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第1章 え、私があの怖い先輩と「百合営業」するんですか?
第2話 辞令、青葉ずんだと川崎ばにら、百合営業をせよ。(前編)
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金盾配信の二日後。
私はマネージャーから打ち合わせのため事務所に呼び出された。
いつもはボイスチャットなのに珍しい。
何か大きな案件でも来たのだろうか?
10時過ぎに布団から抜け出した私は、蒸しタオルで髪と身体を拭き、事務所に行くためだけの服(空色の半袖シャツ&デニムのショートパンツ)を着て部屋を出た。
手には最低限の荷物を詰めた小さな手提げ鞄。
JR阿佐ヶ谷駅のスタバに立ち寄って少し遅めの朝食。
カフェインレスコーヒー、ハムとチーズのホットサンドを胃に収める。
化粧室で軽く容姿を整えると中央線快速に乗った。
平日の昼過ぎということもあり電車は空いている。
ただ座れるほどではない。
扉近くのつり革を私は握る。
阿佐ヶ谷から事務所のある御茶ノ水まで約30分。
新宿辺りで座れるかなと甘い期待をしたがそんなことはなく、ずっと立ちっぱなしのつらい行程となった。
ふと、目ざとく斜め前の席を奪ったサラリーマンに目がいく。
三十代前後。坊主頭でいかにも体育会系のいかつい身体つき。元気が取り柄の営業マンという感じ。その体力をこんな所で使わなくてもいいじゃない。
そんな彼が、手提げの黒鞄の上にスマホを置いて動画を眺めだす。
くつくつと堪え笑いが男の唇から漏れた。
何を見ているのだろう。
窓越しにスマホの画面を覗き込むと――去年のクリスマスにゆき先輩とやった3D配信の切り抜き動画が映っていた。
ちょうどツイスターゲームのシーンが流れる。
『おいコラ、ばにらぁっ! なに青出してんだ! 黄って言ったじゃねえか!』
『ゆき先輩、ケツが! ケツが目の前に!www』
『アイドルがケツケツ言ってんじゃねえ! キッズが泣くだろぉッ!』
何度見てもひどい配信だ。
けど、これが反響を呼んで登録者数が跳ねたんだよね。
個人的にも楽しい配信だった。
(またこういうの、ゆき先輩とやりたいなぁ……)
ついつい見入っていた私はサラリーマンの咳払いで我に返る。
迷惑そうに顔をしかめる男性。「ごめんなさい」と言いそうになって口を噤んだ。
自分の動画を見ている相手に喋りかけてどうする。
身バレしたいのか。
その時、ちょうど電車が御茶ノ水駅に到着する。
私はサラリーマンに頭を下げると、逃げるように電車から飛び出した。
聖橋口改札から出て丸善御茶ノ水店の横を通り過ぎると寂れたビル街へ。
しばらく行くと、灰色のタイル張りの5階建てビルに入った。共通フロアの1階エントランスを抜けて中央のエレベーターへと向かう。
すると、エレベーター前に見知った背中。
「あれ。うみじゃない。奇遇だね」
私は彼女のVTuber名を呼んだ。
本名は知らない。教えない。それがこの事務所での配信者たちのルールだ。
こう言うとわけありっぽいが、単に配信中に「本名」でうっかり呼ばないための予防策。普段からVTuber名で呼び合えば、そういう事故は起きないからね。
「ばにら! なんだよ、お前も来てたのか~!」
VTuberという職業には似合わないぴちっとしたビジネススーツ姿。
大理石の床を黒いパンプスでカツンと蹴るとポニーテールを揺らして振り返る。
頬には明るめのファンデーション。
きっと、昨日の収録が長引いて寝不足なんだろう。
そんな彼女は私を見つけるやすぐに抱きついてきた。
天性の人たらしの彼女にとってハグは挨拶みたいなもの。
出会った時点でこの状況は不可避だった。
せっかく整えたミディアムボブの髪が豪快に崩されていく。
まったく困った同期だよ。
