茨の女王

降羽 優

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序章

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 手元だけを照らしたデスクにようやく辿り着いた岩淵は、深々と椅子に腰を降ろして、大きなため息をついた。
「これでやっと、長かったアイツの呪縛からおさらば出来る。これで俺だけの『茨の園』になるんだ! 」
 暗い部屋で表情まではうかがい知れないが、きっと狂気に満ちた表情なのだろう、もう彼にはこれしか無かった。薔薇の洋館での事件以来、その茨にすでに絡み取られていたのかも知れなかった。

 × × ×
○昭和十年、薔薇の洋館と言われる屋敷(夕)
  久しぶりに父親の神宮寺義明が夕方の早いうちに帰宅、
  三姉妹が揃って玄関で迎える。

春江「お帰りなさいませ。お父様! (一歩前に出てにこやかに)」
夏美・千秋「お帰りなさいませ。(丁寧に頭を下げる)」
神宮寺「今日はお前たちに紹介する人が居る。さあ、こちらに来なさい」

  神宮寺は後ろに隠れるようにしていた女性を呼ぶ。

神宮寺「今日からお前たちの新しい母親になる人だ! 」
三姉妹「(驚きのあまり声も出ない)」

  神宮寺の後ろからゆっくり出て来た女性は緊張しながら言う。

和枝「和枝です、よろしくお願いします。(緊張で固い言葉になる)」
 × × ×

 監督である神山耕三と岩淵勇一は大学の映画クラブからの長い付き合いであった。岩淵は卒業後、普通に会社員として働いていたが。映画会社に就職した神山に誘われて転職し、神山が監督として名を上げた頃には助監督としての地位を確実なものとしていた。
「岩、すまないな! いつもトラブルばかり起こしちゃって…… 」
「大丈夫だ。俺に任せておけ! お前は作品に集中しろ」
 あうんの呼吸で話題の映画を次々と世に出していった。

 そして、この作品「茨の園」にたどり着いたのであった。

 × × ×
○神宮司家春江の部屋(夜)
  和枝を加えた五人での夕飯は決して楽しいものでは無かった。
  自室に戻った春江は夏美と千秋を呼ぶ。

春江「(ベッドで枕を叩きながら)どうしてなの? 何で今? わたくしたちには何の相談も無いんですの! 」
夏美「(姉のそばに寄り添いながら)お姉さまのお気持ちは分かりますが、お父様のお決めになった事ですから…… 」
千秋「(二人に紅茶を入れながら)あの、説明をしていただけるように、お姉さまたちから頼むことは出来ませんか? 」 
春江「(きつい顔で振り向く)無理! お父様はそう言うのを一番嫌うのよ! 」
夏江「女が意見するなんて言語道断ってね…… 」
春江「あなたもこの前強く叱られたでしょう? 」

  千秋もそれを思い出して身を固くした。
 × × ×
 
「神山、またリテイクか? そろそろ期限も迫っているぞ! 」
 薔薇の洋館の左の三階の部屋に、岩淵はノックもしないで入って行くと、そこには憔悴しきった神山の姿があった。
「もう良いだろう、これで十分凄い作品だ! これ以上何かを差し引きすれば、積み木の様に崩れるぞ! 」
「分かっている、分かっているが。何かが、あと少し、もう少しで繋がるんだ。最高の答えに…… 」
 それから少しだけ声をかけてから岩淵は部屋を出た。外には心配したスタッフが待っていた。
「ダメだな…… 」岩淵はお手上げのポーズで首を横に振った。

「とりあえず、このままの脚本で準備しておいてくれ。変更の可能性もあるが、その時はその時だ」岩淵は腹をくくってこれからの指示をスタッフへと出した。
 ラストのシーンは彼の提案したものだった。自分の思い描いたラストシーンが現実になる、それは胸躍る気持ちだった。
 しかし、現実はそう上手くは行かない。深夜、突然呼び出された岩淵は愕然とする。
「やったぞ! 岩。究極のラストだ! 脚本の一条さんに話して、もう修正してもらったから、明日一気に撮ろう! 」
 数時間前とは打って変わった神山の態度に岩淵は一気に理性を失くして詰め寄った。
「お前、さっきはあんなに憔悴(しょうすい)しきってたくせに、何だ、その態度は! 」気が付いたら、掴んだ胸倉を思いっきり押してしまっていた。
 後ろにあったのは小さな手すりの付いたベランダ、そこに神山は引き込まれる様にぶつかって、やがてゆっくりと落ちて行った。

 × × ×
○神宮司家夫婦の寝室(夜)
  それから数週間がたち、久しぶりに自宅に戻った神宮寺。
  夕食後の寝室での会話。

和枝「(自ら紅茶を入れながら)お疲れ様でした。軍部の方はいかがでしたか? 」
神宮寺「今はまだ良くも悪くもだが、これからは少しずつ押してこよう。
政権が替わるのも時間の問題の様だ」
和枝「あなた様はどのように…… 」
神宮寺「勝ち馬に乗るのが政商の掟だ! 」
和枝「はい、しかし、その先を見通す目も必要かと…… 」

  突然、愉快そうに笑った神宮寺は和枝を閨に引き込んだ。

神宮寺「そう言うお前が俺は愛おしい。(明かりが消えて暗闇になる)」
 × × ×

 岩淵はベランダから下を覗く、そこには神山が死体となって横たわっていた。しばらく呆然としていたが、これではまずいと頭をフル回転させ辺りを見回すと、机の上に置かれた真新しい脚本が目に留まった。庭にも廊下にも人影は無い、岩淵はその脚本を破って窓から捨て静かに自分の部屋に戻って行った。
 翌朝、早くから起こされる。神山の死体が見つかって当然の事だ、岩淵は刑事に証言する。新しい脚本を読んでまた何か悩んでいたと。もう俺はダメかも知れないと言っていたとも証言した。
 スタッフも最近悩んでいる事は分かっていたし、岩淵の証言が決め手となり、この件は自殺と言う事で処理された。
 撮影はしばらく中断の後、助監督である岩淵を監督代行とし撮影は無事終了する。
 この映画が神山耕三の遺作として大ヒットした「茨の園」である。
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