野獣公爵の執愛

ゆき真白

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第二章

二十六

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 あれから数日、ジルヴィウスとは会えない日々が続いていた。
 正確には、会いたくても会えない日々が続いていた。あの日からジルヴィウスは姿を現さず、こちらから会いに行こうとしても、部屋から一歩でも出ようとすると足首に纏わりつく目に見えない何かにベッドの上に戻されてしまうのだ。

(リディやいっちゃん、にーちゃんは入れるし、不便はないけど……)

 隣の部屋へ続くはずの扉は化粧室や浴室に繋がっており、そこへの出入りは自由なため、生活するうえで困ることは特になかった。
 ジルヴィウスに会えないことは寂しいが、彼には時間が必要なのだろう、とシーラは大人しくこの軟禁生活を受け入れていた。
 ただ、魔力過多症を患っているジルヴィウスが苦しんでいたらどうしようと、それだけが気がかりだった。

(この敷地内全体に魔力を流し続けてるから、それなりには大丈夫だろうってギーは言ってたけど……なんだかんだギーはジルの味方だからなぁ)

 シーラは思わず溜息を漏らしながら、ベッドに大の字で寝転がる。
 ジルヴィウスから指示が出ているのか、ギーは朝夕決まった時間にシーラの元を訪れた。そのたびにジルヴィウスはどうしているのかと彼に尋ねるのだが、少し困ったように肩を竦められるだけで、質問に答えてもらったことは一度としてない。

(絶対ジルが口止めしてるんだよなぁ。月のものがきちゃったし、手繋ぐくらいしかできないけど……ジルに苦しい思いはしてほしくない。辛いなら、助けてあげたい)

 でも、とシーラは両手で顔を覆う。

(ジルを傷付けて苦しめて遠ざけたわたしに、こんなこと思う資格はないのかも)

 シーラは肺の中の空気をすべて出すように深く息を吐き出すと、両手を外し左手の薬指を見た。
 金と黄緑の宝石が輝く結婚指輪。
 ジルヴィウスから指輪を貰ったのは、これで二度目だった。
 一度目に貰ったのは、小さな花弁が揺れる花の指輪だ。
 幼いころ領地にある小高い丘に行った際、ジルヴィウスが作ってくれたのだ。
 それがとても嬉しくて、萎れてしまうのが惜しくて、シーラは保存魔法をかけてほしいとジルヴィウスにせがんだ。あのときの花の指輪は当時の姿を保ったまま、今でも大切に保管している。
 成長し、もう指には入らくなってしまったけれど、それでもシーラにとっては大切な指輪だった。

(あのとき、わたしもお返しに花の指輪を作ったっけ。ジルみたいに手先が器用じゃないからひどく不格好で小さくて……ジルの指は入らなかった気がする)

 それでもジルヴィウスは嬉しそうで、シーラがプレゼントしたぼろぼろの花の指輪にも保存魔法をかけていたような気がする。
 今思い返してみると、ジルヴィウスにとって、確かに自分は特別だったのだろう。シーラがジルヴィウスを気に入り、慕い、いつしか恋心を抱くようになったように、同じ時間を過ごすなかで、彼も同じように気持ちを募らせていったのかもしれない。
 彼のほうが大人な分、もしかしたら自分よりも早く、特別な情を持ったのではないだろうか。

『言っておくが、俺は小児性愛者じゃないからな』

 以前彼に言われた言葉が思い出され、思わず笑みが漏れる。

 シーラは、ふっと息を吐き出すと、腕をベッドの上へと置き、天板を見つめた。

(わかってる。わたしが言わなくていいことを言ったことも。言ったことには理由があって、ジルもそれを理解してくれてることも。理解してるからこそ、冷静になる時間を作ってくれてることも)

 シーラは横臥位に姿勢を変えると、サイドチェストの上にある一輪の花に目を向ける。
 小さな花瓶に生けられているのは花祭りでジルヴィウスに貰った赤いアネモネだ。花祭りで配っている花には特殊な加工が施されており、期間中は枯れることがない。
 花祭りこと春の祝祭フリュー・ティバルは開催期間が二週間なため、あと数日でこの花は萎れ始めるだろう。

(『君を愛す』、か……。ジルがせっかく気持ちを表してくれたのに、わたしは傷付けちゃった)

