Bittersweet Ender 【完】

えびねこ

文字の大きさ
110 / 138
蓋然

11.

しおりを挟む
 日本へ向かう機内、窓側二列目に座る慎一郎は外を眺めていた。中途半端なグレードの客室は空席が目立ち、各列ごとに貸し切り状態だ。慎一郎も二座を一人で使う、隣の中央列ではアームレストを上げて男が熟睡している。

 今日は海の紺空の青、消失点にいくばかりかの雲。

 これからの予定を確認していると、直嗣おとうとから今日明日は休みだから迎えに行くと連絡が入ってきた。彼もこの春から社会人になった。今は親元を離れ千葉の寮暮らしだ。
 父親付の秘書の迎えは断った、会社に直行させられてはたまらない。
 さて、弟の車は二人乗り。普段は身軽な慎一郎も、今日ばかりは手荷物を預けた。
(荷物は歩いて帰らせればいいか)自分の運転免許が有効期限内なのを確認して口角を上げた。

 ついでに彼のペットの様子をのぞいてみる。温室上部に設置されたカメラから巨大なイグアナと三毛猫を見つけるのは容易い。今日は座布団の上にイグアナが、登り木の上の棚に猫が寝ている。
 温室にカメラを設置したと案内がきてから数度覗いたが、老齢に差し掛かったペットはいつ見ても微動だにせず不安になる。一度だけ胡坐に猫を乗せた父親が映っていた。カメラから見下ろした姿はどこか侘しく、見てはいけないものを見た気がしてすぐに切った。

 あの子らは今どうしているだろう、残念ながら見守りカメラは設置されていないので、共有フォルダで最新のファイルを開く。
 先週は弟の彼女と猫と庭で遊び、千晶の友人と部屋でゲームをし、楽器を奏――騒音をまき散らしていた。
 可愛いと言えばかわいいが、どこか曲者くせものの片鱗が見え隠れする。直嗣はもっと素直なあどけなさがあった。
 
 慎一郎は少しずつ時間を遡ってみていく。淡々とミルクを飲み、離乳食を口に入れる。気にいらないと猫にそっと放り、猫も砂をかけるという連携プレー。ギャン泣きされてげっそりした千晶。エプロンにゴム手袋にマスクにフェイスシールドのフル装備でおむつ替えに挑む潔癖弟。千晶兄の小指に釣られる赤黒い生物。原始反射を解説する千晶兄とおっかなびっくりに実践する慎一郎。これが最も古い記録だ。

 彼らの発達過程は省こう。標準とはその集団における平均であり、母集団が変われば平均も、中央値も変わる。ここまでは順調そうだ。だが、いつ阻害要因が発現するかわからない。千晶兄は今のところと断って淡々と現状を説明するにとどまるし、千晶もまだ彼らについて明言を避けている。


 慎一郎は手荷物をまとめ、一冊の本を取り出した。『計算高い猫と暮らす方法』古書店でみつけたそれはこれからの役に立つだろう。


 陸地が見えた。さらにその先のもやのなかにビルと電波塔が朧気に浮かんでいる。

「東京には空がないという、か」そんな詩が思わず心について出た。さてあれはどんな全文だったかと慎一郎は検索して、感傷じみた自分を鼻で笑った。彼女ならあの詩は男の自己愛だと、ばっさり切り捨てるに違いない。

 東京あの街の霞の中へ一歩踏み込んでしまえば、空を見上げることもない。やるべきことがそこにある。俺でなくてもいい、だから俺がやってみる。そう言ったら彼女はばっかじゃないの、と笑うだろうか。


 最適解は常に変化する。変わるものと変わらないもの。種は蒔いた、芽は出た、どんな花が咲き実を結ぶか。何気ない掛け合わせから変わった実がなるのものだ。だれかがそれを見届けるだろう。


***


 あの翌々日、無理繰りした時間の中で会った千晶の父親は、灯りだった。

 差し出した戸籍謄本と認知届に目を落とし、再びまっすぐ慎一郎を見た。
 殴られ責められる覚悟はしていた。だが、兄弟同様、問い詰めも挑発もせず、言質もとらなかった。そして核心にも触れなかった。
 慎一郎が個人の判断でやってきたこと、独身で約束した相手もいないことを確認すると軽く頷いた。
 
