狼の獣性

筺 柚人

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七年後の二人

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「普通の? ふわふわ?」

「今日はふわふわで」

「わかった」

 狩野はボウルに片手で卵を割りいれた。美食好きの恋人のために空き時間にホテルの厨房に通い詰め、この数年で料理の腕をめきめき上げていた。

卵の白身を切る様に混ぜてから、生クリームと粗塩を入れる。

 ダイニングでは翠がテーブルのセッティングをしている。モスグリーンのマットを敷いて、カトラリーを用意し、準備はばっちりのようだ。「よし」と言って、腰に手をあてている。

 それから彼は、リビングの隅っこに小山のように寝そべったちーにドッグフードをあげた。すっかり老犬になって、長い距離の散歩も難しくなったが、のんびり日向ぼっこをしながら日々を過ごしている。時折翠と並んで昼寝している姿が、狩野にはたまらない光景に見えるのだった。

 戯れる一人と一匹を横目で見ながら、フライパンにバターを流しいれる。翠が気に入った混ぜないスクランブルエッグは火加減が難しく、厨房で凝視しすぎて「さすがに邪魔だ」とシェフに言われたのは良い思い出だ。かわりにボーナスを上乗せしたのでとんとんだろう。

「オレガノ? バジル?」

「今日はオレガノの気分」

 犬のワンポイントが描かれた皿にフライパンの中身を滑らせた。ベビーリーフとトマトを添えて、要望通りのオレガノを散らす。これで準備はできた。

 作り置きの豆たっぷりのミネストローネと、ホテルオリジナルレシピのパン、それにちょっとしたサラダとヨーグルトとフルーツで朝食の準備ができた。ひっそりと自分のためにチョコレートクリームを置いているが、翠はまず食べないので自分の側に引き寄せる。

 二人で隣り合って手を合わせた。視線の先には水をぺちゃぺちゃと飲むちーがいる。

「いただきます。卵の良い匂いだ」

「力作だから」

「あはは。いつもありがと……おいしー」

 上品にナイフとフォークを使う翠の横で、狩野は箸で卵を割った。ホテルの跡取りとして会食もあることだし使えないわけではないが、日常使いにはやはり箸が楽でそうしている。以前旅行に行った際に、翠とおそろいで買った塗り箸だ。

 一口卵を口に入れるとバターの香りが広がって、それからみっしりと詰まった卵が歯触りを楽しませる。無言で頷いて自分の料理の出来を称賛していると、横で翠が吹き出した。

「威って職人っぽいところあるよな。言葉少なに頷いてるところがそれっぽい」

「そうかもな。何かを深めてくのは楽しい」

「根気強いしね。そうだ、ニュースで見たけど、日本初上陸のカフェの招致が決まったんだって? 随分前に苦戦してるって言ってなかった?」

「よく覚えてたな。……向こうの代表を口説くのにまる二年かかった。そこから販路の調整と、今ある店との兼ね合いもして……長かったな」

「うわ、さすが威だ。二年って結構長いよね」

「実は出張費がとんでもない。収益ですぐに取り返せるだろうが」

「……威のとんでもないは本当にとんでもないだろうね」

 翠は遠い目をしながらトマトを口に放り込んで、首を傾げた。

「そのうち俺も行こうかな。テレビでやってた何百層とかいうパイ生地のやつ、食べてみたい」

「関係者向けのプレオープンに呼ぶ。並ばなくても入れるぞ」

「いいの? やった」

 にこと翠が可愛らしく笑うのを見て、狩野は口の端についた卵のかすをとるのを言い訳にキスしそうになったが、強靭な理性でもって耐えた。今日は出かける用事があるのだ。朝から元気にやっていられない。

 あれから時が過ぎ、狩野は二十五歳、翠は三十三歳になった。年齢もそうだが、狩野の一番の変化といえば、二十を過ぎても身長が止まらず、最終的には百八十を超えるに至ったことだ。

 成長痛で起きた回数が人よりも多いことには納得いかないが、翠がそっと関節をさすって労わってくれたのでまあいいかと思っている。介護みたいだとこっそり翠が呟いたことには知らんぷりしたが。

