ルシアナのマイペースな結婚生活

ゆき真白

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第十二章

それから、のそのあと(二)

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 あのあと、城の周りの軽く散策し、城内へと戻った。
 今は冷えた体を温めるべく、二人一緒にバスタブに浸かっている。
 レオンハルトは後ろからルシアナを抱き締めながら、濡れないよう頭上でひとまとめにされた彼女の髪に鼻先を埋めた。
 華やかなルシアナの香りの中に、冬の冷気が染み付いているのを感じて、思わず口元が緩んだ。

(頭の上から足の先、髪の一本まで貴女は俺のものなのだと感じる。これほど喜ばしいことはない)

 抱き締める腕に自然と力が入る。先ほどより体が密着すると、ルシアナがわずかに身じろいだ。

「……あの、レオンハルト様」
「どうした?」

 振り返りレオンハルトを見上げたルシアナは、一度視線を逸らすと、横向きに姿勢を変え、改めてレオンハルトを見た。

「お伺いしたいことがあるのですが……」
「ああ。なんだ? 何でも訊いてくれ」

 頬やこめかみに口付けを繰り返しルシアナの言葉を待っていると、彼女はおずおずと口を開く。

「その、先ほど……朝日を見に行ったときに何を考えていらっしゃったのか気になって。……差し支えなければ教えていただけませんか?」
「ああ……」

(俺がルシアナの言葉に返答をしないのはおかしなことだからな)

 何かを考えている様子だったがそれを気にしていたのか、とレオンハルトはわずかに目尻を下げる。

「そうだな……貴女といると自分自身のことをよく知れるな、と思っていた」
「レオンハルト様ご自身のことを知れる、ですか?」

 ルシアナはレオンハルトの胸元に手を添えながら小首を傾げる。
 宝石と例えることが陳腐に思えるほど煌めくロイヤルパープルの瞳が、ただ自分だけを映している。それが嬉しくて、レオンハルトはルシアナの唇に吸い付きながら、「ああ」と頷いた。

「貴女と初めて会った日、婚約式を終え教会から公爵邸へと向かう馬車の中で、俺に好きな色は何かと尋ねたことは覚えているか?」
「もちろんですわ」

 ルシアナは特に思い出す素振りもなくすぐに頷いた。
 ルシアナと出会ってまだ一年も経っていないが、それでも初めのころの些細なことを覚えてくれていることが心底嬉しかった。それと同時に、昔の愚かな自分のことを思い出し、苛立ちも湧いてくる。
 しかし、それをおくびにも出さず、レオンハルトは穏やかに微笑む。

「あのとき俺は、『雲一つない、よく晴れた空が好きだ』と言っただろう?」
「はい。わたくしは、『レオンハルト様の瞳の色で、明るくて素敵な色です』と申しましたわ。そういえば、あのときレオンハルト様は何とも言えないような表情を浮かべていらっしゃったような……」
「ああ。きちんと考えたうえで出した答えだったんだが、俺の瞳と同じ色だと返されて、自画自賛したような形になったことが気まずくてな。……俺も、あの空の色を美しいと思っていたから」

 過去を思い出すように、思わず表情を緩めれば、聡い彼女はすぐに何かに気付いたように、そっと手を伸ばした。温かな手が頬に触れ、目元を優しく撫でられる。

「お聞きしてもいいですか? その“空”のことを」
「……ああ。もちろん」

 ルシアナの手に自らのそれを重ねながら、レオンハルトは過去を思い出すように言葉を紡いだ。

「およそ十年前、騎士として叙任を受けて間もなく……戦争が勃発した。北西で始まった戦争は徐々に戦火を拡大していき、北方全体が巻き込まれるまでに至ったのは貴女も知るところだろう」

