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「第四章:勇者一人前」
「こんなハーレムがあってたまるか」
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~~~フルカワ・ヒロ~~~
四人の亡霊騎士を倒したはいいものの、カーラたちに追いつかれてしまった。
タイミングよくヒュドラが現れカーラに襲い掛かったはいいものの、瞬殺されてしまった。
絶望と希望が交互に訪れた結果、残ったのはあまりにわかりやすい現実だった。
はっきりと言おう──カーラに追いつかれた俺たちは、負けたのだ。
王国最精鋭を選りすぐって作られた特務騎士団、七星。
カーラはその団長だ。
かつて反王国派のアジトに単身乗り込み不穏分子200人をすべて斬殺したことから『皆殺しのカーラ』と呼ばれ恐れられる、最強の剣士。
レインがよく言っていた。
たとえば自分が四人いて、前後左右から同時に討ちかかったとしても勝てないだろうと。
あれほどの技量と敏捷性を兼ね備えるレインをもってしても、傷ひとつつけられずに瞬殺されるだろうと。
当然、それほどの強敵に勝てるわけがない。
ここまでの努力はすべて、水の泡。
みんな、さぞや意気消沈してるだろうと思いきや──
「ここは我が残る。レイン、ベラ。勇者殿を連れて逃げてくれ」
「やだ」
「嫌です」
「え? 嫌だ? え? なんで?」
「やだよ、当たり前じゃん」
「嫌ですよ、きっぱりと」
自らを囮にして他を逃がそうというアールの英断をレインとベラさんが食い気味に却下したことで、流れが変わった──
「どちらにしても死ぬのなら、わたしはここでアール様と共に逝きたいと思います」
生き残っても極刑にかけられるわけだしと、ベラさんはきっぱり。
「うぬ……な、ならばレイン。そなたはどうなのだ? そなたは別にここで死ぬ理由など無いではないか。国外へ逃げのびて、自由にやったらいいではないか。なんだったら隷騎士の契約を解除してやってもいいし……」
「やだよ。だって、そんなのカッコよすぎるじゃん」
「………………へ?」
思ってもみなかったレインの反応に、アールは目を丸くした。
「それってあれでしょ。勇者様の世界の物語でよくある、『ここは俺に任せて先に行け』みたいなやつでしょ。主人公を逃がすために脇役が輝いちゃうやつ。カッコよくて思わず胸がキュンってなるやつ」
「や、その……レイン? そなたはいったい何を言っておるのだ?」
アールの困惑はわかる。
俺の頭の中も、疑問符がいっぱいだ。
「だーかーらー、そんなことをしたら勇者様がキュンってなっちゃうでしょ? そんで、死に別れた後もアールのことが気になってしょうがなくなっちゃうでしょ? なにかっていうと折に触れて思い出しちゃうやつでしょ? ボク、そんなのやだもん」
「ほえー……?」
いつもの大人びた様子はどこへやら。
驚きのあまり語彙を失い、アホの子みたいに口を開けるアール。
「あのね、これが最後かもしんないから言っとくけど……」
胸に手を当て──目を閉じ──開き──
これ以上なくまっすぐに、レインは告げた。
「ボクは勇者様のことが好きなの。キミに負けないぐらい」
アールに向かって、まるで挑戦状でも叩きつけるみたいに。
「え」
「え」
「え」
俺、アール、ベラさんの三人は、異口同音でつぶやいた。
「え、その、え、今なんと? レインがそうゆーので、我にその……なんて? え、なんでっ?」
「ボクは勇者様のことが好きなの。キミに負けないぐらい」
「いやいやいや、聞こえてはおったよ? だがその、いまいち内容が理解出来ないというか頭に入って来ないというか……」
「ダメだよ、ごまかしたって。ボクにはわかるんだから」
ひたすら狼狽するアールとは対照的に、レインはぷんと頬を膨らましてむくれた。
「ホントだよっ? 目の色でわかるもんっ。あとは微妙なしぐさとか、話し方とか距離感とかっ。そーゆーのでモロバレだもんっ」
「ほえー……?」
再びアホの子化するアール。
「ま、まあ落ち着けよレイン。当事者の俺が言うのも変だけど、それはあんまりにも……」
なんとかこの場を鎮めようと頑張る俺に、レインはぐりんっと勢いよく向き直った。
