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1巻:動き出す歴史
第五話 第五章:王が失うもの
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一、役に立つ人形
研究施設の階段を、ローザが駆け下りてきた。急ぎ足ながらも、その歩調は次第に重くなっていく。もう遅いのかもしれないという気持ちが、足枷のように足をとる。
扉の前で立ち止まり、ローザは一度深く息を吸った。そして、静かに扉に触れる。
すると、廊下の奥から、フード―マが現れた。厚手の高襟の上着を羽織りながら、痩せた男は、いつもの猫背で歩いてくる。ローザの姿を認めて、大げさに眉を上げた。
「おや、おや?ローザか。これは珍しい」
フード―マは芝居がかった調子で手を広げ、わざとらしく驚いて見せた。眼鏡の奥の目には全くその色はない。
「まさか、お前がここに足を運ぶとはな」
「フード―マ卿」
ローザは深く頭を下げた。その動作は完璧だったが、どこか切迫したものを感じさせる。
「現王陛下の処置を、止めていただきたく参りました」
「止める?なぜだ?これは陛下の意思だ。我々はそれをお手伝いしているに過ぎない」
「身体の改造でしょう?陛下のお身体に危険が及びます」
「ああ、それか」
フード―マは手を振って、ローザの言葉を遮った。
「処置そのものは、それほど身体に負担をかけずに終わる。心配には及ばん」
フード―マは薄く笑いながら続けた。
「しかし、問題はその後の呪いだ。魔法の理に反した行為には、必ず呪いが伴う。陛下は代償を払わねばならない…相当な苦痛を味わうことになるだろうなぁ」
ローザの表情に、深い不安が浮かんだ。フード―マは気が付かないようなそぶりで、告げる。
「とはいえ、処置はもう終わる頃だ。今更止めることはできんよ」
ローザの表情が、一瞬にして絶望に染まった。機械人形の顔に浮かんだ感情は、あまりにも人間らしく、あまりにも深い悲しみを湛えていた。
「そんな…」
「しかし」
フード―マは興味深そうに続けた。何かを思いついたように、眼鏡を持ち上げる。
「お前にも、まだ役立てる道はある。選択は君に任せよう」
ローザは顔を上げ、フード―マを見つめた。
二、王の名
処置台から身を起こした現王は、ぼんやりと虚空を見つめていた。左眼の奥で何かが脈打っている。それは痛みとは違う、異質な感覚だった。
「陛下」
ナガムギが恐る恐る声をかけた。
「お加減はいかがですか」
現王は返事をしなかった。左眼に映るのは、この世界のものではない何かだった。過去の記憶、未来の可能性、あるいは存在しない幻影——それらが混じり合い、渦を巻いている。
現王はただ、その光景に見入っていた。
しばらくして、左眼の奥で鈍い痛みが始まった。それは次第に激しくなり、やがて頭全体を締め付けるような苦痛となった。
「うっ」
現王は額を押さえ、よろめいた。魔法の呪いが、ついに発現し始めたのだった。
「これは…呪いだ」
ナガムギが青ざめた顔で、しかし冷静に呟いた。彼は部屋の隅に向かい、震える声で助手たちに何かを合図した。
「フード―マ卿の指示通りに…」
助手が慌ただしく部屋を出ていく足音が響いた。現王は痛みが激しいのか、ナガムギの声も届いていないようだった。
その時、扉が勢いよく開いて、何かが床に投げ込まれた。
それは機械人形だった。しかし、その姿は無残に壊れていた。長い髪は乱れ、美しい顔には亀裂が走っていた。それは上半身だけで、胸の部分は大きく陥没し、その奥から割れた心臓のような機械が覗いている。
現王は痛みをこらえながら、その人形を見つめた。
「ローザ…」
機械人形の唇がわずかに動いた。
「……様」
その声は、かすれてほとんど聞こえなかった。しかし現王には、その呼び方がいつもと違うことが分かった。現王は思わずそれを抱き起す。
「アリアン様…」
現王の心臓が止まりそうになった。その呼び方を知っているのは、ただ一人だけ。
「グルナーレ…」
現王は震える手で、壊れた機械人形に触れた。
「君だったのか。ずっと、君だったのか」
ローザの赤い瞳に、一粒の光が落ちた。それは彼女の眼球を滑り落ち、頬を伝っていく。その流れを感じ、彼女は幸せそうに笑った。
「お身体…守ることが…できましたね」
その言葉を最後に、ローザの瞳から光が消えた。
