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第3章 魔王を倒した
第40話 出来損ないの息子
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――椿の婚約者
そのワードが放つインパクトは、俺に強烈な一撃を加えた。
いや、椿と結婚したいわけじゃない。そもそも、椿を一緒にいたい異性と認識しているわけじゃないし、恋愛的に好きということはない。
ただ驚いていたのだ。
表現のしようのない謎の感情が俺を支配していた。
椿に、好きな人がいるのか……? 一体、どこのどいつだ?
「リツさーん、おーい、リツさーん?」
俺の目の前は紅葉ちゃんが、小さな手を広げて振っていた。
はっと俺は我に返った。
「大丈夫?」
「あ……ああ」
不思議そうな顔をする紅葉ちゃんを前に俺は気を取り直すと、一呼吸おいて状況を整理した。
一体、何がどうなっているのか、真偽のほどを確認する必要がある。
「その……椿……。お前、結婚するのか?」
顔を赤くしている椿に、俺は自分でも不思議なくらい真剣なまなざしで問いかけた。
椿は完全否定するかのように声を荒げた。
「ち、ちち、違うわよ! 父さんが結婚させたがってるってだけ。私は嫌だけど」
「え? ど、どこのどいつとだ?」
「今日の昼から来る予定の、依頼人の息子さんよ」
「な、なんだと⁉」
青天の霹靂に打たれたかのごとく、俺は声を上げてフリーズした。
「そこまで驚かなくてもいいじゃないの……はあ……」
椿いわく、依頼人の息子が椿の許婚となっていた。これは、彼女の父親が決めたことだという。
彼女の実家は常盤神社という、全国的に有名な神社を経営しているが、跡継ぎの宮司となる男性がいなかった。そのため、椿と紅葉の父親である神原柳氏は長女である椿を跡継ぎにしようと考えていた。
だが椿は跡を継ぐのを拒んだ。彼女は探偵になりたかったから。しかし柳氏はそれを認めず、それどころか、依頼人の実家に許婚協定を結び、その家の長男を婚約者に定めたのだった。
婚約相手の実家の当主と柳氏は親しい間柄であり、椿を婚約先の家に嫁がせて、生まれた子供を養子として引き取り、神社の後継にしようと考えていた。
他の家を巻き込んで、神社の跡継ぎであることを既成事実化して、自分が探偵になることを阻止しようとしているのだという。
このことが決まったのが半年前。
その後、椿は家族とともにたびたび婚約者と会っていた。その長男は、見栄は張るものの気が弱く、いつもおどおどしていた。そして、不安からか母親べったりで何をするにも母親の顔を伺い、自分一人では何もできないような人間だった。
椿はしっかり者で、時には大の男相手でも自分の主張を貫いていた。椿にとって婚約者は頼りなく、あまり好きなタイプではないのだろう。
椿は紅葉ちゃんが出してくれたブラックコーヒーを一口すすると、天井を眺めてぼやいた。
「依頼の内容によっては依頼人の家に行くことになるわ。でも、会いたくないなあ……」
俺はふとあることを思った。
椿の実家は金持ちだが、その婚約者というのだからさぞかし裕福なんだろう。
「……椿、その、依頼人の名前訊いていいか?」
「確か……」
――梔子萌さん
梔子……? 梔子ってまさか……。俺の脳裏に、ある大企業の名前が思い浮かんだ。
「そこって、まさか【梔子財閥】?」
俺の言葉に椿は一つ頷いた。
【梔子財閥】は、常盤周辺では名の知れた名家で、常盤市の本拠地があり、県内や周辺の府県で百貨店を中心に不動産や観光事業も手掛ける地方財閥だった。テレビやネット動画の番組で広告を出したり、中には1社提供の番組を出したりと全国的にも知名度はあった。
「う、嘘だろ⁉ そんな大金持ちのご夫人が、うちの事務所に……」
俺は目玉が無理やり押し出されそうになった。
椿は深くため息をつく。
「……偶然かわからないけど、うちの探偵事務所にその許婚の実家から依頼があった。依頼があれば受けないわけにはいかないでしょ」
改めて椿から、迷惑をかけるようなことはするなと釘を刺された。
俺の心境は複雑だった。
大富豪の貴婦人がこの事務所に来る。椿の実家は金持ちとはいえ、この探偵事務所は依頼料だけで何とか経営している。椿に言っては悪いがこんな貧乏探偵に、そんな富豪が……?
