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第七章
約束の夜(三)
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最初に思ったのは、そういえばプロポーズはされなかったな、ということだった。
そう思って、政略結婚なのだから当然だ、とすぐに思い直す。
(結婚することがほぼ確定しているのに、プロポーズも何もないわよね)
意外にも、ルシアナは冷静だった。夜気の冷たい空気のせいか、冷静になった心のせいか、先ほど上がったはずの体温が急速に下がっていくのを感じる。
一連の出来事が現実に思えず、まるで俯瞰的にこの状況を見ているような、物語のワンシーンが脳内で再生されているような、そんな心地になった。
(そういえば、わたくしが好きだった恋物語の中に、花畑で告白する場面があったわ。好きで何度も読み返して……)
“告白”という言葉に、若干意識が戻る。
(そうだわ。返事をしないと。返事を――)
口を開け、息を吸った――その瞬間。肌が灼けるのではないかと思うほど熱いものが頬を伝い、一気に現実に引き戻された。掴まれた手の感覚も、視界の先で自分を真っ直ぐ見つめるレオンハルトの姿も、葉が擦れる音も、何もかもがまごうことなき現実だと、鮮明に映し出される。
ぼやけた視界の中、レオンハルトがわずかに目を見開いたのを見て、すべての言動が自分に向けられたものだと真に理解する。
(…………プロポーズ)
今自分はプロポーズをされたのだと理解した瞬間、喉の奥が震え、目から止めどなく涙がこぼれ落ちていく。
「――っ」
(嬉しい……)
レオンハルトがプロポーズをしてくれたことも、愛していると言ってくれたことも、何もかもが嬉しい。
先ほどまで止まっていたのではないかと思うほど心臓が大きく脈打ち、胸がずきずきと痛む。溺れたように呼吸がままならず、早く答えなければ思うのに、口からは荒い息と嗚咽しか漏れない。
「っふ……っ」
(早く返事をしたいのに……)
早く、早く、と思うものの、一向に呼吸は落ち着かない。
酸欠か、泣きすぎか、鈍く頭が痛くなるのを感じていると、レオンハルトが身じろいだ。
(っだめ……!)
なかなか返事をしないことに痺れを切らしてしまったのではないかと、掴まれていた手を、慌てて強く握り返す。
レオンハルトは一瞬動きを止めたものの、すぐに小さく笑うと立ち上がり、掴んだ手を引いてルシアナを抱き締めた。
「大丈夫だから。ゆっくり息を吸って……吐いて……」
握っていないほうの手で優しく背中をさすられ、促されるまま呼吸を繰り返せば、次第に息が整っていく。
いつまでも傍にいてくれる温もりに、ほっと息を吐けば、自然と体から力が抜け、レオンハルトの手を握っていた力も弱まる。すると、レオンハルトはその一瞬の隙を見逃さず手を離し、ルシアナの足を抱え、そのまま抱き上げた。
突然の浮遊感と、上へ抱え上げられた反動で上体が前に傾き、ルシアナは咄嗟にレオンハルトの肩に手をつく。間近に迫ったレオンハルトの顔に目を瞬かせていると、彼は口元に緩やかな弧を描き、濡れたルシアナの頬に口付けた。
頬だけではなく、目尻や瞼など、こぼれた涙をすべて吸うように、ちゅ、と吸い付かれる。その優しく柔らかな感触に、止まっていた涙が再び溢れ出した。
レオンハルトはそれをすべて受け止めるように、舐めては吸うを繰り返す。
愛の証かもしれないと思ったものが、言葉通りレオンハルトへと渡っている。
その事実に胸が優しく締め付けられ、甘く痛んだ。
ルシアナは、きゅ、と口を結ぶと、レオンハルトの肩を押し顔を離す。
レオンハルトがしっかりと支えてくれているため、人の腕に座ってるとは思えないほど安定感があった。ルシアナはそのまま手を離すと、両手でレオンハルトの頬を包み込み、再び顔を近付ける。
