親愛なる風の騎士様へ

筺 柚人

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4 根菜のだし煮とミアの絵

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 開いたドアをくぐるように頭を下げて入った一人の客がいた。



「……あ」



 ミランの口から吐息のような声が零れ落ちる。

 柔和な笑みに、泥除けの上で外套を脱いだ拍子に零れた雪。その客は寒さなんて感じていなさそうな力強さで、店に足を踏み入れた。



「こんにちは。今日も雪がたくさん降っているね」

「そう、ですね。今年は大雪の年みたいです」

「こうなると雪かきが大変だ。君もやるのかい?」

「ええ、父と一緒に」



 こういった世間話でも、この間のようないじめめいた場面でも変わらない彼の朗らかな話し方は、心の強さから来るのだろうか。

 物腰の割には細くて柔らかそうな金髪をさりげなく視界に入れながら、店を歩く私服の騎士をそっと見つめた。



 間貸しの薬棚の前で、彼はしばらくじっとしていた。それから食料品が置いてあるところで、いくつかの瓶と菓子をとり、カウンターにやってくる。



「ミアは今日はいないのか」

「もうちょっとしたら来るかもしれないです。……けん玉、楽しそうに遊んでますよ」

「それはよかった。上達したのかな?」

「歌に合わせてやる遊びならもうできるようになりましたね。あの、放り投げたりするのはできないけど」

「あれはけっこう難しいんだ。練習するなら広いところでやるのがいいね」



 それはもっと早く聞きたかった、と目を伏せてしまったのは反射的なものだ。

 よくよく考えたら母の怪我のそもそもの原因はけん玉にあるが、けれどもミランはその苛立ちを彼にぶつけようとは思わなかった。

 己の底意地の悪さからそう考えても不思議じゃないはずなのに不思議だった。

 言うことはできないまでも、内心でうつうつと思いそうなのに。

 脳裏にミアの笑顔と、昨日の銀の騎士の笑顔がちらつくからだろうか。それに、この騎士には今まで一度だって嫌な気持ちになったことはない。



 もっとも、彼はミランが酒場にいたことなど知らないだろう。

 彼が代金を用意している間に手早く商品を紙袋に詰める。思ったよりも瓶が重く、やや袋が心元なかった。

 二枚重ねにしながら、ミランはもう一度口を開く。



「この野菜。弾力がある食感が好きなら、細かく刻んで擂った芋と混ぜてスープに入れるとおいしいですよ」

「そうなのか、でもうちに擂る機械がないな。ここにはある?」

「ありますけど……すみません、宣伝するつもりではなくて」

「いいよ、店員さんのおすすめだろ? こういうのは間違いがないんだ。ええと、あっちかな?」

「あ、取ってきます。お待ちください。大と小、どちらがいいですか?」

「……小さいほうかな。男やもめで一人だし」



 子どもの扱いが上手かったが、どうやら騎士は独身のようだ。この物腰と外見で独身なんていっそ怪しいと頭の片隅で思うくらいは許してほしい。

 否、家に遊びに来る彼女のために調理器具を買っておくのかもしれない。ミランはつい、そんな風に客の背景を妄想してしまう。

 そんな騒がしい脳内とは裏腹に、体は俊敏に調理器具を手に取りカウンターに戻る。また会計だ。



「あれみたいな感じかな? 酒場の、根菜のだし煮に入っていたもちもちしたやつ。もしかしてあれを作ったのは君だったのかな」

「……え?」



 ミランの手はふと止まった。顔を上げ、まじまじと見た騎士と自分では、実はけっこうな身長差があると気づいた。

 髭なんて生えたことがなさそうな滑らかな顎がつんと尖っているのがわかる。ミランは目ではなくそのあたりに視線をずらしながら尋ねた。



「俺のこと気づいてたんですか?」

「うん。いつもと雰囲気は違うけれど、仕草は同じだったから」

「……」



 たかだか数回会った自分を彼が覚えているだけでも驚くことだったが、仕草が同じと言われてもよくわからない。

 想像の中の自分は自信なさ気にいつも俯いている。母や酒場の女将からやたらと背中をどつかれるのは情けないからだと思っているのだが、同じように彼も感じたのだろうか。



「こっちが見ると逸らすけど、君はまわりをよく見ているだろう。そのさりげなさは見習わなきゃなと思っていたんだ。俺の視線にはどうも圧があるらしいから」

「……視線というか、かっこいいからまわりが勝手に緊張するんじゃ……?」



 ミランの視線と彼の視線がぱちりと合う。騎士はぱちぱちと瞬きをした。身振りに誤魔化されて気づかなかった彼の眦は、実は吊り上がっている。怒ると怖そうだとそんなことを考えていると、彼は急に吹き出した。



「か、かっこいいか。褒められてる?」

「え……」

「ふふ、ああ、いや、すまない。職場ではない距離感で話すのがあまりなくて。部下はさすがにそうは言わないから」

「あ、す、すみません」

「いいんだ、気にしないで。君は面白いな」

「……」



 どんな表情をしていいのかわからずにミランは俯いて、止まっていた手をまた動かした。紙袋を開き、調理器具をごそごそ詰める。恥ずかしくもないのに頬に熱さを感じるのは一体どういうことだろう。

 騎士は文字通り笑いを引っこめると、また話を続ける。

                  

「君はなんだか俺の愛馬に似てるよ。だから身なりが変わっていてもわかったのかもしれないな。ちょっと怖がりで引っ込み思案な子なんだけど、まわりをよく見ていてここぞという時にはとても役に立ってくれるんだ。でも褒めると照れてね、尻尾は嬉しそうなのに俺の方を見てくれないんだ」

