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第2章 黄金色の絆
第36話 想い人と野獣の男
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それからしばらく平穏な日が続いた。
白根さんから連絡が入ったものの、隣の部屋から覗かれているような雰囲気はなくなったという。
一週間後、常盤市に雪が降り始めた。今年は例年にない大雪で、すでに街中の歩道は除雪車が通ったあとで、道行く人は歩行にも難儀していた。
当然、東京暮らしが長かった俺にとっては、朝の時間に探偵事務所に行くだけでも苦行であった。
このままだと、始業時間の九時に間に合わない。椿に遅れること伝えようかなあ。
俺はとりあえず、コンビニの軒先に避難すると、ポーチからスマホを取り出して椿に連絡しようとした。
その時、画面に椿の名前が表示された。
「もしもし? リツです」
【あ、リツ? まだ事務所に来れそうにない?】
焦りの交じる椿の声。
何があったのかと心配になりつつも、俺は現在の状況を説明した。
「たぶん遅れる。この雪でまともに歩けねえ」
【そう。今からそっち行くから。大変なのよ】
「何があったんだ?」
【白根さんが……、とにかく、今からそっち行くから! リツがいる所教えて】
俺は今いる場所を説明すると、スマホの電話機能をオフにした。椿は紅葉ちゃんとともに車で、ここまで来てくれるとのこと。
待つこと十五分。椿の車が雪道を物ともせずに俺の前に停車した。
椿は後部座席に紅葉ちゃんを乗せ、助手席のドアを開けた。
「乗って! 現場に向かうわよ!」
「あ、ああ!」
車のドアを閉めると、椿の小型車フィートは悪路の雪道を走り始めた。彼女は可能な限り車の速度を上げる。この悪路のスピードを上げるのは危険だ。
「なあ、白根さんに何があったんだ?」
揺れる車内で俺はなんとか目の前にあるダッシュボードに捕まりながら、運転席にいる椿に一番気になっていることを話した。
「さっき、SENNに白根さんから連絡があったのよ。[たすけて]って」
「え? 他になんか言ってなかったのか?」
「誰かに襲われてるみたいなの。変な男の人が部屋に入ってきたって」
俺は嫌な予感がした。
まさか、青崎が……?
SENNに通知が入ったのは今日の八時半ごろ。
今日は白根さんから経過の聞き取りをする予定だった。
「で、でも青崎は白根さんに謝ってたよな……」
「……実際はどこまで信用できるかわからないわ。行って確かめてみないと」
椿も俺と同じく、青崎が白根さんに何かやらかしたのかと思っていた。急いで彼女のスマホに電話したが、通話音がするだけで繋がらなかった。
車を走らせること数分、俺たちはアパートの駐車場に到着した。
数台のパトカーが停車している。
雪が降りしきる中でも、アパートの住民とみられる人々が集まっていた。彼らは祈るように事の行く末を見守っていた。
しかし、住民たちの中に白根さんの姿が見当たらない。
一体どこに……。
「椿……白根さん、いるか?」
彼女も首を横に振って否定した。
「いないわ……。相変わらず電話もつながらないし……」
まさか、まだアパートの中にいるんじゃ……。
嫌な予感が脳裏によぎった。
「あ……あれ……!」
紅葉ちゃんの声が俺と椿の耳に響いた。彼女はアパートを指さすが、その口は震えて声が出せずにいた。
警官とバリケードを設置した機動隊が数人、先頭に出てアパートの方ににらみを利かせていた。
その中には常盤署の堂宮刑事もいた。
「今すぐ人質を解放しなさい! 無意味な行動は今すぐやめるんだ!」
堂宮刑事は拡声器から必死に呼びかけていた。
その先には――
首筋にナイフを突きつけられ、背後から身動きを封じられ、命乞いをするかのように怯える白根さん……その背後には男がいた。
その男は、青崎ではなかった。
――唯を生かして返すかよ!
茶髪を一部、赤く染めた髪、高い鼻に、美形の顔。そしてすらりとした長身に黒いジャケットを羽織った男。
白根さんを捕らえている男は、彼女の部屋でにあった写真に写っていたあの男だった。
――へっ! この女はなあ、俺を侮辱したんだよ! 生きて返すわけにはいかねえ。大人しく付き合ってくれりゃいいのによお‼
男は大声で唾を吐き捨てる。
白根さんは声も出せず、身を震わせるだけだった。
「し、白根さん……!」
椿は開いた口がふさがらず、かすれ声で状況を見守るほかなかった。
俺も同様である。
白根さんの命が危ない!
しかし、俺たちにはどうすることもできなかった。相手はナイフを持った男である。警察ならともかく、武器を持たず、格闘技の心得もない俺たちの力では刃物で刺されて一巻の終わりだろう。
無謀であることは、この前の同窓会の事件で嫌というほど理解していた。
でも、どうする。
どうやったら、彼女の命を守れる?
