74 / 274
第五章
披露宴(五)
しおりを挟む
“トゥルエノ王国の外交官カルロス・アバスカルは、ルシアナ王女殿下の愛人である”
そんな噂が、シュネーヴェ王国の貴族たちの間で出回っていた。
火付けとなったのは、シーズン開幕を知らせる最初のパーティー。親しげな様子の二人を見て、もしや、と勘繰る人が多かった。そして、その小さな火種を消すことなく残し続けたのが、ユーディットとディートリヒだ。
二人が揃って「ルシアナと外交官の仲が良いのは事実だ」と言えば、猥雑な噂が好きな者たちは、ありもしない想像を膨らませた。当然、彼女たちはルシアナの不名誉にならないよう、「ただの旧知だ」「父が大臣職だから幼少の頃より親交があり兄のように慕っている」、と特別な関係ではないということを真偽を織り交ぜながら話したが、低劣な噂話を好む者たちの邪推は止まらなかった。
そのうちに、尾ひれ背びれの付いた真偽不明の噂が出回るようになり、社交パーティーにカルロスを伴って行けば、噂を事実と受け取る者たちも増え始めた。
ほとんどの人が、そもそも噂を信じていないか、噂が事実かもと思いつつ口に出すことはなかったが、一部の噂を信じる者たちは、面白おかしく、もしくは悪意を持ってその噂を広め、ルシアナを貶めた。
その筆頭だったのが、シュペール侯爵令嬢だ。
「……本当のこと?」
鋭い声に、ルシアナはぞくりと体を震わせる。
喉元に刃を突き立てられている。そんな感覚に陥るほど、レオンハルトからは殺意に近い気が漏れていた。
(さすがに……六年戦場にいた方は違うわ)
一兵卒程度であれば迫力に負け気を失っていることだろう。この気迫と難なく向き合えるのは、余程の手練れか、余程鈍感な人物くらいだ。
(シュペール侯爵令嬢は後者かしら)
呼吸をするのも慎重になるほど緊迫した空気の中、彼女はレオンハルトから声を掛けられたことが嬉しいのか、その瞳を輝かせて頬を紅潮させた。
「はい……! レオンハルト様も噂を耳にされたのではないでしょうか? その方――その女が愛人を外交官としてこの国へ同行させた、という噂を」
レオンハルトはわずかに眉を動かしたものの、それに対し何か言うことはなかった。それをどう受け取ったのか、彼女は嬉々として言葉を続ける。
「その噂は事実だったのです! パーティーに同行させるだけでは飽き足らず、途中で二人揃って姿を消したのを、私も自分の目で確認いたしました! レオンハルト様が留守のときに邸宅に招いたという話も聞きます! その女は貴方様の優しさに甘え、貴方様を裏切り続けていたのです!」
声高にそう叫んだシュペール侯爵令嬢をしばらく黙って見ていたレオンハルトは、ルシアナの肩を抱くとカルロスへ目を向けた。
(あら……)
「だ、そうですが? カルロス殿」
声を掛けられたカルロスは下げていた頭を上げると、爽やかな笑みを浮かべ肩を竦めた。
「はっはっは! ないですね! というか、それは貴殿が一番おわかりでしょう。レオンハルト殿」
「ええ。ですが、ご本人の口から弁明していただくほうが、彼女も事の重大さがわかるかと思いまして」
和やかな雰囲気のレオンハルトとカルロスに、周りの人々は呆気に取られた様子で顔を見合わせる。テオバルドから礼を解いていいという許可は出ていないが、状況を確認したいのか、人々の頭の位置が少しばかり高くなった。
テオバルドも状況を飲み込めていないのか、周りの様子を気にすることなくレオンハルトたちの姿を見ている。
目の前で何が繰り広げられているのか理解していないのはシュペール侯爵令嬢も同様で、彼女はわけがわからないといった様子で頬を引き攣らせた。
「……は……? え……レオ――」
「貴様に名を呼ぶことを許可した覚えはない」
レオンハルトは冷たくそう突っぱねると、深く息を吸った。
「まず、エスコートの件だが、私がエスコートできないときに限り、カルロス殿には代わりを頼んでいた。ただ彼も仕事でこの国に来ているので、入場だけ共にして早々に席を外す、ということも多かったのではないかと思う。ですよね?」
「そうですね。ほとんどのパーティーではそうしていました。外務大臣や商会主と会談をしていたので、議事録を確認していただければ正確な日時がわかるかと思います。パーティーの途中で私とルシアナ様が姿を消したのを見た、というのは、私が抜けるときに必ず、ルシアナ様を休憩室に案内していたからでしょう。会場にルシアナ様を一人にするわけにはいきませんからね」