目を閉じ、触れるだけのキスをすれば、少しだけ甘い味がした。
そっと瞼を持ち上げ、少しだけ顔を離す。真っ直ぐ自分を見つめてくれるレオンハルトの双眸を見返しながら、ルシアナは精一杯の笑みを浮かべた。
「レオンハルト様。レオンハルト・パウル・ヴァステンブルク様。わたくしを、あなた様の妻にしてくださいませんか。あなた様を愛し、あなた様に愛される権利を、どちらかの命が尽きるまで、一番傍にいられる権利を、あなた様の一番近くで、あなた様をお支えする権利を、どうかわたくしに、与えてくださいまし。……あなた様を、愛しているから」
(ああ、だめね……)
最後まで笑って伝えたいと思った言葉は、結局涙で震えてしまった。
流しすぎればいつか尽きるのではと思った涙は、レオンハルトへの愛を募らせれば募らせるほど、止めどなく溢れ、落ちていった。
「好き、好きです……っ、好き……」
しゃくりあげるように繰り返せば、レオンハルトは堪らないといった様子で相好を崩した。
「ああ。俺も愛してる。俺の妻になってくれ、ルシアナ」
こぼれる涙を吸うように、目尻や頬に何度何度も口付けるレオンハルトの首に腕を回しながら、ルシアナは小さく頷く。
「はい……わたくしも愛しています。わたくしの夫になってください……」
伝えたかった言葉は、鼻を啜りながらという不格好なものになってしまったが、レオンハルトが嬉しそうに表情を緩めたのを見て、そんなことはどうでもよくなってしまった。
(好き……この方が好きだわ。大好き……)
「……レオンハルト様」
「ん?」
呼びかけても頬や瞼への口付けをやめないレオンハルトに、ルシアナは、ぱっと顔を動かすとその唇に口付けた。
「こちらへもしてくださいませ……」
ねだるように熱い息を漏らしながら伝えれば、レオンハルトは目を細め、抱き締める腕に力を込めた。
「……ああ、いくらでも」
重ねられた唇の温かさに、ルシアナはそっと目を閉じる。与えられた分、また溢れたように、ルシアナの頬を涙が伝った。
そう思って、政略結婚なのだから当然だ、とすぐに思い直す。
(結婚することがほぼ確定しているのに、プロポーズも何もないわよね)
意外にも、ルシアナは冷静だった。夜気の冷たい空気のせいか、冷静になった心のせいか、先ほど上がったはずの体温が急速に下がっていくのを感じる。
一連の出来事が現実に思えず、まるで俯瞰的にこの状況を見ているような、物語のワンシーンが脳内で再生されているような、そんな心地になった。
(そういえば、わたくしが好きだった恋物語の中に、花畑で告白する場面があったわ。好きで何度も読み返して……)
“告白”という言葉に、若干意識が戻る。
(そうだわ。返事をしないと。返事を――)
口を開け、息を吸った――その瞬間。肌が灼けるのではないかと思うほど熱いものが頬を伝い、一気に現実に引き戻された。掴まれた手の感覚も、視界の先で自分を真っ直ぐ見つめるレオンハルトの姿も、葉が擦れる音も、何もかもがまごうことなき現実だと、鮮明に映し出される。
ぼやけた視界の中、レオンハルトがわずかに目を見開いたのを見て、すべての言動が自分に向けられたものだと真に理解する。
(…………プロポーズ)
今自分はプロポーズをされたのだと理解した瞬間、喉の奥が震え、目から止めどなく涙がこぼれ落ちていく。
「――っ」
(嬉しい……)
レオンハルトがプロポーズをしてくれたことも、愛していると言ってくれたことも、何もかもが嬉しい。
先ほどまで止まっていたのではないかと思うほど心臓が大きく脈打ち、胸がずきずきと痛む。溺れたように呼吸がままならず、早く答えなければ思うのに、口からは荒い息と嗚咽しか漏れない。
「っふ……っ」
(早く返事をしたいのに……)
早く、早く、と思うものの、一向に呼吸は落ち着かない。
酸欠か、泣きすぎか、鈍く頭が痛くなるのを感じていると、レオンハルトが身じろいだ。
(っだめ……!)
