早翔-HAYATO-

ひろり

文字の大きさ
57 / 69

追憶(1)

しおりを挟む
「会社、辞めるんだって?」
 歩きながら、向井の秘書、田辺が早翔に声をかけてくる。
「ええ、今の仕事が片付いたら辞めます」
 向井から呼ばれていると伝えられ、早翔は田辺と共に法務部の小会議室に向かっていた。

 初対面では必要最小限の言葉のみで、印象が良いとは言えなかった。
 あれ以来、法務部には何度も出入りしたが、田辺個人と言葉を交わす機会はほとんどなく、見かけても視線を合せることもない。ただ、早翔は何となく、自分が田辺から敬遠されているように感じていた。
 仕事上の接点がほぼないことを考えると、避けられる理由もない。
 理由があるとしたら…
 そんな思いを巡らせながら、早翔は田辺の横顔をチラチラ見ていた。

 田辺が早翔を一瞥して「何?」と不機嫌そうに訊いてくる。
「いえ… あの、田辺さんに避けられてたような気がして。私、何かしたかなあと思って…」
「別に、何もされてない」
 早翔の頬が少し緩みかける。
「まあ、気に食わない。どちらかと言えば嫌いだ」
 緩みかけた顔が固まり、田辺を凝視する。
 田辺は表情一つ変えず、小会議室のドアを開けると、早翔に入れと顎で言う。
 早翔が入ると田辺も後に続き、後ろ手でドアを閉めた。
 早翔を見てニヤッと顔をゆがめる。

「面と向かって他人からそんなことを言われたのは初めてって顔してる」
「普通、そうでしょう。理由もなく嫌うなんて子供のすることでしょう」
 田辺はフンと鼻で笑って視線を逸らす。
「綺麗な顔したヤツは自分が好かれて当然だと思ってる」
「そんなこと思ってないし、綺麗な顔だとも思ってない」
「ホストやってたくせによく言うよな」
 田辺は早翔に背を向け、ドアノブに手をかけた。

「田辺さん、八つ当たりは見苦しいですよ」
 田辺が開けたドアを閉め、ゆっくりと早翔に向き直る。
「八つ当たり?」
「あなたがもの言う相手は向井さんでしょう。どうせ、俺と向井さんの関係も知ってるんでしょう」
 田辺はニヤッと白い歯を見せて笑う。
「なあ、アンタ、社内でどう言われてるか知ってるか?」
「どうって…」
 意表を突かれ、早翔の顔が強張る。

「監査室の人たらし」
 早翔がフッと力が抜けたように笑って「何それ…」と漏らす。
「監査室の人間は煙たがられるけど、アンタはいとも簡単にその壁を取り払う。余計なことまで話を引き出す人たらしだって」
「余計なことまでって… 外部じゃあるまいし、内部に隠し事したって意味ないのに…」
 早翔が苦笑しながら頭に手をやる。

「まあ、もう辞めるからどうでもいいけど… 人たらしと言われる程度で、向井さんとのことは噂にもならなかった。田辺さんの配慮があったなら感謝します」
 早翔がペコリと頭を下げる。
「やっぱ、人たらしだ」
 田辺が屈託のない笑顔を見せた。
「取締役はわかり易い。他部署の平社員で直接電話するのはアンタだけ…」
 意味ありげに頬をゆがめ薄く笑う。

「これからは周りを気にすることなく連絡取れるな」
「安心してください。向井さんとはもう終わりました」
 早翔が穏やかに微笑むと、田辺の顔から笑みが消え、真顔で早翔を見つめる。
「告白するなら今ですよ」
 田辺が吹き出し破顔した。
「ホント嫌なヤツだな…」
 二人で顔を見合わせ、声を殺して笑い合う。

 田辺が大きく息を一つ吐き、踵を返した。
「そろそろ呼びに行かないと… きっと痺れを切らしてる」
 早翔がその背中に「ああ、一つだけ…」と呼び止める。
「お互いに新しい恋人が見つかるまでで構わないから付き合いましょう。付き合いながら新しい出会いを求めても構わない。そう言ってみて」
 しばらく固まっていた背中が緩やかに動き出す。
「参考にさせてもらう」
 田辺は背後の早翔に軽く手を上げ出て行った。
しおりを挟む
感想 17

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ

BL
鍛えられた肉体、高潔な魂―― それは選ばれし“供物”の条件。 山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。 見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。 誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。 心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

おじさん、女子高生になる

一宮 沙耶
大衆娯楽
だれからも振り向いてもらえないおじさん。 それが女子高生に向けて若返っていく。 そして政治闘争に巻き込まれていく。 その結末は?

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-

ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。 1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。 わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。 だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。 これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。 希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。 ※アルファポリス限定投稿

処理中です...