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父親(3)
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その日、早翔は車を出した。
「ちょっと寄るとこあるけどいい?」
早翔の問いに、助手席に座っている草壁が「俺もある」と返す。「今日は運転しないから酒を買いたい」
早翔が立ち寄った先は、個人宅の玄関に、小さな丸い木の看板がぶら下がり、丸い文字で「手作り屋」とあった。
「手作りの店? 二人へのプレゼントか」
早翔がふっと笑って頷いた。
呼び鈴を押すと、すぐに中から女性が出て来た。化粧気のない素朴な雰囲気で、上から下までメルヘンのような、パステル調の可愛い手作りの服に身を包んでいる。
「商品、ご確認いただけますか」
そう言って、差し出されたのはピンクのウサギのぬいぐるみだった。
3個あり、可愛いエプロンドレスを身に着け、それぞれの胸に「ななこ」「ななと」「らんこ」と丸い文字で刺繍がされている。
「蘭子のもある」と、草壁が吹き出す。
「私にはないの?って絶対文句言うからね。予防線張った」
「付き合い長いだけあるな。よくわかってる」
手作り屋を後にして、近くの百貨店の地下で酒と軽食を調達する。
「買う酒は決まってる。蘭子が飲みたいって言ってたやつ」
そう言って草壁が手にしたシャンパンは、見覚えのあるものだった。
「懐かしいなあ。蘭子さんに飲まされてぶっ倒れた時のヤツだ」
「ああ、それか」と草壁が笑う。「3万か。まあまあの値段だな」
「店だとその10倍だから」
「すげーぼったくりの世界だよな」
「ぼったくりではない。様々な付加価値が付いての価格だ。俺がぶっ倒れた労働を込みにしたら安いくらいだ」
「違いないわ」と草壁が笑い声を上げた。
「ちょっと早いし、お茶でもしてかないか」
早翔が誘うと、草壁の目が泳ぎ、ええ…とうなって少しの迷いを見せる。
「時間通りに行くんだから大丈夫。蘭子さんに確認なんかしたら、お茶なんかしてないですぐ来いって怒鳴られるし、しれっと寄ってくのがいいのさ。俺も心を落ち着かせたいし」
草壁の躊躇いを推し量り、早翔が涼しい顔で言うと、「かなわんな」と苦笑が返ってくる。
「緊張するな」
早翔が紅茶を一口すすって、ぼそっと呟く。
「涼しい顔して、全然、そんな風に見えないぞ」
草壁がニヤけた笑いを浮かべる。
「酒、飲んでないの?」
早翔が、草壁が買ったシャンパンが入った紙袋を指さす。
「いつもは車だから」
「蘭子さんも飲まないしね」
「いや、ちょびちょびやってるんじゃねーの。たまには一緒に飲めって誘われたことあるけど、丁重にお断りした」
「車だから?」と訊くと、うんと頷く。
「泊まらせてもらえばいいじゃない」
軽く言う早翔に、草壁が目を丸くする。
「お前、簡単に言うな。お前が言ってたんだぞ。泊まると、性交渉があると推認されるって。その場合、反証は難しいって」
それは、何年も前に草壁に雑談の中で話した内容で、向井の受け売りだった。
「そんな昔にした話、よく覚えてるなあ。なんか別の顔も思い出すし…」と苦笑する。
「大体誰に対して、何のために反証が必要なんだよ。仮に何かあっても何の問題もないだろう」
破顔する早翔に、草壁が眉間に皺を寄せる。
「やめろ。ババアの趣味はない」
言い終わると同時に、草壁の携帯電話の着信音が鳴った。
慌てて出ると、口を半開きにして、げんなりした顔で早翔に視線を送る。
「噂をすれば影だ」
早翔がやれやれと頬をゆがませながら、草壁から携帯を受け取る。
「…時間つぶしてないで、さっさと来なさいよ! こっちはずっと待ってるんだから…」
耳から少し離していてもわかるくらいの声である。
「久しぶり、蘭子さん」
早翔が声を掛けると、ピタリと蘭子の声が止まった。
「今日はありがとう。長い間、待たせてごめんね」
ふうとため息をついた後に、「本当よ…」と小さな呟きが返ってくる。
「今日は、すごく楽しみだけど、俺、かなり緊張してるんだ。心を落ち着けて、安全運転で行くから、もう少し待っててね」
しばらく沈黙した後、ふふっと笑う息遣いが聞こえる。
「なるべく早くね。もう、二人とも待ちくたびれてるんだからね。早くね」
穏やかに笑って電話が切れた。
「なんだよ、この扱いの違いはよぉ」
草壁が相変わらずうんざりした顔ではぁと息を吐く。
「二人とも待ちくたびれてるんだってさ」
早翔が苦笑しながら立ち上がる。
「そんなわけなかろ。待ちくたびれてるのはババアだろ。喋れないうちからダシに使われて、先が思いやられるわ」
言いながら草壁も立ち上がる。
「直、ババアは禁止だからな。クソガキって返されるぞ」
「いや、この歳になるとクソガキって言われるのも悪くない。まだまだ若いって勘違いできるし」
二人は顔を見合わせて笑い合った。
終わり
