野獣公爵の執愛

ゆき真白

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第三章

十一

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 ◇◇◇

 目の前で間抜け面を浮かべるシーラを見て、ジルヴィウスはわずかに目を細める。

『お前、腹が立つくらい可愛な』

 この言葉は、意図せず口から出たものだった。
 これまでシーラに対しそういった気持ちを抱かなかったことはないが、それを口に出したことはほとんどない。
 昔は何度か「可愛い」と口にしたこともあったが、だんだんそれを子ども扱いだとシーラが思い始め、意識的に「綺麗だ」と言うようにしていた。
 再会してからは怒りが心の大半を占め、とてもそんなことを口にする気にはなれなかった。

(再会してからすでに半年近く経っているというのに、こんな言葉一つ俺は言ってやらなかったのか)

 先ほどまでの力強い眼差しはどこへやら。隠しきれない思慕を浮かべ、シーラはうっとりと瞳を蕩けさせながら、ジルヴィウスを見つめていた。

「おーい。可愛い妹ー。ここにお兄様いるからなー」

 喧しいヨエルの言葉は聞こえていないのか、聞いていないのか、シーラはジルヴィウスから目を逸らさない。
 ジルヴィウスはそれに気分を良くし、彼自身もまたシーラにだけ意識を向けた。

「なあ、シーラ。お前を気に病ませるのは本意ではないが、俺の妻となった以上、お前も俺に慣れるべきだと思わないか?」
「……思う」
「お前以外の人間が俺の性格をよく理解し寄り添っているというのも、おかしな話じゃないか?」
「……おかしい」
「俺の一番の理解者であるためには、俺の言動を受け入れるべきだと思うが違うか?」
「……違わない」
「おい。人の妹を洗脳するな」

(いちいち喧しい奴だな)

 遮音魔法を使って黙らせようか、と一瞬考えたジルヴィウスだが、すぐに考えを改め、わざとらしくシーラにすり寄った。

「シーラ。お前の兄がとんでもない言いがかりをつけて来るんだが」
「お兄様! ジルはお兄様が思ってるよりずっと繊細なんだからそんな風に言っちゃだめよ! ジルが悲しんで傷付いてるでしょ!」

 守るようにジルヴィウスを抱き締め、頭を撫でるシーラに、ヨエルは気色悪いものでも見るようにジルヴィウスへ目を向けた。

「正気か? 自分の欲望のために悪事を働いたと認めるような奴がそんな繊細なわけないだろ」
「ジルは素直なの! お兄様のほうが付き合いが長いのに、そんなことも知らないのね」

 ふふん、と得意げに胸を張るシーラに、ヨエルは呆れたように息を吐く。

「お前は賢いのに、なんでジルヴィウスのことになると途端に思考力が落ちるんだ」
「そんなのジルのことが好きだからに決まってるじゃない」
「……ああ。自覚があって結構だ」

 降参とばかりに両手を上げたヨエルは、一拍置いて盛大に吹き出した。腹を抱えて笑うヨエルの顔は、先ほどまでとは打って変わって晴れ晴れとしている。
 シーラが元気に、昔と変わらない様子でいるのを相当嬉しく思っているのだろう。

(シスコンめ)

 ジルヴィウスは小さく鼻を鳴らすと、突然笑い出した兄に困惑するシーラの頬に口付けた。驚いたように自分に目を向けたシーラの頬にもう一度口付けると、ジルヴィウスは体を離す。

「ところで、シーラ。お前ノルティーン家の者に土産を買って来てなかったか?」
「あっ、そうだった! お兄様、先に送った荷物って……」
「荷物は全部お前の部屋に運んである。出て行ったときのままの状態にしてあるから、滞在中はその部屋を使うといい」

 目尻の涙を拭いながら、いまだ小刻みに肩を震わせるヨエルに、シーラは心底不思議そうに首を傾げる。

「そうなの? とっくに片付けられてるかと思ったのに」
「俺が当主でいるうちはそのまま残しとくよ。こんな心配は無意味かもしれないが、夫婦喧嘩したときに逃げる先が必要だろ?」

 やっと笑いがおさまったのか、ヨエルは大きく息を吐きながら肩を竦める。そんなヨエルの姿を、シーラは申し訳なさそうに、ありがたそうに見つめていた。
 相手が誰であれ、シーラの視線を奪われるのは腹立たしい。けれど、ヨエル相手であれば仕方がないかという気もしていた。
 初めての、そして唯一の友に、ジルヴィウスもなんだかんだ甘いのだ。