「ばにらぁ~、聞いてよぉ~! 運営がさぁ、アタシの都合も考えずにスケジュールを埋めてきてさぁ~! アタシの身体は一つだけだってのに!」
「それだけ頼りにされてるんだよ」
「だからってなんでもかんでも私に振るのおかしくない! はぁー、もう、やってられるか! 辞める! VTuber辞める! この打ち合わせが終ったら辞表出す! ファンのみんなには悪いけれど、うみは普通の女の子に戻ります!」
「けど、どうせ言いくるめられるんでしょ?」
「そうなの。前職で染みついた社畜根性が出ちゃうの。何を言われても、『はい喜んで!』としか返せないこの身体が憎い」
しょんぼりと彼女が肩を落とす。
すかさず私は身体を離した。
彼女はDStars3期生の「八丈島うみ」。
修学旅行で乗った船が沈没し無人島に流れ着いたサバイバル系委員長――という、かなり濃い設定をしたVTuberだ。得意な配信は雑談(特に猥談が得意)。
年長者で社会経験も豊富なため3期生のリーダーを務めている。
ただまぁ、中身はこの通りポンコツなんだけれどね。
ちょうどエレベーターが到着したのでふたりで乗り込む。
自然に操作盤の前に移動した同期にエスコートされ、事務所のある4階へ。
「あぁ、そうだ! 金盾配信だけど!」
「あー、その話はもうしないで。なんとか丸く収まったし」
「よくない! 根回しせずに凸待ちなんてしちゃダメ! ずんだ先輩がフォローしてくれたからよかったけど、あのまま凸待ちゼロ人だったら、マジで引退だったよ⁉」
「……はい、反省しております」
「ただでさえアンタはVTuberのトップでアンチも多いんだから! いつどこで揚げ足を取られるか分からないって、もうちょっと自覚しな?」
「……すみません。次に凸待ちやる時はうみさんに相談します」
「よろしい! しかし、ずんだ先輩もよく駆けつけてくれたね?」
「ほんとそれ。ゆき先輩が連絡してくれたみたい」
「これでばにらちゃんはあのふたりに足を向けられなくなったね。会ったらちゃんとお礼を言っておきなさいよ」
雑談もそこそこにエレベーターが事務所のある4階に到着する。
すると、降りてすぐの階段に人の気配を感じた。
階ごとに違う会社が入っているこのビルは基本的に階段は利用されていない。
ただ、4階と5階についてはうちの事務所がまとめて借りている関係で、職員や所属VTuberが行き来に使っていた。
ちなみに4階が事務所で、5階がレッスン場&配信スタジオだ。
私とうみは事務所の入り口前で顔を見合わせる。
「私ら以外にも誰か来てるのかしら?」
「そうみたいだね」
「どうする? もしかしてずんだ先輩だったりして?」
「嫌な想像させないでよ」
「なんで。お礼を言うなら早い方がいいわよ」
「まだ心の準備ができてないよ。それに、ずんだ先輩って」
「――私が、なに?」
冷たい声に驚いて階段を振り返った。
息と一緒に言おうとしていた台詞も引っ込む。
というのも仕方がない、階段から下りてきたのが話題のその人だったから。
まるで葬儀にでも参列するような黒いワンピース。
爪先が出た黒い革のミュールに白のペディキュア。
触れるのが怖くなるほど白く艶やかな頬。
碧色をした切れ長の瞳。
一本一本丁寧に手で梳いたのではないかと思わせる黒のロングヘア。それは彼女の腰まで伸びていて、同性をもはっとさせる美しさがあった。
高身長に細い身体付き。
大通りのショーケースから出てきたよう。
女性の理想を具現化したような美しい人がそこには立っていた。
心底、疎ましそうな表情を浮かべて。
「入らないならどいてくれるかしら。私、これから社長と打ち合わせなの」
彼女こそは「青葉ずんだ」――の中の人。
和風ロリ系のアバターで世を魅了する女配信者。
そして、私を助けてくれた恩人。
DStarsの「氷の女王」だった。
「……どうして、ずんだ先輩がここに?」
私はマネージャーから打ち合わせのため事務所に呼び出された。
いつもはボイスチャットなのに珍しい。
何か大きな案件でも来たのだろうか?