「勇者様もだよっ? アールのこと意識してるのわかるもんっ。以前にも言ったけど、アールのこと話す時すんごいいい顔するしっ、優しい声出すしっ。あんなのボクにはしてくれたこと一度もないのにっ」
「ほえー……?」
顔を真っ赤にして俺を見るアール。
「待て待て、待てアール、勘違いするなっ。これはあくまでレインの個人的な感想で、乙女の思い込み的なやつで……っ」
俺は必死になって否定したが……。
「と・も・か・く! そうゆーことだからダメなの! ボクは逃げない!」
委細構わず、レインは叫んだ。
自分自身のありったけを口にした。
「勇者様の心を奪われたくないからっ! そんなの絶対いやだからっ!」
『………………』
ふと気がつくと、みんなが俺を見ていた。
おいおまえ、うら若き乙女にここまで言われてなんのリアクションもないのかよというような、責めるような視線を感じる。
「えっと……なんというか、難しいんだけど……」
カーラとの戦いとはまったく異なる別種の戦場に立たされた俺は、戸惑いながらも頑張って話を始めた。
「逃げる逃げないのことに関して言うならば、逃げないよ。今決めたんじゃなく、そう決めてた。正直、怖い気持ちはあるけどさ。ここで負けて捕まったら、この後どんなひどい目に遭わされるんだろうとか考えたり。さすがに内臓食われたことはないけど、それって果たしてどんだけ痛いんだろうとか考えたり……」
でも──
「でもさ、ひとりだけ逃げてもしかたねえって気持ちもあるんだよ。ちょっと恥ずかしい言い方になるんだけど……仲間だから。住む世界も生まれた場所も違うけど、俺たちってここまで、けっこうな危難をくぐり抜けて来たわけじゃん。日にちにしたらわずか数日だけど、もう一生分ぐらいの濃い数日を共に過ごして来たわけじゃん。その仲間をさ、戦友たちを見捨ててひとりだけ助かるなんて……そんなの、苦しいじゃん。そんな光景、想像しただけで泣きそうになって……実際、俺には耐えられないよ。たぶん、ここでとっ捕まって食われるより辛いと思う」
そんな目には遭ったことないけど、たぶん一生、心に残る傷になる──
再生スキルを持ってしても消えない、深い深い傷に──
「んで…………だね」
コホンと咳ばらいをすると、俺は現状最難関の問題についての気持ちを表明した。
「レインの気持ちに関しては、その……あまりに唐突すぎてすぐには答えが出せないというか……。や、その、嬉しくはあるんだぜ? お前ってマジで可愛いし、俺の世界だったらほとんどアイドルみたいな感じで、正直俺みたいなのにはもったいないというか……。ここまでにも何度も助けてくれたし、一緒に馬に乗ってる時の安心感半端ないというか……や、ちょっと喜ばないで。そんな風にはしゃがれると、正直プレッシャーがエグいというか……。その、ねえ? 嬉しくはあるんだけどあまりにそういった経験が無さすぎて、ただただ混乱の極みにあるというのが正直なところでございまして……」
チラりとふたりの顔色を窺うと──
レインははしゃぐのをやめると、一転不安そうな目でこちらを見ている。
アールは手指を絡み合わせ、終始ソワソワと落ち着かなげにしている。
「なあ、アールもそれでいいかな?」
「な、なななななんで我に聞くのか……っ?」
突然話を振られたアールは、顔を赤くしてとにかく狼狽した。
「まあその……状況は理解出来るし、レインや勇者殿の気持ちもわかる……わかった。その上でその……我だって……そうゆーのには今まで縁が無くて……無さすぎて……。正直そんな風に言われてもすぐには答えられないとうか……向き合うにしてももう少し時間が欲しいというか……」
「うん、うん、そうだよなっ。俺も、俺もなんだっ。まさしくそれっ」
「そ、そそそそそうかっ。勇者殿もかっ?」
お互い「それな!」、「そうそれ!」と笑い合い、微妙な連帯感を感じていると……。
「むむむむむうーん!」
実に実に不満そうな顔をしたレインが、俺とアールの間に割って入った。
「ねえねえ、それってつまりはこうゆーこと? 結論に関しては、戦いの後にしようってこと? 後回しにしようって?」
「……う、うん。言ったように、俺たち揃ってこうゆーのにまるで耐性が無いなんで……出来れば……」
「むううううーん……勇者様がそう言うんならしかたないけどさあー……」
