俺のソフレは最強らしい。

深川根墨

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76.河川敷とベンチ

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「取ってこーい!……え、取っておいでよ雷太ぁ」

 京は今隣町の河川敷にいる。少年サッカーが出来るほどの中洲があると聞き、雷太を連れて散歩にやってきた。空は秋空、行楽日和の快晴だ。
 ただ、雷太はボールに反応しない。ボールに見向きもせず、じっと京を見つめるだけだ。京がボールを取りに動けば後をついてくる。じっと見つめ続ける瞳に京は眉を下げた。

「どこも行かへんで。ごめんな」

 あの事件から一週間が経った。今も雷太は不安そうだ。あの日のように突然京がいなくなってしまうのではないか、一人で残されるのでは無いかと不安なのだろう。京をじっと見つめる瞳が一層潤んでいるように見えて京も心が痛かった。
 以前のように安心して生活が送れるようになるには、時間がかかるだろう。

 あの日のことは本当に警察沙汰になることはなかった。
 みちるちゃんがどうなったのかも、あの時いた男たちが今どうしているのかも分からない。壱也曰く、死んではいないという。それ以上は所沢さんに口止めされているらしい。
 
「京」
「あ、ゼロお疲れさん。あ、この子がジャネット? すごい、シェパードだ! カッコイイ!」

 尾を振り、土手を駆け降りようとするジャネットを窘めながらゼロが近づいてくる。
 ジャネットはいつもお世話をしている山手のマダムの飼い犬だ。 
 シェパード犬のメスだ。ジャネットが弾丸のように突進してくる様を見て、雷太の顔は強張っている。目は見開き、顔は背けるもののその視線はジャネットに注がれている。
 それでも逃げないのは漢として譲れない沽券のようなものがあるのだろう。一丁前に。

 雷太とジャネットの初対面はドキドキしたが……結果、雷太はジャネットにメロメロになった。お尻を嗅ぎ合って仲を深めると体格差をもろともせず二人は広場を駆け回っている。
 ジャネットが大きいので遠くから見ると、クリーム色のボールを追いかけているように見える。ロングリードを持ってきて本当に良かった。

「ここよく来るん?」
「あぁ、以前マリナに待ち伏せされて川に落ちた。ジャネットも一緒に」
「うわ……あ、もしかしてそれで風邪ひいた?」
「あぁ」

 随分と前のことのように感じる。
 あの時、男たちに袋叩きにされたカクを助けたのはマリナだった。
 男たちは携帯電話を奪い、万が一に備えてカクを人質にするつもりだったようだ。もちろんカクは暴れて抵抗した、だが雅美を人質に取られ、刃物を突きつけられて形勢は逆転。カクの反撃を受けていた男たちは頭に血が上ったのかカクを寄ってたかって暴行し、そして腹部を刺し重傷を負わせた。
 マリナはその一部始終を目撃していた。二人が犯人とは別の車に押し込まれたのを見て、隙を狙って車を強奪した。

 マリナはみちる側の人間だと聞いていた。なのに、どうして助けてくれたのか分からない。ゼロ曰く、本人にも分からないという。
 カレーライスを頬張っていたマリナを思い出し、京は口元を緩めた。

 雷太とジャネットの追いかけっこを見つめて、穏やかな気持ちになる。
 こうして周りを気にすることなく外出するのは久しぶりだ。
 懸賞金も引き下げられ、ようやく平穏な日々を取り戻した。
 変わらないことは、こうしてゼロがそばにいて、桜庭組の皆と食卓を囲むこと。以前のように頻回ではないが、家のダイニングテーブルを六人で囲む日々が続いている。
 
 不思議なことに、あれからうたた寝をしてしまっても、悪夢を見ない。いつもなら追いかけられて、そのまま谷底に落ちる夢など、心臓に悪い夢ばかり見ていたのに。
 孤独が悪夢を呼んでいたのいたのかもしれない。自分では感じていなかったが、きっとそういうことなのだろう。
 
 二人はきゃっきゃうふふしている犬二匹を眺めつつ、雨風に晒されすっかり傷んだベンチに腰掛けた。
 ゼロの上着のポケットからバイブ音が響く。長いので着信だろう。だけれど、ゼロは気にする素振りを見せない。

「取らんでいいの? 携帯鳴ってんで?」
「あぁ。必要ない」

 ゼロの視線は二匹から離さない。それでもやはり気になるのか上着の外から鳴り続ける携帯電話を握りしめていた。やがて着信が止まると唐突に京の髪をぐしゃぐしゃにかき混ぜた。

「んもう! 何すんねん!」
「そういえば、カクさんが現場に戻った」
「え? もう? 傷は大丈夫なん?」
「手厚い看護を受けたんだ。当然だ」

 この事件でもたらした幸福がもう一つ。
 絶縁していたカクと元妻が事件をきっかけに再び縁を結んだ。
 よりを戻した訳ではない。カク曰く、メル友……らしい。数日に一度そっけない文面ではあるものの、ご飯を食べているか、元気にしているかを確認するメールが来るようだ。安否確認のようなやりとりだが、カクはとても嬉しそうに携帯電話を見つめていた。
 存在を知らされていなかった我が子に、会うたびにおもちゃをプレゼントしているカク。父親だと名乗れる日も近いだろう。

「サングラスは、もういらへんね」
「意外に、ヤクザは涙脆い人間が多いな」
「根が優しいもん、みんな」

 カクがサングラスを外さない理由。
 それは充血した目を隠すためだった。妻との別れはカクにとって耐え難い孤独を与えた。それは、就寝時に涙を流してしまうほど、不眠症になるほどだった。
 泣き腫らした日もあったようで、それでは示しがつかないと所沢によってサングラスが買い与えられ、絶対に何があっても外さないように厳命されていたそうだ。
 何やそらッ! ってツッコミ入れたくなる事実だけれど、カクさんらしい。
 いつの日か、再び家族に戻れることを祈るばかりだ。

「ほんま、良かったー、幸せやわ」
「あぁ……そうだな」

 京がゼロの肩に頭を乗せると、ゼロは優しく頬を撫で返してくれた。

「今晩は、二人っきりやで」
「そうか」
「うん。だから、一緒にお風呂、入ろっか」

 京は言い淀みつつ、恥ずかしそうに目を伏せた。

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