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過去(流奈編)
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しおりを挟む土曜日のその日、私は杏香ちゃんの家に行っていた。
もちろん彼女の具合が心配だったというのはあるけど、居場所のない教室だったり、くすくす嘲笑うクラスメイトだったり、その癖、私をいない者のように扱う空気だったりーーこれらにはもううんざりしていたから、少し外に出て気を晴らしたかったというのもあったんだと思う。最近の休日はずっと家で勉強していて、外出する事は殆どなかったから。
私は彼女のお母さんに通されて、彼女の部屋の前に来る。
「杏香ちゃん、私だけどーー大丈夫?」
……。
返事はない。
彼女が学校に来なくなって1週間が経っていた。その日以来、私は毎日彼女の家に足を運んでいるんだけど、返事はおろか、部屋の中に入れてもらえた事もない。
今日もダメか……。
声をかけてしばらく、そう諦めて帰ろうとした時ーー
「……って」
ドアの向こうから何か聴こえた。
杏香ちゃんが返事してくれた……?
「杏香ちゃん⁉︎」
私は慌てて、今まで垂らされなかった糸を必死に繋ぎ止めるように、彼女の発言を拾う。
「杏香ちゃん、今なんてーー」
「帰ってって言ったの!」
それは、どうしようもないーー彼女からの断交の言葉だった。
「毎日毎日欠かさずうちに来て!……私は全部流奈ちゃんの所為だってーー。流奈ちゃんが私の友達になって、流奈ちゃんがテストで良い点取って、流奈ちゃんがAコースに選ばれたから私にまで火の粉が飛んで来たって!ーーそう思おうとしてるのに……何で毎日うちに来るのよ!何で私の事そんなに心配するのよ!」
言われた時、どういう意味かすぐには分からなかった。けど時間が経つに連れ、彼女は今回の事を受け入れられずに、そのストレスの捌け口をーー原因を、全て私に押し付けようとしているのだと気付いた。でも私は彼女を心配して毎日彼女の家に来ているーー完全に私を悪者に出来ないから彼女は苦しんでいるのだ。
正直、彼女がそこまで追い詰められているとは思わなかった。繊細な子だとは思っていたけど、ここまで心が硝子細工のようだとは思わなかった。
私が驚きのあまり彼女に何も言えずにいると、彼女の声が聞こえたのか、彼女のお母さんが一階から上がって来た。
「コラ、杏香!流奈ちゃんになんて事言ってるの⁉︎悪いのは他のクラスメイトで流奈ちゃんは何も悪くないんでしょ⁉︎ーーそんなだからなかなか友達つくれないのよ!ーーほら、流奈ちゃんに謝りなさい!……流奈ちゃんごめんなさいね、うちの馬鹿娘がーーほら、杏香!部屋から出て来て流奈ちゃんに謝りなさい!」
ドアをドンドン!と叩くお母さん。それでも彼女は部屋から出て来そうになかった。
「……あの、お母さんいいんです。杏香ちゃんも精神的に辛いんでこんな事を言ったんだと思いますし……私は気にしてませんからーー杏香ちゃん!私、気にしてないから!今日はもう帰るけどまた学校で会おうね!」
私はそう一方的に言って、引き止めるお母さんを「大丈夫です、気にしてないんで」と押し切って、彼女の家を出た。
「ーーうん、スイーツでも食べないとやってられない!」
彼女の家を出た私は、先程彼女から言われた言葉を思い出して、嫌な気分になってーーでも彼女自身の本心ではない、彼女はそういう事を言う子じゃないのを知っているから、彼女も被害者で、本当に悪いのは彼女じゃなくて、全部陰口を叩くクラスメイトだからーーと無理矢理自分を納得させて。
切り替えるためにはやけ食いしかないという発想に思い至り、最近出来たらしいスイーツ専門店に足を運び、スイーツバイキングに臨んでいた。
90分、2,500円。
食べるぞう!
私は細かく切られた苺ケーキやチョコレートケーキ、チーズケーキやマカロン、更にはタルトや
までお皿に盛り、1人バクバクと凄い勢いで食べ始める。
美味しい美味しい美味しい美味しい美味しい美味しい美味しい美味しい!
