野獣公爵の執愛

ゆき真白

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第三章

十五

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 ◇◇◇

 魔法で二人の体とベッドを綺麗にしたあと、ジルヴィウスはそっとベッドから抜け出す。床に落ちた服を拾い、ズボンを穿いてシャツの袖に腕を通したところで、裾を軽く引かれる。
 後ろを振り返れば、シーラがぼんやりとした眼差しで自分を見上げていた。

「なんだ?」

 裾を掴む手を取り、ベッドに腰掛ければ、シーラは視線を下げてもじもじとジルヴィウスの手をいじる。

「……もう行っちゃう?」
「お前が眠るまで傍にいる」

 空いている手で髪を梳くように頭を撫でれば、シーラは甘えるように頭を擦り付けた。

「でも、お兄様と約束してる時間があるんじゃないの?」
「時間は特に指定してない。明け方近くになるかもしれないとは言ったが」
「明け方? まだ他に予定あるの?」

 視線を上げたシーラが、不思議そうに首を傾げる。その様子が昼間見たヨエルとよく似ており、ジルヴィウスは気が付けばシーラの頬をつまんでいた。

「な、なに……?」
「ヨエルと同じことを訊くから思わずな。新婚旅行中の夫婦が夜同じ寝室ですることなんて一つじゃないか?」

 ぱっと手を放し、わずかに赤くなった頬を撫でれば、一拍置いてシーラの頬が真っ赤に染まった。

「お前の羞恥を感じる基準がわからないな。あれだけ積極的に俺を襲っておいて」
「それはそうなんだけど……」

 シーラはもじもじと目を伏せると、少しして体を起こした。彼女の体の上に掛かっていたブランケットが落ち、裸体が露わになる。
 シーラはジルヴィウスの手を取り、自らの頬に添えると、上目遣いにジルヴィウスを見つめた。

「明け方までしないの……?」

 薄闇に包まれた室内でも、はっきりとわかる煌めく瞳。その若草色の輝きは、昔からまったく変わっていない。

(この部屋でそんな姿のお前を見る日が来るとはな)

 この土地に来てからずっと、謎の郷愁にも似た気持ちが心に渦巻いていた。この場所で過ごした時間などわずかだというのに。肌を撫でる風が、鼻に抜ける香りが、目に映るすべてが、懐かして、恋しくて、何とも言えない気持ちになる。
 シーラは元気な子どもで、よく外を走り回っていた。一方で、室内で過ごすのも好きなようだった。この部屋でもよく一緒に過ごしたのを覚えている。
 一緒に絵を描いたこともある。本を読み聞かせたこともある。せがまれて歌をうたったこともるし、人形遊びに付き合ったこともある。
 何をしても、シーラはキラキラと輝いた目をジルヴィウスに向け、溌溂とした笑みを浮かべていた。

(本当に……大きくなったな、シーラ)

 脳内にかつてのシーラを思い描きながら、ジルヴィウスはわずかに目を細めると、頬へと導かれた手をシーラの細いうなじへと回す。そのままシーラの頭を固定すると、触れるだけの口付けを贈った。
 自分を恐れることなく抱き着き、媚びるわけではなくただ愛らしく自分の名前を呼んだ幼い少女。
 ころころと表情を変え、どんな高価なプレゼントよりも自分と一緒に過ごす時間を喜んでくれた愛らしい少女。
 この世の穢れなど何も知らず、世界は美しく善良だと信じて疑わない、世界中のなけなしの光を集めて生まれたような奇跡の少女。
 そんな、幼く、無垢だった少女は、今や美しい大人の女性へと成長し、醜い男の欲望を一身に受けている。

「ん、ジル……」

 悩ましげなシーラの声に、はっと我に返ったジルヴィウスは、顔を離す。いつの間にか、シーラの唇に噛みついていたようだ。
 ジルヴィウスは、さらりとした髪を梳きながらうなじから手を放すと、赤いシーラの唇を指先で撫でた。