レインはいかにも不承不承というようにため息をつくと、俺とアールを交互に見つめた。
「はあー……しかたない。わかったよ。そうゆーことにしよっか。勇者様がどっちを選ぶかは、戦いのその後でってことで。ねえ、そうゆーことで、ふたりとも、了解?」
しょうがない奴らだなという風に、腰に手を当てきつい目つきで睨みつけてきた。
「お、おう……」
「う、うん……わ、わかった」
勢いで承諾させられる、俺とアール。
「はーい。では、戦いの後のお楽しみが増えたということで、みなさんよろしいでしょうか?」
それまで聞き役に徹していたベラさんが、その場を納めるようにパンパンと手を叩いた。
「それでは勇者様、最後の戦いに臨むにあたって、何か景気の良いお言葉をくださいな」
「え、え、え、俺? ここで? このタイミングで?」
「そりゃあそうでしょう。そもそもこの戦いは、勇者様の存在から始まったわけですし」
「う……ま、まあそう言われると……。一応言っとくけど、そんなに上手いことは言えないからな?」
ベラさんに背中を押された俺は、しかたなく締めの言葉を口にした。
「なあ、みんな。泣いても笑っても、これが最後の戦いだ。生きるも死ぬも、この一戦のみだ。みんなで助け合って、必死で戦って……そして勝とう。勝って、こんな陰惨な生活じゃない、明るく楽しい平和な生活を共におくろう」
俺が握った拳を差し出すのに、みんなはぱっと笑顔になって拳を合わせてきた。
「おー、いいじゃんっ。存外まともっ、まともっ。じゃあさじゃあさ、勝ったらどうする? 勇者様、みんな。どこに行って、何をする? 何をしたい?」
レインがにこにこと笑いながら未来の話を始め──
「わたしは温泉がいいですねえー。何せここのとこ、のんびりお風呂につかる間もなくて、泥と血と汗にまみれてもう大変なので……」
ベラさんがやれやれとばかりに肩を揉み──
「お、それはよいな。ならばいったん我が領地に来るといい。素晴らしい眺めの鉱泉があるのだ」
悪魔貴族の娘にして次期当主なアールが、みんなを誘った。
「ふうーん……? ねえアール。それって勇者様をお父さんに紹介しようとかいういやらしい魂胆があるわけじゃないよねえー?」
ジト目になったレインにツッコまれると、アールは目を白黒させた。
「バ、バ、バカモンッ。だ、誰がそのようなことを……っ」
そんな風にレインには言いつつ、チラと俺を窺うアール。
「あ、今勇者様を見たっ。やっぱり図星だっ」
それ見たことかとばかりに、レインが騒ぎ立てた。
「こ、これは違うっ。そうゆーのでは断じてなくてだな……っ」
「むむむむむ、やっぱり油断ならないなあー……。ここはもう少し攻めておかないとかなあー……」
何やらぶつぶつつぶやいていたかと思うと、レインはくるり俺に向き直った。
そして突然、俺の首に手を回して来た。
「え、何? 何するの?」
「何じゃないよ。いつものやつでしょ。戦いの前の勇者様成分補給」
「え、いやだって……これいつもと体勢が違うというか、これじゃまるでキs──」
みなまで言わせてくれなかった。
レインはぐっと顔を近づけるなり、俺の唇に吸い付いてきた。
「???????????」
熱く、激しく、唾液の交換すら伴う大人なそれが、いつもの成分補給と違うのはすぐにわかった。
「いけませんよ、これはいけませんよ、アール様。放っておいてはいけません。今すぐ割って入らないとっ。あ、言っておきますが、わたしはアール様の味方ですので。アール様の想いを成就させるために、全力で支援していく覚悟でおりますので」
「ほええええー……?」
発破をかけるようなベラさんの言葉に、膝をがくがく震わせて過去最大級の動揺を見せるアール。
かたや──
「……ぷはあっ」
顔を離して呼吸したかと思うと、レインは俺にすりすりと頬ずりしてきた。
「はあー、美味しかったっ」なんて言って、これ以上なく幸せそうに。
「と、忘れるとこだった。楽しむだけじゃダメなんだ」
てへとばかりに舌を出すと、レインは俺の唇に嚙み付いてきた。
むちりと嚙み付き、食いちぎった。
「んっぎゃああああああああっ!!!?」
「うん、美味い美味い♪」
「美味いじゃねえええよおおおお! おまえはいったい何をしてくれてんだよおおおお!?」
「だからほら、成分補給。これから激しい戦いがあるんだから、なるべく美味しいところを食べないとでしょ?」
