私の世界の景色

高峰悠華

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透明な境界線

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 朝の昇降口で、窓ガラスに映る自分を見てしまった瞬間、胸の奥に重いものが沈んだ。
 そこに映っているのは「男子」として整列した制服姿の藤堂悠真。だが映像の裏側では、どうしてもスカートを身にまとった姿を想像してしまう自分がいた。白いシャツの裾からひらりと広がる布地。脚にかかる柔らかな感触。想像するだけで、喉が詰まりそうになる。
 ――着たい。けれど着られない。
 悠真はその狭間で、いつも呼吸を忘れる。

 教室では、何も知らない友人たちが笑っている。机に肘をかけた隣の佐伯が「なあ、今年の文化祭、劇やるんだってよ」と言った。クラス中がざわつく。配役だの大道具だの、期待と不安が交錯する空気の中、悠真はただ黙っていた。人前に出るのは苦手だ。だが、くじ引きの結果、悠真は「衣装係」に振り分けられた。
 その瞬間、胸がざわめいた。衣装。布。スカート。……心の奥で抑え込んできた衝動が顔を出す。

 放課後、美術室に集められた衣装係の数人。古びたミシンや段ボールに詰め込まれた布が机の上に並ぶ。女子たちが笑いながら型紙を広げる中、悠真はひとり黙々と針を動かした。指先に小さな痛み。血がにじむ。――それでも、布を縫い合わせる感触は心地よかった。
 そのとき、机の向かいにいた女子、森下がふと口にした。
「悠真って、意外と丁寧だね。もしかして自分の服とかも作れるんじゃない?」
 彼女は何気なく言っただけだろう。だが悠真の心臓は一瞬止まったように跳ねた。もし「自分の服」を作れるのなら――。スカートを、ワンピースを、着たいものを。けれど声に出せるはずもなく、ただ苦笑いを返した。

 夜、自室で布を握りしめた。文化祭用に余った端切れ。小さな布片を手の甲に当てただけで、涙が出そうになった。どうして、これほどまでに「着たい」と思うのだろう。頭では理解している。男子なのに、そんなことを望むのはおかしいと。けれど身体の奥から湧き上がる欲求は、否定すればするほど強くなっていった。
 ベッドの上で、ふと自分を呪うように呟いた。
 ――なんで俺は、俺なんだ。

 文化祭の準備は加速していく。衣装係は連日放課後に集まった。女子の衣装は華やかなドレスに仕立てられていく。布をまとったトルソーを前に、悠真は吸い寄せられるように手を伸ばしてしまう。ふわりとした生地の波。光を受けて淡くきらめくリボン。森下がそれを肩にかけて試着し、「似合う?」と笑う。その笑顔に眩しさを覚えつつ、胸の奥では嫉妬に似た苦しみが渦巻いた。――自分も、着たいのだ。

 ある日、森下が悠真に声をかけてきた。
「ねえ、サイズ合わせのモデル足りないんだって。悠真、ちょっと立ってみてよ」
 手にしていたのは、女子役用のスカートだった。瞬間、世界が揺らぐ。断ろうと口を開いたが、声が出ない。背中に汗が伝う。だが森下は気軽に「ちょっと腰に巻くだけだから」と布を広げる。
 柔らかな感触が脚に触れた瞬間、悠真の胸の奥で何かが崩れた。視界が滲む。心臓が暴れる。――これが、望んでいた感触だ。
「……あ、やっぱりちょっと大きいか。調整必要だね」
 森下は何気なく言い、布を外した。悠真はただ俯き、震える指先を握りしめていた。

 その夜、悠真は眠れなかった。鏡の前でスカートを巻いたときの感触が何度も蘇る。心が叫んでいた。――否定するな。これは自分の一部だ。だが同時に、翌日の教室で友人に「お前さ、女子の服似合うんじゃね?」と冗談めかして言われたらどうなるか、恐怖もまた膨れ上がる。
 自分を曝け出すことは、社会の中で「笑われる」ことと隣り合わせだった。

 文化祭当日。体育館に観客が集まり、舞台の幕が開く。役者たちは思い思いの衣装をまとい、光を浴びている。悠真は舞台袖で、その姿を見つめていた。胸に湧き上がるのは、抑えきれない渇望。自分もあの中に立ちたい。スカートを揺らし、観客の前に立ちたい。――その願いを噛み殺しながら、衣装の端を整える。
 ふと背後から声がした。
「悠真、本当は着てみたかったんでしょ?」
 振り向くと、森下がいた。彼女の目は真剣だった。悠真は言葉を失った。森下は微笑まず、ただ静かに続けた。
「別に、変じゃないよ。似合うと思う」

 その言葉は、胸の奥に突き刺さった。否定ではなく、肯定。初めて受け入れられた気がした。涙が視界を曇らせる。言葉は出せなかったが、悠真は小さく頷いた。

 舞台が終わり、観客の拍手が響き渡る。幕の陰で、悠真は深く息をついた。まだ自分は何も変わっていない。スカートを公然と着ることもできない。だが、心の奥では確かに一歩を踏み出していた。
 ――透明な境界線の向こうにいる「本当の自分」を、もう完全には否定できない。

 夜、帰宅して鏡の前に立った。そこに映るのは制服の男子の姿。しかし、鏡越しにそっと呟いた。
 「俺は……私なんだ」
 その声は誰にも届かない。だが、確かに自分自身に届いていた。
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