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エピローグ2.落陽
第四話 母の罪
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伊緒とシリルはトラムに乗ってセントラルステーションに向かう。そこから電気機関車とリニアモーターカーを乗り継ぐ。目的地であるノーザンホークス州のグリンネイピアに到着したのはもう夕方五時を回る頃であった。ここに矢木澤弦造の入院しているホスピスがある。二人はこの街のホテルに一泊して、翌日の二時に弦造と面会する予定となっていた。
ステーションのコンコースでは懐かしい人物が二人を待ちわびていた。彼女は改札をくぐった二人をすぐに見つけ、足早に近づく。シリルの元所有者の元配偶者、「母」である旧姓矢木澤ハルだった。
ハルは笑顔で二人を迎え両手で握手する。
「ああ、あなた、あなたシリルさんね。それに伊緒さん。いいえ、今は島谷先生、ですね。本当に長いことご無沙汰してしまって」
「え、いえいえ、こちらこそあれから連絡のひとつもせずに申し訳ございません」
伊緒やシリルが最後に会った時よりハルはだいぶ年を取り、身体やその動きも少し緩慢に見えた。しかし、顔色や表情、声の張りは当時とは比べ物にならない。長い時間が、一人娘を失った心の傷を癒してくれたのだろうか。
「そんな、島谷先生、どうかお気になさらないで下さい。でもまさかこうして再会できるだなんて。本当に、十八年経っても本当にミラにそっくり。あの子が生きていたらこんな姿になっていたんですね。島谷先生、シリルさん。ミラを生かして下さって本当にありがとうございます」
ハルは涙ぐみながら何度も深々と頭を下げ、伊緒とシリルを慌てさせた。
どうしても、と言うハルの懇願に根負けする形で、三人は旧世界のアメリカ料理を再現する名店、「グラニットクエリー」で会食する。
ハルはバッファローウィングをナイフとフォークだけで器用に捌く。聞けば今は音楽教師をしていて、一人暮らしには苦労しない程度の収入を得ているのだと言う。
それを聞いて安心する伊緒とシリル。伊緒はテリヤキステーキをぱくつきながら、シリルはフライド・キャットフィッシュを不思議な顔をしながら少しずつ食べている。
そのうち三人は過去の懐かしい話に花を咲かせる。当時はハルでさえ二人の仲の良さを少々訝しんでいた事。二人の連弾の美しさに心洗われた事。伊緒と知り合って以来、シリルもミラもどんどん人間らしく生き生きとしてきた事、それを見たハルも大いに心穏やかに過ごせるようになっていった事。そして、離婚とシリル廃棄の事。
「離婚当時私にはシリルを維持できる経済力はありませんでした。私の心の病も治癒の見通しが立たず逆にシリルさんに依存するようになってしまっていて…… ああ、でもあなたが廃棄されなくて本当に、本当に良かった」
そう言うとまた目を潤ませシリルと伊緒に感謝の念を述べるハルだった。
二人は自分たちだけの為に廃棄を逃れようとしただけだったが、このことを改めて他の人に感謝されると、二人とも何だかむず痒い気持ちになる。
「あたしは不器用もので、シリルさんを助けようとした時もたくさんの人に迷惑をかけてしまいました…… でもこれで亡くなったミラさんが少しでも浮かばれるのならば、あたしも少しは救われます」
穏やかな口ぶりの伊緒だったが、ハルには今でも突き刺さる言葉だったようだ。
「それは…… ないと思います」
俯いて、暗い店内では判然としない表情になるハル。
「そんなことはないと思うわ、お母さん」
咄嗟に声をかけるシリル。ハルがまた以前の姿に戻ってしまうのはいたたまれないものを感じる。
「ああ、そうね。シリルさんはあの子の最期についての記録がないのね。そうでないと、そんな事は言えないわ。あの子は、あの子はきっと今でも……」
確かにシリルにはミラの死因やその死の前後に関する記録は全くない。ミラの感情プログラムやハルのカウンセリングプログラム内には存在しているが、なぜか厳重にプロテクトされていて、シリルではそれを窺い知る事はできない。
何かを決意したような面持ちのハルは正面の二人を向く。
「明日、あの人に会うのでしたら、やはりミラの最期について知っておいた方がいいでしょう。特に実際に会うシリルさんは」
「あ、あの、無理なさらなくていいんですよ、苦しかったら。ハルさんのお気持ちが一番大事なんですから」
「そうよお母さん。無理しないで。ね」
だがゆっくりと頭を振ったハルはある朝の日の出来事(※)について語り始めた。
ミラのピアノ発表会の日。その朝ハルが手動運転した車は、ハルの運転ミスにより事故を起こしてしまった。そして助手席に同乗していたミラが死んでしまったのだ、と。
ハルの話、いや懺悔や告解ともとれる告白をひと通り聞き終えた二人は言葉が出ない。そしてハルの深い苦しみを知った。
「それは、さぞかしお辛かったでしょう」
ようやく伊緒が言葉を口にする。
「お気遣いいただいてありがとうございます、島谷先生。でももうだいぶ良くなりました。良くなってはいけないことなのですが。私はこのまま死ぬまでこの罪を背負い続けるでしょう」
「そんなことないわ、……お母さん」
「私のことをまだお母さんと呼んで下さるんですね。ありがとう、シリルさん」
ハルの表情はどこか寂しげだった。いや、昔を懐かしんでいる表情だったのかもしれない。
「お母さん……」