「そんなあっけからんと言う台詞かあああああっ!?」
口元からだらだらと流血しながら文句を言う俺。
「ほら、アール。ベラさんも。遠慮しないで補給、補給♪」
レインは俺から体を離すと、アールとベラさんを誘った。
「アール様。お先にどうぞ。ぐいっと、がぶっと、いつもより激しくいっちゃってください」
アールを応援することを決めているベラさんは、「ささ、どうぞ」とばかりに薦めてきた。
「もう……皆おかしなことばかり……」
アールはぶつぶつとつぶやきながら上目遣いで俺の顔を見た。
モジモジと身を揺すって恥ずかしがる様は、今までに抱いていたアールのイメージとはまるで違うが、あるいはこっちのほうが素なのかもしれない。
考えてみれば、トーコさんとのことさえなければこいつはいいとこのお嬢さんなわけだしな。
「その……非常に申し訳ないのだが……。これは戦略上必要な儀式なので……。深い意味など決してないので……」
さんざん前置きをした上で、レインと同じように俺の唇に吸い付いてきた。
レインが残した唇の傷口から垂れ落ちる血を舐め取った。
「……んっ」
コクンと喉を鳴らして飲み干す様は淫靡であり、恥ずかしそうに顔を赤らめる姿は乙女であった。
大人の女性と少女の入り混じったようなアールの姿に、俺は状況も忘れて見とれてしまった。
正直かなり、きゅんときた。
「ああー、その手できたかっ。なるほどなるほどそうゆー攻め方なわけねっ? たしかに、むっつりな勇者様にはそっちのほうが効果的かもっ?」
頭を抱えて騒ぐレイン。
「せ、攻めとかではないからっ。その、断じてっ」
「まあ、アール様……大人になられて……っ」
「そそそそ、そうゆーのでもないからっ。もう、勇者殿も笑うなっ」
ふたりに茶化されたアールは、怒りの矛先をなぜか俺へと向けてきた。
「元はと言えば勇者殿のせいなのにっ。そんな他人事みたいに笑うなんてっ」
「え、や、俺は別に笑っては……」
たしかにちょっとニヤついてはいたかもしれんけど。
「そんな勇者殿には……こうだっ」
海で水をかけ合う恋人同士みたいな口調とは裏腹に、アールはいきなり俺の頬に嚙み付き、食いちぎった。
「んっぎゃああああああああっ!!!?」
レイン、アールとふたり続けての噛みつき。
衝撃と痛みでうずくまっていると……。
「……ふうーん? 良かったねえ勇者様。これってあれじゃん、勇者様の世界で人気の異世界ハーレム小説みたいな展開じゃん」
「こんなハーレムがあってたまるか! 全員DVヒロインとか作者の良識を疑うわ! ってかなんでおまえは腕組みとかしてじゃっかん不満そうにしてんの!?」
「だって勇者様、アールにされて微妙にニヤついてたし……。ボクとアールと、ほとんど同じことしてるはずなのに……」
「一瞬な!? ホントのホントに一瞬な!? すぐにそれが最悪の間違いであることに気づいたけどな!?」
思い切り反論しているところへ、すすすとベラさんが近づいて来て……。
「次はわたしの番ですが、アール様の手前そうゆーことも出来ませんのでこちらで失礼して……」
手にしたナイフで、いきなり俺の手首を縦に切った。
「んっぎゃああああああああっ!!!?」
噴水のようにドバドバと迸る俺の血を革袋に溜めつつ、「すみませんねえ」と謝るベラさん。
「んぎごおおおおおおおお……っ」
立て続けにいたぶられ、さすがに言葉が出ない俺。
「さ、行こう勇者様。敵がお待ちかねだよ」
「んむ。速やかに戦い、打ち破ってくれようぞ」
「そうですねえー(革袋から血をごくごく)」
「おまえらなああああああー……」
ゆらりと立ち上がると、俺は三人を均等に睨みつけた。
「勝ったら話しがあるからな。覚えてろよ?」
「うん、わかってるよ。そん時に改めて、ボクの気持ちに応えてくれるんだもんね?」
「そ、そうだった……その時までに心の準備を済ませておかないと……っ?」
「アール様、頑張ってー(革袋から血をごくごく)」
ホントに最後の、そして最大の戦いを前にして、まったく緊張感の無いみんな。
頼もしいようなそうでもないような気持になりながら、俺は言った。
「ちくしょう……いいか? みんな、全力で生き残れよ? そうでないと俺は絶対納得しないから。言われっぱなしやられっぱなしじゃ納得してやんねえから」