 赤いアネモネの花言葉を思い出しつつ、シーラはシーツを握り込む。

「……でも、言うべきだった。“後悔してる”、“あんなこと受け入れたくなかった”って言ったって、ジルにはそれが嘘だってバレちゃうもの」

 あのとき、嘘をつくという選択肢もあった。ジルヴィウスに寄り添い、自分もしたくない選択を強いられたのだと、本当に後悔しているのだと、そう告げることもできた。
 けれど、そうはしなかった。
 ジルヴィウスが傷付くかもしれないとわかっていながら真実を口にしたのは、それが“本心”だったからだ。
 これから先ジルヴィウスと過ごすなかで、わずかな疑心すら残したくなった。過去の遺恨をできるだけ早い段階で清算してしまいたかった。そのためには嘘はつくべきできないと、シーラは判断したのだ。

 あそこで嘘をつけば、ジルヴィウスの怒りをやり過ごすことはできただろう。けれど、シーラのことをよく知っているジルヴィウスには、“その場をやり過ごすために嘘をついたのだ”とすぐにバレてしまう。
 その嘘は一時的にジルヴィウスの心に安寧をもたらすかもしれない。けれど、これから先何十年も共に過ごすなかで、シーラの言葉は自分を喜ばせるためだけの虚言なのではないかと、そういった疑心をジルヴィウスは抱くことになったはずだ。
 たった一度の嘘でシーラの言葉の真実性は薄れ、彼はシーラが何か言うたびに、その言葉が本当なのか嘘なのか、判断しなければいけなくなったことだろう。

 シーラは目先の平穏ではなく、これから先彼と過ごす長い人生の安寧を選んだのだ。
 そしてそのことをジルヴィウスも理解していたはずだ。
 シーラの考えをわかっていたからこそ怒ることもできず、けれど許すこともできなくて、あのような行動に出たのだ。
 ジルヴィウスがシーラの考えを理解できるように、シーラもある程度は彼の考えていることを察することができた。

 東部公爵城へと来てから約四ヵ月。一段階深くジルヴィウスを愛し、彼を理解し寄り添おうとしてきた結果、以前よりもジルヴィウスのことを理解できるようになってきていた。
 もちろん、自己判断などせず、詳しくは彼に訊くべきなのだが、こうして理解を深めて行くたび、彼と“夫婦”になったのだと実感できて嬉しかった。
 昔に比べると、ジルヴィウスは無愛想で意地悪になったが、素を見せてくれているようでそれも嬉しい。
 今の状態も、自分を手放す気はないのだと思うと受け入れられた。

(でも、本当にそろそろジルが心配かも。顔を見るのも嫌っていうなら、扉越しに腕だけ出したりとか……)

 どうにかできないかな、と考えていると、扉が遠慮がちにノックされた。

「……?」

 そんな風にシーラの部屋の扉を叩く者は誰もおらず、シーラは体を起こしながら首を傾げる。

「誰?」
「……リディです、奥様」
「えっ、リディ?」

 シーラはベッドを飛び降りると、部屋の扉を開ける。
 扉の先には、険しい顔をしたリディが立っていた。

「どうしたの? 何かあった?」

 扉を大きく開き、リディを室内に招こうとしたものの、彼女はその場から動かない。
 不服そうな、不安そうな表情を浮かべながら、リディはエプロンのポケットからおずおずと二つ折りにされた紙切れを差し出した。

「……イレーヌさんから、どうしても渡してほしいと頼まれて……すみません」
「イレーヌから……」

 差し出された紙切れを見ながら、シーラは小さく息を漏らす。
 イレーヌは、ジルヴィウスから接近禁止令を出されており、シーラに近付くことができない。ギーや一号、二号は彼女を相手にしないため、シーラに接触するためにはリディを介するしか方法がないのだ。

「イレーヌが直接リディに渡してきたの?」
「……いえ、これを渡してきたのはネリーさんです。わたしが断ったので、気の弱いネリーさんに押し付けたみたいで……しばらく大人しくしてたので油断しました。トラブルが起きそうだったら知らせてほしいと言われていたので、甘えさせてもらいました」

 リディはもう一度「すみません」と謝ると、悔しそうに口を曲げた。

(リディはわたしを煩わせないように気を遣ってくれていたのね)

 シーラは表情を緩めると、差し出されている紙切れを取った。

「いいのよ。断っていたらネリーに何か被害があったかもしれないし、リディはそれを避けようとしたんでしょ? むしろ教えてくれてよかったわ。もし心配なら魔法自動人形オートマギアを派遣するようギーに頼むから遠慮せず言ってね」
「あたしはいいですけど、ネリーさんが不安そうなのでお願いできたら嬉しいです」
「わかった。夕方、ギーが来たらお願いしておくね」
「すみません、ありがとうございます、奥様」

 深く頭を下げたリディに、シーラは「いいのよ」と明るく笑う。
 一方で、心臓は嫌な予感に低く脈打ち、紙切れを掴む手のひらにはじわりと汗が滲んでいた。
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