「ありがとう、お兄様。でもそれなら、ジルはどこで寝るの?」
「お前の部屋でいいだろう。数日だけの滞在なんだし」

 なあ? と目を向けられ、ジルヴィウスは頷く。それにシーラは顔を輝かせると、先ほどより嬉しそうに「ありがとう!」とヨエルに告げた。

「じゃあ、わたし荷物を確認してくるね。ジルは……」
「ここにいる。久しぶりなんだから、ゆっくりしてこい」
「うんっ、ありがとう、ジル。お兄様も。またあとでお話ししようね。今度は楽しい話!」
「ああ。この半年どう過ごしてたのか、夕食の席で教えてくれ」

 シーラは「わかった」と明るく頷くと立ち上がり、ジルヴィウスの頬に軽く口付けて部屋を出て行った。
 談話室には深い静寂が落ちる。
 ヨエルは先ほどまでのにこやかな表情を消すと、鋭い目でジルヴィウスを見た。

「お前――」
「誰が来るかもわからない部屋で無闇に言葉を交わすつもりはない」
「……お前、俺の妹に愛されてることに感謝しろよ」
「お前こそ、俺の妻の兄であること感謝するんだな」

 暖かい季節だというのに、室内には冷気だけが満ちていた。
 あれほど和やかだった雰囲気が嘘だったかのように、二人の間の空気は張り詰めている。
 一触即発という空気間のなか、しばらくの間睨み合いを続けていた二人だったが、少しして、ヨエルが諦めたように息を吐き出した。

「……頼むから、シーラにだけは害が及ばないようにしてくれ」
「お前に言われるまでもない」
「あのなぁ……俺は一応、お前のことだって心配してるんだからな、ジルヴィウス」
「お前が? 俺を?」

 はっと小馬鹿にするような笑みを漏らせば、ヨエルは「むかつく!」と頭を抱えた。

「お前は本っ当に昔からそうだ……! 生意気で、偉そうで、鼻につく! 可愛げってものがまるでありゃしない! いつか鼻を明かしてやろうって躍起になる俺をいっつも見下して……! 周りのことなんか何も関係ないって、冷めた目をして……ずっとつまらなそうで、最初からすべてを諦めているかのように無気力で……俺は、そんなお前が心配だったんだ、ジルヴィウス」
「知ってる。だからお前は、あれほどしつこく俺を領地へ誘ったんだろう」
「お前が素直に頷いてくれりゃあ、あんなつきまとうこともなかったけどな! 最後の一年はお前を追い回した記憶しかないよ、こっちは!」

 柱の陰から、窓の外から、木の中から。ひょっこり顔を出しては「領地に行こう!」と誘ってきたヨエルの姿が思い出され、自然と目尻が下がった。

(兄妹だな。シーラもそうやって俺を追い回してた)

 小さな体を目いっぱい広げてしがみついてきたシーラの姿を思い出しながら、ジルヴィウスは、ふ、と目を伏せる。

「シーラと出会わせてくれたことに関してだけは感謝してる」
「だけってなんだ、だけって! 在学中、どれだけ俺が尻拭いしたと思ってる!」
「頼んでない。お前が勝手にやったことだろ」
「くそっ……なんだってシーラはこんな奴が好きなんだ……!」
「見る目がないんだ」
「本当にな!」

 ヨエルは激しく肩を上下させながら、荒い息を整えていく。

「とにかく、お前に確認したいことがあるから、時間取れ。すぐ。今夜にでも」
「……明け方近くになってもいいならいい」
「何か予定があるのか? それだったら明日でもいいが」

 不思議そうに首を傾げるヨエルの瞳が無垢に煌めく。その若草色の瞳は、シーラにとてもよく似ていた。

(……さっさと切り上げて会いに行くか)

 つい先ほど別れたばかりだが、すでにシーラに会いたかった。昔懐かしい場所に来たせいか、恋しさに似た感情が湧いて出てくる。

(まったく……愚かなものだな、俺も)

 ジルヴィウスは小さく息を吐き出すと、カップの中身を飲み干した。

「新婚旅行中の夫婦を同じ部屋に泊めておいて、ずいぶん野暮なことを訊くんだな」

 立ち上がりながらそう告げれば、ヨエルは呆けたように「は……?」と口を開けた。
 言われたことをすぐには理解できなかったのだろう。次第にその顔は歪んでいき、ヨエルは嫌そうに溜息をついた。

「やめてくれ。親友と妹のそういう話は聞きたくない」
「奇遇だな。俺もお前とこんな話はしたくない」
「ああ、そう……まぁ、いい。執務室で寝てるから、都合のいい時間に来いよ」
「ああ」

 もういいな、と言わんばかりにさっさと扉のほうへ向かえば、後ろから「ジルヴィウス」と名を呼ばれる。無言のまま振り向けば、ヨエルは少し困ったような、けれど嬉しそうな表情で笑んでいた。

「結婚おめでとう、ジルヴィウス」
「……ああ。お前もな」

 ふっと目尻を下げ手を振るヨエルに、ジルヴィウスはそれ以上何も言わず、そっと部屋を後にした。
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