抱きしめたい

新田 智美

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滝川の

抱きしめたい

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 ケイジョウさまはその日、お土産をいっぱいくれて、明け方、送り返してくれた。
「また来いよ」
 そういって、豪快に笑った。
 私には、また、ここでの友達が増えた。
 それから幾度となく、ケイジョウさまの手紙や伝言を咥えてカラスがやってきた。
 キヨマサは、影丸と呼んでいたから、たぶんそれが名前なんだろうと思う。
「お暇なお方だな」
 マサツグさんは神妙な顔でそういう。
 頻繁に影丸が来るからだ。
 他愛もない伝言が多い。
 なんとかっていう花が咲いたとか、なんとか通りの大舎人のとこに子供は生まれたか?とか、そういうやつ。
 私とキヨマサとマサツグさんは、その手紙を肴に夕餉を囲むのが日課になった。

 もう日数を数えることはほとんどなくなっていた。

 ケイジョウさまは、私に未来のことをほとんど訊かなかった。あの時……。



「お前、時を超えて来たと思うが、どこから来たのだ?」
「よくわからないけど、たぶん未来です」
「みらい?」
「未だ来てない遠い時間からです」

 キヨマサやマサツグさんと違って、ケイジョウさまにはあまりややこしい説明はいらなかった。
 ケイジョウさまは、それだけの説明で得心したように大きく頷いた。 
「あそこには時もないのかもしれんなあ」
「あそこ?」
「右大臣の娘とお前がすれ違ったところだよ」
 ケイジョウさまは、両の袖に互い違いに手を入れて唸った。

 私の魂はどうやら一度体を離れ、どこか、時間とか空間とかあまり関係のないところに行っていたらしい。

 魂が体を離れたら、必ず一度そこへ行くのか、それともそれが特別なことなのかはわからない。けれども、そこで、右大臣の姫さまの魂も偶然居て、そこですれ違っちゃったということだろう。

「時間というか、我らの過ごす世界は無数にあって、こう何か水のようなものにプカプカ浮かんでいるのだと思うのだよ。それがぶつかる瞬間に我らは幻を見るのだとオレは考えている」
 珍しく真剣な表情でケイジョウさまは語った。
「そしてこの水の中では、時など関係ないのだと思う」

 この人、次元の話をしてない?
 何かの本かネットだったか、次元の説明で似たような話を読んだような気がする。

「眠ったまま目を覚まさぬ類の怪異はそれが原因であると、私も思います」
 キヨマサが言った。
「だから私はあの時、名前を使って紐付いた魂を呼び戻す手法を使いました」
「昔からある魂を呼び戻す術は全てそういうことかもしれん。それが分かれば、少しは成功率も上がる」
「私は失敗しましたが……」
 応えてキヨマサは私をみた。
 優しい目で、小さく小さく笑う。
 あの顔を私は忘れない。
 今にも消え入りそうな笑顔。
 そういう笑顔を私は今まで一度も見たことがなかった。

「なぜ、魂がすれ違ったのかだな。魂は死を迎え、身体を離れるまでは、その器に紐ついていると、思っていたがなあ」

 ケイジョウさんは言葉を区切るようにして言った。
 自分の言葉を理解しようとしているようだった。

 そこで、みな黙った。
 会話が途絶えると、自然の音しかしなくなる。
 虫が羽を擦り合わせる音、誰かの牛車の牛が、砂を踏む音。
 風が……
 風が庭の草木を揺らす音。

 俄かに、祖母の死に顔が浮かんだ。
 祖母は死んだのだ。
 そのどこか魂の置き場所ではなく、もう死んだ後の世界に行ってしまったのだ。
 死んだ後、生き返ったというのは、ほとんど聞かない。
 死んだら、元には戻らない。
 元居た世界には戻って来ないのだ。

「私、死んだのかな……」

 私の声に合わせるように風が吹いた。
 ケイジョウさまが、哀しそうに笑って、首を傾げた。

「さあな」

 一言、ぽつりと言った。
 しばし、空気が重く沈んだ。
 ゆっくりと私の頬を何かが撫でる。

 キヨマサの手の甲だった。

 驚いて、キヨマサを見ると、キヨマサが優しく笑っていた。

 もしかしたら、どこかでキヨマサは、そう、思っていたのかもしれない。
 でも、私は、体は違う人のかもだけど、今ここで生きてる。
 キヨマサに触られるのもわかるし、ジョンの淹れてくれたお茶の熱さもわかる、マサツグさんの声も聞こえる。
 右大臣の姫の魂がどうなったのかは気になるけれど、私は今、この体でちゃんと生きてる。

「笙子、ケイジョウさまに笛を吹いてみせてあげたらどうだ」

 キヨマサが言った。

 そうだ。
 未来の私は笛など吹けなかった。
 この世界にはビートルズなんか生まれてもいない。

 ここで私が時間を紡いでる証だ。

 私は、懐から笛を取り出すと口に当てて吹いた。

「遠い音だな……」
 ケイジョウさまが、呟いた。
 
 キヨマサも同じこと言ってた。

「なんという曲なのだ?」

「『抱きしめたい』」

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