名のない王は、愛する人だったものを抱きしめた。彼女の髪は、一つ、また一つと、しずくで濡れていった。
研究施設の階段を、ローザが駆け下りてきた。急ぎ足ながらも、その歩調は次第に重くなっていく。もう遅いのかもしれないという気持ちが、足枷のように足をとる。
扉の前で立ち止まり、ローザは一度深く息を吸った。そして、静かに扉に触れる。
すると、廊下の奥から、フード―マが現れた。厚手の高襟の上着を羽織りながら、痩せた男は、いつもの猫背で歩いてくる。ローザの姿を認めて、大げさに眉を上げた。
「おや、おや?ローザか。これは珍しい」
フード―マは芝居がかった調子で手を広げ、わざとらしく驚いて見せた。眼鏡の奥の目には全くその色はない。
「まさか、お前がここに足を運ぶとはな」
「フード―マ卿」
ローザは深く頭を下げた。その動作は完璧だったが、どこか切迫したものを感じさせる。
「現王陛下の処置を、止めていただきたく参りました」
「止める?なぜだ?これは陛下の意思だ。我々はそれをお手伝いしているに過ぎない」
「身体の改造でしょう?陛下のお身体に危険が及びます」
「ああ、それか」
フード―マは手を振って、ローザの言葉を遮った。
「処置そのものは、それほど身体に負担をかけずに終わる。心配には及ばん」
フード―マは薄く笑いながら続けた。
「しかし、問題はその後の呪いだ。魔法の理に反した行為には、必ず呪いが伴う。陛下は代償を払わねばならない…相当な苦痛を味わうことになるだろうなぁ」
ローザの表情に、深い不安が浮かんだ。フード―マは気が付かないようなそぶりで、告げる。
「とはいえ、処置はもう終わる頃だ。今更止めることはできんよ」
ローザの表情が、一瞬にして絶望に染まった。機械人形の顔に浮かんだ感情は、あまりにも人間らしく、あまりにも深い悲しみを湛えていた。
「そんな…」
「しかし」
フード―マは興味深そうに続けた。何かを思いついたように、眼鏡を持ち上げる。
「お前にも、まだ役立てる道はある。選択は君に任せよう」
ローザは顔を上げ、フード―マを見つめた。
二、王の名
処置台から身を起こした現王は、ぼんやりと虚空を見つめていた。左眼の奥で何かが脈打っている。それは痛みとは違う、異質な感覚だった。
「陛下」
ナガムギが恐る恐る声をかけた。
「お加減はいかがですか」
現王は返事をしなかった。左眼に映るのは、この世界のものではない何かだった。過去の記憶、未来の可能性、あるいは存在しない幻影——それらが混じり合い、渦を巻いている。
現王はただ、その光景に見入っていた。
しばらくして、左眼の奥で鈍い痛みが始まった。それは次第に激しくなり、やがて頭全体を締め付けるような苦痛となった。
「うっ」
現王は額を押さえ、よろめいた。魔法の呪いが、ついに発現し始めたのだった。
「これは…呪いだ」
ナガムギが青ざめた顔で、しかし冷静に呟いた。彼は部屋の隅に向かい、震える声で助手たちに何かを合図した。
「フード―マ卿の指示通りに…」
助手が慌ただしく部屋を出ていく足音が響いた。現王は痛みが激しいのか、ナガムギの声も届いていないようだった。
その時、扉が勢いよく開いて、何かが床に投げ込まれた。
それは機械人形だった。しかし、その姿は無残に壊れていた。長い髪は乱れ、美しい顔には亀裂が走っていた。それは上半身だけで、胸の部分は大きく陥没し、その奥から割れた心臓のような機械が覗いている。
現王は痛みをこらえながら、その人形を見つめた。
「ローザ…」
機械人形の唇がわずかに動いた。
「……様」
その声は、かすれてほとんど聞こえなかった。しかし現王には、その呼び方がいつもと違うことが分かった。現王は思わずそれを抱き起す。
「アリアン様…」
現王の心臓が止まりそうになった。その呼び方を知っているのは、ただ一人だけ。
「グルナーレ…」
現王は震える手で、壊れた機械人形に触れた。
「君だったのか。ずっと、君だったのか」
ローザの赤い瞳に、一粒の光が落ちた。それは彼女の眼球を滑り落ち、頬を伝っていく。その流れを感じ、彼女は幸せそうに笑った。
「お身体…守ることが…できましたね」
その言葉を最後に、ローザの瞳から光が消えた。
名のない王は、愛する人だったものを抱きしめた。彼女の髪は、一つ、また一つと、しずくで濡れていった。
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