「こうしてあなたが訪ねてきてくれたことは感謝します。ただ、娘は『何も言わない』と言った。あの子も各々の権利は承知しています」

 意味はわかるか、そう問うた目に、慎一郎はゆっくり頷いた。
『言えない』ではなく『言わない』 そこに誰のせいににもしない意思の強さがある。

 すると父親は、書類が一枚足りないと不備を指摘したあと、今採れる手段、この先の手段、千晶に不利なこと、慎一郎に有利なことも隠さず淡々と述べた。

 彼は千晶を代弁しなかった。代わりに、あとからやってきた妻とともに、自分たちのことを話してくれた。それから、三兄弟の思い出と、出来すぎた子らへの苦悩ともどかしさも。
 父親の出自と母親の出生、彼らの言わんとしたことは理解したつもりだ。千晶が以前口にした『バックボーン』の意味も。

「あの子が守ろうとしているものを私たちも守ってゆくよ。それしかできないんだ。娘も批判は覚悟の上でしょう」
 
 千晶が守ろうとしているもの、そこに含まれた響き。言葉だけなら放任に聞こえるかもしれない、慎一郎の目には全ての結果を受け入れる覚悟が見えた。

「本当なら殴ってやりたいが、今はやめておくよ」
 
 父親は殴る代わりに、いつかのように頬を寄せハグしてくれた。そして「ああみえて千晶が一番高遠このひとに似てるんですよ」と微笑んでくれた母親。


 慎一郎は左の頬に右手の甲をあてる。

 あの日彼女に殴られ、そして再び彼女の元を訪ねて触れた不思議なぬくもり。
 それから一度、小さな赤い顔にそっと触れた熱さと香り。指を掴んだ手の力強さ。


 頬の赤身は翌日には引いたのに僅かな熱は残り続ける。
 

***


「お帰りなさいっ」

 空港ロビーには、満面の笑みで兄を迎える弟がいた。欲しがっていた土産を渡すと更に笑みが溶ける。

「ただいま。直嗣、そこは『兄さん、帰って来なくてよかったのに』ってとこでしょ」
「勘弁してくださいよ、あの死ぬ死ぬ詐欺」
「付き合ってやれよ、親孝行したいときに親は無しっていうじゃないの」

 我儘親父一人あしらえなくてどうする、兄はにっこりと笑って返す。厳格な経営者もプライベートでは初老に差し掛かった男性特有のかまってちゃんへ変貌中。
 情に訴える父親と、それにほだされず冷たくあしらい恫喝には報復で返す兄との間で、お人よしの弟は板挟み――でもない。

「兄さん、他人事みたいに」
「直嗣くん、僕も最近知ったんだけど、僕はあの人に似てるってだけで他所から連れてこられたんだ。生まれたのが女だったんで取り替えたそうだよ、僕の本当の誕生は4月――」

 慎一郎は申し訳なさそうな顔をしてみせるが、直嗣も今度は騙されない。どこからどう見ても血は繋がってるでしょ、口にしたら兄が不機嫌になるので黙っておく。

「……ここだけの話、早期リタイヤって言いだしたそうですよ」
「逃げ切りとか許されると思ってんのか」

 直嗣母はあと数年で定年を迎える、今は息子の代わりに猫と老イグアナの世話で忙しい。郷里には兄たちがいる。最近市内にペットと入れる墓を購入した、このまま横浜でのんびりと、そこへ上げ膳据え膳男に居つかれては困る。家事をやらせて諦めさせようとしたが、皿洗いにペットのトイレの始末もあっさりとこなし、慣れないことをやり遂げた達成感にハマってしまった。無駄に凝った料理に挑戦し、家を魔改造する日は近い。
 慎一郎の母は義務一辺倒、近年は用を済ませば実家に入り浸り。良家の娘で自己資産あり、こちらもこの先何の不自由もない。

 親たちのこれからは知る由もないが、父親の楽隠居は解せない、というのが兄弟の一致した意見。

 外へ出ると車寄せに家のSUVがちょうどやってきた。僕の車じゃ荷物が載らないですからね、弟の声に兄は心の中で舌打ちをした。

「おかえりなさいませ」
 家付の運転手も満面の笑みで慎一郎は苦笑する。彼は生家の保守全般も担当している。兄弟にとっては気安いおじさんのような存在だ。
「やれやれ、家は相変わらずなの? また乗りもしない車買ったんだって? 直の車に換装しようよ」
「やめてよ、それより兄さんの車運転させてくれる約束ですよね」 
「社へ? それとも――」
「今日は佐世保だろ、後でいい。まず部屋を見に行こう、それから爺さんとこ、とイグアナジュリエッタ、元気なんだよね?に、猫にも。しばらく忙しくなるから会っときたいな。仕事はどう?」
ミーコが来てからよく動くようになりましたよ、今日は泊まっていきますよね。仕事は今プラントに入ってます。すごいですね、食べてくだけならああいうところで――って冗談ですよ」
「俺もやるかな?」
「兄さんが作業着?」

