棘-とげ-  

ひろり

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あの日

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 あの日から十数年の歳月が流れていた。

 大石おおいしかおるが捜査情報漏洩ろうえいの疑いで懲戒免職。
 その一報を聞いた時、柳田は地方の警察署に勤務していた。
「署長、お知り合いですか」
 そう訊かれ、とっさに「いや、接点はない」と答えていた。
 多少の後ろめたさを感じたが、その時は秘かに付き合ってきた薫の名前が、予期しない形で耳に入ったことにパニック状態に陥ってもいた。
 無意識に働いた自己防衛だったのだろう。


 事の始まりはある人物の自殺だった。

 自殺の名所で知られる海に面した切り立った崖下に、転落した男の遺体が上がった。
 所持品から判明した男の名前は龍崎りゅうざき大蔵たいぞう。末期癌を患い失意の中の自殺と見られた。
 特に問題視されることなく自殺として処理されるはずだった。

 しかし、龍崎大蔵は元暴力団構成員。自殺した当時は貿易会社を経営していたが、その経歴から会社は暴力団のフロント企業と目されていた。
 これを機に会社の実態を暴こうと捜査に入ったが、フロント企業を示すものは何も見つからず、代わりに龍崎の財産のほとんどが大石おおいし玲子れいことその妹で、捜査三課に配属になったばかりの大石薫の名義になっていた。

 予期せぬ名前が浮上したことで、捜査は方向を変えることになる。

「薫は私が17で生んだ娘。薫は何も知らないわ。生まれてすぐ両親の子供にされたから。でも実際は私と龍崎大蔵の娘よ」
 大石玲子はニヤリと妖艶な笑みを浮かべ、挑むような視線を捜査員の男に投げた。
 化粧品の訪問販売や展示販売で全国を回っているというだけあって、フルメイクに派手な衣装で膝上丈のスカートから覗く太ももを組んでいる。太めに引いたブラウンのアイラインとつけまつ毛を強調するようにゆっくりと瞬きを繰り返し、ワインレッドの唇を少し尖らせ、取調室には香水の香りを充満させていた。

「私は出会った16の頃からずーっと龍崎の女よ。まあ、一緒には住んでなかったけどね。でも、だから長く続いたのかなあ。日本全国色んな場所で会って楽しかったなあ」
 玲子は能天気な笑顔を見せる。まるで喫茶店で親しい友人と雑談しているような話しぶりである。

 突然、キャッキャと楽し気に笑い出す。
「薫が警察に入ったって聞いた時に、案外警察の身体検査もいい加減だなあって思ったわ。教育者で頭のお堅い父や母にしてみたら、私たちと一番遠いところに置きたかったんだろうけど、国家権力あざむくなんて案外やるよね。二人とも草葉の陰で高笑いしてんじゃない」

 そう言って捜査員に笑いかけるが、何の反応もしてもらえないとわかると諦めたように深いため息をつく。
「ああ、こんな形で実の母親だと知られるなんて不幸だわ。私、あの子のどんな話も相談事も何でも聞いてあげるし、行きたいところがあれば連れて行く。欲しいものは何でも買ってあげるし、お砂糖みたいに甘い大好きなお姉ちゃんって、薫にはすごく慕われてたのになあ」

「龍崎が貿易会社を隠れ蓑に海外との薬物取引をやってたという話があるが? 全国飛び回りながら薬物売買にも関わってたんじゃないのか?」
 おもむろに捜査員が語り掛ける。
 玲子が机に身を乗り出して片肘を付き、ギロリと上目遣いで睨み付けハンと鼻で笑う。

「そんな証拠、どこにあるのさ。あの人は私のために足洗ってカタギになってくれたの。でも、クソ親父は薫を返してもくれなかった。父と名乗れなかった男がせめてもの罪滅ぼしに、娘に財産残して一体何が悪いのよ!」
 玲子はもう一度ハンと鼻を鳴らし、不貞腐ふてくされたように体の向きを変えると、以降何を訊かれても平然と無視を決め込み押し黙った。

 そして薫は、捜査情報漏洩の疑いで警察を辞めさせられた。
 玲子の語った「何でも話していた」という言葉の曲解による無理矢理な措置だった。
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