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記憶
しおりを挟む小学校を後にして、実家の部屋に戻った石川は大の字に寝転がり、しばらく宙を見つめていた。ようやく動悸が治まり、古い記憶を手繰り寄せ始めていた。
秋晴れの突き抜けるような青い空の下、グラウンドを沢山の人達が取り囲んでいる。
それは、石川が小学校六年生の時の運動会の記憶だった。
石川はその時、リレーのメンバーに選ばれていて、しかもアンカーだった。
ライバルは幼なじみのコウイチで、いつも日が暮れるまで一緒に遊んでいた親友だった。
コウイチは何でも出来て、野球もケンカも勉強もすべて石川よりも勝っていた。
だから、女の子からも人気があり、石川もコウイチのことが好きだったけれど、いつかどこかで、一度はコウイチに勝ちたいとずっと思っていた。
リレーの練習では、石川が逃げ切るケースがあったり、コウイチに抜かされるケースもあったりしたが、石川がコウイチを抜き去るケースは皆無だった。
だから、当日は、願わくは、かなりのリードを拡げた展開でバトンが渡ってくるか、でなければ、いっそ負けた展開でバトンが来ればいいと思っていた。
ーアンカーで抜かされる、それだけは避けたかったー
グラウンドを覆うほどの歓声が広がり、石川のチームが4~5mのリードを保って、いよいよアンカーの石川の番まで来た。
心臓が破裂しそうなほど鳴り、足が震えた。
隣には、コウイチがいる。二人とも、構えた。
バトンを受け取ると、石川は必死になって走った。
コウイチとの差は、それ程ない。とにかく走れ、逃げろ、必死だった。
もう歓声は消えていた。
あと僅か、最終のコーナーまで来た時、石川は一瞬、後ろを振り返った。
コウイチはすぐそこにいた。
焦った。その瞬間、足がすべってアッという間に転んだ。
ダメだ、抜かされる、そう思った刹那、石川は右足をほんの一足分、外側へ動かした。
すると、測ったように、その右足がコウイチの足をひっかけた。
コウイチは、プールに飛び込むような格好で石川の頭上を越えて転倒した。
結局、先に転んだ石川の方が、起き上がるのも早く、そのままゴールを切った。
同じチームの仲間にモミクチャにされた。
振り返ると、コウイチが腕を顔に押し付けて、泣きじゃくっていた。
膝から、血が流れていた。
石川はその時のコウイチの膝から流れ出る、泥と混ざり合った血の色をハッキリと思いだすことが出来た。
だが自分がその時にどんな気持ちでいたのかは、うまく思い出せなかった。
それと、どうして今まで、何十年と思い出すことがなかったのか、不思議だった。
コウイチとは、その運動会以来、殆ど話しをした記憶がない。小学校を卒業すると、中学では同じクラスになることも無かったし、クラブ活動も別々の競技だった。
高校はコウイチが何処へ行ったのかさえ、石川は知らなかった。
―コウイチは俺がわざと足を出したのを知っているのだろうか?―
ふいにその問いが、石川の頭の中を埋めつくした。
翌日、石川は、いつものように地御前の海岸で時間を過ごし、夕方になってから小学校へ向かった。
グラウンドでは、子供たちがサッカーをしていた。
二〇名くらいの小学生に、数人の大人がコーチをしている。
その中の一人に見覚えのある顔があった。石川は、思い切ってグラウンドに入り、その顔を確認した。同級生の鈴木に違いなかった。
鈴木は、途中で石川の方に気づき、しばらく不審気に見ていたが、急に顔つきが変わり、
「おーっ、ケンか?ケンじゃろ」
と叫ぶように言って、石川の近くまで、かけて来た。
「久しぶりじゃのー?帰ってきたんか?」
と、子供の頃と変わらない人なつっこい顔をして鈴木は言った。
「そうなんよ、最近、仕事を失のうてね」
石川はなるだけ明るく、そう言った。