軽やかにウィンクしてみせたカルロスに、レオンハルトはわずかに表情を和らげた。
(まあ……いつの間にこんなに仲良くなられたのかしら)
そういえば、時折カルロスを晩餐に招いては、そのあと二人で酒を飲んでいたな、ということを思い出し、ルシアナは、む、と口を閉じる。誰に対しても抱いたことのない感情が湧いて出てきたのを感じて、自然と体がレオンハルトに寄った。
レオンハルトは若干目を見張ったものの、肩を抱く手に力を込めただけで何も言わず、再びシュペール侯爵令嬢へ目を向けた。
「あと、私が留守の間にカルロス殿を邸宅に招いた、という話だが、私が覚えている限りそのような事実はない。必要であれば、我が家の来訪記録と私の登城記録を公開してもいい」
シュペール侯爵令嬢は言葉を失ったかのように、口の開閉を繰り返していたが、はっとしたようにルシアナを睨んだ。
「っですが! それらはその男が愛人でない証拠ではありません! その男のポケットチーフをご覧ください! 貴方様のブートニアと同じ紫色! その女の瞳の色ではございませんか!」
再び静まり返った会場で、どこかから笑い声のようなものが聞こえた。
ルシアナたちとは少し離れた場所にいた笑い声の主は、会場の視線を集めたことに気付いたのか、愉快そうに肩を揺らしながらこちらに近付いてくる。
その人物と、その人物の後ろに続く三人の女性の瞳の色は、ルシアナと同じロイヤルパープルだ。
「いや、すまない。終わるまで大人しくしているつもりだったのだが……シュネーヴェがこれほど演劇に力を入れているとは思わなかった。我が国と貴国を繋ぐポータルが完成したら、是非とも我が国の国立劇場で劇を披露してもらいたいものだな」
アレクサンドラたちの登場に、シュペール侯爵令嬢は、ぽかんと口を開ける。アレクサンドラはそんな彼女に、にっこりと笑みを向けると、カルロスの隣まで行き、彼の腰を抱いた。
「せっかく盛り上がっているところを中断させてしまった詫びとして、私もこの茶番に参加しよう。――それで? 私の夫であり、トゥルエノ王国の次期王配であるこの男が、一体、誰の、愛人だって?」
一瞬の静寂ののち、ホールがどよめく。
周りの喧騒と、笑みを消し自身を射竦めるアレクサンドラに、シュペール侯爵令嬢はやっと状況を理解したのか、大きくその体を震わせた。
そんな噂が、シュネーヴェ王国の貴族たちの間で出回っていた。
火付けとなったのは、シーズン開幕を知らせる最初のパーティー。親しげな様子の二人を見て、もしや、と勘繰る人が多かった。そして、その小さな火種を消すことなく残し続けたのが、ユーディットとディートリヒだ。
二人が揃って「ルシアナと外交官の仲が良いのは事実だ」と言えば、猥雑な噂が好きな者たちは、ありもしない想像を膨らませた。当然、彼女たちはルシアナの不名誉にならないよう、「ただの旧知だ」「父が大臣職だから幼少の頃より親交があり兄のように慕っている」、と特別な関係ではないということを真偽を織り交ぜながら話したが、低劣な噂話を好む者たちの邪推は止まらなかった。
そのうちに、尾ひれ背びれの付いた真偽不明の噂が出回るようになり、社交パーティーにカルロスを伴って行けば、噂を事実と受け取る者たちも増え始めた。
ほとんどの人が、そもそも噂を信じていないか、噂が事実かもと思いつつ口に出すことはなかったが、一部の噂を信じる者たちは、面白おかしく、もしくは悪意を持ってその噂を広め、ルシアナを貶めた。
その筆頭だったのが、シュペール侯爵令嬢だ。
「……本当のこと?」
鋭い声に、ルシアナはぞくりと体を震わせる。
喉元に刃を突き立てられている。そんな感覚に陥るほど、レオンハルトからは殺意に近い気が漏れていた。
(さすがに……六年戦場にいた方は違うわ)
一兵卒程度であれば迫力に負け気を失っていることだろう。この気迫と難なく向き合えるのは、余程の手練れか、余程鈍感な人物くらいだ。
(シュペール侯爵令嬢は後者かしら)
呼吸をするのも慎重になるほど緊迫した空気の中、彼女はレオンハルトから声を掛けられたことが嬉しいのか、その瞳を輝かせて頬を紅潮させた。
