野獣公爵の執愛

ゆき真白

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第二章

二十五

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(……やっぱりそこなんだ)

 シーラは、何とか怒りをやり過ごそうとするジルヴィウスの頭を優しく撫でる。
 公爵城に来たばかりのころに比べると、最近はずいぶんと落ち着いてきていた。そのため、彼なりに折り合いをつけたのだろうかと思っていたが、どうやらそうではなかったらしい。
 彼は、自身が内包する怒りを外に出さないよう気を付けていただけなのだ。
 それはきっと自分を気遣った結果だろう、とシーラは彼を抱き締める力を強めた。

(ジルはずっと許せないままだったのね。エルネスト様と婚約したことが。それに付随するすべてのことが)

「気付かなくてごめんね、ジル」

 自分と同じように、ジルヴィウスも過去を消化し前を向いて来ているのだと勝手に判断してしまっていたことが申し訳なかった。

(そうよね。ジルはわたしよりよっぽど詳しく、ずっと前から魔力消化体質者イジェストのことを知ってた。だから余計、どうしてって思うのかも)

 魔力消化体質者イジェストについて記された本に書かれていた特例事項が頭に浮かぶ。
 兄に手紙を送ろうと思ったのも、兄がこの特例事項を知っていたのか、知っていたならなぜ黙っていたのかを確認したかったからだ。

魔力消化体質者イジェストの特例事項……“魔力消化体質者イジェストは己の意思のみで自らの伴侶を決めることができ、王家すらその行動を制限することはできない”……。これを知ってたジルからすれば、わたしがエルネスト様と婚約したのはお兄様のせいって思うのも無理はないのかな)

 遥か昔、権力者たちに共同で所有され、性奴隷のような扱いを受けていた魔力消化体質者イジェストは、自らの未来に絶望し、本人、または親族の手によって命を絶つようになった。
 希少な魔力消化体質者イジェストがさらに数を減らした結果、国益を損なう事態となり、それを重く受け止めた時の権力者たちは、魔力消化体質者イジェストの人権を守り、何より彼らの意思を尊重することを法で定めた。
 魔力消化体質者イジェストの人身売買や拉致などが重罪なのはもちろんのこと、意に沿わぬ婚姻や性行為を強要することも極刑に値する罪であると発布したのだ。
 この法は各国共通で制定されており、このリアンテス王国も例外ではない。

(いろんな国が魔力消化体質者イジェストを懐柔することで手元に置いておこうとしたんだよね。……正直どうしてそこまで魔力消化体質者イジェストを手放したくないのかわからないけど)

 シーラはこぼれそうになった溜息を呑み込むと、必死に怒りを抑え込もうとしているジルヴィウスの頭に口付ける。

(この法自体に悪いところはないわ。でも、ジルにとっては……)

 この法は魔力消化体質者イジェストの自由意思を尊重し、人権を保護するためにあるものだが、とりわけ婚姻に関しては、かなりの自由が認められていた。これは、恋人や伴侶がいても無理やり引き離され、性奴隷のように扱われた過去の出来事が発端となっているそうだ。
 結果として、魔力消化体質者イジェストは自らの意思のみで結婚相手を決めることができるようになり、家族はもちろんのこと、王家ですらその決定に異を唱えることができなくなった。

(そう……魔力消化体質者イジェストの婚姻には。だからジルも、どうしようもなかった。ジルはわたしが魔力消化体質者イジェストだって知ってたから。わたしがエルネスト様との婚約を受け入れた以上、ジルはどうすることもできなかった。……だからこそ、お兄様が憎いのかな)

 当時のシーラには選択肢がなかった。
 家格が上の公爵家からの縁談というのはもちろんのこと、多額の資金を援助するという破格の申し出まであったのだ。兄や領民のためということを差し引いても、断ることは難しい縁談だった。

(でも……)

 もし、自分が魔力消化体質者イジェストだと知っていたら。
 自分の意思だけで結婚相手を決めることができ、王家からの求婚すら断る権利が自分にはあるのだと知っていたら。
 きっと、北部公爵家からの縁談は断っていただろう。
 兄を責める気持ちは微塵もない。それでも、教えてくれればよかったのに、とは思う。
 だから、ジルヴィウスが「あいつのせいだ」という気持ちも、わからなくもなかった。

(でも、結局受け入れたのはわたし。誰かのせいにするなら、それはきっとわたしのせい)

 シーラは一つ息を吐くと、腕の力の緩め、ジルヴィウスの頭を見下ろした。

「確かに、お兄様が教えてくれてれば、って思うよ。そうすればきっと、わたしは縁談を断っただろうから。でも結局、受け入れるって決めたのはわたしなの。むしろお兄様は、少しでも結婚時期を遅らせようって……うん。今思い出すと、意図的に婚約の期間を引き延ばしてたと思う。きっとお兄様にも何か事情や……理由があったんだと思う。それに……」

 言いかけて、シーラは黙る。
 これから言うことは、きっとジルヴィウスの機嫌を損ねるだろう。
 もしかしたら、ひどく彼を傷付けてしまうかもしれない。
 けれど、それでも言わなければいけない。
 この出来事に関しては、独りよがりでも誠実でいたいかった。
 シーラは覚悟を決めるように深く息を吸い込むと、背筋を伸ばず。

「……あのね、ジル。わたしはずっとジルのことが好きで、ジルのお嫁さんになりたくて……デビュタントのダンスも、本当はジルと踊りたかった。けど、でもね。それでも……あのときの選択を後悔はしてないの」

 ジルヴィウスの頭がぴくりと揺れる。
 息苦しいほど重い沈黙が二人の間に落ちた。
 自分の心臓だけが、場違いのように激しく脈打っている。

「……ジル」
「……なるほどな」

 重苦しいジルヴィウスの声に、シーラは反射的に口を閉じる。
 緊張からか、口の中が急速に乾いていくのを感じていると、ジルヴィウスがおもむろに動き出した。
 緩慢な動きで立ち上がったジルヴィウスは、光も温もりもない眼差しでシーラを見下ろすと、腕を引き立ち上がらせる。

「ジ――っ」

 骨が軋むほど強く腕を掴まれ、痛みに思わず顔が歪む。
 ジルヴィウスはそんなこと気にも留めない様子でどんどん進んで行き、隣室へと続く扉を開けた。
 扉の先はシーラの私室になっており、ジルヴィウスは躊躇うことなく中に入ると、シーラをベッドの上に放り投げた。
 声を荒げるでも、シーラを責めるでもなく、ジルヴィウスはただ静かにシーラを見下ろす。

「お前が愚かであることは重々承知していたつもりだが、ここまでの考えなしだったとはな」
「ジル――っん」

 体を起こそうとしたシーラの肩を押しベッドに押し倒すと、ジルヴィウスはシーラの口を塞いだ。
 その口付けがあまりにも優しくて、シーラは困惑する。
 状況が読み込めず戸惑っていたシーラは、少しして、足首に違和感があることに気付いた。重く冷たい何かが、足首に巻き付いているような気がする。
 それが何か確かめたくてわずかに身じろぐと、ジルヴィウスがゆっくり顔を離した。
 ジルヴィウスはしばらく感情のない眼差しでシーラを見つめたかと思うと、何も言うことなく立ち上がり、その場から姿を消した。

「え……」

 冷たいシーツに上がった体温が奪われていくのを感じながら、シーラはしばらくの間、何もない空間を呆然と見つめ続けた。
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