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追憶(1)
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「会社、辞めるんだって?」
歩きながら、向井の秘書、田辺が早翔に声をかけてくる。
「ええ、今の仕事が片付いたら辞めます」
向井から呼ばれていると伝えられ、早翔は田辺と共に法務部の小会議室に向かっていた。
初対面では必要最小限の言葉のみで、印象が良いとは言えなかった。
あれ以来、法務部には何度も出入りしたが、田辺個人と言葉を交わす機会はほとんどなく、見かけても視線を合せることもない。ただ、早翔は何となく、自分が田辺から敬遠されているように感じていた。
仕事上の接点がほぼないことを考えると、避けられる理由もない。
理由があるとしたら…
そんな思いを巡らせながら、早翔は田辺の横顔をチラチラ見ていた。
田辺が早翔を一瞥して「何?」と不機嫌そうに訊いてくる。
「いえ… あの、田辺さんに避けられてたような気がして。私、何かしたかなあと思って…」
「別に、何もされてない」
早翔の頬が少し緩みかける。
「まあ、気に食わない。どちらかと言えば嫌いだ」
緩みかけた顔が固まり、田辺を凝視する。
田辺は表情一つ変えず、小会議室のドアを開けると、早翔に入れと顎で言う。
早翔が入ると田辺も後に続き、後ろ手でドアを閉めた。
早翔を見てニヤッと顔をゆがめる。
「面と向かって他人からそんなことを言われたのは初めてって顔してる」
「普通、そうでしょう。理由もなく嫌うなんて子供のすることでしょう」
田辺はフンと鼻で笑って視線を逸らす。
「綺麗な顔したヤツは自分が好かれて当然だと思ってる」
「そんなこと思ってないし、綺麗な顔だとも思ってない」
「ホストやってたくせによく言うよな」
田辺は早翔に背を向け、ドアノブに手をかけた。
「田辺さん、八つ当たりは見苦しいですよ」
田辺が開けたドアを閉め、ゆっくりと早翔に向き直る。
「八つ当たり?」
「あなたがもの言う相手は向井さんでしょう。どうせ、俺と向井さんの関係も知ってるんでしょう」
田辺はニヤッと白い歯を見せて笑う。
「なあ、アンタ、社内でどう言われてるか知ってるか?」
「どうって…」
意表を突かれ、早翔の顔が強張る。
「監査室の人たらし」
早翔がフッと力が抜けたように笑って「何それ…」と漏らす。
「監査室の人間は煙たがられるけど、アンタはいとも簡単にその壁を取り払う。余計なことまで話を引き出す人たらしだって」
「余計なことまでって… 外部じゃあるまいし、内部に隠し事したって意味ないのに…」
早翔が苦笑しながら頭に手をやる。
「まあ、もう辞めるからどうでもいいけど… 人たらしと言われる程度で、向井さんとのことは噂にもならなかった。田辺さんの配慮があったなら感謝します」
早翔がペコリと頭を下げる。
「やっぱ、人たらしだ」
田辺が屈託のない笑顔を見せた。
「取締役はわかり易い。他部署の平社員で直接電話するのはアンタだけ…」
意味ありげに頬をゆがめ薄く笑う。
「これからは周りを気にすることなく連絡取れるな」
「安心してください。向井さんとはもう終わりました」
早翔が穏やかに微笑むと、田辺の顔から笑みが消え、真顔で早翔を見つめる。
「告白するなら今ですよ」
田辺が吹き出し破顔した。
「ホント嫌なヤツだな…」
二人で顔を見合わせ、声を殺して笑い合う。
田辺が大きく息を一つ吐き、踵を返した。
「そろそろ呼びに行かないと… きっと痺れを切らしてる」
早翔がその背中に「ああ、一つだけ…」と呼び止める。
「お互いに新しい恋人が見つかるまでで構わないから付き合いましょう。付き合いながら新しい出会いを求めても構わない。そう言ってみて」
しばらく固まっていた背中が緩やかに動き出す。
