無愛想な君

凛明麗羅

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君と七月の雨

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 講義からの帰り道、階段を降りながら気温と梅雨に脳内で悪態をついていたら、突然階段を登ってくる人影に話しかけられた。

「アッシュ先輩」

 立ち止まって声の主を見ると、いつか合コンで話した工学部の後輩だ。アッシュを探していたわけではなさそうだったが、続けて話しかけられたため廊下に移動して話を聞くことになった。ナインは過去問をくれる約束をした先輩を探していたらしい。
 3年と1年はカリキュラムが異なるため微妙に試験期間がずれていて、3年のアッシュはすでに休暇前の試験は終わっている。そういえば1年では夏の長期休暇の直前に試験があったな、と思い出す。ナインが探している学生はまだ講義室にいると伝えて、そのまま去ろうとしたら引き止められた。

「先輩、気象と地学の授業取ってましたか?」
「取っていた」
「それなら、その過去問もらえませんか? 約束している先輩は社会学の単位は別の講義で取ったらしくて」

 湿度が高くてイライラしていたが、かつて自分も先輩の過去問にお世話になったことを思い出し、ナインの申し出を了承した。

「お前、この後暇か?」
「過去問をもらう以外は何もないです」
「じゃあ終わったら俺の家まで取りに来い。ここから自転車で10分もない。その間に1年の過去問をどこにやったか探しておく」

 え、と驚くナインに学生アパートの名前と部屋番号を耳打ちして歩き出す。過去にお世話になった先輩に免じて過去問は渡してやるが、面倒ごとは早く終わらせるに限る。階段を降りながらナインの方を見た。目を見開いてこちらを見ている。

「お前が探してる奴、待ってるだろうから早く行ってやりな。それと、グーグルマップにアパート名入れたらすぐ出るから」



 アッシュは外に出て傘をさした時、住所だけ教えて取りに来させるのは早計だったと思った。今日は雨だ。面倒ごとだとしても、別に今日でなくともいい。わざわざ雨の日でなくてもいいだろう。そう頭をよぎったが、連絡先を渡していないからどうしようもない。
 イヤホンをして流行りの曲を聴きながら歩いていたら、家のほど近くで後ろから肩を叩かれた。
 驚いて振り返ると、雨の日だというのに大変にこやかな顔のナインがいた。傘もささず、髪の毛から顔から水が滴っている。

「間に合った」
「お前、どうして。とりあえず入れよ」

 普段なら傘を半分貸すことなどないが、ナインのあまりの濡れ具合に思わず手招いてしまった。ナインは自分が濡れることを気にしていない様子だ。自分よりやや大きく、体格も顔もいい男が雨に打たれている姿は目を引くものがある。大した関わりはないが、何となく明るい性格で性的なことと遠そうだと思っていたナインから男くさい色気を感じて納得した。2こ下で未成年といえど、男は男だ。

「ありがとうございます」

 そんなに急がなくても、濡れ鼠になってまで過去問が欲しかったのか、それともさっさと貰って退散しようという気なのか。アッシュはナインの内情を図りあぐねた。

「とにかく、もう少しで家だ。さっさといこう」

 二人して小走りでアッシュのアパートに向かった。
 ナインはアパートの軒下で待つと言ったが、こんな日に呼びつけた上、びしょびしょのまま外にほったらかすほど薄情にはなれない。過去問を渡すにも濡れたままでは都合が悪いし、何より自分の後味が悪いからと、ナインの荷物をはぎ取ってシャワーに向かわせた。アッシュの部屋は学生アパートにありがちな古いワンルームで、綺麗でも汚くもないありきたりな部屋だ。たまにサークル仲間も来るし、急に人を上げても問題ない。
 ナインがシャワーを浴びている間にナインの荷物を軽く拭いてやり、脱いである服を脱水にかけ、アッシュは部屋着に着替えた。

「先輩、シャワーお借りしました。それで、俺の服は」
「濡れてたから脱水にかけた。代わりにそこの服を使ってくれ」
「濡れていても大丈夫です。服まで借りるのは…過去問を貰ったらすぐ帰るので」
「いいよ、俺が呼びつけだんだ。それにほら」