 狩野はスープを飲み干した翠を眺めた。涼し気な目元は年を重ねて落ち着いたが、ふとした瞬間色気が出るようになって困るときがある。学校で生徒に言い寄られていないかとか、そういうことだ。狩野自身がかつては言い寄っていた生徒なだけに、考えすぎではないはずだ。

「何? なんかついてる?」

「……卵が。口に」

「見てないで言ってよ。恥ずかしいだろ」

 ティッシュを一枚とって口を拭う。さすがにティッシュになりたいとまでは言わないが、少しだけ羨ましいと思ってしまい、狩野は自分の思考に苦笑いした。

「今度は何?」

「思い出し苦笑い」

「そんな造語はじめて聞いたんだけど……」

 実際は思い出しでもないのだが、そこまで言う必要はないだろう。狩野は考えるのをやめて、食事に集中した。









 狩野の誕生日当日は平日で、きちんと祝う余裕がないからと、次の休日をお祝いの日と称したのは翠だった。朝ごはんは狩野が作ると申し出たら最初は渋っていたが、祝われることの感謝だと言えばすんなり引き、その後のプランに全神経をまわしたようだ。

 長時間の移動が難しいちーには家で留守番を頼み、二人は水族館巡りをした。今度、ホテルで新しくオープンしたいブースのデザインがアクアリウムバーだということを、翠はおぼえていたらしい。事前チケットを購入してある徹底っぷりで、狩野はさほど待つこともなく青の空間に入ることができた。

 休みの日まで仕事の話をしたくない人もいるそうだが、狩野はそういうタイプではなかった。むしろ、普段はあえてしない仕事の話を翠を交えてできるのが楽しみで、柄にもなく足取りが早くなってしまったほどだ。

 二月の寒空では室内はなおのこと暖かく感じた。バレンタインが近いということで催し物もやっており、思ったよりも寒々しくない。

「くらげを置くとライトアップできて華やかになるな」

「水族館のイメージって言ったら青だけど、青以外もするの?」

「そこに迷ってる。寒色と中間色でまとめたほうが雰囲気はあるが、意外性がないんだよな。……実は、世間の流行りという理由でアクアリウムバーをやるのもどうかと未だに思ってるくらいで」

「じゃあカサゴとか鯛とかロブスターとかの赤い魚をおいてみるとか」

「……食べたくならないか?」

「なるかも。ダメだ。次考えよう」

 ブレインストーミングさながらに翠はぽんぽんアイディアを出してくる。狩野は一つ一つ丁寧に言葉を返した。

 偵察がてら水族館のカフェスペースにも足を運んだ。その水族館名物の動物を頭に据えたドリンクやフードがやはり多く、また、夜になると酒を出す店が多い。金魚の形のゼリーが入った青いリキュールの酒は見た目はよさそうだが、季節感や味を考えると迷うところだった。コンサルタントはもちろんいるが、狩野がマネージャーとしてコンセプトを持っていなければ話にならない。

 仕事としてかっちりと視察するのではなく、デートとして翠と見ていると、現金なことだがバーの計画に感じる楽しさが増した。先ほどは迷いがあると言ったものの、恋人と行く水族館のイメージを作るのはどうだろう、とふと思う。魚好きのためのカウンターやテーブルは用意しつつ、カップル向けに半個室になるように場所を区切ってみるのはどうだろうか。

 三つの水族館を回り終えたころには狩野の思考も随分とまとまってきて、脳内のメモの分量がけっこうなことになっていた。

「ペンギン可愛かった。あの泳ぎが下手なやつが特に。ガラスにぶつかるペンギンって初めて見たよ」

「俺も初めて見た。怪我しそうで飼育員も気が気じゃないだろうな。客でもはらはらするくらいだから」

「確かに。さっきのも怪我になってないといいけど」

 他愛もない会話をしながら、翠に連れられるまま電車を降りた。時刻は七時を回っており、街には光が溢れていた。ケヤキ並木を彩るイルミネーションを、多くの人に混じってゆく。

 首輪をつけた者もそうでない者も、男も女も、たくさんの性がいた。中には狩野たちと同じくアルファとオメガのカップルもいるかもしれない。マフラーに隠されて噛みあとが見えないだけで、番になっている者ももしかしたら。