三人はこのあと言葉少なに夕食を終え、伊緒とシリルはハルに紹介されたホテルに着いた。
別れる時ハルはかつての打ちひしがれた姿のまま寂し気に微笑むと夜の街灯りの中に消えていった。
▼用語
※ ある朝の日の出来事:
詳しくは「プロローグ1. 最後の笑顔」を参照のこと。
ステーションのコンコースでは懐かしい人物が二人を待ちわびていた。彼女は改札をくぐった二人をすぐに見つけ、足早に近づく。シリルの元所有者の元配偶者、「母」である旧姓矢木澤ハルだった。
ハルは笑顔で二人を迎え両手で握手する。
「ああ、あなた、あなたシリルさんね。それに伊緒さん。いいえ、今は島谷先生、ですね。本当に長いことご無沙汰してしまって」
「え、いえいえ、こちらこそあれから連絡のひとつもせずに申し訳ございません」
伊緒やシリルが最後に会った時よりハルはだいぶ年を取り、身体やその動きも少し緩慢に見えた。しかし、顔色や表情、声の張りは当時とは比べ物にならない。長い時間が、一人娘を失った心の傷を癒してくれたのだろうか。
「そんな、島谷先生、どうかお気になさらないで下さい。でもまさかこうして再会できるだなんて。本当に、十八年経っても本当にミラにそっくり。あの子が生きていたらこんな姿になっていたんですね。島谷先生、シリルさん。ミラを生かして下さって本当にありがとうございます」
ハルは涙ぐみながら何度も深々と頭を下げ、伊緒とシリルを慌てさせた。
どうしても、と言うハルの懇願に根負けする形で、三人は旧世界のアメリカ料理を再現する名店、「グラニットクエリー」で会食する。
ハルはバッファローウィングをナイフとフォークだけで器用に捌く。聞けば今は音楽教師をしていて、一人暮らしには苦労しない程度の収入を得ているのだと言う。
それを聞いて安心する伊緒とシリル。伊緒はテリヤキステーキをぱくつきながら、シリルはフライド・キャットフィッシュを不思議な顔をしながら少しずつ食べている。
そのうち三人は過去の懐かしい話に花を咲かせる。当時はハルでさえ二人の仲の良さを少々訝しんでいた事。二人の連弾の美しさに心洗われた事。伊緒と知り合って以来、シリルもミラもどんどん人間らしく生き生きとしてきた事、それを見たハルも大いに心穏やかに過ごせるようになっていった事。そして、離婚とシリル廃棄の事。
「離婚当時私にはシリルを維持できる経済力はありませんでした。私の心の病も治癒の見通しが立たず逆にシリルさんに依存するようになってしまっていて…… ああ、でもあなたが廃棄されなくて本当に、本当に良かった」
そう言うとまた目を潤ませシリルと伊緒に感謝の念を述べるハルだった。
二人は自分たちだけの為に廃棄を逃れようとしただけだったが、このことを改めて他の人に感謝されると、二人とも何だかむず痒い気持ちになる。
「あたしは不器用もので、シリルさんを助けようとした時もたくさんの人に迷惑をかけてしまいました…… でもこれで亡くなったミラさんが少しでも浮かばれるのならば、あたしも少しは救われます」
穏やかな口ぶりの伊緒だったが、ハルには今でも突き刺さる言葉だったようだ。
「それは…… ないと思います」
俯いて、暗い店内では判然としない表情になるハル。
「そんなことはないと思うわ、お母さん」
咄嗟に声をかけるシリル。ハルがまた以前の姿に戻ってしまうのはいたたまれないものを感じる。
「ああ、そうね。シリルさんはあの子の最期についての記録がないのね。そうでないと、そんな事は言えないわ。あの子は、あの子はきっと今でも……」
確かにシリルにはミラの死因やその死の前後に関する記録は全くない。ミラの感情プログラムやハルのカウンセリングプログラム内には存在しているが、なぜか厳重にプロテクトされていて、シリルではそれを窺い知る事はできない。
何かを決意したような面持ちのハルは正面の二人を向く。
「明日、あの人に会うのでしたら、やはりミラの最期について知っておいた方がいいでしょう。特に実際に会うシリルさんは」
「あ、あの、無理なさらなくていいんですよ、苦しかったら。ハルさんのお気持ちが一番大事なんですから」
「そうよお母さん。無理しないで。ね」
だがゆっくりと頭を振ったハルはある朝の日の出来事(※)について語り始めた。
ミラのピアノ発表会の日。その朝ハルが手動運転した車は、ハルの運転ミスにより事故を起こしてしまった。そして助手席に同乗していたミラが死んでしまったのだ、と。
ハルの話、いや懺悔や告解ともとれる告白をひと通り聞き終えた二人は言葉が出ない。そしてハルの深い苦しみを知った。
「それは、さぞかしお辛かったでしょう」
ようやく伊緒が言葉を口にする。
「お気遣いいただいてありがとうございます、島谷先生。でももうだいぶ良くなりました。良くなってはいけないことなのですが。私はこのまま死ぬまでこの罪を背負い続けるでしょう」
「そんなことないわ、……お母さん」
「私のことをまだお母さんと呼んで下さるんですね。ありがとう、シリルさん」
ハルの表情はどこか寂しげだった。いや、昔を懐かしんでいる表情だったのかもしれない。
「お母さん……」
三人はこのあと言葉少なに夕食を終え、伊緒とシリルはハルに紹介されたホテルに着いた。
別れる時ハルはかつての打ちひしがれた姿のまま寂し気に微笑むと夜の街灯りの中に消えていった。
▼用語
※ ある朝の日の出来事:
詳しくは「プロローグ1. 最後の笑顔」を参照のこと。
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