再生した頬を両手で張って気合いを入れると、俺は一歩を踏み出した。
死闘に臨む、覚悟を固めた。
四人の亡霊騎士を倒したはいいものの、カーラたちに追いつかれてしまった。
タイミングよくヒュドラが現れカーラに襲い掛かったはいいものの、瞬殺されてしまった。
絶望と希望が交互に訪れた結果、残ったのはあまりにわかりやすい現実だった。
はっきりと言おう──カーラに追いつかれた俺たちは、負けたのだ。
王国最精鋭を選りすぐって作られた特務騎士団、七星。
カーラはその団長だ。
かつて反王国派のアジトに単身乗り込み不穏分子200人をすべて斬殺したことから『皆殺しのカーラ』と呼ばれ恐れられる、最強の剣士。
レインがよく言っていた。
たとえば自分が四人いて、前後左右から同時に討ちかかったとしても勝てないだろうと。
あれほどの技量と敏捷性を兼ね備えるレインをもってしても、傷ひとつつけられずに瞬殺されるだろうと。
当然、それほどの強敵に勝てるわけがない。
ここまでの努力はすべて、水の泡。
みんな、さぞや意気消沈してるだろうと思いきや──
「ここは我が残る。レイン、ベラ。勇者殿を連れて逃げてくれ」
「やだ」
「嫌です」
「え? 嫌だ? え? なんで?」
「やだよ、当たり前じゃん」
「嫌ですよ、きっぱりと」
自らを囮にして他を逃がそうというアールの英断をレインとベラさんが食い気味に却下したことで、流れが変わった──
「どちらにしても死ぬのなら、わたしはここでアール様と共に逝きたいと思います」
生き残っても極刑にかけられるわけだしと、ベラさんはきっぱり。
「うぬ……な、ならばレイン。そなたはどうなのだ? そなたは別にここで死ぬ理由など無いではないか。国外へ逃げのびて、自由にやったらいいではないか。なんだったら隷騎士の契約を解除してやってもいいし……」
「やだよ。だって、そんなのカッコよすぎるじゃん」
「………………へ?」
思ってもみなかったレインの反応に、アールは目を丸くした。
「それってあれでしょ。勇者様の世界の物語でよくある、『ここは俺に任せて先に行け』みたいなやつでしょ。主人公を逃がすために脇役が輝いちゃうやつ。カッコよくて思わず胸がキュンってなるやつ」
「や、その……レイン? そなたはいったい何を言っておるのだ?」
アールの困惑はわかる。
俺の頭の中も、疑問符がいっぱいだ。
「だーかーらー、そんなことをしたら勇者様がキュンってなっちゃうでしょ? そんで、死に別れた後もアールのことが気になってしょうがなくなっちゃうでしょ? なにかっていうと折に触れて思い出しちゃうやつでしょ? ボク、そんなのやだもん」
「ほえー……?」
いつもの大人びた様子はどこへやら。
驚きのあまり語彙を失い、アホの子みたいに口を開けるアール。
「あのね、これが最後かもしんないから言っとくけど……」
胸に手を当て──目を閉じ──開き──
これ以上なくまっすぐに、レインは告げた。
「ボクは勇者様のことが好きなの。キミに負けないぐらい」
アールに向かって、まるで挑戦状でも叩きつけるみたいに。
「え」
「え」
「え」
俺、アール、ベラさんの三人は、異口同音でつぶやいた。
「え、その、え、今なんと? レインがそうゆーので、我にその……なんて? え、なんでっ?」
「ボクは勇者様のことが好きなの。キミに負けないぐらい」
「いやいやいや、聞こえてはおったよ? だがその、いまいち内容が理解出来ないというか頭に入って来ないというか……」
「ダメだよ、ごまかしたって。ボクにはわかるんだから」
ひたすら狼狽するアールとは対照的に、レインはぷんと頬を膨らましてむくれた。
「ホントだよっ? 目の色でわかるもんっ。あとは微妙なしぐさとか、話し方とか距離感とかっ。そーゆーのでモロバレだもんっ」
「ほえー……?」
再びアホの子化するアール。
「ま、まあ落ち着けよレイン。当事者の俺が言うのも変だけど、それはあんまりにも……」
なんとかこの場を鎮めようと頑張る俺に、レインはぐりんっと勢いよく向き直った。
「勇者様もだよっ? アールのこと意識してるのわかるもんっ。以前にも言ったけど、アールのこと話す時すんごいいい顔するしっ、優しい声出すしっ。あんなのボクにはしてくれたこと一度もないのにっ」
「ほえー……?」
