさま、あなた様がわたくしを助けてくださった時、わたくしはあなた様に一目惚れをしてしまいました。もうこれはわたくしの中では揺るぎないことだから申し上げます。あなた様はわたくしの、エシュカムなのでございます」
「エ、エシュカム、だと?」
言葉の意味なら、イスカンダルも知っている。愛する相手を呼ぶときの決まった愛称のようなもので、直訳すれば「我が愛」となる。
「あなた様は、わたくしを暗い闇から救い出して下さいました。きらきら輝く青空のような澄んだ瞳に、太陽のようにまぶしい笑顔。日光さえ届かない、薄暗く湿った部屋の中で、まさしくわたくしが待ちわびていた方です」
イスカンダルは頭を掻いた。ひどく困惑していたのだ。
「そう言われても、姫」
「ライラです。わたくしは町娘のライラ」
「そうだった。町娘の……いや、だから、慕っていると言われても、そなたを危険な目に合わせるわけにはいかない。……俺は何をすればいい?」
愛しているから、魔獣の討伐にも連れて行って欲しい。その理由は、己の癒しの力を活用したいというわけではなく、イスカンダルのことを「エシュカム」だと言い放つくらいだ、おそらく離れたくないと、そういうことなのだろう。
討伐云々は置いておいて、まず第一にライラが何を求めているのか、何を必要としているのか、イスカンダルは尋ねてみた。
しかしなぜか、ライラは瞠目し、言葉に詰まっている。
「お、お好きなように」
ややあって口を開いてみれば、ずいぶんと曖昧かつ含みを持った言葉が出る。
女が男に「好きなようにしてくれ」というのは、どうしても性的な想像が挟まれる。ライラはそれを知っているのか、それとも、目の前の「賢王」を試しているのか。
にらめっこでもしているように、二人は動揺した表情のまま見つめあって固まった。
「そ、それとも……それともイスカンダルさまは、わたくしのこの見た目には、よ、欲情いたしませんか?」
「よ、欲じょ……っ!?」
褐色の肌、銀色の髪。黒い肌に白い髪がよく映える。琥珀色の瞳もとても美しいし、そういう意味ではイスカンダルは何も問題ないと考えている。
さりとて、「ではいただきます」という話でもない。
先ほどのあれは正夢だったらしいと、イスカンダルが頭を真っ白にさせている隙を狙って、ライラが先に動きを見せた。
ギシ、と寝台に手をかけて、イスカンダルにより近づく。
寝巻きではないし、秦野露出も特段多いというわけではないにも関わらず、夢に見たの光景が無駄に雄(オス)の想像を煽る。褐色の肌からは何やら甘い香りが匂い立つような気もして来る。
「わたくしには、イスカンダルさまを刺激できるだけの魅力はございませんか?」
そんなことはない。
言おうとするが、声が出ない。
さらにライラが肌を寄せる。
「わたくしでは……一夜の伽すら難しいでしょうか」
「そんなことはっ! な、ない、が……」
「でしたら、わたくしを討伐に連れて行って下さいまし」
「それとこれとは話が別だ!」
伽と、討伐随行。天秤にかけるようなものではない。
そもそも、一夜の伽などと、若い姫が提案するなどどう考えても異常事態だ。
イスカンダルが語調強めに反論するも、ライラは更に声を荒げて反論する。
「イスカンダルさまの力になりたいのです!」
気迫のこもった言葉だが、流されるわけにもいかない。
イスカンダルは毅然とした態度を貫く。
「危険すぎる」
ライラは頭を振って拒む。
「お側にいられるだけでよいのです! 邪魔はしません、イスカンダルさまに何かあった時、すぐにわたくしが治せるように」
次はイスカンダルが頭を振って拒む。
「そのようなものは不要」
二人の話し合いはそこで終了した。
イスカンダルは無造作にライラを押しのけて、朝議だからと寝台から出ていった。
***
それから数日後、再び魔獣の来襲があった。
しかし、当然ながらライラは同行することが叶わず、ただ、窓の外の広い空を眺めて待つことしかできなかった。
どうか、ご無事でお戻り下さいますように。
ライラは祈った。
侍女が食事を持ってきても、大して手をつけないままに、ひたすらイスカンダルを待った。
「……イラ、ライラ」
ひたすら待っているうちに、長椅子の肘掛けにもたれ掛かりながら眠ってしまっていたようだ。
それを起こしたのは、男の声。
「イ、イスカンダルさま!? お戻りで――」
「ああ。今戻ってきたばかりだ」
目を覚ますと、眼前には美しい顔。あたりが暗くなってしまっているせいで、イスカンダルの瞳も、夜空の色と同じに見える。
「申し訳ございません、さっきまでお待ちしていたのですが、眠気が……イ、イスカンダルさま、腕にお怪我を!?」
左の手の甲から腕を登るように一、二尺程度の切り傷があった。そんなに深い傷ではなく、すでに血も止まっているようだったが、それでもライラはぎょっとして、慌てて腕をひっつかんだ。
「かすり傷みたいなものだ。すぐに治る。……んだが……ライラ?」
「……はい?」
イスカンダルがにやりと笑った。
「俺の力になりたいと言っていたよな?」
「はい。それはもちろん――」
ライラが言い終わる前に、イスカンダルは顔を近づけた。そして、距離を一気に詰めてしまうと、そのまま唇と唇を重ね合わせる。
ちゅううう、と、突然の口づけはそこそこ長く、そこそこ濃厚で、そこそこ――いや、完全に――ライラの思考は停止した。
「お、本当に治るんだな」
唇を離してすぐ、イスカンダルは己の腕を見た。そこにはつい先ほどまで一本の切り傷があったはず。しかし今では消え失せて、ただ、服の袖が裂けてしまっているだけだった。
口づけは、ライラの能力を確かめる意味合いだったのだろう。
イスカンダルはライラに微笑み、頰に一つキスを落とす。
「助かった。また、頼む」
ちなみに、ライラは都合など一切合財聞かれていない。
口づけも突然で、事前に同意を得ることなど、されたわけでもない。
「イスカンダルさま……すてき…………」
けれど、きっと同意がなくても、ライラは彼を拒まない。
イスカンダルが出て行った扉を、ライラは頰を染めながら、ずっとずっと見つめていた。
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