10時過ぎに布団から抜け出した私は、蒸しタオルで髪と身体を拭き、事務所に行くためだけの服(空色の半袖シャツ&デニムのショートパンツ)を着て部屋を出た。
手には最低限の荷物を詰めた小さな手提げ鞄。
JR阿佐ヶ谷駅のスタバに立ち寄って少し遅めの朝食。
カフェインレスコーヒー、ハムとチーズのホットサンドを胃に収める。
化粧室で軽く容姿を整えると中央線快速に乗った。
平日の昼過ぎということもあり電車は空いている。
ただ座れるほどではない。
扉近くのつり革を私は握る。
阿佐ヶ谷から事務所のある御茶ノ水まで約30分。
新宿辺りで座れるかなと甘い期待をしたがそんなことはなく、ずっと立ちっぱなしのつらい行程となった。
ふと、目ざとく斜め前の席を奪ったサラリーマンに目がいく。
三十代前後。坊主頭でいかにも体育会系のいかつい身体つき。元気が取り柄の営業マンという感じ。その体力をこんな所で使わなくてもいいじゃない。
そんな彼が、手提げの黒鞄の上にスマホを置いて動画を眺めだす。
くつくつと堪え笑いが男の唇から漏れた。
何を見ているのだろう。
窓越しにスマホの画面を覗き込むと――去年のクリスマスにゆき先輩とやった3D配信の切り抜き動画が映っていた。
ちょうどツイスターゲームのシーンが流れる。
『おいコラ、ばにらぁっ! なに青出してんだ! 黄って言ったじゃねえか!』
『ゆき先輩、ケツが! ケツが目の前に!www』
『アイドルがケツケツ言ってんじゃねえ! キッズが泣くだろぉッ!』
何度見てもひどい配信だ。
けど、これが反響を呼んで登録者数が跳ねたんだよね。
個人的にも楽しい配信だった。
(またこういうの、ゆき先輩とやりたいなぁ……)
ついつい見入っていた私はサラリーマンの咳払いで我に返る。
迷惑そうに顔をしかめる男性。「ごめんなさい」と言いそうになって口を噤んだ。
自分の動画を見ている相手に喋りかけてどうする。
身バレしたいのか。
その時、ちょうど電車が御茶ノ水駅に到着する。
私はサラリーマンに頭を下げると、逃げるように電車から飛び出した。
聖橋口改札から出て丸善御茶ノ水店の横を通り過ぎると寂れたビル街へ。
しばらく行くと、灰色のタイル張りの5階建てビルに入った。共通フロアの1階エントランスを抜けて中央のエレベーターへと向かう。
すると、エレベーター前に見知った背中。
「あれ。うみじゃない。奇遇だね」
私は彼女のVTuber名を呼んだ。
本名は知らない。教えない。それがこの事務所での配信者たちのルールだ。
こう言うとわけありっぽいが、単に配信中に「本名」でうっかり呼ばないための予防策。普段からVTuber名で呼び合えば、そういう事故は起きないからね。
「ばにら! なんだよ、お前も来てたのか~!」
VTuberという職業には似合わないぴちっとしたビジネススーツ姿。
大理石の床を黒いパンプスでカツンと蹴るとポニーテールを揺らして振り返る。
頬には明るめのファンデーション。
きっと、昨日の収録が長引いて寝不足なんだろう。
そんな彼女は私を見つけるやすぐに抱きついてきた。
天性の人たらしの彼女にとってハグは挨拶みたいなもの。
出会った時点でこの状況は不可避だった。
せっかく整えたミディアムボブの髪が豪快に崩されていく。
まったく困った同期だよ。
「ばにらぁ~、聞いてよぉ~! 運営がさぁ、アタシの都合も考えずにスケジュールを埋めてきてさぁ~! アタシの身体は一つだけだってのに!」
「それだけ頼りにされてるんだよ」
「だからってなんでもかんでも私に振るのおかしくない! はぁー、もう、やってられるか! 辞める! VTuber辞める! この打ち合わせが終ったら辞表出す! ファンのみんなには悪いけれど、うみは普通の女の子に戻ります!」