顔を真っ赤にして俺を見るアール。
「待て待て、待てアール、勘違いするなっ。これはあくまでレインの個人的な感想で、乙女の思い込み的なやつで……っ」
俺は必死になって否定したが……。
「と・も・か・く! そうゆーことだからダメなの! ボクは逃げない!」
委細構わず、レインは叫んだ。
自分自身のありったけを口にした。
「勇者様の心を奪われたくないからっ! そんなの絶対いやだからっ!」
『………………』
ふと気がつくと、みんなが俺を見ていた。
おいおまえ、うら若き乙女にここまで言われてなんのリアクションもないのかよというような、責めるような視線を感じる。
「えっと……なんというか、難しいんだけど……」
カーラとの戦いとはまったく異なる別種の戦場に立たされた俺は、戸惑いながらも頑張って話を始めた。
「逃げる逃げないのことに関して言うならば、逃げないよ。今決めたんじゃなく、そう決めてた。正直、怖い気持ちはあるけどさ。ここで負けて捕まったら、この後どんなひどい目に遭わされるんだろうとか考えたり。さすがに内臓食われたことはないけど、それって果たしてどんだけ痛いんだろうとか考えたり……」
でも──
「でもさ、ひとりだけ逃げてもしかたねえって気持ちもあるんだよ。ちょっと恥ずかしい言い方になるんだけど……仲間だから。住む世界も生まれた場所も違うけど、俺たちってここまで、けっこうな危難をくぐり抜けて来たわけじゃん。日にちにしたらわずか数日だけど、もう一生分ぐらいの濃い数日を共に過ごして来たわけじゃん。その仲間をさ、戦友たちを見捨ててひとりだけ助かるなんて……そんなの、苦しいじゃん。そんな光景、想像しただけで泣きそうになって……実際、俺には耐えられないよ。たぶん、ここでとっ捕まって食われるより辛いと思う」
そんな目には遭ったことないけど、たぶん一生、心に残る傷になる──
再生スキルを持ってしても消えない、深い深い傷に──
「んで…………だね」
コホンと咳ばらいをすると、俺は現状最難関の問題についての気持ちを表明した。
「レインの気持ちに関しては、その……あまりに唐突すぎてすぐには答えが出せないというか……。や、その、嬉しくはあるんだぜ? お前ってマジで可愛いし、俺の世界だったらほとんどアイドルみたいな感じで、正直俺みたいなのにはもったいないというか……。ここまでにも何度も助けてくれたし、一緒に馬に乗ってる時の安心感半端ないというか……や、ちょっと喜ばないで。そんな風にはしゃがれると、正直プレッシャーがエグいというか……。その、ねえ? 嬉しくはあるんだけどあまりにそういった経験が無さすぎて、ただただ混乱の極みにあるというのが正直なところでございまして……」
チラりとふたりの顔色を窺うと──
レインははしゃぐのをやめると、一転不安そうな目でこちらを見ている。
アールは手指を絡み合わせ、終始ソワソワと落ち着かなげにしている。
「なあ、アールもそれでいいかな?」
「な、なななななんで我に聞くのか……っ?」
突然話を振られたアールは、顔を赤くしてとにかく狼狽した。
「まあその……状況は理解出来るし、レインや勇者殿の気持ちもわかる……わかった。その上でその……我だって……そうゆーのには今まで縁が無くて……無さすぎて……。正直そんな風に言われてもすぐには答えられないとうか……向き合うにしてももう少し時間が欲しいというか……」
「うん、うん、そうだよなっ。俺も、俺もなんだっ。まさしくそれっ」
「そ、そそそそそうかっ。勇者殿もかっ?」
お互い「それな!」、「そうそれ!」と笑い合い、微妙な連帯感を感じていると……。
「むむむむむうーん!」
実に実に不満そうな顔をしたレインが、俺とアールの間に割って入った。
「ねえねえ、それってつまりはこうゆーこと? 結論に関しては、戦いの後にしようってこと? 後回しにしようって?」
「……う、うん。言ったように、俺たち揃ってこうゆーのにまるで耐性が無いなんで……出来れば……」
「むううううーん……勇者様がそう言うんならしかたないけどさあー……」
レインはいかにも不承不承というようにため息をつくと、俺とアールを交互に見つめた。
「はあー……しかたない。わかったよ。そうゆーことにしよっか。勇者様がどっちを選ぶかは、戦いのその後でってことで。ねえ、そうゆーことで、ふたりとも、了解?」
