野獣公爵の執愛

ゆき真白

文字の大きさ
67 / 98
幕間・一 イレーヌの話

しおりを挟む
「私にも一応、汚いものには触れたくないと思う心があるのですが……」
「何故俺がお前の心情を慮らなければならない?」
「……ははは」

(……なに……うるさ、さむ……)

 聞こえてきた声に、沈んでいた意識が徐々に浮上し始める。

「いっ……!」

 薄っすらと目を開け身じろいだ瞬間、骨が軋むように全身が痛み、思わず声が漏れた。そして、しっかりと目を開け視界に入った光景に絶句する。

(わっ、私……なんで……)

 場所は変わらず牢屋のような場所だったが、何故か何も着ていない状態で椅子に座らされていた。裸を隠そうと反射的に身を捩ったものの、手は背もたれの後ろで縛られているため、目の前で剥き出しの胸が震えるのを見るだけで終わる。

「移動するぞ、ギー。腕でも首でも好きなところを掴め」
「触らなくていいほうが嬉しいんですけどね……」

 イレーヌの状況などお構いなしで続けられる会話に、顔をそちらへと向ければ、黒いローブに身を包んだジルヴィウスとギーが立っていた。

(――っ!)

 男性の眼前に裸を晒しているという状況に、一気に顔が熱を持つ。肌を隠したくて暴れていると、突如手首の拘束が解かれ、暴れた反動で体が床に倒れる。
 石床は硬く打ちつけた部分は痛んだが、そんなことなど気にせず両腕で体を隠し、彼らを睨み付けた。しかし、彼らの目は婦女子の裸を見ているとは思えないほど冷めており、一瞬怯んでしまう。

「大人しくしてろ。……やはり腕は拘束したままのほうがいいのでは?」
「もう歩き回ることもできないんだ。腕まで縛ったらすぐに死ぬことになるだろう」

(なに……この二人は何の話をしてるの?)

 状況が読み込めないまま、呆然と彼らを見上げていると、ギーがきつく二の腕を掴んだ。

「っああ……! あぅあっ……ぁ?」

(今の……私の声……?)

 “痛い、放して”と言ったはずなのに、口から出たのは意味をなさない声だけだった。

「あぅ、あ……?」

(どういうこと……?)

 掴まれていないほうの手で喉に触れるものの、特に変わった様子はない。傷もないし、痛くもない。

「今後言葉は意味をなさないんだから、話せなくても問題はないだろう?」

 語りかけるような穏やかな声に、ぞっと肌が粟立つ。いっそ怒鳴ってくれたほうがマシだと思うくらい、不気味な声色だった。
 いったいこれから何をされるのだろう、と身震いするのと、体が浮遊感に包まれたのはほぼ同時だった。

「……!?」

 先ほどまでは感じなかった冷たい夜風が体を包み、イレーヌは慌てたように辺りを見渡す。圧迫感を与えていた壁はなくなり、代わりに終わりの見えない景色が視界一杯に広がった。眼下には深い森が広がっており、どうやら物理的に宙に浮いているようだ。
 思わず縋るようにギーの足に纏わりつけば、頭上から嫌そうな溜息が聞こえた。

「ご主人様、特別手当をいただきたく存じます」
「しばらく城を空ける予定だから好きに過ごせ」
「ありがとうございます、精一杯努めさせていただきます」

 混乱し、戸惑うイレーヌとは違い、ジルヴィウスとはギーは世間話でもするかのように落ち着いている。
 呆然とジルヴィウスを見ると、彼の金の瞳と視線が絡む。夜空を背景に煌めく彼の瞳は闇を照らす月のように輝いていた。
 ジルヴィウスはわずかに目を細めると、フードを目深に被る。と、彼の後ろに見えた夜空が一瞬にして背の高い木々へと変化した。
 剥き出しの下半身に土の湿った感触が伝わり、一拍遅れて、地面に降り立ったのだと気付く。地面に裸で座っているという事実に、慌てて立ち上がろうとしたイレーヌだったが、地面に手をつき、足に力を入れても、一向に立ち上がることができなかった。

(なんで!? どうして……!?)

 立とうとしては転び、立とうとしては転び、を何回か繰り返したところで、はっと短く笑う声が聞こえた。

「豚の真似か?」

(……豚?)

 最初、何を言われたのかわからなかった。しかし、自分の体が土で汚れていることに気付き、侮辱されたのだと一気に頭に血がのぼる。

「ああぅっ……ううう!」
「豚のほうが余程賢そうでは?」
「そうだな。だからこそ真似をしてるんじゃないか?」
「っ……!」

(なんなの……なんなのよ、さっきから!)