 狩野は傍らを歩く翠にばれないようにそっと首輪に視線を投げた。経年劣化があるのでつい先日買い替えていたため、今は新品だ。

 実を言えば少しだけ期待していた――翠の首筋に自身の噛み跡をつけられることを。首輪をわざわざ新しくするのなら、もう必要ないようにすればいいのに。そう言い出せないままいつの間にか、翠の首輪は新しくなっていたけれど。

 狩野が翠の体で唯一知らない場所は首だ。一度も首輪を外した姿を見たことがなかった。狩野の性を思えば当然のことだが、時々、古傷のようにその事実が心を苛むことがある。

 時間をかけることが翠との付き合いで大切であることはわかっているが、どうしても求めてしまう。耐えることと求めることは密接につながっている。この苦しみも愛だというには、狩野は悟っていない。

「ケヤキを見ると懐かしいんだよな」

 光を見上げていた翠がふいに声を上げた。

「……ああ、学校の?」

「そう。あの樹齢九十近いケヤキ。威、一年のころはよくあそこにいただろ?」

「人がめったに来なかったからな。ちょうど日陰にもなったし」

「夏は暑かっただろ。熱中症にならないかひやひやしてたよ」

「二年に上がるころには行かなくなってたけど。鈴木と教室にいるようになったから」

「そうだったな。ああ、鈴木と言えば、また俺のところにメール来てたぞ。春になったらキャベツ送ってくれるって」

 鈴木は実家の農家を継いで、手広く商売をやっている。今でも連絡があり、全国の親戚から送られてくるという季節の野菜をおすそ分けしてくれるのだ。

 ついこの間もらった白菜は鍋になった。色々と気にしてくれるのはありがたいが、狩野よりも翠に連絡を入れる回数が多く、何とも言えない気分になることが多い。

「春キャベツなら蒸し煮かパスタだな」

「ポトフみたいなやつがいいな。春のちょっと寒い日に食べたら最高にうまそう」

「ウィンナーはふつうの? ハーブ?」

「……どっちも!」

 迷った末の翠の言葉に、狩野は破顔した。つられて翠も笑うものだから、少しのあいだ歩みがゆっくりになった。

それから翠は改めるように、

「春もいいけど、今日はイタリアンだよ。威の家のホテルの副料理長が独立しただろ? そこ予約してみた」

「よくとれたな。休日は予約でいっぱいって聞いたけど」

「電話で威の名前を出したらダメだったから、ダメもとで手紙書いてみたんだよ。そしたらシェフ本人が連絡くれてさ。勝手に名前使ってごめんな」

「いいよ。俺も顔を出したいと思ってたんだ。助かる」

「最近めったに外食もしないし、なかなか行く機会がないから今日はと思って」

「普段できそうでできないことをできた日だな」

「有意義でしょ」

「……俺は翠といるだけで有意義だ」

 小さな声だったが、翠の耳にも届いたらしい。外灯の中でも翠の頬が色づくのがわかった。

「……ちーが拗ねるよ」

「言い直す。翠とちーがいれば有意義だ」

 照れ隠しに付き合えば、翠はもごもごと何か言いたげなそぶりをしたが、狩野の腕を軽い調子で叩いて先を促した。

「寒いから早く行くよ!」

「わかった」

 店へはそこから五分も歩けばついた。ガラス張りで、イタリアの国旗風のディスプレイが風にはためいている。随分にぎわっているようだ。店内はオリーブオイルやバジルといった、おなじみの匂いに溢れていた。

 窓際の一段高い席に案内されて座ると、待ち構えていたのか顔見知りのシェフが挨拶に来た。

「こんばんは。お元気そうで何よりです」

「そちらも。随分繁盛しているようだな」

「目が回る忙しさですが、これはこれで楽しくやらせてもらっています」

 イタリア人と日本人のハーフのシェフはアルファで、家は有名なワイン農家だという。ワインリストを見せてもらうと、なるほど良いワインがずらりと並んでいた。

 シェフのおすすめを頼んで、しばしの歓談に興じる。

「それより先生、可愛い恋人さんからのラブレターをもらってしまってすみませんね。噂の美食家の恋人さんでしょう?」

 シェフにお電話ではどうも、と続けられ、翠はゆったりと会釈している。ラブレターという表現に面白そうに頬を緩める翠に、きざなシェフが片目をぱちんと瞑った。

 それを視界に入れてジト目になりながら、狩野は言葉を返す。

「さっき聞いたばかりだ。ラブレターとは、妬けるな」

「先生みたいな色男の恋人なだけある、さすが美人さんだ。まず食前酒はいかがです? 飲み頃の白をサービスしますよ」

 うろついていたウェイターを呼びつけ、彼はグラスを持ってこさせた。会話のテンポがすこぶる早い男だ。

 一口飲むと、辛口のすっきりとしたぶどうの風味が喉を滑り落ちていく。ちょうど熟成されており、香りが立っていて良い味だ。

「おいしいですね」

「確かに飲み頃だ。角がなくて香りがある」

「ありがとうございます。お料理も期待していてください。それでは、また」

 今度は狩野にまでウィンクを投げてシェフは厨房に引っ込んだ。翠は愉快そうに肩を震わせて、「嵐みたいな人だね」と狩野に笑いかける。

「あの調子で厨房にいる見習いを口説くんだ。本気ではないしモーションだというが、如何せん顔がいいからな」

「コロッといっちゃう子がいるの? それは大変だ」

「でも憎めない。あれは天性のキャラクターだな」

「本当に。電話でも陽気な人だと思ってたけど、生で見るとインパクトがあった」

「料理の腕は確かだから安心していい」

「楽しみにしてるよ」

 ――それから、赤ワインを飲み、コース料理に舌鼓を打ち、気づけばそれなりの時間がたっていた。食後のグラッパをちびちび飲んでいるところだ。

 だが、狩野のものとは違い、翠のグラッパグラスの中身はあまり減っていなかった。グラスの特徴的な凹みのラインを見てもわかる通り、狩野と随分差がある。

「どうかしたか。酔ったか?」

「……いや。酔ってない」

 翠は息を吸ったり吐いたり、唇を噛んだりなめたりせわしない。その行為に色気を覚えてしまう自分に呆れる気持ちもあったが、狩野はおくびにも出さなかった。

 肩は強張り、呼吸の数が多い。何かを打ち明けでもしたいのだろうか。最近変わったことはあっただろうかと、グラスを傾けながら観察してみるが考えつかなかった。

 口を開いてはやっぱり無理だと俯いて、拳を握って顔を上げたかと思えばまた下を向く。トイレか、とか茶化したら怒られる気配があったので狩野は腰を据えて待った。

 それからしばらく迷いから生じるいくつもの動作を繰り返し、翠はやっと決心がついたように顔を上げた。

「……よし。狩野、何も言わずに手を出して」

 声すら硬く、緊張しているようだ。若干心配になりながらも、狩野は素直に要求にこたえた。

「はい」

「目をつぶってください。いいって言うまで開けないで」

「……これでいいか?」

「うん」

 言われたとおりにテーブルの上に両手を投げ出し、目を瞑る。誕生日プレゼントは当日もらっているのでやるとしたらおそらく別のサプライズのはずだ。

 そのままの姿勢で待っていると、手になにかふわりとしたものが乗る。サイズから思うのはただ一つだ。

「……結婚指輪か?」

「違うよ! 似たようなものだけど違う。目、開けていいよ」

 似たようなものとは、と考えながら瞼を押し上げると、手には深い青色をしたベロアの箱があった。クッションのように盛り上がった生地に、小さな鍵が乗っている。

 翠と箱の中身を見比べて、狩野は言葉を失う。

 透明で、ひっかき傷のように見える白いものはかみ合わせだ。複雑なそれは人力でのピッキングを防ぐための特別製で、新しくするだけでもそれなりの金額がする。

 ……そこには翠の首輪の鍵があった。

「威にそれをもらってほしい」

「……いいのか?」

「うん。待たせてごめん。俺と番になってほしい」

 恐れ、緊張、期待、翠の張りつめた表情には様々な感情があった。狩野はこみ上げてくる熱いものが瞳からこぼれそうになったが、理性でどうにか耐えた。

「首輪を新しくしただろ。だから、まだ先かと思ってた」

「驚かせたくて。長く使う予定もないのに買っちゃったよ」

「何だ……本当にサプライズじゃないか」

 へへ、と鼻の下を掻いて、翠は照れ笑いした。けれどその指先は微かに揺れていて、言葉通りに意味をとっていいのではないと狩野は思う。

 葛藤がないわけがないのだ。翠は、狩野の将来を奪うのではないかとか、都市伝説に近い運命の番がいつか現れるのではないかとか、家の格の違いとか、いろいろなことを気にしている。狩野に直接悩みをぶつけることは今までになかったが、これまでにかかった時間がそれを示していた。

 かつて、大学卒業時に番になりたいと話したら、拒まれたことがあった。あれにはお互いが傷ついた。申し出た狩野も、断った翠も。

 特に気持ちを受け入れられないと自分を責めた翠の荒れっぷりはすさまじく、狩野はなだめ口づけ、ゆっくりと体を繋げ、やっとのことで彼を落ち着かせた。日常に戻るのにまる一月かかったのだ。それがあってから、狩野はただ待とうと決めた。

 狩野が翠と出会ってから七年がたつ。

かつて二人を翻弄した芳が翠と出会ったのは、大学の時だときいたことがある。あれだけ長く一緒にいて、体を繋げてもいたのに、彼は翠の番になることはできなかった。

 芳と翠が過ごした時間の長さを、狩野はやっと超えようとしている。もう七年だが、されど七年でもあった。その七年間の象徴がこの鍵だと思ったら、急に胸が苦しくなった。

嬉しさで叫びだしたい心持ちで、その衝動そのままに、狩野は翠の手を握った。

「早く帰ろう。それで俺に……翠をください」

「……うん」

 翠の頷きは涙混じりだった。









 シャワーも浴びないまま、二人は寝室に転がり込んだ。鍵一本で解錠できる首輪に小さなスティックキーを差し込む。あっけないくらい、その黒皮は翠の首から滑り落ちた。

 見えた白い首筋に、狩野は舌を這わせる。何度も、何度も。そのうち翠が窮屈そうに腰を揺らめかせたので、我ながらいつもより乱暴な仕草で服をはぎ取った。

 二人とも、生まれたままの姿だった。首輪のない翠は今や本当の意味で裸だった。落ち着かなさげに視線をうろつかせているのが可愛らしい。

 番になるためなら当たり前だが、彼はピルも飲まず、首輪もしていない。無防備だ。

 狩野は自分の呼吸が緊張で浅くなっていることに気づいた。みっともないから翠には知られたくない。ばれないように翠の体に覆いかぶさって首に顔を埋めた。

「恥ずかしい……死にそう……」

「今死なれたら困る。ちーと俺を残していかないでくれ。好きだ」

「さらっと言うなよ!」

「だって好きだ。翠が好きだ。愛してる」

「……うっ。だめ、顔見ないで。絶対赤い」

「そうだな。首まで赤くなってる」

「やっぱり……っ、ん、ふふ」

 薄く飛び出た喉仏に歯を立てて転がしてみる。薄い皮膚は敏感なのか、翠はくすぐったそうに笑った。

「ばか、そこ、ひ、笑う」

「喉仏も可愛い。好きだ」

「さっきから恥ずかしいんだけど!」

「誕生日くらい言わせてくれ。いつもは言わないように我慢してる」

 そう言われてしまえば、翠は黙るしかなかったようだ。狩野は内心で舌なめずりをした。当然わざとだったから。

 ぴちゃぴちゃと音を立てて首を味わいながら、手のひらで胸の突起を刺激する。揺れる体の反応を楽しみながら全身を弄ると、翠の体はあっという間に上気した。

 強烈なオメガのフェロモンが匂い立つ。それに飲まれて、アルファのフェロモンが呼応するように応じ始めた。

 翠の体がうねり、色づき、艶めいていく。それは開花にどこか似ている。

 お互いの欲望をまとめてこすると、先端から溢れた滴が卑猥な音を立てた。そのぬめりを借りて腰を打ち付けていく。ベッドのスプリングがぎしぎしわななき、翠の口から嬌声が漏れた。

「あんっ、あ、ぬるぬるしてて……っ」

「いいか?」

「うんっ、いい、そこっ」

 早く欲しいと自ら後孔に指を入れる翠は、思いがけない揺さぶりに時折いいところに指があたるのだろう。体を跳ねさせる様子がエロティックで、狩野はたまらず腰をゆすった。

 熱量がかさを増して腰に重たいものが溜まる。すぐそこに一度目の爆発がきていた。恋人の嬌声を追うように狩野は吐精した。

 それから翠の後孔を、彼の指を入れたまま弄る。もはや慣れた行為なのですぐに三本が入るようになった。感じ入っている顔を上目に眺めながら、べろりと首をなめてやる。

「ひぅんっ! 舐めるの嫌あっ」

「好きだ」

「っ! ……っ、あ、やめろってば!」

 こればっかりは聞けなくて、狩野は新しく見つけた翠の性感帯を苛め抜いた。歯を立てて、まぶした唾液のぬめりを使って強く吸い上げる。翠は体内に欲望を打ち付けられるような明らかな反応をした。

 後孔の刺激もあり、もういっぱいいっぱいなのだろう。うわごとのように「イッちゃう」と繰り返している。

「やだ、もう、狩野のでイきたいぃっ……」

「入れてほしい?」

「欲しい、お願いだから……!」

「後ろ向いて」

 狩野は翠の指もろとも後孔から引き抜くと、ぐずる彼の体をひっくり返した。興奮そのものの自身の欲望は血管が浮いて脈打っている。手早くスキンを被せて、後ろから貫いた。

 押し入った内部は驚くほど熱くとろけて、狩野のものを包んだ。スキン越しなのに頭が溶けそうな馬鹿みたいな快楽に、狩野自身も溺れそうになる。

 発情期のセックスはすさまじい。意識をとり戻すようにゆっくりとグラインドを繰り返しながら、細い背中にできた影を数えた。肩甲骨の窪み。背骨のライン。腰を奥にぐりぐりと押し付けながら、数えたところに舌を這わす。

「ひ、ぁ……! 奥、やめっ」

 逃げを打つ体を押しとどめて耳に愛を囁いた。途端に締まる中の感触に涙が零れそうな喜びを覚えてしまい、狩野は困惑する。

「なんでそんなにっ、あっ、好きってばっかり言うんだよっ……」

 羞恥に打ち震える姿がいじらしい。衝動そのままにうなじを噛むと、鋭い悲鳴が上がって内部の締め付けがまた増した。

「あ、ああっ!」

 汗の味がする。それと、嗅ぎなれた体臭の匂い。翠という名の通り、どこか草花を思わせる香りだ。狩野はこれがたまらなく好きだった。

「番になった……?」

「まだだ。もっと強く噛まないと」

「そ、っか……ふっ、う」

 腰を打ち付けるリズムを変えると、支えていられなくなった翠の二の腕がかくんと折れて首筋が遠のいてしまう。狩野は無言で滑らかな肌を引き寄せると、背面座位の態勢にした。

「だからっ、奥っ、いやあっ……!」

「感じすぎる?」

「赤ちゃんっ、できちゃいそうでっ……!」

 腰を押し上げながら翠の重みを腕に抱く。頭を傾けて首に歯を立てた。背中をのけ反らせて感じる姿が愛しいと思う。

 狩野の欲望が行き来するたびにびくびくと震える体。自分のものだ。そして自分は翠のものだった。快楽にも増して愛しさが強くて、心が何故か痛む。

 幸せすぎて怖いなんておかしいように思うが、泣きたいような幸せもまた、今の狩野の気持ちだった。

「そのうち、子どものことも、考えような」

「っひ、待って、イクっ」

「イッていいよ」

「あっ、あ、あっ……!」

 いよいよ激しくなった反応に合わせて、狩野は翠のうなじを強く噛んだ。

 痛みと快感に絶頂を迎えた体を、狩野も同じ高みを目指して貪っていく。

「やだ、も、馬鹿になりそ、あ、あああっ!」

「ごめん、もうちょっと」

「噛むなぁあっ……」

 泣きを見せた翠は感じすぎて辛いようだ。ぬかるんだ中はきゅうきゅうと締め付けてきて、受けている衝動を伝えてくる。

 滲んできた血をすすった。そういう趣味はないが、今の翠は狩野のもので、血の一滴が滴るのさえ耐えがたい。

「あっ、や、ああーっ」

 もう一度かぶりつくようにうなじを食むと、翠は既にイキっぱなしになった中をひくつかせた。

「今度は、番、なれた……?」

 掠れた声ながらも証を求める彼が愛しくてたまらない。思いのたけをぶつけるように狩野は腰を揺する。

「なれた。やっとだ。……愛してるよ、翠」

「俺、も、だよ……っ」

 満足げな翠の吐息を聞いて、狩野はやっと、翠の中に自身の精を吐き出した。









 翌日の日曜日も、二人はベッドで怠惰に過ごした。気まぐれに繋がって、お互いのものを刺激し合う。今ばかりは、何にも邪魔されず、狩野だけがわかるフェロモンに包まれて、愛しあっていたかった。

 途中で食事をとったりちーに餌をあげたりはしたが、それ以外は外にも出なかった。良い天気なのにと二人で笑いながら、巣作りをする鳥のように家から一歩も出ずにいた。

 この二日で何度繋がったか覚えていない。すっかりくたくたになって、大きなベッドに身を預けて狩野は微睡んでいた。

 歯形が残る首筋を確かめるように撫でる。消毒して、今はガーゼに覆われているが、そこに証があるのだと知りたかった。

 翠もわかっているのだろう。狩野にされるがままで、目を閉じて身を預けている。

「次に学校に行ったらさ、首輪外したこと、指摘されるかな」

 翠の声も眠そうだ。かわりに無防備で、不安が強い。狩野は肩にシーツをかけなおしてやり、ぼんやりと返した。

「そうかもな。榛名先生は皆のアイドルだから」

「どこの情報だよ。そんなことないよ」

「鈴木とか。好かれてただろ」

「……焼きもち?」

 楽しそうな翠の意地悪は口でふさいだ。おかしそうに笑ったかと思えば、すぐに寝息にとってかわる。まるで子どものようだ。

 深い呼吸の音を聞きながら、狩野もそっと眠りにつく。

 穏やかだった。満たされた気持ちがしていた。翠と番になってはじめて、自分のどこかが足りなかったことに気づいた。それを埋めてくれた存在をもう離さない。そうできるだけの自分になりたいと、狩野は誓う。

 こちらを向いて丸くなる彼の頭を引き寄せて胸に抱いた。全てがしっくりと収まるようで、落ち着く。瞬きをした拍子に一粒だけ滴がシーツを滑り落ちていった。

 狩野は睡魔に意識を委ねながら夢想する。

 次に起きた時、翠はダイニングのテーブルに置いた二つの小さな箱を見てどんな表情をするだろうか。顔を真っ赤にして驚くだろうか。それとも、きざだと怒るだろうか。タイミングがちょうどで、さすが番だと笑うだろうか。

 それを見た後は、ちーを証人ならぬ証犬に据え、二人だけの誓いといこう。

 中身はもちろん。未来への証だ。
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三尾
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【ある朝、突然、目が見えなくなっていたらどうするだろう?】 大手電機メーカーに勤めるエンジニアの響野(ひびの)は、ある日、原因不明の失明状態で目を覚ました。 取るものも取りあえず向かった病院で、彼は中学時代に同級生だった水元(みずもと)と再会する。 十一年前、響野や友人たちに何も告げることなく転校していった水元は、複雑な家庭の事情を抱えていた。 目の不自由な響野を見かねてサポートを申し出てくれた水元とすごすうちに、友情だけではない感情を抱く響野だが、勇気を出して想いを伝えても「その感情は一時的なもの」と否定されてしまい……? 重い過去を持つ一途な攻め × 不幸に抗(あらが)う男前な受けのお話。 *-‥-‥-‥-‥-‥-‥-‥-* ・性描写のある回には「※」マークが付きます。 ・水元視点の番外編もあり。 *-‥-‥-‥-‥-‥-‥-‥-* ※番外編はこちら 『光の部屋、花の下で。』https://www.alphapolis.co.jp/novel/728386436/614893182

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