しょうがない奴らだなという風に、腰に手を当てきつい目つきで睨みつけてきた。
「お、おう……」
「う、うん……わ、わかった」
勢いで承諾させられる、俺とアール。
「はーい。では、戦いの後のお楽しみが増えたということで、みなさんよろしいでしょうか?」
それまで聞き役に徹していたベラさんが、その場を納めるようにパンパンと手を叩いた。
「それでは勇者様、最後の戦いに臨むにあたって、何か景気の良いお言葉をくださいな」
「え、え、え、俺? ここで? このタイミングで?」
「そりゃあそうでしょう。そもそもこの戦いは、勇者様の存在から始まったわけですし」
「う……ま、まあそう言われると……。一応言っとくけど、そんなに上手いことは言えないからな?」
ベラさんに背中を押された俺は、しかたなく締めの言葉を口にした。
「なあ、みんな。泣いても笑っても、これが最後の戦いだ。生きるも死ぬも、この一戦のみだ。みんなで助け合って、必死で戦って……そして勝とう。勝って、こんな陰惨な生活じゃない、明るく楽しい平和な生活を共におくろう」
俺が握った拳を差し出すのに、みんなはぱっと笑顔になって拳を合わせてきた。
「おー、いいじゃんっ。存外まともっ、まともっ。じゃあさじゃあさ、勝ったらどうする? 勇者様、みんな。どこに行って、何をする? 何をしたい?」
レインがにこにこと笑いながら未来の話を始め──
「わたしは温泉がいいですねえー。何せここのとこ、のんびりお風呂につかる間もなくて、泥と血と汗にまみれてもう大変なので……」
ベラさんがやれやれとばかりに肩を揉み──
「お、それはよいな。ならばいったん我が領地に来るといい。素晴らしい眺めの鉱泉があるのだ」
悪魔貴族の娘にして次期当主なアールが、みんなを誘った。
「ふうーん……? ねえアール。それって勇者様をお父さんに紹介しようとかいういやらしい魂胆があるわけじゃないよねえー?」
ジト目になったレインにツッコまれると、アールは目を白黒させた。
「バ、バ、バカモンッ。だ、誰がそのようなことを……っ」
そんな風にレインには言いつつ、チラと俺を窺うアール。
「あ、今勇者様を見たっ。やっぱり図星だっ」
それ見たことかとばかりに、レインが騒ぎ立てた。
「こ、これは違うっ。そうゆーのでは断じてなくてだな……っ」
「むむむむむ、やっぱり油断ならないなあー……。ここはもう少し攻めておかないとかなあー……」
何やらぶつぶつつぶやいていたかと思うと、レインはくるり俺に向き直った。
そして突然、俺の首に手を回して来た。
「え、何? 何するの?」
「何じゃないよ。いつものやつでしょ。戦いの前の勇者様成分補給」
「え、いやだって……これいつもと体勢が違うというか、これじゃまるでキs──」
みなまで言わせてくれなかった。
レインはぐっと顔を近づけるなり、俺の唇に吸い付いてきた。
「???????????」
熱く、激しく、唾液の交換すら伴う大人なそれが、いつもの成分補給と違うのはすぐにわかった。
「いけませんよ、これはいけませんよ、アール様。放っておいてはいけません。今すぐ割って入らないとっ。あ、言っておきますが、わたしはアール様の味方ですので。アール様の想いを成就させるために、全力で支援していく覚悟でおりますので」
「ほええええー……?」
発破をかけるようなベラさんの言葉に、膝をがくがく震わせて過去最大級の動揺を見せるアール。
かたや──
「……ぷはあっ」
顔を離して呼吸したかと思うと、レインは俺にすりすりと頬ずりしてきた。
「はあー、美味しかったっ」なんて言って、これ以上なく幸せそうに。
「と、忘れるとこだった。楽しむだけじゃダメなんだ」
てへとばかりに舌を出すと、レインは俺の唇に嚙み付いてきた。
むちりと嚙み付き、食いちぎった。
「んっぎゃああああああああっ!!!?」
「うん、美味い美味い♪」
「美味いじゃねえええよおおおお! おまえはいったい何をしてくれてんだよおおおお!?」
「だからほら、成分補給。これから激しい戦いがあるんだから、なるべく美味しいところを食べないとでしょ?」
「そんなあっけからんと言う台詞かあああああっ!?」
口元からだらだらと流血しながら文句を言う俺。
「ほら、アール。ベラさんも。遠慮しないで補給、補給♪」