「おー、マジでっ!」
それから、しばらくお互いの近況を報告しあった後、石川はコウイチのことを尋ねた。
「アイツなら元気よ。一緒にサッカー教えよるよ、今日は来んけどね」
「良かったら、みんなで飲めんかね?」
と、石川は自分でも思いがけない事を言った。
その日の夜に、早速、鈴木から電話があり、次の土曜日にみんなで会うことになった。
「ありがとう」
と、最後にそう言って、石川は電話を切った。
全く出世とは、程遠かったから、幼なじみと会うのは抵抗があったが、どうしてもコウイチに確認しておきたいことがあった。
土曜日、石川は指定された居酒屋へ足を運んだ。
隣町の小さな商店街の入り口にある、小さなお店で、中に入ると、すでに鈴木とコウイチが座って待っていた。
久しぶりに見るコウイチは、すっかりオジサンの貫禄を醸し出していて、白髪まじりの短髪に日焼けした顔から白い歯をだして、石川を見つけると大きく手を振った。
その姿を見たとき石川は既視感を感じた。
「ケン、久しぶりじゃのー」
とコウイチが言い、
「ホンマ、何年ぶりかね。中学以来とか?」
と石川が答えた。それに対して、鈴木が指を折りながら数えようとすると、
「ホンマに数えるなや、年とったんが判るじゃろう」
とコウイチが言ったので、みんなで笑った。
初めは、少しぎこちなかった会話も、アルコールが入ると、次第に明るく盛り上がって、互いの近況や昔話に花が咲いた。
鈴木は、実家のカキ養殖業を継いでいて、従業員もいる社長で、結婚はしているが、子供はいなかった。コウイチは、色々と職は変ったようだが、今は工務店に勤めていて、奥さんはミス何とかで、小六と小三の男の子がいた。
そして、コウイチも鈴木も小学校でサッカーを教えているのだった。
楽しかった。
本来なら石川は失業中の身であるから、引け目をずっと感じてもいい筈なのに、そんな気にはならなかった。二人とも気を使ってくれているのだろうと、思った。
アッという間に時間が過ぎ、酒の弱い鈴木が酔いつぶれた。
「こいつもの、結構、仕事が大変なんよ」
と、コウイチが言った。
たとえ、従業員が3名の会社でも、社長となると、かなりのプレッシャーがあるらしかった。
その時、ふと石川は、ソース会社の社長の顔が浮かんだ。
決して、クビにしたかった訳じゃない。
突然、湧き起った考えだったが、それは確信として石川の中で膨らんだ。
それから石川は、今夜どうしても聞いておきたいことを漸く口にした。
「コウイチ、小学校の最後の運動会、覚えとる?」
一瞬、コウイチの顔色が変った。
「覚えとるよ、リレーじゃろ」
「そう」
「こけたよね、ワシら」
コウイチは覚えていた。
石川は胸が苦しくなったが、言わなければならないと思った。
「あの時、俺、わざと足を出したんよ」
「知っとるよ。やられたー思うたもん」
と言ってコウイチは口の端に笑みを浮かべた。
「知っとった?」
「うん、まわりは判らんかったかも知れんけど。俺は、わかったよ。じゃけえ、俺も手を出したんよ」
「え?」
意味が判らなかった。
「知らんかったじゃろ。仕返しにケンの足をつかもうとしたんじゃけど、スルリと逃げられた」
知らなかった。何と言っていいのか判らなかった。
その事実を知ったからといって、自分のズルさが軽減される訳ではないと、石川は思った。
コウイチは続けた。
「でもね、一人だけ。オヤジだけは、全部見破っとたんよ、ケンが足出したんも、俺が手を出したんも。帰ってから死ぬほど、怒られたよ」
「何て?」
「卑怯なマネするな、言うてね」
石川は何も言えなかった。
卑怯なのは俺の方だった。代わりに
「親父さん、元気なん?」
と聞いた。
「うん、元気よね、まだ漁に出よるんよ」
コウイチの親父さんは漁師だった。
小さい頃に一緒に石川も釣りに連れて行ってもらった記憶がある。