「参考にさせてもらう」
田辺は背後の早翔に軽く手を上げ出て行った。
歩きながら、向井の秘書、田辺が早翔に声をかけてくる。
「ええ、今の仕事が片付いたら辞めます」
向井から呼ばれていると伝えられ、早翔は田辺と共に法務部の小会議室に向かっていた。
初対面では必要最小限の言葉のみで、印象が良いとは言えなかった。
あれ以来、法務部には何度も出入りしたが、田辺個人と言葉を交わす機会はほとんどなく、見かけても視線を合せることもない。ただ、早翔は何となく、自分が田辺から敬遠されているように感じていた。
仕事上の接点がほぼないことを考えると、避けられる理由もない。
理由があるとしたら…
そんな思いを巡らせながら、早翔は田辺の横顔をチラチラ見ていた。
田辺が早翔を一瞥して「何?」と不機嫌そうに訊いてくる。
「いえ… あの、田辺さんに避けられてたような気がして。私、何かしたかなあと思って…」
「別に、何もされてない」
早翔の頬が少し緩みかける。
「まあ、気に食わない。どちらかと言えば嫌いだ」
緩みかけた顔が固まり、田辺を凝視する。
田辺は表情一つ変えず、小会議室のドアを開けると、早翔に入れと顎で言う。
早翔が入ると田辺も後に続き、後ろ手でドアを閉めた。
早翔を見てニヤッと顔をゆがめる。
「面と向かって他人からそんなことを言われたのは初めてって顔してる」
「普通、そうでしょう。理由もなく嫌うなんて子供のすることでしょう」
田辺はフンと鼻で笑って視線を逸らす。
「綺麗な顔したヤツは自分が好かれて当然だと思ってる」
「そんなこと思ってないし、綺麗な顔だとも思ってない」
「ホストやってたくせによく言うよな」
田辺は早翔に背を向け、ドアノブに手をかけた。
「田辺さん、八つ当たりは見苦しいですよ」
田辺が開けたドアを閉め、ゆっくりと早翔に向き直る。
「八つ当たり?」
「あなたがもの言う相手は向井さんでしょう。どうせ、俺と向井さんの関係も知ってるんでしょう」
田辺はニヤッと白い歯を見せて笑う。
「なあ、アンタ、社内でどう言われてるか知ってるか?」
「どうって…」
意表を突かれ、早翔の顔が強張る。
「監査室の人たらし」
早翔がフッと力が抜けたように笑って「何それ…」と漏らす。
「監査室の人間は煙たがられるけど、アンタはいとも簡単にその壁を取り払う。余計なことまで話を引き出す人たらしだって」
「余計なことまでって… 外部じゃあるまいし、内部に隠し事したって意味ないのに…」
早翔が苦笑しながら頭に手をやる。
「まあ、もう辞めるからどうでもいいけど… 人たらしと言われる程度で、向井さんとのことは噂にもならなかった。田辺さんの配慮があったなら感謝します」
早翔がペコリと頭を下げる。
「やっぱ、人たらしだ」
田辺が屈託のない笑顔を見せた。
「取締役はわかり易い。他部署の平社員で直接電話するのはアンタだけ…」
意味ありげに頬をゆがめ薄く笑う。
「これからは周りを気にすることなく連絡取れるな」
「安心してください。向井さんとはもう終わりました」
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「告白するなら今ですよ」
田辺が吹き出し破顔した。
「ホント嫌なヤツだな…」
二人で顔を見合わせ、声を殺して笑い合う。
田辺が大きく息を一つ吐き、踵を返した。
「そろそろ呼びに行かないと… きっと痺れを切らしてる」
早翔がその背中に「ああ、一つだけ…」と呼び止める。
「お互いに新しい恋人が見つかるまでで構わないから付き合いましょう。付き合いながら新しい出会いを求めても構わない。そう言ってみて」
しばらく固まっていた背中が緩やかに動き出す。
「参考にさせてもらう」
田辺は背後の早翔に軽く手を上げ出て行った。
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