 藤堂家の事業は企業間取引主体、一次二次製品とそれに付随するサービス、とインフラも少々といったところ。
 直嗣はそのうちのひとつ、素材分野で次に繋げようとしている。今は新入社員研修を終え、研究所に出向扱い。現場仕事を体験したいという意向が受け入れられ、工場で三交代勤務中。
 相変わらずお兄ちゃん大好き。積もる話は果てしなく続く。


 慎一郎が彼に本気で殴られるのは三か月後。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される

奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。 けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。 そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。 2人の出会いを描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630 2人の誓約の儀を描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

人狼な幼妻は夫が変態で困り果てている

井中かわず
恋愛
古い魔法契約によって強制的に結ばれたマリアとシュヤンの14歳年の離れた夫婦。それでも、シュヤンはマリアを愛していた。 それはもう深く愛していた。 変質的、偏執的、なんとも形容しがたいほどの狂気の愛情を注ぐシュヤン。異常さを感じながらも、なんだかんだでシュヤンが好きなマリア。 これもひとつの夫婦愛の形…なのかもしれない。 全3章、1日1章更新、完結済 ※特に物語と言う物語はありません ※オチもありません ※ただひたすら時系列に沿って変態したりイチャイチャしたりする話が続きます。 ※主人公の1人(夫)が気持ち悪いです。

橘若頭と怖がり姫

真木
恋愛
八歳の希乃は、母を救うために極道・橘家の門を叩き、「大人になったら自分のすべてを差し出す」と約束する。 その言葉を受け取った橘家の若頭・司は、希乃を保護し、慈しみ、外界から遠ざけて育ててきた。 高校生になった希乃は、虚弱体質で寝込んでばかり。思いつめて、今まで養ってもらったお金を返そうと夜の街に向かうが、そこに司が現れて……。

俺様上司に今宵も激しく求められる。

美凪ましろ
恋愛
 鉄面皮。無表情。一ミリも笑わない男。  蒔田一臣、あたしのひとつうえの上司。  ことあるごとに厳しくあたしを指導する、目の上のたんこぶみたいな男――だったはずが。 「おまえの顔、えっろい」  神様仏様どうしてあたしはこの男に今宵も激しく愛しこまれているのでしょう。  ――2000年代初頭、IT系企業で懸命に働く新卒女子×厳しめの俺様男子との恋物語。 **2026.01.02start~2026.01.17end** ◆エブリスタ様にも掲載。人気沸騰中です! https://estar.jp/novels/26513389

ちょっと大人な物語はこちらです

神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な短編物語集です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

19時、駅前~俺様上司の振り回しラブ!?~

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
【19時、駅前。片桐】 その日、机の上に貼られていた付箋に戸惑った。 片桐っていうのは隣の課の俺様課長、片桐課長のことでいいんだと思う。 でも私と片桐課長には、同じ営業部にいるってこと以外、なにも接点がない。 なのに、この呼び出しは一体、なんですか……? 笹岡花重 24歳、食品卸会社営業部勤務。 真面目で頑張り屋さん。 嫌と言えない性格。 あとは平凡な女子。 × 片桐樹馬 29歳、食品卸会社勤務。 3課課長兼部長代理 高身長・高学歴・高収入と昔の三高を満たす男。 もちろん、仕事できる。 ただし、俺様。 俺様片桐課長に振り回され、私はどうなっちゃうの……!?

出逢いがしらに恋をして 〜一目惚れした超イケメンが今日から上司になりました〜

泉南佳那
恋愛
高橋ひよりは25歳の会社員。 ある朝、遅刻寸前で乗った会社のエレベーターで見知らぬ男性とふたりになる。 モデルと見まごうほど超美形のその人は、その日、本社から移動してきた ひよりの上司だった。 彼、宮沢ジュリアーノは29歳。日伊ハーフの気鋭のプロジェクト・マネージャー。 彼に一目惚れしたひよりだが、彼には本社重役の娘で会社で一番の美人、鈴木亜矢美の花婿候補との噂が……

処理中です...