「西部に着いたら一日中抱いてやる。まぁ、半日ベッドから出られなくていいなら抱き直すが」
「それは困る……」

 シーラは一瞬唇を尖らせたものの、すぐにはっと目を見開き、ジルヴィウスのシャツを掴んだ。

「このシャツちょうだい」

 期待の籠った眼差しで見つめられ、ジルヴィウスは先ほど着たばかりのシャツを脱いでシーラに差し出した。シーラはそれを嬉しそうに受け取ったかと思うと、いそいそと着始め、ボタンまで留め始める。
 鬱血痕や歯形がはっきりと視認できる裸体もくるものがあったが、ぶかぶかのシャツに身を包むのもぐっとくるものがある。
 そんな男の欲求に気付いてもいないのか、シーラはシャツを着たままベッドに横になり、ブランケットを被った。

「……そのシャツは返してもらえないのか?」
「わたしは“貸して”じゃなくて、“ちょうだい”って言ったよ」

 ブランケットからひょこりと顔を出し、いたずらっ子のようにふふんと笑うシーラに、ジルヴィウスは気が付けば覆い被さっていた。
 きょとんと自分を見上げるシーラを見下ろしながら、ジルヴィウスはシーツを握り締める。
 ヨエルとの約束をすっぽかすのはいい。
 しかし、シーラのための旅行で、彼女のためにならない行動をするのはだめだと、なけなしの良心が咎める。
 不思議そうな表情を浮かべているのを見る限り、先ほどとは違い誘っているわけではないのだろう。であれば、さっさとシーラの上から退くべきだ。頭ではわかっているのに、体は動かない。

「……」

 求めれば、シーラは間違いなく断らない。断らないということは、嫌ではないということなのだから、何も問題はないのではないだろうか。

(……しっかりしろ。何のためにたった二回で我慢したと思ってるんだ)

 理性と欲望の間でぐらぐらと揺れる気持ちを落ち着けていると、シーラは何かを考えるように首を捻った。そして一瞬ののち、ジルヴィウスの頬にちゅっと柔らかなものが当たった。

「……!」
「えへへ」

 児戯のような、色気も何もない口付け。口付けた本人も、ただ無邪気ににこにこと笑っている。
 それは、ジルヴィウスの欲望を霧散させるには十分な一撃だった。
 脳裏に幼いころのシーラの姿が一瞬浮かび、すっかりその気を削がれる。

(……ここにいると、昔のことばかり思い出すな)

 傷付き泣くことがないよう、大事に大切に見守ってきた少女。
 笑っていてほしくて、溌溂とした声に名前を呼んでほしくて、幸福だけを与えられるよう心掛けてきた少女、
 これほどまで心を傾けたのは、後にも先にもシーラだけだ。

(お前はいつだって、俺にとっての光だった)

 ジルヴィウスは短く息を吐き出すと、シーラの額に口付けを返す。そのままシーラを抱き締め、ベッドに横になると、まだ赤みの引かないシーラの目尻を撫でた。

「何か冷やすものでも持ってくるか?」
「ふふ、ううん。大丈夫」

 シーラは「それより……」とジルヴィウスの肩を押すと、ベッドに仰向けに寝かせた。そしてその上に重なるようにうつ伏せになり、胸板に頬を擦り付ける。

「眠るまでこうしてて」

 シーラの柔らかな頬が、胸板に押されぷくりと膨れている。その姿は、ジルヴィウスが守りたいと思っていた過去の幻影そのものだった。

(……俺の中にまだこんな気持ちが残ってとはな)

 所有物に手を出されたくないという憎い独占欲とは違う、純粋な好意。そんなものがまだ欠片でも残っていたことに驚いたものの、思ったより悪い気はしなかった。けれど、その分自分が過去にした行いがより汚らわしく思え、胃の辺りが気持ち悪くなる。

「……ねぇ、ジル」

 ぽつりと呟かれた甘えた声に、闇に沈み込みそうだった意識が浮上する。
 ジルヴィウスは、安心しきったように自分に身を任せるシーラを見つめながら、彼女のさらりとした髪を梳いた。

「なんだ?」
「……あのね、答えたくなかったらいいんだけど……どうしてジルは最初からわたしに優しかったの? 初めて会ったときからずっと……優しかったよね?」

 重ねて、「どうして?」と問う静かな声に、ジルヴィウスは不思議そうに自分を見上げる幼い子どもの姿を思い出していた。
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