恋愛モノ短編集〜人気エピソードは連載版にします〜

マルジン

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なんとかして

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~あらすじ~


「好きな人ができた」
そう言われたのは、妊娠してすぐのことだった。
私(ミキ)を残し、去っていった白木ユウ。

ボロボロの私と、ユウの想い。

なんとかする――。
ユウの真意を知った時、私の心にあふれた想いとは。

王道のラブストーリー!

◇◇◇


「ほんとにッ!?」

向かいに座るユウ君は、あふれる笑みを隠しきれていなかった。

「うん。4週目だって」

「……体調は?大丈夫?と、とりあえず横に」

そっと握られた手が、温かかった。
慌てるユウ君が面白くて、もっと見ていたかったけれど……。

これからお父さんになるんだもんね。

「大丈夫だから、落ち着いて?ずっとそんな調子じゃ、体壊すよ?」

「んああ、そっか。ごめん」

「風邪とか引かないでよね?ダイエットもほどほどに」

「……うん」

これからどんな日々が訪れるのだろう。
不安もあるけれど、ユウ君がそばにいてくれるなら、立ち向かっていける気がする。

未来に胸を膨らませていたら、自然と頬も緩む。
ユウ君の隠しきれてない笑顔が、私にもうつったのかも。

エコー写真を見つめていたユウ君は、ふと顔を上げた。

「これ、もらっていい?」

「もらうって?」

「箱にしまって置こうかと。お願い!」

手を合わせながら薄目を開けるユウ君が、子どもみたいで……。
思わず吹き出してしまった。

「いいよ」

「うっし」

ユウ君は嬉しそうに飛び上がると、すぐに自室へと消えていった。
恐らく、例の小箱にしまうんだろう。

大事な物がしまってあるという小箱で、私ですら中を見せてもらえたことはない。

タタタと足早に戻って来たユウ君は、いたずらっぽく私を見つめながら言った。

「なあ、次の休みいつ?」

「来週の月曜だよ。どうして?」

「籍、入れに行こう」

結婚するんだろうなと思ってたし、結婚するなら彼しかいないとも思っていた。

子どもができて、ようやくね。

ちょっと遅い気がするけど……。

「うんッ!」

幸せだった。



それから数日、体調に特段の変化もなく、普通に仕事へ行って、普通に帰ってきて、普通に過ごしていた。
でもそれは私だけみたいで、ユウ君はひとりで焦りながらも、お父さんになるべく奮闘していた。

本を買ってきたり、パソコンで色々と調べたり。
残業を減らして、すぐに帰ってくるようになったのはいいけれど、私の体を気遣いすぎて、怒られたり。
名前は何が良いとか、保育園はとか。

これからゆっくり考えれば……とも思ったけど、ちゃんと将来を考えてくれてることが、嬉しかった。
それに、不安なのは私だけじゃないんだって思えて、安心した。

「ご飯食べないの?」

その日、ユウ君はお腹が空いてないと言って、パソコンに向かっていた。
外食したのか問い詰めると、本当に食べてない、お腹が空いてないだけだと言っていた。

嘘をつくような人じゃないから、信用しているけれど。

最近は残すことが多いし……。

「体調崩さないでね?」

「うん。大丈夫大丈夫、なんとかする」

「出たそれー。なんとかなる前に気を付けてって言ってるのに」

「ごめんごめん」

ユウ君の口癖は、「なんとかする」だ。
初めて聞いたときは、ん?と思った。
無計画なまま突っ走る人のような気がして、印象は良くなかったけれど、長らく過ごしていれば、よく理解できる。

約束は守る人だし、嘘もつかない。
なんとかすると言ったら、必ずなんとかしてくれる。

あれこれ考えすぎて、うまく言語化できてないだけで、根拠もなく言ってるわけじゃない。

逆を言えば、あれこれ考えすぎてパンクしそうってことでもあるけれど。

「ユウ君、本当に無理しないでね?ちゃんと相談してよね?」

ユウ君の背中に声を掛けると、振り返ってくれた。

「……うん。ちゃんと相談するよ」

口角を上げて、私を見つめるユウ君は、どこか悲しげだった。

「どう……」

どうしたの?
そう尋ねようかとも思ったけれど、私はそれ以上、言葉を重ねなかった。

彼は優しいから、心配させまいと、ひとりで抱え込んでるんだと思う。


でも、相談するって約束してくれたから、今はそっとしておこう。




日曜日の夜、私は呆然としていた。

「好きな人ができた」

「……え?」

表情の変え方を忘れてしまうほどに。

こういう時は、怒ればいいんだよね?
明日、籍を入れに行くはずだったから、ウキウキの笑顔をしていたけれど……。

眉間にシワを寄せる?
真っ赤にして睨む?