 何の説明もせず、裸のまま外に連れ出し、困っているのを助けるどころか嘲笑するなど、彼らは本当に血の通った人間なのかと疑いたくなる。

(――あ、違う)

 自分は今まで何故彼らを話の通じる相手だと思っていたのだろうか。
 これまで何度死にそうになっても殺さなかったからか、彼らも結局常識の範囲内にいるのだと思っていた。
 いくら脅しても自分を殺すことはできない。それほど酷い目には遭わないだろう、とどこかで高を括っていた。
 冷たい風がふわりと髪を巻き上げ、毛先が頬を撫でる。イレーヌは、はっと何かに気付き、恐るおそる左目に触れた。でこぼことした肌触りの悪い感触が伝わるそこは、瞼を持ち上げようとしても下げようとしても、びくともしなかった。睫毛の感触もなければ、目の境界もない。

 芽生えた恐怖心を表すように、心臓が低く強く鳴り始める。
 まだどこか夢心地だったのか、それとも現実逃避をしたかったのか。
 気を失う前に与えられた痛みが、恐怖が、まごうことなき現実なのだと訴えかけてくる。
 寒さか恐怖か、ガタガタ震えるイレーヌの腕をギーが掴み、そのままずるずると引きずられていく。

「愉快な妄想話を聞かせてもらった礼に、お前の状況と処罰について説明してやろう」

 淡々と告げられた声に、イレーヌは視線だけをジルヴィウスの後姿へと向ける。

「まず、お前は発語機能を失った。話せるのはせいぜい喃語のようなものだけだ。完全に声を奪ってやってもよかったが……の中で暮らすには鳴き声も必要だろうと残してやった。感謝するんだな」

 小石や草で肌に傷が付いていくのも気にせず、イレーヌは彼の言葉だけに耳を傾ける。
 彼の言葉の中に現状を打破する何かがあるかもしれないと思ってのことだが、結局それは無駄なことだった。

「それから踵骨腱しょうこつけん――足首にある腱を切断した。訓練すればそれなりに歩けるようになるだろうが、切ったあと何の処置もせず傷だけを治したからこの山から出ることは不可能だろう。まぁそもそも、群れの縄張りの外に出たら獣の餌になって生きたまま食われるはめになるがな」

 ジルヴィウスがあまりにも平然とそう告げるせいか、彼に語られることすべてがまるで他人事のように思えてしまう。しかし、どこからか聞こえる獣の唸り声に、この話の当事者は自分で、彼の話は本当なのだろうと嫌でも実感させられる。

「それからお前への処罰だが……」

 言いかけて、ジルヴィウスは立ち止まる。ギーも同様に立ち上がったかと思うと、まるではりつけにでもされたかのように、彼らの前に体が浮いた。

「この森にはレグナという魔獣が生息している。レグナはそのほとんどが雄で、雌が産まれるのは非常に稀だ。そのせいか、あいつらは同種以外の雌を孕ませることができる。鹿でも熊でも――人間でもな」
「――っ」

 まさか、と思い声を上げようとしたところで、前から吹き付けた強い風に体が押された。境界を示すように枝垂れた木の向こう側へと飛ばされ、土の上へ体が落ちる。

「レグナの群れの雄は適齢期になると互いを殺し合い、最も強い雄だけが生き残る。そして生き残った雄は雌を縄張りへと連れ帰りハーレムを築くんだ。……俺に抱かれて、あわよくば子でも孕めばいいと思ってたんだろう? よかったな。強く稀少な雄の子を孕む機会を得られて。これでお前の望みは九割叶ったことになる」

(違う! そんなこと望んでない!)

「ああぁあ……!」

 慌てて彼らのほうへ這っていこうとしたイレーヌだが、後ろから強い力で押さえつけられ、立ち上がることができなかった。
 グルル、という低い鳴き声に恐るおそる後ろを向けば、馬ほどの大きさの、毛の長い犬のような、狐のような生き物が涎を垂らしながら自分を見下ろしていた。

「レグナは子を産める雌を大切にすると聞く。愛されたいというお前の願いも叶えてくれることだろう。俺がシーラ以外にこれほどの慈悲を見せることはない。ありがたく思うんだな」
「ああぅっ! あうう……!」

(待って! 待って……! だったら死んだほうがいい! だったらいっそのこと――っ)

 殺してくれ、という願いは、体を引き裂くような痛みとともに喉の奥へと引っ込んだ。
 滲む視界のなか、イレーヌは必死に手を伸ばす。けれど、ジルヴィウスは興味なさそうにそれを一瞥しただけで、すぐに背を向け闇の中へと姿を消した。
 獣の荒い息遣いだけが聞こえる静かな夜。月の灯りも届かないような深い森で、イレーヌはただ力なく虚空を見つめることしかできなかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

離宮に隠されるお妃様

agapē【アガペー】
恋愛
私の妃にならないか? 侯爵令嬢であるローゼリアには、婚約者がいた。第一王子のライモンド。ある日、呼び出しを受け向かった先には、女性を膝に乗せ、仲睦まじい様子のライモンドがいた。 「何故呼ばれたか・・・わかるな?」 「何故・・・理由は存じませんが」 「毎日勉強ばかりしているのに頭が悪いのだな」 ローゼリアはライモンドから婚約破棄を言い渡される。 『私の妃にならないか?妻としての役割は求めない。少しばかり政務を手伝ってくれると助かるが、後は離宮でゆっくり過ごしてくれればいい』 愛し愛される関係。そんな幸せは夢物語と諦め、ローゼリアは離宮に隠されるお妃様となった。