「けど、どうせ言いくるめられるんでしょ?」
「そうなの。前職で染みついた社畜根性が出ちゃうの。何を言われても、『はい喜んで!』としか返せないこの身体が憎い」
しょんぼりと彼女が肩を落とす。
すかさず私は身体を離した。
彼女はDStars3期生の「八丈島うみ」。
修学旅行で乗った船が沈没し無人島に流れ着いたサバイバル系委員長――という、かなり濃い設定をしたVTuberだ。得意な配信は雑談(特に猥談が得意)。
年長者で社会経験も豊富なため3期生のリーダーを務めている。
ただまぁ、中身はこの通りポンコツなんだけれどね。
ちょうどエレベーターが到着したのでふたりで乗り込む。
自然に操作盤の前に移動した同期にエスコートされ、事務所のある4階へ。
「あぁ、そうだ! 金盾配信だけど!」
「あー、その話はもうしないで。なんとか丸く収まったし」
「よくない! 根回しせずに凸待ちなんてしちゃダメ! ずんだ先輩がフォローしてくれたからよかったけど、あのまま凸待ちゼロ人だったら、マジで引退だったよ⁉」
「……はい、反省しております」
「ただでさえアンタはVTuberのトップでアンチも多いんだから! いつどこで揚げ足を取られるか分からないって、もうちょっと自覚しな?」
「……すみません。次に凸待ちやる時はうみさんに相談します」
「よろしい! しかし、ずんだ先輩もよく駆けつけてくれたね?」
「ほんとそれ。ゆき先輩が連絡してくれたみたい」
「これでばにらちゃんはあのふたりに足を向けられなくなったね。会ったらちゃんとお礼を言っておきなさいよ」
雑談もそこそこにエレベーターが事務所のある4階に到着する。
すると、降りてすぐの階段に人の気配を感じた。
階ごとに違う会社が入っているこのビルは基本的に階段は利用されていない。
ただ、4階と5階についてはうちの事務所がまとめて借りている関係で、職員や所属VTuberが行き来に使っていた。
ちなみに4階が事務所で、5階がレッスン場&配信スタジオだ。
私とうみは事務所の入り口前で顔を見合わせる。
「私ら以外にも誰か来てるのかしら?」
「そうみたいだね」
「どうする? もしかしてずんだ先輩だったりして?」
「嫌な想像させないでよ」
「なんで。お礼を言うなら早い方がいいわよ」
「まだ心の準備ができてないよ。それに、ずんだ先輩って」
「――私が、なに?」
冷たい声に驚いて階段を振り返った。
息と一緒に言おうとしていた台詞も引っ込む。
というのも仕方がない、階段から下りてきたのが話題のその人だったから。
まるで葬儀にでも参列するような黒いワンピース。
爪先が出た黒い革のミュールに白のペディキュア。
触れるのが怖くなるほど白く艶やかな頬。
碧色をした切れ長の瞳。
一本一本丁寧に手で梳いたのではないかと思わせる黒のロングヘア。それは彼女の腰まで伸びていて、同性をもはっとさせる美しさがあった。
高身長に細い身体付き。
大通りのショーケースから出てきたよう。
女性の理想を具現化したような美しい人がそこには立っていた。
心底、疎ましそうな表情を浮かべて。
「入らないならどいてくれるかしら。私、これから社長と打ち合わせなの」
彼女こそは「青葉ずんだ」――の中の人。
和風ロリ系のアバターで世を魅了する女配信者。
そして、私を助けてくれた恩人。
DStarsの「氷の女王」だった。
「……どうして、ずんだ先輩がここに?」
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