唇はもう、震えてる。

何を言っているのか、意味がわからなくて。

怖い――。

ただただ恐ろしかった。

彼の口から囁かれた言葉が、あまりにも冷たくて、あまりにも重たくて。

「別れよう」

「……子どもは?」

そんなことを聞きたいんじゃない。

子ども、なんかじゃない。

私は?

それだけ聞きたかった。

私との今までの時間はなんだったのか。
子どもができたと聞いた時、嬉しそうにしてたのは嘘だったのか。
甲斐甲斐しく、優しさを手渡してくれたのは、嘘?

その口で囁いてくれた、気持は嘘だったのか。

「ごめん。明日、お義母さんにも謝りに行くよ。体に気をつけてね」

彼はそれだけ言い残して、出ていった。

一瞥いちべつもせずに、すっと横を通り過ぎて。

呆気ない幕切れに、言葉も出てこなかった。
彼のすべてが、淡々とした事務作業のようで、「待って」の三文字すら……。

好きな人って、私じゃないの?


それから何分後だろう。

スマホを取り出して、彼にメッセージを送ったのは。

冗談であれと願いつつ、真意を確かめた。

好きな人なんて、嘘でしょうと。

でも帰っきたのは、たった三文字。

ごめん――。


ポツンとひとり残されて、私は少しずつ冷静さを取り戻した。
子どものこと、お金のこと、この部屋のこと。
もう好きとか嫌いとか考えないように、現実に山積する問題だけを突きつけた。

淡々と問いただしたけれど、彼からの返事はごめんだけだった。




翌日の昼。
母から電話があった。

「ユウ君来とったけど、なんがあったね?」

「……分からない」

「……子どもできたって聞きよったよ?」

「……うん」

「帰っておいで。アンタ独りにするんは、心配やけん。な?」

「……うん」

この部屋で二人だった時間は、どれほどだっただろう。
やっと今日、家族になるはずだったのに。
新しい命と共に、未来へ歩き出すはずだったのに。

好きな人ができた。

信じられない。
きっと嘘だ、何かあったんだ。

そう思ったけど、彼は帰ってこなかった。

3日も4日も、家を空けるなんてことは、これまでになかった。

その事実が、言葉に真実味を持たせる。

今頃、よその女と一緒に?

