野獣公爵の執愛

ゆき真白

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第一章

二十五

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 ギーが指差した先には、彼が口頭では説明しなかった魔力過多症の対処法が書かれていた。

【男性の魔力過多症患者は射精も有効な手段の一つ。特に性行為での射精は、自慰での射精に比べより多くの魔力を失うことが研究の結果わかっている。女性の魔力過多症患者も性行為である程度の魔力消費があるため、オーガズムと魔力消費に関係が……――】

(これって……)

 勢いよく顔を上げギーを見れば、ギーは顔を逸らしながら、小さく咳払いをした。

「これは必要な情報で他意はございませんのでどうかご理解いただきますよう存じます」
「他意が何かはわからないけど大丈夫! そうじゃなくて、これ……ここに書いてあることって本当? ジルが毎夜違う女性と、っていう噂流れてたけど、もしかしてこのためだったの?」
「……真相は旦那様にお尋ねになるのがよろしいかと存じますが……その噂はどなたからお聞きになられたのですか?」
「どなたからっていうか……王都の社交界ではすごい噂になってたけど……」

 ジルヴィウス自身も噂を知らない様子だったが、側近であるギーも知らなかったのだろうか、と疑問に思う。
 そんなシーラの疑問に答えるように、ギーは深く溜息をついた。

「お教えいただきありがとうございます、奥様。旦那様は噂話などには興味なく、お恥ずかしながら私も東部以外での噂などはあまり深く知らず……」

 ぶつぶつと何かを呟きながら眉間を揉んでいたギーは、何かに気付いたように、はっとシーラを見た。

「旦那様がただの節操なしだと思われている分にはいいですが、旦那様と結び付けて奥様を魔力消化体質者イジェストだと勘繰る者がいないとも限りません。魔力の多い者ほど魔力を失う感覚に敏感ですので、人前に出る際にはどうかお気を付けください」
「……魔力消化体質者イジェストっていうのは、周りに知られないほうがいいの?」
「奥様と旦那様の婚姻は正式に成りましたし、何も問題ない……とお伝えできればよいのですが、世の中には常識の通じない者もおりますので」

魔力消化体質者イジェストは……ただ珍しいだけじゃないの?)

 その答えは、目の前の本にあるのだろうか、と視線を落とす。
 正直、自分が魔力消化体質者イジェストだということ自体、いまだ受け入れきれていない。
 自分は何の変哲もない無魔力者ノーンだと思って、この十八年過ごしてきたのだ。

(……わたしがもっと強く疑問に思って、もっとしつこくお兄様たちに質問すれば、もっと早く知れたのかな)

 いつだって目の前のことに精一杯で、疑問に思うのも気付くのも後になってからだ。

(ジルがわたしのこと“考えなし”って言ってたの、つい否定しちゃったけどその通りかも)

 ジルヴィウスにしてみれば、シーラは視野が狭く、浅慮で、怖いもの知らずの“狂人”に見えるのだろう。
 ジルヴィウスの呆れている姿を想像し、ふ、と笑みが漏れる。
 笑ってから、自分は本当にジルヴィウスが好きなのだと痛感し、鼻の奥がツンとした。

(……ジルに会いたいな)

 じわじわと目元が濡れていくのを感じながら、それを振り払うように手の甲で拭ったシーラは、勢いよく立ち上がった。

「時間を取ってくれてありがとう、ギー! 今度お礼させてね!」
「いえ、奥様のおかげで生き延びることができましたのでどうかお気になさらず」
「わたしがお礼したいの! ギーにはこれからも迷惑かけると思うし……物は要らないって言うなら、ジルにいじめられたときにわたしが味方になるっていうのはどう?」
「それは大変魅力的なご提案ですね。では遠慮なく受け取らせていただきます」

 恭しく腰を折ったギーに、シーラは「よかった!」と満面の笑みを向けると、並べられた本を抱える。

「わたし、ジルに会ってくる! 今の時間なら執務室だよね?」
「ええ。私は本日はご遠慮させていただきますので、どうぞごゆっくりお過ごしください」
「ありがとう、ギー。また明日!」

 相変わらず少々ぎこちない笑みを浮かべるギーに大きく手を振ると、シーラは図書館を飛び出した。
 小走りで廊下を進みながら、シーラは自分の考えと気持ちを整理していく。

(どうしてわたしが魔力消化体質者イジェストだって黙ってたのって訊きたい。どうしてジルの口から説明してくれたなかったのって訊きたい。わたしが魔力消化体質者イジェストだって最初から知ってたのって。魔力消化体質者イジェストだから優しくしてくれたのって。魔力消化体質者イジェストじゃなかったら、わたしのこと傍に置いてくれなかった? って。……でも、たとえそうだったとしても、わたしはやっぱりジルが好きって。悔しいくらい、ジルのことが大好きだって伝えたい)

 小走りはいつの間にか駆け足になっており、だらだらと流れる涙が頬を濡らす。
 心臓は激しく脈を打ち、胸がずきずきと痛む。
 両手に抱える本は重く、息も満足に吸えない。
 それでも、シーラは足を止めなかった。

 途中えずきそうになりながらも、図書館のある本館から、執務室のある北館まで走り続けたシーラは、執務室の扉が見えると徐々に速度を落とした。
 喉や胸が鋭く痛むのを感じながら、必死に呼吸を整え、扉の前で立ち止まる。
 走った影響か、この先にジルヴィウスがいるという緊張か、鼓動は落ち着くことなく激しく脈打っている。

 先ほどまではあれほどジルヴィウスに会いたかったのに、体はぴくりとも動いてくれなかった。
 足は縫い付けられたように止まり、腕も持ち上がらない。
 ジルヴィウスに本当のことを聞くのが怖いというわずかばかりの恐怖心が、シーラをその場に縛り付けた。

(……嫌。わたしはもう、何も取りこぼしたくないっ……!)

「――……じるっ……」

 荒い呼吸の間にか細く名前を呼んだ、次の瞬間。
 目の前の扉は大きく開かれ、目を見開いたジルヴィウスが姿を現した。

「じるっ……!」

 ジルヴィウスを見た途端、自由を取り戻したかのように体が動き出す。
 あれほど重かった一歩は軽く、本を持っていたことも忘れ腕を開く。ジルヴィウスが魔法を使ったのか、幸い本は落下することなく宙を漂い、執務室の中へと入っていった。
 しかし、シーラはそれを気にする余裕もなく、ジルヴィウスにぎゅうぎゅうと抱き着く。

「どうした。何がった? あのドブネズミが、お前にまた無礼でも――」
「ギーのことドブネズミって言わないで……! 次言ったら二度と口きかないから……!」

 顔を上げ、睨み付けながらそう叫べば、ジルヴィウスはぐっと押し黙った。それ以上は何も言わず、少しの躊躇のすえ、濡れたシーラの頬を撫でる。
 その手つきは、普段の強引さや不遜な態度からは考えられないほど、おどおどとしたものだった。
 恐れるものなど何もないというこの人が。
 権力も地位も名誉もすべて持ったこの人が。
 十も年下の非力な小娘の機嫌を窺っている。

(それは、わたしが魔力消化体質者イジェストで、手放したくないから?)

 尋ねれば答えてくれるだろうか、と思いながら、シーラは両手を伸ばす。

「ジル、抱っこして」

 甘えるようにそう乞えば、ジルヴィウスはわずかに目を瞠る。しかし、すぐに眉尻を下げると、まるで宝物のようにシーラを抱き上げた。
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