憲法改正と自殺薬

会川 明

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独裁-4

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「なかなかひどいですね」



「はい。今思い返すと非常に恥ずかしいです。自由とは他人に迷惑をかけないことだと嘯き、その実、対話のない自重ばかりの貧相な公共意識、事実をきちんと捉えようとしない不勉強さ、そしてそれを良しとして怠けるための免罪符として『反日かよ』という言葉は機能していたのだと今は思います。



 人は自分が所属する組織をバカにされたと感じたら無意識に反感を持ってしまうものです。非常に幼稚な感情ですが、自分の世界を防衛するのにとても便利な言葉でもありました。



 更に加えて言えば、こういった言葉を好み、幼稚なナショナリズムに陥る人々も一定数居たようです。彼らはネトウヨと呼ばれていました。その声の大きさにも関わらず、本当はものすごく少数の人々なのではないか?という疑いも持てます。なぜなら、ネットの中が彼らの主戦場ですから。



 彼らはもしかしたら、あの手の汚水のようなスープを刺激的だと感じ、美味しいと勘違いしてしまった人々なのかもしれません。人の脳は刺激を追い求めるものですから。それが本当に『幸福』に基づいているのかは問題になりません。



 しかし、友人が冗談で言うということからみても、それなりにそういった言説は巷間に流布されており、心情も怠惰な私や友人たちとそう離れたものではなかったように思います。少なくとも同じようなタネは多くの大衆の心の内にあり、それが凶暴な形で他者を排撃しようとするまでに育ってしまったのがネトウヨと言われる人々だと思います。



 ちなみに、新聞は信じずともネットの情報は真実だとなぜか無批判に信じてしまう人々が相当数居たように思います。



 新聞は各紙の偏りさえ知っていれば有益な情報源になってくれる可能性が昔はありました。



 確かに便利な面はありますが、ネットの情報の半分は不正確か不足した情報に、嘘まで紛れ込んだものだということは、書籍に当たって何か一つの物事を調べた経験のある人はわかるはずです。



 情報が溢れすぎて、情報との距離のとり方が難しくなった時代だったとも思えます。気づかぬ内に取り込まれているということもあったでしょう。



 いずれにせよ、信じる、信じないではなく、あくまでもこのメディアではこう言っているのだなという一歩引いた目が必要だったと思います。その上で自分の意見を生成していくことが重要です。



 私の話も同じことです」



 老人は少し微笑んで言った。



「話を戻しましょう。



 これらの無関心層、B層、ネトウヨ層は大衆の中の多数派でした。彼らに共通して言えることは『都合の良い世界しか見ようとせず、それを守るためには不都合な真実は知ろうとせず、時には排撃すらしようとする態度を有する』と言えるでしょう。こういった人々のことを『反知性主義者』と言います」



 寛はそれらを咀嚼するように頷いた。



「要はポジショントークしか出来ないってことですね」



「確かにその通りです。しかし、また少し話が横道にそれるかも知れませんが、この言説自体が反知性主義的ではないか、俺たちを排撃しているじゃないかとそういった人々から言われかねないということです。



 確かに私は反知性主義者的性質を持っています。自分から見た世界観で私を含む彼らを批判しています。しかし、差別ではないのです。なぜなら、やはり私もまた、同じような性質を持った人間であることを理解しているからです。これは自己批判なのです。ヘイトスピーチやヘイトクライムはやりませんが、そのタネは心の内に埋め込まれていると思うのです。それは、おそらくあなたにもあるでしょう」



 寛はドキリとした。しかし、確かに思い当たる節は数えきれないほどあった。この社会に生きていれば見たくないものには目をつぶるというのは自然な行為だろう。なにせ、あまりにもこの世界が嫌になって、さっき自殺しようとしたほどだ。



 ある意味究極的に反知性主義的な行為だったかもしれない。



 自殺しようとした時の心持ちは少し前のことであったはずだが、完全に再現するのは難しかった。段々と細く狭まっていく崖っぷちに一人で立っていたような心象風景が浮かんだが、今はそこには立っていなかった。恐らくそう何度も行くような境地ではないという実感はあった。進んだ先は死だからだ。



 しかし、政府が自殺薬を配っているのは、そのように生きにくいと感じている人々の排撃行為が万が一でも政権に向かないようにする処置にも思えた。反動分子は速やかに自己処分してくれというメッセージなのだろうか。寛は改めて怒りが湧いてきた。



「話を再度戻します。そういった大衆的多数派をうまく利用したのが支配層であり、かれらが一体となれば少数派の人々、あえて知性主義者と呼びましょうか、彼らの声を無視するのは赤子の手をひねるよりも簡単でした。



 ところで例の女性国会議員は支配層でありながら、相当な反知性主義者であると思われます」



「論文の内容を聞いた限りではそうですね」



 自分の世界を傲慢にも『普通の世界』と断じるその姿勢は確かにそうだろう。



「相当数の支配層が、自分に都合の良い世界だけを見ていたいという反知性主義者でもありました。



 驚くべきことに首相もそうでした。これは非常に危険なことです。その権力をもって、支配下にある世界を思いのままに出来るのですから。実際にしたのが改憲下の日本というわけですが。



