3 / 8
君とアイスコーヒー
しおりを挟む
全学年が長期休みに入り、アッシュとナインは二度と出会わないかと思われた。アッシュは過去問とナインのことなど一瞬で忘れていた。夏の休暇はサークル活動が盛んで、無愛想なりに上手くやっている軽音の仲間たちと練習やライブをしたり、資金のためにバイトを増やしたりと忙しない毎日を送っていた。
そんなある日、アッシュのバイト先のカフェにナインが来た。
「いらっしゃいませ」
いちいち客の顔を確認していないから、目の前で立ち止まった客が知り合いだと気づかなかった。配膳のために移動したいのに、通路に大柄な男が構えていて通れない。お客様、と声をかけるとやっと端に寄ってくれた。
「アッシュ先輩…?」
振り返ると、二度と話す事はないと思っていたナインが驚いた顔でこちらを見ている。ばつが悪い。知り合いに会いたくないからわざわざ学校から離れた繁華街でバイトをしているのに、偶然会うなんて。放っておくとずっとその場に立っていそうだったため、客として席に座らせた。
「アッシュ先輩! ここでバイトしているんですか?」
接客に隙ができるとすぐさまナインは話しかけてきた。アッシュは面倒でたまらなかった。他の客の目もある、変に立ち止まりたくなくて、知らないふりをして厨房に引っ込んむ。幸い店長に事情を話してナインが帰るまでのしばらく、裏での仕事にしてもらえた。しかし、昼の営業が終わる時間になってもナインは席に居座っている。
普段なら閉める準備をし始める店長が困った顔でアッシュに言ってきた。
「アッシュくん、あの子まだいるよ? そろそろ夜の準備をしたいし、少し話してきたら?」
夜はバーとして営業するため、昼は15時まで。バーテンダー見習いとして夜の接客をする事もあるが、残念ながらアッシュの今日のシフトは昼の終わりまでだった。
「帰らないのか?」
ナインは軽食と、コーヒーを3杯頼んでいた。最後に頼んだアイスコーヒーをちびちび飲んでいるナインにアッシュは話しかけた。
「先輩!」
何がそう嬉しいのか。ナインの持っているアイスコーヒーのグラスは、結露して机の上までびちゃびちゃだった。
「もう昼の営業は終わりだ。俺は上がるから、お前も外に出てろ」
「そうだったんですね、すみませんでした。あの、待っていてもいいですか?」
「最初からそのつもりだったんだろ?」
そういってアッシュは帰り支度をしに更衣室に戻った。ナインは残りのコーヒーを一気に飲み干し、そそくさと荷物をまとめている。勝手に帰っていてくれてもいいのだが、あの調子だと期待できない。
「お疲れ様です」
「ああ」
アッシュは自分から何かを話すつもりはなかった。話す事もない。なぜナインがアッシュと話したいのか全く分からない。サークルも学年も違うし、何より同じ世界に生きているとは思えないほど中身が違う。あの雨の日にてらいなく会話できたことが不思議だ。
「たまたま入ったカフェに先輩がいて、無性に話したくなったんです。迷惑だったらすみませんでした」
「そうだな」
「大学から離れたところで働いてるんですね。先輩がカフェで働いているなんて以外でした」
「そうか? 知り合いに会いたくなくてここにしたんだけど、無駄だったみたいだ」
アッシュはぶっきらぼうに返した。さっきカフェの前で待っていたナインの姿は、粋に染めた髪色と整った顔立ち、シンプルな夏服にキャンバス地のトートバッグを持ったいかにも大学生という出で立ちで、アッシュには眩しく感じられた。アッシュはそれなりにファッションも好きだが、もっぱらモードっぽい服ばかりで年中真っ黒だからかもしれない。
「俺は先輩に会えてよかったです。普段は話す機会もないですから」
アッシュの嫌味もナインは気付いているのか、いないのか。