レインは俺から体を離すと、アールとベラさんを誘った。
「アール様。お先にどうぞ。ぐいっと、がぶっと、いつもより激しくいっちゃってください」
アールを応援することを決めているベラさんは、「ささ、どうぞ」とばかりに薦めてきた。
「もう……皆おかしなことばかり……」
アールはぶつぶつとつぶやきながら上目遣いで俺の顔を見た。
モジモジと身を揺すって恥ずかしがる様は、今までに抱いていたアールのイメージとはまるで違うが、あるいはこっちのほうが素なのかもしれない。
考えてみれば、トーコさんとのことさえなければこいつはいいとこのお嬢さんなわけだしな。
「その……非常に申し訳ないのだが……。これは戦略上必要な儀式なので……。深い意味など決してないので……」
さんざん前置きをした上で、レインと同じように俺の唇に吸い付いてきた。
レインが残した唇の傷口から垂れ落ちる血を舐め取った。
「……んっ」
コクンと喉を鳴らして飲み干す様は淫靡であり、恥ずかしそうに顔を赤らめる姿は乙女であった。
大人の女性と少女の入り混じったようなアールの姿に、俺は状況も忘れて見とれてしまった。
正直かなり、きゅんときた。
「ああー、その手できたかっ。なるほどなるほどそうゆー攻め方なわけねっ? たしかに、むっつりな勇者様にはそっちのほうが効果的かもっ?」
頭を抱えて騒ぐレイン。
「せ、攻めとかではないからっ。その、断じてっ」
「まあ、アール様……大人になられて……っ」
「そそそそ、そうゆーのでもないからっ。もう、勇者殿も笑うなっ」
ふたりに茶化されたアールは、怒りの矛先をなぜか俺へと向けてきた。
「元はと言えば勇者殿のせいなのにっ。そんな他人事みたいに笑うなんてっ」
「え、や、俺は別に笑っては……」
たしかにちょっとニヤついてはいたかもしれんけど。
「そんな勇者殿には……こうだっ」
海で水をかけ合う恋人同士みたいな口調とは裏腹に、アールはいきなり俺の頬に嚙み付き、食いちぎった。
「んっぎゃああああああああっ!!!?」
レイン、アールとふたり続けての噛みつき。
衝撃と痛みでうずくまっていると……。
「……ふうーん? 良かったねえ勇者様。これってあれじゃん、勇者様の世界で人気の異世界ハーレム小説みたいな展開じゃん」
「こんなハーレムがあってたまるか! 全員DVヒロインとか作者の良識を疑うわ! ってかなんでおまえは腕組みとかしてじゃっかん不満そうにしてんの!?」
「だって勇者様、アールにされて微妙にニヤついてたし……。ボクとアールと、ほとんど同じことしてるはずなのに……」
「一瞬な!? ホントのホントに一瞬な!? すぐにそれが最悪の間違いであることに気づいたけどな!?」
思い切り反論しているところへ、すすすとベラさんが近づいて来て……。
「次はわたしの番ですが、アール様の手前そうゆーことも出来ませんのでこちらで失礼して……」
手にしたナイフで、いきなり俺の手首を縦に切った。
「んっぎゃああああああああっ!!!?」
噴水のようにドバドバと迸る俺の血を革袋に溜めつつ、「すみませんねえ」と謝るベラさん。
「んぎごおおおおおおおお……っ」
立て続けにいたぶられ、さすがに言葉が出ない俺。
「さ、行こう勇者様。敵がお待ちかねだよ」
「んむ。速やかに戦い、打ち破ってくれようぞ」
「そうですねえー(革袋から血をごくごく)」
「おまえらなああああああー……」
ゆらりと立ち上がると、俺は三人を均等に睨みつけた。
「勝ったら話しがあるからな。覚えてろよ?」
「うん、わかってるよ。そん時に改めて、ボクの気持ちに応えてくれるんだもんね?」
「そ、そうだった……その時までに心の準備を済ませておかないと……っ?」
「アール様、頑張ってー(革袋から血をごくごく)」
ホントに最後の、そして最大の戦いを前にして、まったく緊張感の無いみんな。
頼もしいようなそうでもないような気持になりながら、俺は言った。
「ちくしょう……いいか? みんな、全力で生き残れよ? そうでないと俺は絶対納得しないから。言われっぱなしやられっぱなしじゃ納得してやんねえから」
再生した頬を両手で張って気合いを入れると、俺は一歩を踏み出した。
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