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第二章:ウィリアム邸での子育て 編
12:届いた荷物
──びわの種は三つとも、俺が苗床に植えた。
──その内、実をつけるはずだ。
力強い筆致で記されたその言葉とともに封筒が一通、ノアの元へと届いた。
便箋の縁には若葉を思わせる淡い色が滲んでいた。
ノアはそれを陽の射す窓辺でそっと読んだ。
あたたかな光が指先に落ち、紙の質感とともに故郷のぬくもりが伝わってくるようだった。
それから五日後。
今度はあまりにも対照的なものが屋敷へと届いた。
屋敷の表玄関の魔具が柔らかく鳴り、ユアンが扉を開けると二人の配達人が立っていた。
彼らは伯爵家に出入りを許された指定業者であり、さまざまな品を運ぶ役目を担っている。
四十手前の年長者は濃紺の制服に白いエプロンを着け、隣の若い見習いは緊張した様子で重い箱を支えていた。
「ノア・アルベール様宛のお届け物でございます。西の地のアデンの町より、箱物一点。お手数ですが、ご確認のほどを」
その言葉と共に二人がかりで慎重に運び込まれたものは、ひと目見ただけで誰が見ても特別だとわかるほど大きな箱だった。
ところどころに用いられた金属の金具はわずかに錆を帯び、それがより箱の重厚さを際立たせていた。
ユアンが署名すると配達人たちは一礼して静かに去っていった。
「こちらの箱は、どの場所へお運びすればよろしいでしょうか?」
「え、えっと……部屋へと運んでもらえますか」
その場に居合わせたノアはその箱を見て動揺しながらも、そう告げた。
「承知しました」
ユアンは静かに指先を上げ短く鳴らすようにして魔力を走らせた。
次の瞬間、木箱はゆっくりと宙に浮かび上がる。
その光景にノアは思わず呆然とした。
「そんなことも、できるのですか?」
絞り出すように声を発するとユアンが静かに頷いた。
「浮遊魔術です。練度が低ければ、落として大惨事になりますが、ご安心を。中級魔術程度であれば、私でも問題ありません」
箱は、安定感を保ちながら順調に進んでいく。
暫くすると曲がり角からアルバートが現れ、宙を漂う木箱とノアに視線を送った。
「この魔術を使うぐらいなら、俺なら自分の手で運んだ方が確実ですよ。ユアン様は、流石ですね」
感心したような声が明るく軽やかに響く。
「ノア様も、ますますこの屋敷で生活を落ち着けるという感じになってきましたね」
アルバートは木箱に視線を送り、ノアに軽く会釈した。遠慮がちながらも穏やかな気遣いを感じる仕草だった。
そして何も言わず静かに去っていった。
寝室の扉が開くと浮遊魔術で支えられた木箱が音もなく入る。
ユアンが指を鳴らすと箱は静かに着地した。
部屋の中には、ユリウスもいる。
本棚の前で魔術書を手にしていたが、気配に気づいて振り返る。
「以前、言っていたものが届いたのか」
「はい、暫くはこの部屋で荷物整理を行う予定です」
ユリウスはその返答に頷き笑みを浮かべる。
その顔は以前よりも穏やかだった。
「かなりの量があるものを送るとは知らされていますが、中身までは知りません。何が入っているのですか?ノア様の、祖母のエイダ様からの贈り物ですよね?」
視線は箱へと自然に移る。
「恐らく……」
頼りなさげに呟いたノアは慎重に金具に手をかける。
金具が外され蓋が開いた瞬間、微かに立ちのぼるのは独特な紙の匂いとインクのほのかな香りで、そこに現れたのはぎっしりと詰め込まれた書物だった。
ユアンにとって、それは意外な荷だった。
ノアの家族からは保存食や民芸品、手作りの布地のような実用的な品が届くと想像していたのだ。
けれど箱の中に広がっていたのは、それらとは全く違うものだった。
「拝見しても、よろしいですか?」
ユアンは改めて書物を見下ろす。
「……はい。どうぞ」
ノアがうなずくと、ユアンは書物に手を伸ばした。
開いたページからは紙の香りが立ち、綿密な活字と手書きの書き込みが見える。
隣にも書物が積まれておりユアンは静かに視線を移す。
箱の中では革装丁の歴史書が重なり、背表紙には金色の文字が刻まれていた。
厚みのある地理書には地方の彩色が細密に描かれ、詩習の手引きには繊細な筆致で詩句が綴られている。
辞典や数式帳の背表紙は固く、礼儀作法の書には椅子の座り方や扇の持ち方を描いた挿画があり、生活知識の冊子には季節ごとの保存食や薬湯の作り方が、図解と共に載っていた。
王侯貴族の慣例を記した書物には何度も開かれたような折れ目があり、農耕暦と薬草記録の本は厚手の紙に閉じられ押し葉の栞が挟まれている。
どの書物も確かな存在感を放っていた。
「これを一人で読むには、いささか骨が折れそうだな」
ユリウスは落ち着いた声でそう呟いたが、その言葉には本気とも冗談とも取れない色が混じっていた。
「まさか、このようなものをノアの身内が贈るとは……」
「……私としても、予想外でした」
ノアは思わず、その場へとへたり込んだ。
要らぬものとは思わない。