俺が考え込んでいる刹那、すべてが動き出した。
――白根から離れろ‼
その声に、周りにいたものはくぎ付けになった。
「あんだあ?」
その先にいたのは、白根さんをのぞき見していた男――青崎その人であった。
青崎は臆さずにナイフを持った男を睨みつけていた。彼はぼさぼさの髪と無精ひげでどこか迫力に欠ける風貌かもしれない。しかし、彼の目は赤々と燃えていた。間違いなく怒りの感情をぶつけていた。
「な、なんで青崎が……?」
思わず俺の口から声が出てしまった。
意外過ぎる展開に俺は動揺していた。
「あ、あなたは……!」
白根さんも動揺していた。
彼女は明らかに青崎と過去に会っていたような感じだった。彼女の部屋での言動や、アパートの青崎と親しかった男性との話の時の彼女が、そのことを物語っていた。
青崎は男に向かって吠えた。
「今すぐ白根を解放しろ!」
しかし、ナイフを持った男は青崎にその切っ先を突き付けた。
「これはなあ、俺の女なんだ。開放する義理はないだろ?」
恫喝する男に、青崎はひるむことなく言い返した。
「白根が嫌がっている。今すぐやめろ」
「ふん。お前こそ消えろや。気持ち悪い顔しやがって、清潔感ないと人に避けられるぜ」
「やめろって言ってるんだ!」
「気持ちわりぃ~! さっさと失せろ!」
そういって男はナイフを振り回した。
青崎は素早く後ずさる。
白根さんは目を強く閉じ、何かに祈っているようだ。
こんな時、どうする。
いま、あの男から一時的に警察や俺たちへの注意は逸らされている。父さんなら、このタイミングで突入すると言っていた覚えがある。
しかし、現状稼げる時間は一時的だろう。
今しなければならないのは、突入する時間を稼ぐこと。そして、状況を変えることだ。
白根さんは、かつて青崎と会っていたことを思い出せていないのかもしれない。
しかし、青崎は白根さんの名前を知っていた。もちろん、覗き中に彼女の名前を確認したのかもしれないが――
青崎と白根さんをつなぐものがあるはずだ。
二人に共通すること――同じアパートに住んでいるだけでなく、昆虫が好きというところが共通していた。
そして白根さんはぬいぐるみやアクセサリーなどの手芸品……特に虫や小動物のそれを作成するのが好きだと言っていた。
その時だった。
――白根! これを見ろ! 思い出してくれ!
青崎の声がその場にこだました。
彼はコガネムシをかたどった、スマホ用のキーホルダーを手にしていた。
白根さんから連絡が入ったものの、隣の部屋から覗かれているような雰囲気はなくなったという。
一週間後、常盤市に雪が降り始めた。今年は例年にない大雪で、すでに街中の歩道は除雪車が通ったあとで、道行く人は歩行にも難儀していた。
当然、東京暮らしが長かった俺にとっては、朝の時間に探偵事務所に行くだけでも苦行であった。
このままだと、始業時間の九時に間に合わない。椿に遅れること伝えようかなあ。
俺はとりあえず、コンビニの軒先に避難すると、ポーチからスマホを取り出して椿に連絡しようとした。
その時、画面に椿の名前が表示された。
「もしもし? リツです」
【あ、リツ? まだ事務所に来れそうにない?】
焦りの交じる椿の声。
何があったのかと心配になりつつも、俺は現在の状況を説明した。
「たぶん遅れる。この雪でまともに歩けねえ」
【そう。今からそっち行くから。大変なのよ】
「何があったんだ?」
【白根さんが……、とにかく、今からそっち行くから! リツがいる所教えて】
俺は今いる場所を説明すると、スマホの電話機能をオフにした。椿は紅葉ちゃんとともに車で、ここまで来てくれるとのこと。
待つこと十五分。椿の車が雪道を物ともせずに俺の前に停車した。
椿は後部座席に紅葉ちゃんを乗せ、助手席のドアを開けた。
「乗って! 現場に向かうわよ!」
「あ、ああ!」
車のドアを閉めると、椿の小型車フィートは悪路の雪道を走り始めた。彼女は可能な限り車の速度を上げる。この悪路のスピードを上げるのは危険だ。
「なあ、白根さんに何があったんだ?」
揺れる車内で俺はなんとか目の前にあるダッシュボードに捕まりながら、運転席にいる椿に一番気になっていることを話した。
「さっき、SENNに白根さんから連絡があったのよ。[たすけて]って」
「え? 他になんか言ってなかったのか?」
「誰かに襲われてるみたいなの。変な男の人が部屋に入ってきたって」
俺は嫌な予感がした。
まさか、青崎が……?