私たちの離婚幸福論

桔梗
恋愛
ヴェルディア帝国の皇后として、順風満帆な人生を歩んでいたルシェル。 しかし、彼女の平穏な日々は、ノアの突然の記憶喪失によって崩れ去る。 彼はルシェルとの記憶だけを失い、代わりに”愛する女性”としてイザベルを迎え入れたのだった。 信じていた愛が消え、冷たく突き放されるルシェル。 だがそこに、隣国アンダルシア王国の皇太子ゼノンが現れ、驚くべき提案を持ちかける。 それは救済か、あるいは—— 真実を覆う闇の中、ルシェルの新たな運命が幕を開ける。

勘違い妻は騎士隊長に愛される。

更紗
恋愛
政略結婚後、退屈な毎日を送っていたレオノーラの前に現れた、旦那様の元カノ。 ああ なるほど、身分違いの恋で引き裂かれたから別れてくれと。よっしゃそんなら離婚して人生軌道修正いたしましょう!とばかりに勢い込んで旦那様に離縁を勧めてみたところ―― あれ?何か怒ってる? 私が一体何をした…っ!?なお話。 有り難い事に書籍化の運びとなりました。これもひとえに読んで下さった方々のお蔭です。本当に有難うございます。 ※本編完結後、脇役キャラの外伝を連載しています。本編自体は終わっているので、その都度完結表示になっております。ご了承下さい。

代理で子を産む彼女の願いごと

しゃーりん
恋愛
クロードの婚約者は公爵令嬢セラフィーネである。 この結婚は王命のようなものであったが、なかなかセラフィーネと会う機会がないまま結婚した。 初夜、彼女のことを知りたいと会話を試みるが欲望に負けてしまう。 翌朝知った事実は取り返しがつかず、クロードの頭を悩ませるがもう遅い。 クロードが抱いたのは妻のセラフィーネではなくフィリーナという女性だった。 フィリーナは自分の願いごとを叶えるために代理で子を産むことになったそうだ。 願いごとが叶う時期を待つフィリーナとその願いごとが知りたいクロードのお話です。

旦那様、彼は仕事において必要不可欠なパートナーなのです

ましゅぺちーの
恋愛
伯爵夫人フルールは、夫である伯爵と愛人の秘書に長年頭を悩ませていた。 何度夫に苦言を呈しても「彼女は仕事において必要不可欠なパートナーだから」と一切聞く耳を持たない。 困り果てていたそのとき、彼女は突然前世の記憶を取り戻した。 このままだと夫と愛人の真実の愛の犠牲になってしまう。 それだけは御免だ。 結婚五年目にして、彼女はようやく夫を見限り、新たな事業を立ち上げた。 そして事業を成功させたフルールの隣には、いつも同じ男が立っていた。 その男は誰なのかと問い詰める夫に、フルールはニッコリ笑って言った。 「彼は仕事において必要不可欠なパートナーなのです」と。

【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される

奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。 けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。 そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。 2人の出会いを描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630 2人の誓約の儀を描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041

兄様達の愛が止まりません!

恋愛
五歳の時、私と兄は父の兄である叔父に助けられた。 そう、私達の両親がニ歳の時事故で亡くなった途端、親類に屋敷を乗っ取られて、離れに閉じ込められた。 屋敷に勤めてくれていた者達はほぼ全員解雇され、一部残された者が密かに私達を庇ってくれていたのだ。 やがて、領内や屋敷周辺に魔物や魔獣被害が出だし、私と兄、そして唯一の保護をしてくれた侍女のみとなり、死の危険性があると心配した者が叔父に助けを求めてくれた。 無事に保護された私達は、叔父が全力で守るからと連れ出し、養子にしてくれたのだ。 叔父の家には二人の兄がいた。 そこで、私は思い出したんだ。双子の兄が時折話していた不思議な話と、何故か自分に映像に流れて来た不思議な世界を、そして、私は…

ため息ひとつ――王宮に散る花びらのように

柴田はつみ
恋愛
「離縁を、お願いしたいのです」 笑顔で、震えずに、エレナはそう言った。 夫は言葉を失った。泣いてくれれば、怒ってくれれば、まだ受け止め方があった。しかしあの静けさは、エレナがもう十分に泣き終わった後の顔だと、ヴィクトルにはわかった。 幼なじみと結ばれた三年間。すれ違いは静かに始まり、深紅のドレスの令嬢によって加速した。ため息を飲み込み、完璧な微笑みを保ち続けた公爵夫人が、最後に選んだのは――。 王宮に散る花びらのような、夫婦の崩壊と再生の物語。

処理中です...