「はい……! レオンハルト様も噂を耳にされたのではないでしょうか? その方――その女が愛人を外交官としてこの国へ同行させた、という噂を」
レオンハルトはわずかに眉を動かしたものの、それに対し何か言うことはなかった。それをどう受け取ったのか、彼女は嬉々として言葉を続ける。
「その噂は事実だったのです! パーティーに同行させるだけでは飽き足らず、途中で二人揃って姿を消したのを、私も自分の目で確認いたしました! レオンハルト様が留守のときに邸宅に招いたという話も聞きます! その女は貴方様の優しさに甘え、貴方様を裏切り続けていたのです!」
声高にそう叫んだシュペール侯爵令嬢をしばらく黙って見ていたレオンハルトは、ルシアナの肩を抱くとカルロスへ目を向けた。
(あら……)
「だ、そうですが? カルロス殿」
声を掛けられたカルロスは下げていた頭を上げると、爽やかな笑みを浮かべ肩を竦めた。
「はっはっは! ないですね! というか、それは貴殿が一番おわかりでしょう。レオンハルト殿」
「ええ。ですが、ご本人の口から弁明していただくほうが、彼女も事の重大さがわかるかと思いまして」
和やかな雰囲気のレオンハルトとカルロスに、周りの人々は呆気に取られた様子で顔を見合わせる。テオバルドから礼を解いていいという許可は出ていないが、状況を確認したいのか、人々の頭の位置が少しばかり高くなった。
テオバルドも状況を飲み込めていないのか、周りの様子を気にすることなくレオンハルトたちの姿を見ている。
目の前で何が繰り広げられているのか理解していないのはシュペール侯爵令嬢も同様で、彼女はわけがわからないといった様子で頬を引き攣らせた。
「……は……? え……レオ――」
「貴様に名を呼ぶことを許可した覚えはない」
レオンハルトは冷たくそう突っぱねると、深く息を吸った。
「まず、エスコートの件だが、私がエスコートできないときに限り、カルロス殿には代わりを頼んでいた。ただ彼も仕事でこの国に来ているので、入場だけ共にして早々に席を外す、ということも多かったのではないかと思う。ですよね?」
「そうですね。ほとんどのパーティーではそうしていました。外務大臣や商会主と会談をしていたので、議事録を確認していただければ正確な日時がわかるかと思います。パーティーの途中で私とルシアナ様が姿を消したのを見た、というのは、私が抜けるときに必ず、ルシアナ様を休憩室に案内していたからでしょう。会場にルシアナ様を一人にするわけにはいきませんからね」
軽やかにウィンクしてみせたカルロスに、レオンハルトはわずかに表情を和らげた。
(まあ……いつの間にこんなに仲良くなられたのかしら)
そういえば、時折カルロスを晩餐に招いては、そのあと二人で酒を飲んでいたな、ということを思い出し、ルシアナは、む、と口を閉じる。誰に対しても抱いたことのない感情が湧いて出てきたのを感じて、自然と体がレオンハルトに寄った。
レオンハルトは若干目を見張ったものの、肩を抱く手に力を込めただけで何も言わず、再びシュペール侯爵令嬢へ目を向けた。
「あと、私が留守の間にカルロス殿を邸宅に招いた、という話だが、私が覚えている限りそのような事実はない。必要であれば、我が家の来訪記録と私の登城記録を公開してもいい」
シュペール侯爵令嬢は言葉を失ったかのように、口の開閉を繰り返していたが、はっとしたようにルシアナを睨んだ。
「っですが! それらはその男が愛人でない証拠ではありません! その男のポケットチーフをご覧ください! 貴方様のブートニアと同じ紫色! その女の瞳の色ではございませんか!」
再び静まり返った会場で、どこかから笑い声のようなものが聞こえた。
ルシアナたちとは少し離れた場所にいた笑い声の主は、会場の視線を集めたことに気付いたのか、愉快そうに肩を揺らしながらこちらに近付いてくる。
その人物と、その人物の後ろに続く三人の女性の瞳の色は、ルシアナと同じロイヤルパープルだ。
「いや、すまない。終わるまで大人しくしているつもりだったのだが……シュネーヴェがこれほど演劇に力を入れているとは思わなかった。我が国と貴国を繋ぐポータルが完成したら、是非とも我が国の国立劇場で劇を披露してもらいたいものだな」
アレクサンドラたちの登場に、シュペール侯爵令嬢は、ぽかんと口を開ける。アレクサンドラはそんな彼女に、にっこりと笑みを向けると、カルロスの隣まで行き、彼の腰を抱いた。