聞けば、フットボールサークルで使うスポーツ用品を買いに来ていたようだった。昼も過ぎて小腹が空いたから入ったのが、アッシュの働く店だったらしい。確かにこの辺りはファッションビルやスポーツショップと通りを挟んでいる。
「前に話した時、軽音でギターしてるって言ってましたよね?」
「ああ」
「俺も聞きにいけたりしないですか?」
「え?」
まじまじとナインの顔を見た。
「友達に軽音の子はいなくて。大学のバンドってどんな感じなのか気になっているんです」
ナインの印象深い瞳がきらりと光ったような気がした。もちろんアッシュがそう思っただけで、実際にはそんなことはなかったが。そういえば前もこんな瞳で見つめられた気がする。あの雨の日に隣に座った時。
「ライブとかするなら行ってみたいです」
ナインが今日バイト先にきたことは嬉しくなかった。他の客やスタッフの前で知り合いと話すのは居心地が悪い。サークルメンバーの前で話すのも嫌だ。でも、この青年が己のライブに来て目を輝かせているところは見てみたいと思った。ライブを観た後、どんなことを話すのだろうか。
「9月にある文化祭、ステージでライブすることになってる」
「え、アッシュ先輩もでるんですか! 見に行きます!」
ライブをみるだけという話だったのに、いつの間にかライブの後に会うことになっている。アッシュも悪い気はしなかった。バイトが終わる時にあった嫌な気持ちは、ナインと話している間にどこかに消えた。
何だか妙なことになったな、とアッシュは思った。
そんなある日、アッシュのバイト先のカフェにナインが来た。
「いらっしゃいませ」
いちいち客の顔を確認していないから、目の前で立ち止まった客が知り合いだと気づかなかった。配膳のために移動したいのに、通路に大柄な男が構えていて通れない。お客様、と声をかけるとやっと端に寄ってくれた。
「アッシュ先輩…?」
振り返ると、二度と話す事はないと思っていたナインが驚いた顔でこちらを見ている。ばつが悪い。知り合いに会いたくないからわざわざ学校から離れた繁華街でバイトをしているのに、偶然会うなんて。放っておくとずっとその場に立っていそうだったため、客として席に座らせた。
「アッシュ先輩! ここでバイトしているんですか?」
接客に隙ができるとすぐさまナインは話しかけてきた。アッシュは面倒でたまらなかった。他の客の目もある、変に立ち止まりたくなくて、知らないふりをして厨房に引っ込んむ。幸い店長に事情を話してナインが帰るまでのしばらく、裏での仕事にしてもらえた。しかし、昼の営業が終わる時間になってもナインは席に居座っている。
普段なら閉める準備をし始める店長が困った顔でアッシュに言ってきた。
「アッシュくん、あの子まだいるよ? そろそろ夜の準備をしたいし、少し話してきたら?」
夜はバーとして営業するため、昼は15時まで。バーテンダー見習いとして夜の接客をする事もあるが、残念ながらアッシュの今日のシフトは昼の終わりまでだった。
「帰らないのか?」
ナインは軽食と、コーヒーを3杯頼んでいた。最後に頼んだアイスコーヒーをちびちび飲んでいるナインにアッシュは話しかけた。
「先輩!」
何がそう嬉しいのか。ナインの持っているアイスコーヒーのグラスは、結露して机の上までびちゃびちゃだった。
「もう昼の営業は終わりだ。俺は上がるから、お前も外に出てろ」
「そうだったんですね、すみませんでした。あの、待っていてもいいですか?」
「最初からそのつもりだったんだろ?」
そういってアッシュは帰り支度をしに更衣室に戻った。ナインは残りのコーヒーを一気に飲み干し、そそくさと荷物をまとめている。勝手に帰っていてくれてもいいのだが、あの調子だと期待できない。
「お疲れ様です」
「ああ」