「……最初のほうだけ、似てるなと思います。そんな馬がいるなら見てみたいですね」



 ミランはゆっくりと頷いた。お世辞じゃなく、そんな馬がいるなら見てみたいと思う。

 そんな風に性格があるのか、あっても言葉も交わせないのに通じ合えるのか、動物を飼ったことがないミランにはわからなかったけれど。



「そういえば、部下がすまなかったね。酒場では迷惑をかけた。あの後、よく言っておいたから」

「……いえ、他のお客さまと何かあったわけではないですし」

「うーん、せっかくの飲みの場にいる態度ではなかった時点でそうとは言えないだろうな。すまないね、こちらも彼には手を焼いているんだ。それは君には関係のないことだけれどね」



 例の騎士より上の立場であるらしいこの騎士になら、母の被害について言えるだろうか。

 ミランは口を開きかけたが、やはり勇気が持てなくて結局は言うのを諦めた。

 彼の立場がわからない今、下手に伝えて板挟みになってしまってはどうしようもない。

 母の怪我はあざが完全に消えるまで待つと一か月ほどかかると言われた。仕事に復帰できるのはあと一週間はかかるだろう。今日も自室で寝ており、頭は元気なのにと歯がゆそうだった。



「……騎士様、けん玉の練習のとき、怪我ってしましたか?」



 ミランの急な話題転換にも、彼はごく普通に答えてくれた。



「おそらくしたかな。小さいときのことだからあまり覚えてないけど、けっこう痛かったと思う。突き指とか、ぶつけたりとか」

「そうですよね。普通に遊んでるのでも痛いのに……あんなのをぶつけられたら痛くないはずがないですよね」

「……何かあったのか?」

「いえ、ちょっと気になっただけなので。お代はちょうどいただきますね。お品物はこちらです」

「ああ……ありがとう」



 ミランはもう騎士の顔が見られなかった。深々と頭を下げて挨拶する。

 騎士が帰ったあと、少ししてミアがやってきた。先ほど騎士が来ていたことを告げるとぴゃっと飛び上がり、そのまま外に行こうとするから慌てて止めた。



「ミア、もういないって!」

「近くにいるかもしれないじゃない、ミア会いたかったのに!」

「お客さんもミアのこと元気かなって言ってたよ。また見せる機会もあるよ」

「ちがうの、ミア、あのむずかしいほう、もうやらないように見たかったの!」

「ん? どういうこと?」



 ミアの言い分としては、ミランの母に迷惑をかけてしまって申し訳なかったから、あの技は封印する。けん玉で遊んでいるうちにあの技をうっかりやってしまわないように、あの技をしっかり見て覚えておきたい。そういうことらしかった。

 子どもの考えは突飛だ。ミランはとりあえず今度もしお客さんが来たら引き留めておくと約束すると、ミアはやっと落ち着いた。

 雪が融けて濡れてしまったコートを暖炉に翳しながら、ミアはおずおずと切り出す。



「ねえミラン、おばさまのところに行ってもいい? ミア、お花持ってきたの」

「この時期に? 買ったの?」

「ううん、これ……」



 ミアはポケットから四角く切られた紙を取り出した。そこには、早く良くなってねのメッセージと、花びらの大きさがずいぶんちがう数々の花が描かれている。

 赤、青、黄色、水色、桃色、橙色。子どもらしい拙さと、けれど誠意に満ちた絵だ。



「おばさんに、ママには言っちゃだめって言われたけど、ミア、それじゃあなにもできないなって……だからお花をあげたいの」



 母は、今回の件について、ミアの母に隠すことを選んだようだった。さもありなん、ミアは道具屋に気軽に来ることはできなくなる。

 思いやりとも言える母の選択もわかる気がした。ミアはこの年齢にしては大人びている。もちろん、大人が考えもつかないこともするが、物分かりがよすぎるのだ。

 ミアがなるべく楽しいと思える場所を増やしてやりたいと思うのはミランも一緒だ。



「いいよ。寝てるかもしれないから見てくるよ。母さんが起きてたらミアも一緒に行こう。――じいちゃん、ちょっと店にいてくれる?」

「ほ? ……おお、ミアちゃんや。いらっしゃい、じじいとクッキー食べようか」

「クッキー! ねえそれ甘い!?」

「ミランや、お前が作ったこれは甘いのか?」

「ミア用に作ったからちゃんと甘いよ。じゃあちょっと上がるよ」



 祖父が持って行ったかごの中のクッキーを食べたらしいミアの身もだえる声を聞きながら、ミランは道具屋とつながっている家に入った。

 母はラジオを聞きながら起きていた。指先がまるで編み物をしているようにすいすいと動いている。座るのも立つのも腹が痛んでできないから、今の母は寝るしかないのだ。



「母さん、ミアが来てる。お花を持ってきてくれたよ。ここに呼んでいい?」

「おやまあ。そんなこと気にしなくていいのに。いいよ、呼んどいで」



 ミランはすぐにとって返し、ミアを連れて戻ってきた。

 母はミアが持ってきたのがお手製の絵だと知ると、ミアが照れてミランの腰に抱き着くくらい盛大に褒めた。ミランは妹みたいな彼女のまあるい頭を、何度も撫でつけてやった。



 ――そんな風になんとか穏やかに日常を過ごそうとしていたのに、例の騎士から無茶な納期で発注依頼が来て、クラウゼ道具屋の面々は皆てんやわんやになったのだった。
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