子どもを作っといて……。
身ごもった私を置いて……。

ひとりの時間が、あれやこれやと妄想を掻き立てた。

じわじわと湧き上がる怒りで、愛しい人の顔が歪んでいく。

思い出がすべて、黒く塗りつぶされていく。

あの笑顔も、言葉も、行動も。
墨をこぼしたように、黒ずんで……。

私は、彼と彼の家族の連絡先を消した。

黒い思い出を少しでも遠ざけたくてやったことだけれど、より一層黒くなっただけだった。

憎くい――。

想いは、たち消えるどころか、ますます強くなる。

これで終わったはずなのに、なにも始まりはしない。

打ち震える心が壊れても、涙すら出てこなかった。




私は実家は戻り、母の世話になりながら生活した。

とてもじゃないけど、引き継ぎや仕事の整理なんかできる状態じゃなかったから、職場には無理を言って、その日から産休にしてもらった。

落ち着けるはずの実家。
私が1日中座ったままでも、日々が過ぎていく。

彼の言葉で砕けていた心は、じっとしていれば痛まなかった。
黙ったまま壁だけを見ていれば、骨みたいにくっつくいてくれた。

けれど、体調はコロコロと変わっていく。

変わらない景色とは裏腹に。

大きくなるお腹に不安が募っていく。

これまでに感じたことのないほどの不安が、くっついた心の形をいびつにしていった。


それでも時は流れ、出産の日。


母に付き添われ病院に入ると、救急隊の人たちとすれ違った。

「ガンだったらしっすね」

「若いと進行が早いからな。お前も検査しとけよ?」

「うっす。気をつけないとっすね、体には」

他愛もない会話だったけれど、なぜか耳にこびりついた。
たぶん、アイツが言った言葉に似てたからだと思う。

それから2時間後、よく泣く子が生まれた。

「頑張ったね」

母は私の頭を撫で、私は子を抱く。

きっと感動して、涙の一つも流したほうがいいのだろうけれど、一滴たりとも出てこなかった。

私の胸でとなくこの子は、きっと不安しか感じていないのだろう。
私が不安ばかり与えたから、恐ろしくて仕方ないのだろう。

不安から逃れるように、小さな手足をばたつかせ、必死にもがく生命。

まさしく私の子だ。

私も同じだよ。

これからどうなるのか、どうしたらいいのか。

胸が張り裂けそうだったけれど、今度は大丈夫だった。
私の胸の上には、愛すべき我が子がいたから。

私が守らないといけない。
そう強く思うことができた。



産後は順調で、出産から5日で退院の運びとなった私は、帰途につく車中でスマホを開いた。

「ん?」

通知を開くと、見知らぬ番号から着信が入っていた。
よほど急ぎのようなのか、立て続けに3件も。

番号を調べてみると、アイツと住んでいたアパートの不動産屋さんだった。

家賃滞納かとも思ったけど、契約者も引き落とし口座もアイツ名義になっていたはず。

首を傾げつつも、急ぎのようだから折り返すことにした。

「母さん、ちょっと電話していい?」

「どうぞー」

私はチラリと隣を見やる。
スヤスヤと眠っている我が子が起きないか心配だったけれど、この分なら起きないだろう。

頬を優しく指で突くと、温かい弾力が返ってきた。
小さい手を指先でつまみ、じんわりと体温が行き交う。
思わず笑みがこぼれ、すぐにでも抱き上げたかったけれど、今起こすと不機嫌になるからね。

スマホに視線を落とし、不動産屋さんの番号をタップした。

プルルとコール音がなった後、すぐに男性の声がした。

「エブリ不動産です」

「あ、お世話になってます。先程ご連絡があったみたいで、その折返しなんですが……」

「ああ!折返しありがとうございます。えーとですね、名義変更を行う場合は、一度お店の方に来ていただかないといけないんですよ。今は時期が悪いというのは、重々承知しているんですが、お時間を作ってはいただけないでしょうか」

唐突な話で、まったく理解できなかった。
あたかも、私が名義変更を頼んだみたいな言い方だし、さすがに顔をしかめてしまった。

「あの、なんの話ですか?私はなにも聞いてないんですけど」

「え?あ、そうなんですか。大変失礼しました。
えーとですね、白木ユウさんのご家族から同居人であるアナタへ名義変更してくれとご相談がありまして。
1年分の賃貸料も即日払うからとのことだったので、まあ特例措置ですがオーナーさんも了承してますから、名義変更ができるんですけど。その場合……」

「ちょ、ちょっと待ってください。どうして私に名義変更するんです?1年分の賃貸料まで……なにがどうなってるんですか?」

「どうして、と言われましても。相続人である白木さんご家族から言われてますので……まったくお話されてないんですか?」

「相続人?」

「はい。白木ユウさんがお亡くなりになったため、ご家族さんが相続人になります」

「は?」

「5日前と聞いて……お聞きになってなかったですか?すみません、てっきり、申し訳ないです」

死んだ?