アッシュは自分から何かを話すつもりはなかった。話す事もない。なぜナインがアッシュと話したいのか全く分からない。サークルも学年も違うし、何より同じ世界に生きているとは思えないほど中身が違う。あの雨の日にてらいなく会話できたことが不思議だ。
「たまたま入ったカフェに先輩がいて、無性に話したくなったんです。迷惑だったらすみませんでした」
「そうだな」
「大学から離れたところで働いてるんですね。先輩がカフェで働いているなんて以外でした」
「そうか? 知り合いに会いたくなくてここにしたんだけど、無駄だったみたいだ」
アッシュはぶっきらぼうに返した。さっきカフェの前で待っていたナインの姿は、粋に染めた髪色と整った顔立ち、シンプルな夏服にキャンバス地のトートバッグを持ったいかにも大学生という出で立ちで、アッシュには眩しく感じられた。アッシュはそれなりにファッションも好きだが、もっぱらモードっぽい服ばかりで年中真っ黒だからかもしれない。
「俺は先輩に会えてよかったです。普段は話す機会もないですから」
アッシュの嫌味もナインは気付いているのか、いないのか。
聞けば、フットボールサークルで使うスポーツ用品を買いに来ていたようだった。昼も過ぎて小腹が空いたから入ったのが、アッシュの働く店だったらしい。確かにこの辺りはファッションビルやスポーツショップと通りを挟んでいる。
「前に話した時、軽音でギターしてるって言ってましたよね?」
「ああ」
「俺も聞きにいけたりしないですか?」
「え?」
まじまじとナインの顔を見た。
「友達に軽音の子はいなくて。大学のバンドってどんな感じなのか気になっているんです」
ナインの印象深い瞳がきらりと光ったような気がした。もちろんアッシュがそう思っただけで、実際にはそんなことはなかったが。そういえば前もこんな瞳で見つめられた気がする。あの雨の日に隣に座った時。
「ライブとかするなら行ってみたいです」
ナインが今日バイト先にきたことは嬉しくなかった。他の客やスタッフの前で知り合いと話すのは居心地が悪い。サークルメンバーの前で話すのも嫌だ。でも、この青年が己のライブに来て目を輝かせているところは見てみたいと思った。ライブを観た後、どんなことを話すのだろうか。
「9月にある文化祭、ステージでライブすることになってる」
「え、アッシュ先輩もでるんですか! 見に行きます!」
ライブをみるだけという話だったのに、いつの間にかライブの後に会うことになっている。アッシュも悪い気はしなかった。バイトが終わる時にあった嫌な気持ちは、ナインと話している間にどこかに消えた。
何だか妙なことになったな、とアッシュは思った。
0
あなたにおすすめの小説
オッサン課長のくせに、無自覚に色気がありすぎる~ヨレヨレ上司とエリート部下、恋は仕事の延長ですか?
中岡 始
BL
「新しい営業課長は、超敏腕らしい」
そんな噂を聞いて、期待していた橘陽翔(28)。
しかし、本社に異動してきた榊圭吾(42)は――
ヨレヨレのスーツ、だるそうな関西弁、ネクタイはゆるゆる。
(……いやいや、これがウワサの敏腕課長⁉ 絶対ハズレ上司だろ)
ところが、初めての商談でその評価は一変する。
榊は巧みな話術と冷静な判断で、取引先をあっさり落としにかかる。
(仕事できる……! でも、普段がズボラすぎるんだよな)
ネクタイを締め直したり、書類のコーヒー染みを指摘したり――
なぜか陽翔は、榊の世話を焼くようになっていく。
そして気づく。
「この人、仕事中はめちゃくちゃデキるのに……なんでこんなに色気ダダ漏れなんだ?」
煙草をくゆらせる仕草。
ネクタイを緩める無防備な姿。
そのたびに、陽翔の理性は削られていく。
「俺、もう待てないんで……」
ついに陽翔は榊を追い詰めるが――
「……お前、ほんまに俺のこと好きなんか?」
