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とある侯爵令嬢の話

03. こんなはずでは

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ディアナの声は、無駄によく通る。
それほど大きな声でなくても、周囲にはハッキリと聞こえてしまう。
きっとその声が届いたのだろう。ラキルスが慌てて駆け寄って来る姿が目に入る。

侯爵令嬢は知っている。
ラキルスは、自分の意思が伴わない政略で迎えた妻であっても、絶対に大切にする人だ。
こんな神経のおかしい女だって、妻として迎えたからには何としても守ろうとする人なのだ。
つまり、ラキルスにとって、いまこの場においての悪役的存在は、侯爵令嬢ってことになってしまう。

(ああ何てこと…!!憧れのラキルス様に、嫁に嫌がらせする性格の悪い女認定されてしまうことになるなんて………!!)

こんなはずではなかったと、侯爵令嬢は絶望した。
顔色はみるみると青ざめて行き、指先はぶるぶると小刻みどころではなく震えている。

「ぁ、あ…の、わわわわたくしっ……っ」

声はカッスカスで、ちゃんと言葉になっているのかも分からない。ただぶるぶると首を横に振って、必死にそんなつもりじゃなかったのだというアピールをすることしか出来ない。

いや。そんなつもりじゃも何も、完全に『そんなつもり』だったわけだが、でも、軽くぶつかって、少しだけドレスにジュースが零れるという軽い事故を、あくまでも不慮の事故として片づけられるレベルのものを起こして、その後ちゃんと謝罪するつもりだったのだ。イビリ認定されるようなものを引き起こすつもりなどは本当になかったのだ。

お詫びと称して、後日改めて公爵家にお伺いなんかしちゃって、謝罪という形にせよラキルスと正面からお話してみたいとか、ちょっと欲が出てしまっただけなのだ。

半泣きの侯爵令嬢を前に、ディアナは目をキラキラさせている。

「ディアナ、何があった…?」

駆け寄ってきたラキルスが心配そうな目を向ける。
それだけで、侯爵令嬢は死にたくなる。

違うのだ。
この女のことは本気で神経がおかしいと思っているが、ラキルスに不快な思いをさせようなんてことは決して!全く!微塵も思っていないのだ。

だというのに、この嫁ときたら、いらないことを口走りやがる。

「ラキ!ラキ!これが王都のイビ…じゃなくて洗礼ってやつでしょ?わたし初めてなの!だってほら、お義母さま嫁イビリとかしないし!」

(ちっきしょうこのアホ女!ラキルス様の前でイビリイビリ言いやがって!!)

確かにコイツはアホっぽい。完全にアホっぽい。辺境伯家の長女が言ったとおりである。おまけに神経はおかしい。

公爵夫人は、こんな女が嫁いで来たというのに、嫁イビリなどしないらしい。
さすがラキルスの生みの親。すばらしい人格者である。
心の底から公爵家に嫁ぎたかった。羨ましすぎて今すぐ血を吐ける自信がある。

羨ましさを拗らせて、やらかしてしまったのは自分ではあるのだが、でも、ラキルスに嫌われてでもどうにかしてやりたかったわけでは決してない。そこだけは譲るわけにはいかない。

ぶるぶる震えながら全力で首を横に振る侯爵令嬢から、さくっとグラスを奪い取ったディアナは、それを近くのテーブルに置くと、侯爵令嬢の両手をがしっと握りしめた。

「貴重な経験をさせてくれてありがとう!他は?他にも何かある?遠慮せずじゃんじゃんやっちゃってね!」

顔はにっこにこなのだが、凄まじい圧を感じる。
これは腹の底では怒っているのだろう。
それはそうだ。この女は、今やれっきとした公爵家の人間なのだ。初対面の格下の家の小娘から不躾な態度を取られたのだから、腹を立てるのは当たり前のことなのだ。

「も、ももも申し訳…っあり、ませ…っわ、わわわたくし、そんなつもりでは…っ」

目尻には堪えきれない涙が滲みはじめる。
それでも必死に謝罪の言葉だけはと口にしたところで、ラキルスが声をかける。

「とりあえず場所を移しましょう。侯爵令嬢、本日の付き添いは父君ですか?兄君ですか?」
「すまないラキルス、私だ」

そこで侯爵令息(令嬢の兄。ラキルスの同級生)が血相を変えて飛び出して来た。
尋常でなく震える令嬢を支えるようにして寄り添う令息の姿には壮絶なる悲壮感が漂っているが、一方の公爵家の若夫婦は対極と言っていい様子を見せていた。
嫁は今にも小躍りしはじめそうなほどご機嫌だし、夫はその姿を「やれやれ」と言わんばかりの、でも微笑ましいものを見るような表情で見守っている。

退場していく二組を目撃していた人々は、そんなラキルスの様子に驚きを隠せなかった。

ラキルスはいつも穏やかに微笑んではいるが、末姫の隣であろうとも常にアルカイックスマイルであって、呆れも愉悦も浮かべることなどなかったのだから。

そして、そんな激レアな表情を引き出しているのが、この嫁の存在なのだという事実に、衝撃を受けるしかなかった。

どこからともなく現れたダークホースが、ラキルスにとっては大本命だったという現実を見せつけられたようなものであり、『夫婦の不仲に付け込んで公爵家とご縁を…』なんて目論んでも見当違いでしかないと、誰もが認めざるを得なかったという。


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