 彼らはまた、歴史修正主義者でもありました。先の大戦において日本が起こした過ちを否認し、日本は正しいことをしたのだという認識なのです。正しいことだとしたら、なぜ一千万人以上とも言われる人々を殺したのか?あまりに不思議なことですが、おそらく彼ら支配層からすればアジアの人々は同じ人間ではないという認識なのでしょう。



 副総理が支援者向けの会合で『G7の国の中で我々は唯一の有色人種であり、アジア人で出ているのは日本だけ』という発言がありました。副総理自身はリップサービスのような感覚なのかもしれませんが、透けて見えるのは差別主義者的な心根です。支援者および副総理の世界観は白人と名誉白人の日本人とそれ以外の劣った人々といったところでしょう。



 歴史修正主義と差別主義は密接に結びついており、差別主義はより根深いものでしょうが、それらを反知性主義は内包していました。殊に支配層と積極的な同調者の世界観はグロテスクなものであり、現在の日本の世界観にも繋がっていると思われます」



 外国人労働者へのヘイトスピーチや障害者とLGBTへのヘイトクライムが鳴り止むことのない現在の日本の状況を考えると寛は暗澹たる気持ちになった。



 事件が起こる度に警察権力は強化されるが、なぜかその矛先は弱者に向き、強者を守るものであった。



「しかしながら、そういった世界観でありつつも、多くの支配層は自覚的に反知性主義を統治としてのツールとして使っていました。自覚的でなかったのは、大衆的反知性主義者だけでした。少数派の知性主義者は警鐘を鳴らしましたが、大衆的反知性主義者は聞く耳は持ちません。今思うと彼ら知性主義者は無力感に苛まれていたことでしょう。日に日に崩壊する日本を横目に、どう呼びかけようとも話を聞いてくれさえしないのですから。



 そして、ついにXデーを迎えます。すべては滞りなく終わりを告げました。あまりにも静かな幕切れでした。憲法を変えても、それまでの日常と何も変わらないじゃないかと思われました。



 しかし、嵐はすぐにやってきたのです。世界恐慌です。



 それまでなんとなく国民は景気が良い気がしていました。確かに世界景気は良かったのですが、国民の、特に労働者層はそんなこともなかったはずです。しかし、喧伝されるのは景気の良い話ばかりです。



 だから自分はあまり儲かっていないけれど、他の人は儲かっているのかも知れないと思っていました。確かに富の偏在は起きていました。億り人などという言葉も流行しました」



「億り人?」



「投資によって、億単位の額を稼いだ人々です。当時は日本政府が株高を演出していましたし、仮想通貨への投資も過熱していました。一般層の中からも億万長者が出たことで夢のある話として話題になりました」



「なんだか宝くじみたいな話ですね」



「そうですね。中には確かに天才的な才覚や地道な努力をもってトレーダーとして成功している人々もいたようですが、ほとんどの人は場当たり的な博打と同じ感覚で手を出しては退場していきました。



 しかし当時もっとも日本で恩恵を受けたのは円安を享受できた国際的な大企業でしょう。



 逆に円安は材料費の高騰に繋がりますから中小企業には厳しいですし、物価は上がり家計には苦しいものでした。



 円安になっていたのは当時政府が首相の名をもじって行っていた経済政策の内の一つ、金融緩和のためです。当初は二年ほどで狙った効果は達せられると踏んでいましたが、六年経っても達せられず、唯々諾々と金融緩和を続けていました。その手法は政府の借金である国債を民間銀行が一度買い、それを日銀が引き受けるというものです」



 寛はちょっと何を言っているのかわからなくなってきた。その表情を読んだのか、老人は少し考えたあとに言った。



「ものすごくざっくり言えば、政府の借金を日本銀行が延々と引き受けてくれている状態です。お金は信用でその価値を保っていますので、本来このような手法は禁じ手なのです。それを彼らは異次元の金融緩和と呼び、六年も続けました。しかし、世界恐慌により一気に破綻しました。



 ここにも反知性主義の影が読みとれます。というのも、政権の経済政策は華々しく喧伝されていましたが、多くの人がその中身を問われると答えられませんでした。



 政権六年目にもなると働き方改革と称し、労働者の残業代をゼロにしようという露骨な動きがありましたが、多くの人々はやはり気にすることなく受け入れました。当初は高収入の人々限定の処置でしたが、段々と切り下げられ、今では皆等しく低所得者ですね。



 また、日本の株高は国民の年金資金によって支えられていたところが大きかったのですが、世界恐慌後はこれが仇となり老後社会保障は崩れてしまいました。株高は七難隠すと言います。政権はポートフォリオを変え、国内株式への運用比率を一一%から二五%までに引き上げていました。世界恐慌なので他の資産も下がります。被害は甚大でした。



 このように政権の数々の失策により、世界でも類をみない被害を日本は受けました。



 国債安、円安、株安、ハイパーインフレとなりました。その時です。首相は緊急事態条項を発動しました。直ちに国民の預金封鎖を行い、国民の財産を徴収。国の借金の返済に当てました」



 だから、多くの人々は先代からの遺産を引き継げなかったという面もあるのだろうと寛は思った。貯蓄に関してはこの時点で相当目減りしたはずだ。



「さすがにこれには国民も怒ったでしょう」
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