私は言葉を失い、スマホからの声も聞こえなくなっていた。

アレだけ憎しみを募らせたアイツが死んだというのに、すっと血の気が引く思いだった。

ざまあみろと心のなかで呟いてみるけど、打ち寄せる悲しみに、さらっとかき消される。

5日前――。

この子が生まれた日だ。

「申し訳ない――」

「どうして、死んだんですか」

「……それは、その」

「教えてください」

「……ガンで亡くなったと伺いました」

私は電話を切って母に事情を説明した。
心はとっくに、抜け殻になってたから、うまく話せたと思う。

涙で言葉が詰まることも、悲しさで声が震えることもなかったから、つらつらと話せた。

「は?」

そういうと、母は車を路肩に寄せた。

体をよじって、黙ったまま私の話を聞くと、スッと手を差し出した。

私の凍りついた手を溶かしてくれそうなほどに、温かい母の手で、ギュッと握りしめてくれた。

私は今、どんな顔をしてるんだろう。




翌日「荷物だけ取りに行こう」と母に言われた。

荷物だけは回収して、それから引き払うか考えたらいいからと。

子どもは親戚に見てもらい、私たちはあのマンションへと向かった。


マンションの前に車を横付けしてエントランスに入ると、たくさんのチラシが詰め込まれ、ぐじゃぐじゃに荒た郵便受けが目に飛び込んだ。

「郵便は後にしようね」

そう言われ、階段を上る。

色々と思い出が蘇るけれど、もう彼はいない。
どっかの誰かに、看取られて死んだんだ。
好きな人とね。

ガンを隠して、私に迷惑をかけないために、あんな嘘をついた?
そんなラブストーリーのような展開が、薄っすらとよぎったけれど、それはない。

アイツは隠すのが下手だから、私なら絶対に見抜けたはずだもん。

頭の中では、必死に恨もうとしたけれど、心の中はめちゃくちゃだった。
空っぽだったはずなのに、まだどこかに、彼への想いがへばりついてたのだと思う。
だから期待してしまうんだ。

ガチャリ――。

目に映るのは、何も変わらない部屋だった。
生活をそのまま残したような、記憶や思い出をそのまま形にしたような。

太陽と月がいっぺんに顔を出したような、不思議な感覚だった。
廊下もキッチンもリビングも、彼との思い出しかない。

「とりあえず運ぶよ」

呆然と辺りを見回していると、母に声で意識を引き戻される。

そのせいで、部屋のニオイが、アイツの服が、アイツの座っていた椅子が、昔の記憶を引きずり出した。

深く沈めたはずの、黒く染まった思い出たちを。

私は頭を振り、から元気で片付けを始めようとしたら、ダイニングテーブルに置かれている、小箱に目を奪われた。

そこにあったのは、アイツが大事にしていた小箱だった。

なんでこんな物が。

早鐘を打つ心臓にほだされて、私はいてもたってもいられず、小箱を乱暴に掴んだ。

記憶ごとゴミ箱にでも放ってしまおうと。

すると、手元から何かが落ちた。
小箱が空いていたようで、中身がこぼれたらしく、床で雑多な音がした。

視線を落とし、それらを拾おうとしたが手が止まる。

「通帳?」

そこにあったのは彼名義の通帳で、近くには印鑑まで。

中身をめくって、ますます意味がわからなくなる。

まだ使い終わってない通帳だったから。


再び視線を落とすと、他の銀行の通帳もあった。
それに、1枚の封筒も。

頭の中では、なにが起きてるのか、少しだけ分かってた。

1年分の家賃を前払いして、通帳と印鑑まで置いてって。


この封筒に、心を粉々にした、すべてが詰まってる。

なにが書かれていようと、これで決別できるはずだと自分に言い聞かせて、封筒の中を覗いてみる。
そこにあったのは1枚の便箋と、2つのリングだった。

震える手で便箋を開くと、少ない言葉が綴られていた。


ミキへ。
体に気をつけて、生きてってください。
良い母親になると思います。

少ないけど、生活の足しにしてください。
指輪も売ってね。
エコー写真はもらう。絶対返さん。

体には本当に気をつけて。

あとこれは、言わずにいたかったけど、どうせ死ぬんだから、言います。というか書きます。

なんとかするつもりだったけど、病気はなんともならなかった。
ごめんよ。

今度は、なんとかしてくれる人と一緒になってくれ。

結局言わずじまいだったけど、愛してるよ。

バイバイ!


手紙を読んですぐ、黒く染まっていた思い出に色が戻った。

頭をよぎるのは、妊娠を伝えた日だ。
なにかを隠していることは分かっていたのに。

食事もあまり取らず……。
そういえば痩せていた。

ダイエットかと思ったけど、今になれば全部の辻褄が合ってしまう。

聞けばよかった。

どうしたの?と言えば、なにかが変わったかもしれない。


憎しみ続けたあの時間、不安と絶望に苛まれた孤独な日。

彼もまた孤独だったのだと思うと、やりきれない。

なんとかするって言ってたじゃん。

最後の最後に嘘なんて。

ずるい――。

ちゃんと、私のそばにいてほしかったのに。

なにもできないけど、そばにいてあげたかった。

なんとかしてよ、この気持ち。


便箋に刻まれた彼の想いは、私の想いでポタポタと滲んでいった。
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