そうこうしているうちに、時間は来客予定時刻となった。
俺たちは各々の弁当箱を洗って、乾燥用の食器収納ケースに置いた。
テーブルを拭いて来客用のお茶とお手拭きを準備する。いつでも来てもいいようにスタンバイの準備をしていると、ついに来客の音がした。
ピンポーン
呼び鈴が鳴り、センサーカメラに人影が写る。
眼鏡をかけた、濃い口紅の中年の女性が立っている。
【梔子です。どなたかいらっしゃる?】
その声に、俺と椿は目を合わせて頷いた。
「ついにいらしたわね。みんな、行くわよ」
***
梔子萌。彼女はそう名乗った。
各々の自己紹介を終えた俺と椿、そして紅葉ちゃんの前には中年の黒いショートヘアの女性がソファーに腰かけていた。彼女は上品な和服に身を包み、頬は化粧で白くなりさらに口紅が赤く濃く塗られている。そして、ネックレスやピアスがこれでもかと格の違いをアピールする。
萌夫人は探偵事務所の応接室をゆっくり眺めていた。
「へえ、これが神社の娘さんが経営する探偵事務所ねえ……。もっといいところに建てたんだと思ってたけど……賃貸アパートかしら?」
「……そうですが。最近の情勢でお財布事情厳しいですから」
「そうなの。実家からの支援とかは受けていないの?」
「はい。依頼料だけで経営しています」
椿は差し障りのないことでなんとかその場を切り抜けようとする。だが、相手は梔子財閥の貴婦人だ。馬鹿にされたり、見下されたりされるかもしれない。
しかし、萌夫人の口から出た言葉は意外なものだった。
「実家の神社の助けを借りずに運営するなんて、なんて立派なのかしら。うちの子たちにも見習って欲しいわ。わたくし、あんなふうに育てた覚えはありませんのに」
ため息混じりの声が、萌夫人さんから溢れた。
「神原さん、貴女が探偵事務所を開業してそこまで経っていないのでしょ? 大変だと思うけど、頑張ってね」
「あ……はい」
意外な反応に、椿はきょとんとしていた。
察するに椿は自分たちが馬鹿にされると思っていたのだろう。俺もそう考えていた。
しかし、目の前にいる萌夫人はそんな彼女を気にせずにお茶をすすっていた。
そんな彼女に察したのか、夫人は早速依頼の話を切り出した。
「それで、貴方がたにお願いしたいことなんですが」
思わず俺たちの心が引き締まる。
梔子夫人は自分の所持していた鞄から、A4サイズのコピー用紙を取り出した。そのコピー用紙を台の上に置くと、夫人はこう言った。
――わたくし、何者かに脅迫されているんです。誕生日に、貴様の命を奪うと
そのワードが放つインパクトは、俺に強烈な一撃を加えた。
いや、椿と結婚したいわけじゃない。そもそも、椿を一緒にいたい異性と認識しているわけじゃないし、恋愛的に好きということはない。
ただ驚いていたのだ。
表現のしようのない謎の感情が俺を支配していた。
椿に、好きな人がいるのか……? 一体、どこのどいつだ?
「リツさーん、おーい、リツさーん?」
俺の目の前は紅葉ちゃんが、小さな手を広げて振っていた。
はっと俺は我に返った。
「大丈夫?」
「あ……ああ」
不思議そうな顔をする紅葉ちゃんを前に俺は気を取り直すと、一呼吸おいて状況を整理した。
一体、何がどうなっているのか、真偽のほどを確認する必要がある。
「その……椿……。お前、結婚するのか?」
顔を赤くしている椿に、俺は自分でも不思議なくらい真剣なまなざしで問いかけた。
椿は完全否定するかのように声を荒げた。
「ち、ちち、違うわよ! 父さんが結婚させたがってるってだけ。私は嫌だけど」
「え? ど、どこのどいつとだ?」
「今日の昼から来る予定の、依頼人の息子さんよ」
「な、なんだと⁉」
青天の霹靂に打たれたかのごとく、俺は声を上げてフリーズした。
「そこまで驚かなくてもいいじゃないの……はあ……」
椿いわく、依頼人の息子が椿の許婚となっていた。これは、彼女の父親が決めたことだという。
彼女の実家は常盤神社という、全国的に有名な神社を経営しているが、跡継ぎの宮司となる男性がいなかった。そのため、椿と紅葉の父親である神原柳氏は長女である椿を跡継ぎにしようと考えていた。
だが椿は跡を継ぐのを拒んだ。彼女は探偵になりたかったから。しかし柳氏はそれを認めず、それどころか、依頼人の実家に許婚協定を結び、その家の長男を婚約者に定めたのだった。
婚約相手の実家の当主と柳氏は親しい間柄であり、椿を婚約先の家に嫁がせて、生まれた子供を養子として引き取り、神社の後継にしようと考えていた。
他の家を巻き込んで、神社の跡継ぎであることを既成事実化して、自分が探偵になることを阻止しようとしているのだという。