なかなか返事をしないことに痺れを切らしてしまったのではないかと、掴まれていた手を、慌てて強く握り返す。
レオンハルトは一瞬動きを止めたものの、すぐに小さく笑うと立ち上がり、掴んだ手を引いてルシアナを抱き締めた。
「大丈夫だから。ゆっくり息を吸って……吐いて……」
握っていないほうの手で優しく背中をさすられ、促されるまま呼吸を繰り返せば、次第に息が整っていく。
いつまでも傍にいてくれる温もりに、ほっと息を吐けば、自然と体から力が抜け、レオンハルトの手を握っていた力も弱まる。すると、レオンハルトはその一瞬の隙を見逃さず手を離し、ルシアナの足を抱え、そのまま抱き上げた。
突然の浮遊感と、上へ抱え上げられた反動で上体が前に傾き、ルシアナは咄嗟にレオンハルトの肩に手をつく。間近に迫ったレオンハルトの顔に目を瞬かせていると、彼は口元に緩やかな弧を描き、濡れたルシアナの頬に口付けた。
頬だけではなく、目尻や瞼など、こぼれた涙をすべて吸うように、ちゅ、と吸い付かれる。その優しく柔らかな感触に、止まっていた涙が再び溢れ出した。
レオンハルトはそれをすべて受け止めるように、舐めては吸うを繰り返す。
愛の証かもしれないと思ったものが、言葉通りレオンハルトへと渡っている。
その事実に胸が優しく締め付けられ、甘く痛んだ。
ルシアナは、きゅ、と口を結ぶと、レオンハルトの肩を押し顔を離す。
レオンハルトがしっかりと支えてくれているため、人の腕に座ってるとは思えないほど安定感があった。ルシアナはそのまま手を離すと、両手でレオンハルトの頬を包み込み、再び顔を近付ける。
目を閉じ、触れるだけのキスをすれば、少しだけ甘い味がした。
そっと瞼を持ち上げ、少しだけ顔を離す。真っ直ぐ自分を見つめてくれるレオンハルトの双眸を見返しながら、ルシアナは精一杯の笑みを浮かべた。
「レオンハルト様。レオンハルト・パウル・ヴァステンブルク様。わたくしを、あなた様の妻にしてくださいませんか。あなた様を愛し、あなた様に愛される権利を、どちらかの命が尽きるまで、一番傍にいられる権利を、あなた様の一番近くで、あなた様をお支えする権利を、どうかわたくしに、与えてくださいまし。……あなた様を、愛しているから」
(ああ、だめね……)
最後まで笑って伝えたいと思った言葉は、結局涙で震えてしまった。
流しすぎればいつか尽きるのではと思った涙は、レオンハルトへの愛を募らせれば募らせるほど、止めどなく溢れ、落ちていった。
「好き、好きです……っ、好き……」
しゃくりあげるように繰り返せば、レオンハルトは堪らないといった様子で相好を崩した。
「ああ。俺も愛してる。俺の妻になってくれ、ルシアナ」
こぼれる涙を吸うように、目尻や頬に何度何度も口付けるレオンハルトの首に腕を回しながら、ルシアナは小さく頷く。
「はい……わたくしも愛しています。わたくしの夫になってください……」
伝えたかった言葉は、鼻を啜りながらという不格好なものになってしまったが、レオンハルトが嬉しそうに表情を緩めたのを見て、そんなことはどうでもよくなってしまった。
(好き……この方が好きだわ。大好き……)
「……レオンハルト様」
「ん?」
呼びかけても頬や瞼への口付けをやめないレオンハルトに、ルシアナは、ぱっと顔を動かすとその唇に口付けた。
「こちらへもしてくださいませ……」
ねだるように熱い息を漏らしながら伝えれば、レオンハルトは目を細め、抱き締める腕に力を込めた。
「……ああ、いくらでも」
重ねられた唇の温かさに、ルシアナはそっと目を閉じる。与えられた分、また溢れたように、ルシアナの頬を涙が伝った。
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