一意専心、美味しいとだけ思うーーそう思わないとすぐに悪い考えに頭を支配されそうだった。
私は一心不乱に食べまくる。
「ーーンッ!」
だけどあんまり勢いよく口に詰め込むから、呑み込むのが間に合わず、ケーキを喉に詰まらせたーー私は慌てて水を呷る。
グイッーー
と。
その時。
ーー私は見てしまった。
私の席から見える、ガラス張りの向こう側ーー幸せそうに手を繋いで歩く3人家族のーーお父さん、小さな娘さん、そして……
「お母さん?」
お母さんは、お母さんだった。
見紛う事なく、『私の』お母さんだった。
私のお母さんに最後に会ったのは、もう11年くらい前になる。
11年ーー
変わるには十分すぎる時間だ。
11年の間にお母さんーーいや、今は私のお母さんではないから白崎郁美という女性かーーいや、それすらも違う。もう白崎ですらないんだっけ。
とにかく彼女は、私のお母さんである前に、〇〇郁美という個人だったというだけの話で、およそ11年の間で精神は回復し、病院を退院し、新しい旦那さんに出会って、結婚して、子供を産んで、今は幸せに暮らしているーーと、そういう事だろう。
今まで、ずっと、きっと、家族みんなの性格が合わなかったんだとーーそう、自分に言い聞かせて来た。けど、実際にお母さんだった人が幸せにやってる姿を見るとーー幸せな家族のお母さんをやってるのを見るとーー私の家族じゃ、ダメだったのかな、本当にこうはなれなかったのかな、と思う。
惨めな気持ちに、なる。
まだバイキングの時間は結構余ってる。
けどもう、私のお腹は満腹だった。
私は店を出て、家に帰るーー独りきりの、家に。
帰り道、雨に降られた。ーーツイていない時というのはとことんツイていないらしい。私はびしょ濡れになりながら家に辿り着く。
お風呂で温まろうと、服を脱ごうとしてーーお風呂場にある洗濯機を見て気付いた。
「……洗濯物、干しっぱだ」
私は、私と同じくびしょ濡れになった衣類を回収する。台風が来る事を覚えていたのか、お父さんの衣類は見当たらなかった。
覚えてたなら教えてよ。
私は雨の中、洗濯物を抱いて泣き崩れた。
惨めだった。
悲しかった。
悔しかった。
苦しかった。
キレそうだった。
もう。
ーー嫌になった。
独りきりの夕食を終えて、暴風の中、外に出る。雨はいつの間にか止んでいた。
家の近くには山があり、竹藪がある。私はそこへ歩を進めるーー先程ニュースを見ていて、私がいた町の、七夕祭りが取り上げられていたのだ。今年は彼と行けないし、ましてこの街には七夕祭りそのものがないのは残念だけど、笹が近くにあるのは幸いだった。
私はさっき自室で作った短冊を見やるーー毎年書いてる願い事があるけど、今回は違うものにした。
『優希くんに会えますように』
今すぐ、というのが本音だけど、現実的にそれは難しい。でも、もし、可能なら、こっちには私のクローンか何かを置いてもらって、精神体というか、本体は彼の元へーー何ていうのが理想ではある。
なんて事を考えていると竹藪に着いた。風で凄い勢いで揺れる笹のひとつを抑えて、短冊を取り付けようとしてーー私は結ぶための紐を忘れたのに気が付く。
本当にツイてない、というか、これは持ってくるのを忘れた自分の責任だけど、流石にかなりうんざりした。一度帰って持って来るのは面倒だしーー彼がいつもおみくじでやっているように、短冊自体を固結びしようか?ーーいや、この風だ、すぐに吹き飛ばされるだろう。
「……そうだ」
いい事を思いついた。
私は前髪に取り付けていたヘアピンを外すーーこれは優希くんと最後に別れた時に、彼からもらったヘアピンだ。「帰ってから開けてくれ」 と言われたから帰ってから中身を確認したんだけど、私が渡したヘアピンと同じものではないにしろ、モノは同じである事に思わず噴き出したものだーーそれは確かに「恥ずかしくて死ねる」だろう。
私は短冊と笹とを、祈りながらヘアピンで取り付ける。私が彼に託したヘアピンならいざ知らず、これはカチッとやるタイプなのでそう簡単には外れないだろう。
ーー風が強くなって来た。
この風で嫌なこと全部吹き飛べばいいのに。
そんな事を思いながら家に戻る。
今年の七夕祭りは花火打ち上げれるのかなぁ。
優希くんと屋台回りたかったなぁ。
徒然とそんな事も思いながら家まであと半分というところで
「ガシャガシャガシャッーー!」
急に後ろから大きな音がした。
何ーー?
振り向いた時、ソレはもう、眼前にあった。
頭に今までにない衝撃を受けてーーそこで私の意識はプッツリと途切れた。
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