けれど、こうも現実として物理的に突きつけられると、流石に気が遠くなる。
これは、きっと孫を想っての贈り物である。
その愛は思った以上に重たかった。
木箱の底には一通の手紙が添えられていた。
──少しずつ、あなた自身のために学びなさい。
──学ぶことは、誰かのためではなく、あなたという人間の根を育てることです。
その手紙は1枚では終わらず続けざまに二枚、そして三枚目へと綴られていた。
それでもまだ書ききれなかったのだと、紙の端に添えられた"また改めて手紙を書くわね"という追伸が何より雄弁だった。
その全てに強い想いが宿っていた。
この贈り物を押しつけがましいと感じる者もいるだろう。
けれど今のノアにとっては、今後ウィリアム邸で長く暮らそうとするならば、間違いなく必要となるであろうものばかりだった。
食事の礼儀作法や挨拶の型こそユアンから最低限は教わったが、それ以上の知識はほぼ空白に等しい。
教養がないまま歳を重ねて、それがずっと通用すると思うほど図太くなることは出来なかった。
「……ノア様のご祖母様というのは、なかなか手強いお方のようですね」
ユアンは箱の中の書物を眺めながらそう言った。
伯爵家の庇護を受けることになった青年に、ここまでの行動を起こせる人物が身内にいるとは。
ユアンの中で、ノアという存在に対する印象がまた少し形を変えた。
「もしや、アデンの町にはおられない方ですか?」
「はい、サルティエという町に住んでいます」
その名を聞いて、ユアンはわずかに納得したような面持ちになる。
離れて暮らすからこそ言える言葉があり、血のつながりがあるからこそ踏み込める領域というものがある。
きっと、この贈り物は彼女なりの後押しだったのだろう。
ノアはこくりと頷くと、数冊の本を胸に抱えて立ち上がり一冊の古びた魔術書しかなかった空の本棚に静かに書物を収めていく。
地理や歴史などの本を上段に集め、その下に礼儀作法や慣習の冊子を並べた。
真ん中の段には詩や辞書、言葉に関するもの。
そして下段には分厚い計算書と数式の帳面が収まっていく。
「おさめた後は、どうするおつもりですか?」
ユアンが背後から静かに問いかける。
ユリウスは本棚へと歩み寄り、中身を覗き込んでいる。
ノアはすぐには答えられず少し視線を彷徨わせた後、迷いながらもユリウスへと目を向けた。
「もしも、ユリウス様が俺ならば、この後にどうしますか?」
その質問にユリウスは少し思案してから優しく問い返した。
「ノア、得意なことなどはないか? たとえば、書くこと、読むこと、それとも計算のうちなら?」
ノアは眉間に軽く皺を寄せ、少し間を置いてから自信なげに答える。
「その中だと……計算なら、まだ得意です」
酒場では正確さと素早さが求められる金勘定が日常だった。
幼い頃から家でも暗算を鍛えられてきたノアにとって、それは体に染みついた技術だった。
だからこそ、計算だけは人よりも得意だと言える。
「……それならば、暫くは数式の方向だけに学びを絞ろう」
ユリウスの提案にユアンもすぐに頷いた。
「それが良いですね。まったく未知のことを始めるときは、段階的に進めるのが肝要です」
「ユアン、まずはノアの理解度を正確に把握し、それに合わせた問題や参考資料を整えてくれ。お前は、そういった書類作りが昔から得意だろう?」
「承知しました」
ユリウスは視線をノアへと戻し、静かに言葉を続ける。
「殆ど何も知らぬ状態から学び始めるのならば、その道を整えてやる者が必要だ。そうでなければ、確かな足取りで前に進むことはできないだろう。……だからこそ、私たちが、これから全力で支えよう」
その言葉には迷いのない真摯さがあった。
「ノア、まずはユアンのいる時だけ学びの時間に使え。それも、心に余裕があるときに行うんだ。この屋敷にいる時間は長い。急いで学んだとしても、それは根を張っては身につかないだろう。私も、時間がある時は、喜んで協力しよう」
「……ありがとうございます、ユリウス様」
あれほど目の前の書物の山に気圧されていた心が、ユリウスの確かな方針と共に少しずつほどけていくのを感じた。
焦らなくていいと言われることが、これほどに救いになるとは思わなかった。
「ノア、こういう時のユリウス様はとても優秀です。安心しなさい」
ユアンが添えたその言葉はとても心強かった。
やがて、リュカがそっと姿を見せた。
好奇心を抑えきれない足取りで、とたとたと部屋の中へと入ってくる。
「ノア、いっぱいあるね。すごいね」
白いくまのぬいぐるみをぎゅっと抱きしめたまま、ノアのそばに立ち止まり愛らしい声でそう呟いた。
窓からは春の光が差し込み、部屋全体をやわらかな明るさで包み込んでいる。
ゆっくりでいい。
自分の歩幅で少しずつ前に進めばいい。
ユリウスの言葉がノアの胸の奥で静かに息づく。
本棚は、きっとこれから一冊ずつ埋まっていくだろう。
新緑は少しずつ、けれど確かに芽吹き始めていた。
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