このことが決まったのが半年前。
その後、椿は家族とともにたびたび婚約者と会っていた。その長男は、見栄は張るものの気が弱く、いつもおどおどしていた。そして、不安からか母親べったりで何をするにも母親の顔を伺い、自分一人では何もできないような人間だった。
椿はしっかり者で、時には大の男相手でも自分の主張を貫いていた。椿にとって婚約者は頼りなく、あまり好きなタイプではないのだろう。
椿は紅葉ちゃんが出してくれたブラックコーヒーを一口すすると、天井を眺めてぼやいた。
「依頼の内容によっては依頼人の家に行くことになるわ。でも、会いたくないなあ……」
俺はふとあることを思った。
椿の実家は金持ちだが、その婚約者というのだからさぞかし裕福なんだろう。
「……椿、その、依頼人の名前訊いていいか?」
「確か……」
――梔子萌さん
梔子……? 梔子ってまさか……。俺の脳裏に、ある大企業の名前が思い浮かんだ。
「そこって、まさか【梔子財閥】?」
俺の言葉に椿は一つ頷いた。
【梔子財閥】は、常盤周辺では名の知れた名家で、常盤市の本拠地があり、県内や周辺の府県で百貨店を中心に不動産や観光事業も手掛ける地方財閥だった。テレビやネット動画の番組で広告を出したり、中には1社提供の番組を出したりと全国的にも知名度はあった。
「う、嘘だろ⁉ そんな大金持ちのご夫人が、うちの事務所に……」
俺は目玉が無理やり押し出されそうになった。
椿は深くため息をつく。
「……偶然かわからないけど、うちの探偵事務所にその許婚の実家から依頼があった。依頼があれば受けないわけにはいかないでしょ」
改めて椿から、迷惑をかけるようなことはするなと釘を刺された。
俺の心境は複雑だった。
大富豪の貴婦人がこの事務所に来る。椿の実家は金持ちとはいえ、この探偵事務所は依頼料だけで何とか経営している。椿に言っては悪いがこんな貧乏探偵に、そんな富豪が……?
そうこうしているうちに、時間は来客予定時刻となった。
俺たちは各々の弁当箱を洗って、乾燥用の食器収納ケースに置いた。
テーブルを拭いて来客用のお茶とお手拭きを準備する。いつでも来てもいいようにスタンバイの準備をしていると、ついに来客の音がした。
ピンポーン
呼び鈴が鳴り、センサーカメラに人影が写る。
眼鏡をかけた、濃い口紅の中年の女性が立っている。
【梔子です。どなたかいらっしゃる?】
その声に、俺と椿は目を合わせて頷いた。
「ついにいらしたわね。みんな、行くわよ」
***
梔子萌。彼女はそう名乗った。
各々の自己紹介を終えた俺と椿、そして紅葉ちゃんの前には中年の黒いショートヘアの女性がソファーに腰かけていた。彼女は上品な和服に身を包み、頬は化粧で白くなりさらに口紅が赤く濃く塗られている。そして、ネックレスやピアスがこれでもかと格の違いをアピールする。
萌夫人は探偵事務所の応接室をゆっくり眺めていた。
「へえ、これが神社の娘さんが経営する探偵事務所ねえ……。もっといいところに建てたんだと思ってたけど……賃貸アパートかしら?」
「……そうですが。最近の情勢でお財布事情厳しいですから」
「そうなの。実家からの支援とかは受けていないの?」
「はい。依頼料だけで経営しています」
椿は差し障りのないことでなんとかその場を切り抜けようとする。だが、相手は梔子財閥の貴婦人だ。馬鹿にされたり、見下されたりされるかもしれない。
しかし、萌夫人の口から出た言葉は意外なものだった。
「実家の神社の助けを借りずに運営するなんて、なんて立派なのかしら。うちの子たちにも見習って欲しいわ。わたくし、あんなふうに育てた覚えはありませんのに」
ため息混じりの声が、萌夫人さんから溢れた。
「神原さん、貴女が探偵事務所を開業してそこまで経っていないのでしょ? 大変だと思うけど、頑張ってね」
「あ……はい」
意外な反応に、椿はきょとんとしていた。
察するに椿は自分たちが馬鹿にされると思っていたのだろう。俺もそう考えていた。
しかし、目の前にいる萌夫人はそんな彼女を気にせずにお茶をすすっていた。
そんな彼女に察したのか、夫人は早速依頼の話を切り出した。
「それで、貴方がたにお願いしたいことなんですが」
思わず俺たちの心が引き締まる。
梔子夫人は自分の所持していた鞄から、A4サイズのコピー用紙を取り出した。そのコピー用紙を台の上に置くと、夫人はこう言った。
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