さっき、コウイチを見て感じた既視感は間違いなく親父さんの姿だと、石川は思った。
その後、店を出て、殆ど立ち上がることの出来ない鈴木をタクシーに乗せて、石川とコウイチは歩いた。そのまま一緒にタクシーに乗って帰っても良かったのだが、何となく地御前まで二人で歩くことにした。
空を見上げると星は無かった。
いつもより湿度が高く、カキ打ち場からの匂いが強かった。
「娘ってかわいいね?」
と、コウイチがふわりと聞いた。
「まあ、可愛いけどね、4年生くらいになると結構、辛辣なこと言うよ」
「しんらつ?」
石川は、それには答えずに、
「何かね、嫁さんよりも、ずけずけ物言うよ。で、これが結構当たっとる訳よ」
と、苦笑い交じりに言った。
「そうなんじゃ」
「じぇけえ、失業中じゃろ。逃げるようにしえ帰ってきたんよ」
本当のことだった。それから
「そっちは?男の子は?」
と石川は聞いた。
「可愛いよ。けどね、ちょっとアホじゃね」
ハハハッと二人で笑った。
「サッカー教えよるじゃろ」
二人の息子もサッカーをしているらしい。
「まあ、いろんな子がおるんじゃけと、真面目な子供ほど、ミスしたらうつむくんよ」
とコウイチは言った。
サッカーの話題は唐突に感じたが、コウイチは続けた。
「そんな時はね、『トライアゲイン!』って大きい声で言うちゃるんよ。ミスの無い試合なんて無いんじゃけえ、とにかくミスしてもうつむくなと。気にせずにドンドンやれってね」
きっとコウイチは、サッカーの話をして俺を励まそうとしているのだろうと石川は思った。
ミスのない試合はない。同じように失敗のない人生などないのだ。
幼なじみの言葉は、書店に並ぶどんな人生指南書よりも重く石川の心に届いた。
ートライアゲインー 石川は呟いた。
それから石川は自分の癖について少し考えた。
運動会のリレーも、会社で行った行為も、根っこは同じではないか。
小学生の頃から何も変っていない。負けたくなかった。勝ちたかった。
それ故に生じた出来事だったけれど、あっさりと潔く負ければ、それでよかったのか、石川にはよく判らなかった。
ただ、一つ言えるのは、その癖は、まだこれからも自分の人生についてまわるだろう。多分きっとそうなのだ。
もっと簡単に負ける癖をつけようか。
けれど、それは逆につまらない奴になってしまう様な、そんな風にも石川は思うのだった。
「しばらくおるんね?」
と、コウイチは殆ど酔いの覚めた顔で言った。
「来週くらいに、戻ろうか思うとる」
「ほうね、じゃあ今度帰ってくる時は、奥さんと娘を連れてきんさい」
「わかった、そうするわ」
そう言って、そこだけ明るい地御前の市電の駅前で、握手をして別れた。
コウイチの手は柔らかくて、温かった。
コウイチも鈴木もいい奴だったな、自分の幼なじみはいい奴だったのだと思うと石川は嬉しかった。
そして石川は、自分はもう一度、頑張れるのだろうか?と思った。
思った後にすぐにその問いを打ち消した。出来るかどうかではない、やりたいかどうかだ。
俺はもう一度、やりたい。もう一度、走りたい。もっともっと戦ってみたいのだ。
そう思うと久しぶりに、体の内側から力が湧いてくるのを感じた。
その時、ポツリと大粒の滴が石川の頬に落ちた。
空を見上げると、又、落ちた。久しぶりの雨のようだ。
みるみる内に雨脚は強くなり、石川の顔や身体をズブズブと濡らしていった。
コウイチは雨に会わなかったか、少し気になった。
俺は、もう少し雨に打たれていよう。
石川は、見上げたまま両手を大きく広げ、いつまでも雨に打たれつづけた。そして、
「トライアゲイン」
と、激しくなる雨音に負けないように、でっかく呟いた。
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