 窓の外を指さす。ゴロゴロと夏らしい雷の音と、さっきより強い雨音が聞こえてくる。

「傘は貸すけど、そんなに急がなくてもいい。雨足が弱まるまでここにいれば」

 ナインはそういうなら、と俺の出した服に着替えた。窓辺に置いた小さなテーブルと椅子に案内し、座らせる。アッシュは棚から過去問を引っ張り出した。マットレスに腰掛けながらナインに手渡す。
 ナインは礼を言って中身を確認し、机に置く。そして軽く整頓された室内を見渡した。アッシュは適当にスマホを眺めて暇を潰している。

「先輩って優しいですね」

 ナインがそう話しかけても、アッシュは顔を上げなかった。そっけなく、そう、と答えた。ナインは気後れすることもなく続けて言った。

「いや、会って2回目なのに過去問くれて部屋まで上げてくれるの、すごい優しいですよ」
「別に。たまたまだ」

 過去問は置いておいて、アッシュはこの容姿の良い後輩に親しく思われる心当たりがなかった。この前の合コンが初対面で、今日のことだって偶然だ。大して話もしていない。アッシュはどちらかというと遠巻きにされることが多いので、距離を縮めたい雰囲気を出しているナインがよくわからなかった。ナインが立ち上がり、マットレスに腰掛けるアッシュの横にきた。

「ここに座っても?」

 頷くと、ナインは太腿を押し付けるほど近くに座った。さりげなく離れたが、さりげなく距離を詰められる。更に、太腿に手を置かれる。

「何を……」
「先輩ってかっこいいですね」
「は?」

 アッシュはなんとなく身構えたが、ナインの物言いが全く含みのない様子だったため呆気に取られた。少し前のめりなナインが目を合わせてくる。瞳が綺麗で、アッシュは邪な考えで身構えたことを後悔した。ナインの様子は2つ年上の先輩に憧れる純粋な新入生そのものだった。

「顔立ちとかスタイルとか、後はなんというか、オーラ?」
「同じような奴なら五万といるだろ。お前が1年だからそう思うだけだ」
「そうですかね? かっこいいなって思う人はたくさんいますけど、こんなに目を惹かれたのは初めてなんです。きっと先輩にはすごい魅力があるんだろうって」

 アッシュは不思議な気分だった。顔と仄暗い雰囲気に惹かれた誰かに言い寄られることはあっても、年下の同性から憧れのような眼差しで見つめられたことはなかった。
 アッシュは軽音サークルに所属しているが、後輩は人好きのする明るい同級生と話していることが多い。後輩だけでなく、誰に対しても無愛想な方だ。黙って音楽をするだけでも許される空気が軽音サークルにはあって、そういう人間は自然と同じような人間とバンド組んでいる。大学に入るまでも一匹狼で、そのくせ顔が目立つから、いつだって友人は少なかったし、作るのも面倒に思うぐらいだった。
 ナインはアッシュと正反対なように思える。明るくて、誰にでも親しげで、集団の真ん中にいるような人間。

「何を見てそう思ったのかは分からないが、俺はそんなのじゃない。あまり参考にしないほうがいい」

 生真面目に答えたアッシュが面白かったのか、ナインはくすっと笑った。

「参考にしたいわけじゃないんです、先輩って俺とは全く違うっていうか、それがかっこよくて」
「ふうん」

 依然として距離は近く、変な奴だと思ったが、不思議と腹立たしくはなかった。取り止めもない会話が続いたのは、アッシュのそっけない返事でも自然に楽しげに会話するナインに悪い気がしなかったせいだろう。どうせ学年も違ってそう会うこともない、雨が落ち着くまでだと思えば、普段の不遜な態度も鳴りをひそめてお互いのサークルや工学部のことについてポツポツと話した。

「じゃあ、お邪魔しました。過去問、ありがとうございます」

 雨はすぐに上がった。玄関を出て、嘘のように晴れた空を背負ったナインが帰って行くのをアッシュはただ見送った。
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