 ルシアナはただ静かに頷く。真っ直ぐなその瞳には、騎士としての覚悟と気高さが見て取れた。
 これからする話は、美しく愛らしい“妻”には相応しくないが、同じように剣を持つ“騎士”にはしてしかるべきだろう、とレオンハルトは口元に小さな笑みを浮かべる。

「……北方は小国の集まりだったし、これまでにも小さな小競り合いはたくさんあったんだ。だが、シュリシモ王国が起こした戦争は、小競り合い程度で済むものではなかった。あいつらは多くの時間と金をかけて戦争を準備していたんだ。……特に最初の一、二年は酷かった」

 あのときの光景や匂いは、一生忘れることはないだろう。
 大地は血で汚れ、死体を焼く煙と土埃で周囲は常に視界が悪く、外だというのに息苦しいほど空気が悪かった。
 自分の周りにはおびただしいほどの死体が重なり合い、テオバルドを護るためにと鍛え上げた剣は、ただの人殺しの道具になっていた。
 当時のレオンハルトは感情らしい感情を持ち合わせていなかったが、それでも心は少しずつすり減っていた。“テオバルドを護る”という絶対的な信念がなかったら、心が折れてしまっていた可能性もある。

(おかしな話だが、俺は他の者より心が鈍くてよかったと思ったものだ)

 ただ言われたことをやる。自分に課せられた責務を従順に果たす。
 今までそうやって生きてきたレオンハルトは、ただただ剣を振り続けた。
 そうして、赤黒い血と薄汚れた死体が世界のすべてになり始めたころだ。
 レオンハルトは、ふと空を見上げた。
 何故視線を上げたのかはわからない。
 戦場で気を逸らすなど、あってはならないことだ。
 そう頭では理解しているのに、レオンハルトは空から視線を逸らすことができなかった。
 見上げた空は、地上の穢れなど何も知らない様子で、ただ美しく澄み渡っていたのだ。大気を汚染している土埃も煙も空に届くことはなく、手の届かない天上はただ雄大だった。

「そのとき思い出したんだ。俺はちっぽけな存在で、自然はこんなにも美しいものなのだと。……心を震わせた故郷の夜明けの景色。肺が凍るほどの寒さも、突き刺すような冷気の痛みも気にならないほど心惹かれる、冬の夜明け。あの景色を生みだすのも、この広大な空なのだと」

 重く沈みかけていた心を掬い上げ、最終的に命を奪うことになったとしても自分の剣は確かに誰かを護るためのものなのだと、そう改めて奮い立たせてくれたのが、広く晴れ渡った空だった。

「あのときから、俺はあの澄んだ空を好きになった。あの空に似た色を見ると、騎士としての自分の指針を思い出すようで……。だが、あの空が好きだったのだと明確に気付いたのは、あのとき貴女に質問をされたときだ」

 レオンハルトはルシアナの手を握る手に少しだけ力を込めると、蕩けるほど甘い声で「ルシアナ」と名前を呼ぶ。

「貴女が俺を知ろうと向き合ってくれるたび、俺も俺のことを知ることができる。足りない俺を、貴女が“人間”にしてくれるんだ」

 ルシアナの手のひらに口付けを落としながら、レオンハルトはその瞳にただルシアナだけを映す。

「貴女は俺のすべてだ、ルシアナ。俺は今日、それを再確認した」
「レオ――っん」

 ふっくらとした柔らかな彼女の口を塞ぐ。ルシアナの吐息は、溶けてしまいそうなほど熱かった。

(貴女に溶かされるなら本望だ。むしろ、溶かされてしまいたい。貴女への愛しか残らないくらい、どろどろに)

 そっと顔を離したレオンハルトは、濡れたルシアナの唇を撫でる。

「愛している、ルシアナ。どうしようもないくらいに、貴女だけを愛してる」

(貴女も、俺への愛だけを残して溶けてしまえばいい)

 頬を赤く染め、喜びを滲ませながら瞳を潤ませるルシアナに、レオンハルトはただ小さく笑みを浮かべた。
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