SENNに通知が入ったのは今日の八時半ごろ。
今日は白根さんから経過の聞き取りをする予定だった。
「で、でも青崎は白根さんに謝ってたよな……」
「……実際はどこまで信用できるかわからないわ。行って確かめてみないと」
椿も俺と同じく、青崎が白根さんに何かやらかしたのかと思っていた。急いで彼女のスマホに電話したが、通話音がするだけで繋がらなかった。
車を走らせること数分、俺たちはアパートの駐車場に到着した。
数台のパトカーが停車している。
雪が降りしきる中でも、アパートの住民とみられる人々が集まっていた。彼らは祈るように事の行く末を見守っていた。
しかし、住民たちの中に白根さんの姿が見当たらない。
一体どこに……。
「椿……白根さん、いるか?」
彼女も首を横に振って否定した。
「いないわ……。相変わらず電話もつながらないし……」
まさか、まだアパートの中にいるんじゃ……。
嫌な予感が脳裏によぎった。
「あ……あれ……!」
紅葉ちゃんの声が俺と椿の耳に響いた。彼女はアパートを指さすが、その口は震えて声が出せずにいた。
警官とバリケードを設置した機動隊が数人、先頭に出てアパートの方ににらみを利かせていた。
その中には常盤署の堂宮刑事もいた。
「今すぐ人質を解放しなさい! 無意味な行動は今すぐやめるんだ!」
堂宮刑事は拡声器から必死に呼びかけていた。
その先には――
首筋にナイフを突きつけられ、背後から身動きを封じられ、命乞いをするかのように怯える白根さん……その背後には男がいた。
その男は、青崎ではなかった。
――唯を生かして返すかよ!
茶髪を一部、赤く染めた髪、高い鼻に、美形の顔。そしてすらりとした長身に黒いジャケットを羽織った男。
白根さんを捕らえている男は、彼女の部屋でにあった写真に写っていたあの男だった。
――へっ! この女はなあ、俺を侮辱したんだよ! 生きて返すわけにはいかねえ。大人しく付き合ってくれりゃいいのによお‼
男は大声で唾を吐き捨てる。
白根さんは声も出せず、身を震わせるだけだった。
「し、白根さん……!」
椿は開いた口がふさがらず、かすれ声で状況を見守るほかなかった。
俺も同様である。
白根さんの命が危ない!
しかし、俺たちにはどうすることもできなかった。相手はナイフを持った男である。警察ならともかく、武器を持たず、格闘技の心得もない俺たちの力では刃物で刺されて一巻の終わりだろう。
無謀であることは、この前の同窓会の事件で嫌というほど理解していた。
でも、どうする。
どうやったら、彼女の命を守れる?
俺が考え込んでいる刹那、すべてが動き出した。
――白根から離れろ‼
その声に、周りにいたものはくぎ付けになった。
「あんだあ?」
その先にいたのは、白根さんをのぞき見していた男――青崎その人であった。
青崎は臆さずにナイフを持った男を睨みつけていた。彼はぼさぼさの髪と無精ひげでどこか迫力に欠ける風貌かもしれない。しかし、彼の目は赤々と燃えていた。間違いなく怒りの感情をぶつけていた。
「な、なんで青崎が……?」
思わず俺の口から声が出てしまった。
意外過ぎる展開に俺は動揺していた。
「あ、あなたは……!」
白根さんも動揺していた。
彼女は明らかに青崎と過去に会っていたような感じだった。彼女の部屋での言動や、アパートの青崎と親しかった男性との話の時の彼女が、そのことを物語っていた。
青崎は男に向かって吠えた。
「今すぐ白根を解放しろ!」
しかし、ナイフを持った男は青崎にその切っ先を突き付けた。
「これはなあ、俺の女なんだ。開放する義理はないだろ?」
恫喝する男に、青崎はひるむことなく言い返した。
「白根が嫌がっている。今すぐやめろ」
「ふん。お前こそ消えろや。気持ち悪い顔しやがって、清潔感ないと人に避けられるぜ」
「やめろって言ってるんだ!」
「気持ちわりぃ~! さっさと失せろ!」
そういって男はナイフを振り回した。
青崎は素早く後ずさる。
白根さんは目を強く閉じ、何かに祈っているようだ。
こんな時、どうする。
いま、あの男から一時的に警察や俺たちへの注意は逸らされている。父さんなら、このタイミングで突入すると言っていた覚えがある。
しかし、現状稼げる時間は一時的だろう。
今しなければならないのは、突入する時間を稼ぐこと。そして、状況を変えることだ。
白根さんは、かつて青崎と会っていたことを思い出せていないのかもしれない。
しかし、青崎は白根さんの名前を知っていた。もちろん、覗き中に彼女の名前を確認したのかもしれないが――
青崎と白根さんをつなぐものがあるはずだ。
二人に共通すること――同じアパートに住んでいるだけでなく、昆虫が好きというところが共通していた。
そして白根さんはぬいぐるみやアクセサリーなどの手芸品……特に虫や小動物のそれを作成するのが好きだと言っていた。
その時だった。
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