「せっかく盛り上がっているところを中断させてしまった詫びとして、私もこの茶番に参加しよう。――それで? 私の夫であり、トゥルエノ王国の次期王配であるこの男が、一体、誰の、愛人だって?」
一瞬の静寂ののち、ホールがどよめく。
周りの喧騒と、笑みを消し自身を射竦めるアレクサンドラに、シュペール侯爵令嬢はやっと状況を理解したのか、大きくその体を震わせた。
10
あなたにおすすめの小説
【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される
奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。
けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。
そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。
2人の出会いを描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630
2人の誓約の儀を描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041
借金まみれで高級娼館で働くことになった子爵令嬢、密かに好きだった幼馴染に買われる
しおの
恋愛
乙女ゲームの世界に転生した主人公。しかしゲームにはほぼ登場しないモブだった。
いつの間にか父がこさえた借金を返すため、高級娼館で働くことに……
しかしそこに現れたのは幼馴染で……?
義兄様と庭の秘密
結城鹿島
恋愛
もうすぐ親の決めた相手と結婚しなければならない千代子。けれど、心を占めるのは美しい義理の兄のこと。ある日、「いっそ、どこかへ逃げてしまいたい……」と零した千代子に対し、返ってきた言葉は「……そうしたいなら、そうする?」だった。
毎週金曜日、午後9時にホテルで
狭山雪菜
恋愛
柳瀬史恵は、輸入雑貨の通販会社の経理事務をしている28歳の女だ。
同期入社の内藤秋人は営業部のエースで、よく経費について喧嘩をしていた。そんな二人は犬猿の仲として社内でも有名だったけど、毎週金曜日になると二人の間には…?
不定期更新です。
こちらの作品は「小説家になろう」にも掲載しております。
屈辱と愛情
守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。
人狼な幼妻は夫が変態で困り果てている
井中かわず
恋愛
古い魔法契約によって強制的に結ばれたマリアとシュヤンの14歳年の離れた夫婦。それでも、シュヤンはマリアを愛していた。
それはもう深く愛していた。
変質的、偏執的、なんとも形容しがたいほどの狂気の愛情を注ぐシュヤン。異常さを感じながらも、なんだかんだでシュヤンが好きなマリア。
これもひとつの夫婦愛の形…なのかもしれない。
全3章、1日1章更新、完結済
※特に物語と言う物語はありません
※オチもありません
※ただひたすら時系列に沿って変態したりイチャイチャしたりする話が続きます。
※主人公の1人(夫)が気持ち悪いです。
私は5歳で4人の許嫁になりました【完結】
Lynx🐈⬛
恋愛
ナターシャは公爵家の令嬢として産まれ、5歳の誕生日に、顔も名前も知らない、爵位も不明な男の許嫁にさせられた。
それからというものの、公爵令嬢として恥ずかしくないように育てられる。
14歳になった頃、お行儀見習いと称し、王宮に上がる事になったナターシャは、そこで4人の皇子と出会う。
皇太子リュカリオン【リュカ】、第二皇子トーマス、第三皇子タイタス、第四皇子コリン。
この4人の誰かと結婚をする事になったナターシャは誰と結婚するのか………。
※Hシーンは終盤しかありません。
※この話は4部作で予定しています。
【私が欲しいのはこの皇子】
【誰が叔父様の側室になんてなるもんか!】
【放浪の花嫁】
本編は99話迄です。
番外編1話アリ。
※全ての話を公開後、【私を奪いに来るんじゃない!】を一気公開する予定です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる