狼の獣性

筺 柚人

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14(最終話)

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「……本当に伸びたよな」

 その独り言に近い囁きを、狩野はきっちりと聞いていたらしい。お座りのポーズのちーの首に埋めていた顔を上げ、「また?」と呆れた表情をした。

「そんなに何度も言うほど大げさなことか?」

「随分大きくなったなって褒めてるんだよ。やっぱり高校生の三年は成長早いなあ」

 高校の卒業式を終えたばかりの狩野は、ここ数年で身長を五センチも伸ばしていた。もう少しで百八十に届きそうで、翠はいつの間にかできた差にふとした瞬間驚くことがある。

 成長期特有の体格もなりをひそめつつあり、大人の体に近づいている。家の手伝いもしながら、引退まできっちり剣道を続けた甲斐があるのか、肩幅も逞しい。出会ったころよりも明らかに変わっていた。

 凛々しく卒業証明を受け取る姿を見て一年の頃を思い出して感慨深さを覚え、時の流れを強く感じたのだ。あれから数日経つにも関わらず、翠は自分の懐かしい記憶と今の彼を紐づけてしまって、なかなか戻ってこられないでいた。

「俺ばっかりにそう言うけど、あんたも変わってると思う」

「え? ……もしかして縮んだ?」

「背の話じゃねえよ。雰囲気とか、そういうの。――な。ちー」

 大好きな飼い主に目をかけられたちーは、太いしっぽをちぎれんばかりに振ってごきげんだ。次いで、翠を見て遊ぼうとばかりにわんわん吠えるのがたまらなく可愛い。こうして縁側にいる一人と一匹を見ることになるとは、ましてや共に住むことになるとは、数年前の翠は思いもしなかっただろう。

「そんなに変わったようには思えないけど」

「自分じゃわかんないもんなんだろ、きっと。でもまあ確かに、三年はでかいよ」

 狩野はそう言って、目を細めながら家を見回す。確かにな、と翠は彼の仕草を見ながら同意した。

 使っていないセカンドハウスであるこの家を翠たちに貸したのは、二人いる狩野の兄のうち、長男だった。アルファである彼は運命の番を探すと言い張って、投資をしながら世界を飛び回る変わり者だが、家の金庫を支える貴重な人物だ。また、社交的な次男は口数の少ない狩野の援護をして、自身の両親に翠との仲を取りなしてくれた。オメガである翠にも好意的で、初めて会ったときはいっそ気がぬけたほどだった。アルファにしては珍しい。

 狩野はかつて家族が嫌いだと言っていたが、年の離れた兄二人は長らく末っ子を可愛がっている。特に長男の溺愛っぷりは凄まじく、狩野に会いに前触れなく日本に戻ってきては、大量の土産とねちっこい盛大なハグをするものだから、思春期の少年はきつかったに違いない。

 以前の狩野は父親との仲こそ良くはなかったが、兄弟仲はそれなりだったようだと今になって思う。もっとも次男も実家が経営する地方のホテルに勤務しているため、会う機会はあまりなかったようだ。

「……で、先生は何作ってんの?」

 ちーのふさふさの尻尾に腕を叩かれながら狩野が尋ねる。

「卵焼き」

 翠がそう言い切ると、狩野は遠い目をした。

「ごめん。炭?」

「……外を外せば食べられると思う」

「卵焼きってそういう食いもんだっけ」

 違うことは翠だって重々承知していた。ただ、越してきてから数日が経ってわかったことは、翠は料理の才能には恵まれていなさそうということだった。かくいう狩野も酷いもので、材料には申し訳ないがお互いからかいあって半ば遊んでいる。「こういうのは慣れだからやっていればそのうちできるようになるはず」と、狩野のほうが前向きではあるが。

 庭の特注の大きな犬小屋にちーの鎖をつけて、狩野は家に上がった。手を洗って翠が広げていた料理本のページを見て、「火が強すぎたんじゃね?」と指摘する。

「中火で作ればいいだろ」

「やったよ。でも焦げた」

「時間が長すぎたって線は?」

「時計見てなかった」

「そうか。……あとは砂糖の入れすぎとか、油が足りないとか」

「なるほど」

 ふんふん頷いてもう一度じっくり料理本を見直す。焦げた卵焼きは狩野がフライパンから下して、中身をほじくって食べていた。

「甘っ」

「好きだろ。トッピングにチョコでも入れるか? ……そんな目で見るなよ、冗談だよ!」

 年下の恋人に凍てつく顔をされたらさすがに傷つくが、チョコレート信奉者の彼にはいけ好かないジョークだったようだ。翠は顔の前で「ごめん」と手を合わせた。

 そんな、どこにでもあるような話をずっとしている。











 さすがに兄弟が使っていたベッドで寝るのは嫌だと言い張った狩野は、今まで家の手伝いで貯めた金で、両手を伸ばしてもまだ余るサイズの大きなベッドを買った。けっこうな金額の買い物だったので翠も出そうと言ったが突っぱねられ、怒るどころか可愛らしい年下のプライドに感動してしまったのはここだけの秘密だ。

 深夜のそのベッドの上で、翠は狩野から始められた口づけを楽しんでいた。

 唾液を絡めあって舌をすすり、とろけるような感触に酔う。狩野はキスをしながらも悪戯なのか、翠の耳をくいくいと引っ張って遊んでいた。そこが弱い翠はたまったものじゃないが、口の感触を楽しむのに必死でそれどころではない。

 引っ越してすぐの日も同じベッドで寝たが、翠が緊張のあまりダウンしたので何もしていない。次の日は、心配した狩野に早めに寝かされたのでお預け。そんな風にずるずると日数だけが重なって――二人は未だ、体を繋げていない。それも、あのクリスマスの日から。

 セックスは狩野の卒業後に、と特にどちらかが言い出したわけではないが、暗黙の了解だった。けじめとも言えるだろう。教師と生徒である立場を考えると当然とも言える。

 翠の体は快楽を求めて毎夜疼いたが、自慰で誤魔化してなんとかやってきた。そのくせ、いざとなったら緊張で吐き気が起こった時にはいっそ笑いたい気持ちだったけれど。人間、どうなるかわからないものだ。

 口を吸うのをやめないまま、狩野は翠のパジャマのボタンを器用にも片手で外す。乾いた、けれど熱いくらいの手が翠の肩を、鎖骨を、胸を撫でた。触れられた箇所に火が灯ったように、翠の体は高まっていく。

 股間は痛いくらいに硬くなっている。狩野も同じなのだろう、苦しそうに前を開いた。そのまま、二人してぬるついた欲望をこすり付けあう。翠は狩野の作るリズムに合わせ、腰を打ち付ける。

「……っ、気持ちいい、」

「……俺も……ん」

 小さな喘ぎ声が愛しい。そんな感情を伝えるように、翠は狩野の首に縋りついた。密着度が増してお互いの肌に胸の突起が擦れる。一度目の絶頂はすぐだった。

 息を荒らげたまま狩野は翠の片足を割り、現れた割れ目に舌を這わせる。

「んっ……あっ!」

 羞恥と、それ以上の強い快感が翠を襲った。丹念に皺を数えるような舌使いは、まるで獣の毛づくろいだ。尖らせたそれが後孔に出入りする。久しく与えられていない刺激に、翠の体はがくがくと震えた。

 一度出したはずなのに、下腹部はもう元の形を取り戻している。狩野の唾液が立てる濡れた音がたまらなく卑猥な気分を催させ、腰がゆらゆらと揺らめいた。

 跳ねる翠の太ももを乱暴にも思える強さで押さえつけ、唇をかぶせて舌を蠢かせる。翠のキスで腫れた唇からひっきりなしに声が上がった。

「ふっ、そんな、入れんな、ってば……!」

「もっと足、開いてもいいよ」

「馬鹿、っ、ああっ……!」

 そう言いながらも翠の足は独りでに開き、狩野をもっと奥に誘い込む。身の内に膨れ上がる感覚はどんどんと大きくなって翠を責め立てた。過敏になった神経が、狩野の舌のざらついた感触にまで反応し始める。

 玉のような汗で滑る翠の柔い太ももをぐいぐいと押し、狩野は肉の輪をぐずぐずにとろかせる。

「……あ、も、イク、イクっ」

 そう言えば、狩野はじゅるじゅるとはしたない音を立ててそこを食む。

「イッ、あ、あ、あ……!」

 濡れた感触が後孔にもたらす快感で、翠は二度目の絶頂を迎えた。

「……良かった?」

 ぴくぴくと痙攣する翠の腰を見て、狩野はいやらしく笑んだ。翠の視界は微妙にちらついて、達した名残を伝えてくる。

「良かったよ……何なんだよ、そのテクニックは……」

「笑顔の練習で舌も鍛えてるからかじゃねえの」

 狩野が嘯くので、翠はへろへろのパンチをお見舞いした。もう、憎たらしいくらいに可愛い。

 その年下をどうにか翻弄してやりたくて、体勢を入れ替えて狩野の上に跨った。驚く狩野の胸に甘えるみたいに額を押し付けながら、ベッドサイドのローションを継ぎ足して自分の秘部を探る。

「ん……っ……はぁ……あっ」

 自分の姿に興奮して呼吸を浅くする姿を見ているとたまらなかった。指を増やして喘いでいると、硬くなった狩野の欲望が腹を掠める。切り込みからすっかり滴が垂れていて、それが付着した翠の薄い腹は外気ですうすうした。彼の欲情が嬉しい。

「……バキバキになりすぎて痛ぇ」

「んっ、も、すぐだから……あんっ」

 頬を染めた狩野が気まぐれに翠の胸の飾りを引っ張った。その衝撃にがくん、と膝が笑って、体が滑り、狩野の欲望を強く刺激する。

「……っ」

 思わず、と言ったように彼が喘いだ。しまったという顔までしている。

 翠は予想しない仕返しににやっと笑いながら、粘りを纏った指を引き抜いた。

「イキそう? 待とうか?」

 わざと尋ねながらも返事を聞かず、狩野の切っ先めがけて腰を下ろしてゆく。

「すげ……」

「……あ、あ、んっ」

 後ろ手をついて体を沈めた。身をいっぱいに埋める灼熱に、全身が喜んでいることを感じる。背筋を熱いものが駆け抜けていった。アルファベットのMの形に開いた足の間を、狩野の視線が文字通り舐めるように凝視しているのを感じると、いよいよ粘膜がとろけていく。

 眉を寄せ、翠が与える快感に耐える狩野の顔をまじまじと見た。涼しさが増した切れ長の瞳は、今は赤らんで濡れている。絵にかいたように整った口から零れる僅かな呻きは掠れ、翠の性感をぐさりと刺してくるようだ。

 こうして繋がっていられることが心底幸せで、終わりを惜しむような思いと、二人でめちゃくちゃに溺れたいような思いの狭間に揺れながらも、翠は腰を上下させる。

 スプリングを使ってぽんぽんと跳ねながら尻の中のものを締め付ける。硬く、太かった。びくびくと震えている彼の分身を翠の全てを使って飲み込んでゆく。

「んぅっ、ん、ん、んー……っは!」

 ぐちぐちというリズムに、前触れなく狩野が合わせてきた。粘ついた摩擦が増し、翻弄された。腰を掴む手は大きく、翠の体をきちんと支えている。それに安堵の吐息をつきながら、快楽を追いかけていく。

「あっ、あん、あっ、もっとっ」

「先生、あんた、エロすぎ……」

「ふ、あはっ、年上、だからなっ……」

 翠は喉から絞るように声を出して、狩野を揶揄う。本当はそんな余裕はとっくになかったが、彼の珍しい直接的な表現に驚いたのだ。

 腰を振りながら、だんだんと大きくなってくる波の存在を感じる。胸の突起が痛いくらいに尖ってきた。揺さぶりに途切れる息を吐き、後ろをきゅうきゅうと締め付ける。

「……やばい、イキそ……」

「俺も……んんっ、良い、あ、そこっ、当たってる……!」

「ここ……?」

「はあっ! あ、そのまま、はあっ」

 張り出した欲望がくじいてくる弱い箇所があった。翠は自らそこに当たるように尻を振る。気持ち良すぎて、汗と涙が止まらない。

 言葉もなく、二人はお互いのために動きあう。歯車がきっちりとかみ合っているようで、繋がっていることになんの違和感もなかった。

 翠の濡れた粘膜を狩野が味わって、それにより快感を覚えている。胸がいっぱいになって、叫びだしたいような喜びが広がった。

 白くなりかけた頭の片隅に、拭いきれない墨のような芳の姿があったが、今ばかりはこの熱だけに溺れていたい。それだけがすべてだ。

「イク、イクっ……イっ……く……っ!」

 体がぶるぶると震えて、飲み込んでいるものを固く締め付ける。狩野がうめき声を上げ、翠の中に精を打ち付けた。

 百メートルの全力疾走でもしたような荒れた吐息で、二人はごろりと転がった。すっかり汚れてしまったシーツを取り換えなければと思うが、少し休憩だ。

「……先生」

「ん?」

「言いたかったことがあるんだけど」

「……ん? どうした、改まって」

 まだ熱っぽさを顔に灯した狩野が、くいくいと翠の髪を指先で引っ張った。なんだか覚えのある仕草で首を傾げると、彼は緊張した面持ちだった。目がうろうろと左右に泳ぎ、口が真一文字に引き結ばれている。

「どうした」

 もう一度、今度は甘さを持たせて促してやると、狩野は決心したように目を色づかせる。

「……名前で呼びたい」

 重々しい口調にぎょっとしたが、中身は単純な願いだった。いつ言い出すのか、またはこちらから言い出したほうがいいのかと気にはしていたが、翠は彼に「先生」と呼ばれることがなんとなく好きでそのままにしていた。

 誰しもが使う呼び名だが、彼が使えば、その単語は翠にとって存在を肯定されたも同然の意味を持っていたからだ。翠は狩野こそが自分を本当の教師にしてくれたと、そう感じていた。多くのことを気づかせてくれたからだ。

 今、その関係は形を変えようとしている。

 翠は手を伸ばして狩野の頭を撫でてやった。

 よく知った、今はしっとりと汗ばんだ髪だ。丸く形の良い頭を撫でながら破顔する。

「俺も威って呼びたい」

「……」

 狩野の口が困ったようにもにゃもにゃと歪み、それから、嬉しそうに弧を描いた。

 愛犬に向ける笑みとはまた違った、愛しさが溢れる表情で、翠は頬を赤く染めた。ダメ押しのように耳に唇を寄せられて、茹で蛸の顔色になった。

「翠さん」

 呼んだ声は甘く、優しい。彼は顔を綻ばせたまま、

「好きだ。すげー好きだ。……俺を選んでくれて、ありがとう」

 ――付け足された言葉はなんといじらしいのか。衝動そのままに、翠は手を伸ばして、彼の頭をぎゅうっと抱え込んだ。

 汗のにおい。微かな体臭。涼やかな、草原を駆ける狼のような匂いが胸をすうっと満たした。

 大好きなそれをいっぱいに嗅ぎながら、翠は大切に音を紡いだ。

「俺も威が好きだよ。……諦めないでくれてありがとうな」

 その瞬間、腕の中の狩野の体が、泣くのを耐えるように強張った。

 ……ああ、彼はまだ、十八歳なのか。知っていたはずなのに、今更ながらそれに驚く。

 落ち着かせるように力が入ったむき出しの肩を撫でる。そのまま泣くかと思ったが、狩野は耐えきった。かち合った目を見ても、涙の名残はない。

 驚くほどに強い子だ。でも、大人びていてもまだ子どもだ。

 ――彼を大切にするにはどうしたらいいか、翠は静かに考える。当然ながらそう簡単に結論が出ず、すぐに後回しになったが、それが自然なことだと思った。

 とりあえず今は伝えよう。

 自分が彼を、どれだけ愛しいかということを。
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