最後まで読んでいただきありがとうございました。
心から感謝いたします。
「ちょっと寄るとこあるけどいい?」
早翔の問いに、助手席に座っている草壁が「俺もある」と返す。「今日は運転しないから酒を買いたい」
早翔が立ち寄った先は、個人宅の玄関に、小さな丸い木の看板がぶら下がり、丸い文字で「手作り屋」とあった。
「手作りの店? 二人へのプレゼントか」
早翔がふっと笑って頷いた。
呼び鈴を押すと、すぐに中から女性が出て来た。化粧気のない素朴な雰囲気で、上から下までメルヘンのような、パステル調の可愛い手作りの服に身を包んでいる。
「商品、ご確認いただけますか」
そう言って、差し出されたのはピンクのウサギのぬいぐるみだった。
3個あり、可愛いエプロンドレスを身に着け、それぞれの胸に「ななこ」「ななと」「らんこ」と丸い文字で刺繍がされている。
「蘭子のもある」と、草壁が吹き出す。
「私にはないの?って絶対文句言うからね。予防線張った」
「付き合い長いだけあるな。よくわかってる」
手作り屋を後にして、近くの百貨店の地下で酒と軽食を調達する。
「買う酒は決まってる。蘭子が飲みたいって言ってたやつ」
そう言って草壁が手にしたシャンパンは、見覚えのあるものだった。
「懐かしいなあ。蘭子さんに飲まされてぶっ倒れた時のヤツだ」
「ああ、それか」と草壁が笑う。「3万か。まあまあの値段だな」
「店だとその10倍だから」
「すげーぼったくりの世界だよな」
「ぼったくりではない。様々な付加価値が付いての価格だ。俺がぶっ倒れた労働を込みにしたら安いくらいだ」
「違いないわ」と草壁が笑い声を上げた。
「ちょっと早いし、お茶でもしてかないか」
早翔が誘うと、草壁の目が泳ぎ、ええ…とうなって少しの迷いを見せる。
「時間通りに行くんだから大丈夫。蘭子さんに確認なんかしたら、お茶なんかしてないですぐ来いって怒鳴られるし、しれっと寄ってくのがいいのさ。俺も心を落ち着かせたいし」
草壁の躊躇いを推し量り、早翔が涼しい顔で言うと、「かなわんな」と苦笑が返ってくる。
「緊張するな」
早翔が紅茶を一口すすって、ぼそっと呟く。
「涼しい顔して、全然、そんな風に見えないぞ」
草壁がニヤけた笑いを浮かべる。
「酒、飲んでないの?」
早翔が、草壁が買ったシャンパンが入った紙袋を指さす。
「いつもは車だから」
「蘭子さんも飲まないしね」
「いや、ちょびちょびやってるんじゃねーの。たまには一緒に飲めって誘われたことあるけど、丁重にお断りした」
「車だから?」と訊くと、うんと頷く。
「泊まらせてもらえばいいじゃない」
軽く言う早翔に、草壁が目を丸くする。
「お前、簡単に言うな。お前が言ってたんだぞ。泊まると、性交渉があると推認されるって。その場合、反証は難しいって」
それは、何年も前に草壁に雑談の中で話した内容で、向井の受け売りだった。
「そんな昔にした話、よく覚えてるなあ。なんか別の顔も思い出すし…」と苦笑する。
「大体誰に対して、何のために反証が必要なんだよ。仮に何かあっても何の問題もないだろう」
破顔する早翔に、草壁が眉間に皺を寄せる。
「やめろ。ババアの趣味はない」
言い終わると同時に、草壁の携帯電話の着信音が鳴った。
慌てて出ると、口を半開きにして、げんなりした顔で早翔に視線を送る。
「噂をすれば影だ」
早翔がやれやれと頬をゆがませながら、草壁から携帯を受け取る。
「…時間つぶしてないで、さっさと来なさいよ! こっちはずっと待ってるんだから…」
耳から少し離していてもわかるくらいの声である。
「久しぶり、蘭子さん」
早翔が声を掛けると、ピタリと蘭子の声が止まった。
「今日はありがとう。長い間、待たせてごめんね」
ふうとため息をついた後に、「本当よ…」と小さな呟きが返ってくる。
「今日は、すごく楽しみだけど、俺、かなり緊張してるんだ。心を落ち着けて、安全運転で行くから、もう少し待っててね」
しばらく沈黙した後、ふふっと笑う息遣いが聞こえる。
「なるべく早くね。もう、二人とも待ちくたびれてるんだからね。早くね」
穏やかに笑って電話が切れた。
「なんだよ、この扱いの違いはよぉ」
草壁が相変わらずうんざりした顔ではぁと息を吐く。
「二人とも待ちくたびれてるんだってさ」
早翔が苦笑しながら立ち上がる。
「そんなわけなかろ。待ちくたびれてるのはババアだろ。喋れないうちからダシに使われて、先が思いやられるわ」
言いながら草壁も立ち上がる。
「直、ババアは禁止だからな。クソガキって返されるぞ」
「いや、この歳になるとクソガキって言われるのも悪くない。まだまだ若いって勘違いできるし」
二人は顔を見合わせて笑い合った。
終わり
最後まで読んでいただきありがとうございました。
心から感謝いたします。
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