攻めるエリート部下 × 無自覚な色気ダダ漏れのオッサン上司。
じわじわ迫る恋の攻防戦、始まります。
【最新話:主任補佐のくせに、年下部下に見透かされている(気がする)ー関西弁とミルクティーと、春のすこし前に恋が始まった話】
主任補佐として、ちゃんとせなあかん──
そう思っていたのに、君はなぜか、俺の“弱いとこ”ばっかり見抜いてくる。
春のすこし手前、まだ肌寒い季節。
新卒配属された年下部下・瀬戸 悠貴は、無表情で口数も少ないけれど、妙に人の感情に鋭い。
風邪気味で声がかすれた朝、佐倉 奏太は、彼にそっと差し出された「ミルクティー」に言葉を失う。
何も言わないのに、なぜか伝わってしまう。
拒むでも、求めるでもなく、ただそばにいようとするその距離感に──佐倉の心は少しずつ、ほどけていく。
年上なのに、守られるみたいで、悔しいけどうれしい。
これはまだ、恋になる“少し前”の物語。
関西弁とミルクティーに包まれた、ふたりだけの静かな始まり。
(5月14日より連載開始)
壁乳
リリーブルー
BL
ご来店ありがとうございます。ここは、壁越しに、触れ合える店。
最初は乳首から。指名を繰り返すと、徐々に、エリアが拡大していきます。
俺は後輩に「壁乳」に行こうと誘われた。
じれじれラブコメディー。
4年ぶりに続きを書きました!更新していくのでよろしくお願いします。
(挿絵byリリーブルー)
経理部の美人チーフは、イケメン新人営業に口説かれています――「凛さん、俺だけに甘くないですか?」年下の猛攻にツンデレ先輩が陥落寸前!
中岡 始
BL
社内一の“整いすぎた男”、阿波座凛(あわざりん)は経理部のチーフ。
無表情・無駄のない所作・隙のない資料――
完璧主義で知られる凛に、誰もが一歩距離を置いている。
けれど、新卒営業の谷町光だけは違った。
イケメン・人懐こい・書類はギリギリ不備、でも笑顔は無敵。
毎日のように経費精算の修正を理由に現れる彼は、
凛にだけ距離感がおかしい――そしてやたら甘い。
「また会えて嬉しいです。…書類ミスった甲斐ありました」
戸惑う凛をよそに、光の“攻略”は着実に進行中。
けれど凛は、自分だけに見せる光の視線に、
どこか“計算”を感じ始めていて……?
狙って懐くイケメン新人営業×こじらせツンデレ美人経理チーフ
業務上のやりとりから始まる、じわじわ甘くてときどき切ない“再計算不能”なオフィスラブ!
タトゥーの甘い檻
マリ・シンジュ
BL
執着系わんこ攻(大学生)× 高潔な美形教授受(30代)
どのお話も単体でお楽しみいただけます。
「先生、ここ……僕の瞳を入れるから。ずっと、僕だけを見てて」
真面目な大学教授・新城が、大学生の・羽生にだけ許した、あまりにも淫らな「わがまま」。
それは、誰にも見えない内腿の奥深くに、消えないタトゥーを刻むこと。
「下書き」と称して肌を赤く染めるペン先の冷たさ。
アトリエの無機質なライトの下、四つん這いで晒される大人の矜持。
ずっと年下の青年の、必死で、残酷で、純粋な独占欲。
愚かだと知りながら、新城はその熱に絆され、ゆっくりと「聖域」を明け渡していく――。
「……お前のわがままには、最後まで付き合う」
針が通るその時、二人の関係は一生消えない「共犯」へと変わる。
執着攻め×年上受け、密やかに刻まれる秘め事のお話。
有能課長のあり得ない秘密
みなみ ゆうき
BL
地方の支社から本社の有能課長のプロジェクトチームに配属された男は、ある日ミーティングルームで課長のとんでもない姿を目撃してしまう。
しかもそれを見てしまったことが課長にバレて、何故か男のほうが弱味を握られたかのようにいいなりになるはめに……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる