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第四話 こどもたちのよすが
#1
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七月も後半に入った。まだまだ夏本番はこれからだというのに、既にうだるような暑さの日が続いてうんざりする日が続いていた。桜華堂でもアイスドリンクの注文が大半を占め、アイスクリームやかき氷などの夏メニューが盛況を迎える、そんな季節。
世間では、学生たちが次々夏休みに入る。桜華堂に住む大学生の昴と、中学生の晶も然りだった。
「八月のシフト作るけど、皆予定は?」
カフェ・桜華堂のマスターであり、ここの大家でもある陽介が、そう聞いてくる。閉店後、居住スペースのリビングに皆で集まり、お茶を飲んでいる時だった。世間は夏休みムードでも、働いているとそうはいかない。特に、個人店である桜華堂は、稼ぎ時であった。
仕事の後は、こうして集まってのんびりしていることが多い。同じ空間にいながら、それぞれ本を読んだりテレビを見たり、好きに過ごしていた。集まるのは強制ではないが、部屋で一人過ごすのはなんとなく寂しいとき、人の気配を感じていたい時に誰かがいるというのは、なかなか悪くないものだと、昴は思っていた。多分、他の皆もそう思っているからここにいるのだと思う。
「あたしは特に何もー。普通に入れてくれて大丈夫ですよ」
那由多は眺めていたファッション雑誌から顔を上げて答える。
「俺も別に。日にちは指定しないけど、普段通り休みもらえればいいです」
仁も同じように答える。テレビから流れているのは、グルメ番組のようだった。仁は仕事が終わった後も、こうしてどんな店でどんなメニューが流行っているかなど、リサーチを欠かさない。
「昴君は?」
「あー……俺も特には」
「了解」
休みの希望は聞いているが、そこにプライベートを詮索する意図はない。それが、お互い気持ちよく過ごすための暗黙のルールだった。だが。
「あれ? 実家に帰ったりしないの?」
隣にどんな人間が住んでいるかわからない集合住宅暮らしとは異なり、ある程度気心の知れた仲である桜華堂の住人の間では、好奇心も発動する。
だから、何か聞かれても別段気を悪くしたりはしないし、那由多がそう聞いてきたのも、去年の夏は実家に帰省していたから今年はしないのかと聞いた、ただそれだけのことだ。
「……帰ってもやることないんで」
だけど、昴は歯切れ悪く答える。家のことは、あまり話題にしたくないのだ。昴の叔父である陽介は、そのことを知っている。一年目の夏休みは、義理として一応帰省したが、一回で懲りたというのが本音だった。あそこは、昴の居場所ではない。
ふうん、と那由多はそれ以上突っ込まない。そして、晶に話を振る。
「晶ちゃんは? 夏休みだし、親と会ったりしないの?」
晶も勉強の息抜きにか、下へ降りて来て、猫のスペランツァと遊んでいる。
春先に小さな子猫だったところを晶に保護され、桜華堂の一員になったスペランツァはすくすくと成長し、立派なやんちゃ坊主に育っていた。誰かの手が空いている時は遊んでもらい、ひとりでも室内を走り回ったりと忙しいため、部屋の掃除や片づけに一層気を遣うようになった。
「ん-、どうだろ。あの人、今どこにいるんだっけ……」
デリケートな話題に触れた那由多だが、晶は別段気にした様子もなく、しばし空を見つめる。
「もう、こんな可愛い子ほったらかして、あなたの親御さんは一体何をしてるわけ?」
那由多は晶に抱きついて頭をぐりぐりと撫でる。スペランツァは那由多の勢いに怯えて逃げてしまった。
晶は顔をしかめてその腕から逃れると、何やらスマートフォンを操作して、画面を見せた。
「これ。うちの母親」
画面を覗き込んだ陽介以外の面々は、目を丸くした。
そこには「バイオリニスト・和泉響子」の文字と、黒い細身のロングドレスに身を包み、バイオリンを構えて優雅に微笑む女性の姿が写っていた。
「この人知ってる。有名人じゃない」
彼女は、若くして名だたるコンクールの賞を総なめにし、世界に名を轟かせ、天才と呼ばれているバイオリニストだった。日本のみならず、世界を股にかけ、コンサートのチケットは凄まじい争奪戦となるほどの人物だった。
「え? この人が? お母さん? っていうか、和泉響子って、子どもいたの?」
触れていいものかわからなかった晶の家庭事情が話に上り、那由多は驚きと共に興味津々の顔をしている。昴と仁も、平静を装いつつ、耳をそばだてていた。親のことを晶自ら話題にしてくれたということは、彼女も桜華堂にだいぶ馴染んでくれているのだろうか。
那由多はしきりに目を瞬かせて、スマートフォンの画面と晶を見比べている。晶には確かに画面の中の女性の面影があり、親子だと言われれば納得するものがあった。むしろ、和泉響子は若いし、少し歳の離れた姉でも通用しそうな気さえする。
「大っぴらに話題にしないだけで、隠してるわけじゃないと思うよ。別にあたし、スキャンダルな存在じゃないもん」
晶は何とも思っていないような、飄々とした態度でいる。
「あ、マスターは知ってたわけ?」
那由多は一歩引いたところで彼らの様子を眺めていた陽介に水を向ける。
「一応ね。遠縁の子だって言ったじゃない」
本当に薄い繋がりだけどね、と陽介は付け加える。
そういえばそんなことも言っていた気がする。ということは、どんな繋がりか定かではないが、和泉響子は陽介と昴の親戚でもあるのか。
子どもを産んだ以上は母親業に専念するべきだなどと言っては、今日日時代遅れだろう。けれど、子どもを親戚に預けっぱなしで海外を飛び回るというのは、さすがにやりすぎではないかとも思う。
そんな一同の思いを察してか、晶は続ける。
「何て言うか、風来坊なんだよね、あの人。一緒に暮らそうとしても、すぐ飽きてどっか行っちゃうの。あたしもいちいちついて行ったら、学校にもまともに通えないから、日本で暮らすことにしたの。まあ、結局誰があたしの面倒を見るかで揉めて、期限付きであちこち転々としてるんだけどね」
晶は自嘲気味に肩をすくめる。自分の母親を「あの人」と呼ぶあたり、かなり達観している様子がうかがえた。軽い言い回しとは裏腹に、相当苦労してきたのだろう。
「だからね、別に会う予定とかないよ」
「……寂しくないの?」
「別に。もうすぐ高校生だよ。親が恋しい歳でもないでしょ」
そう屈託なく言うが、普通の日本の中高生なら、まだまだ親の庇護下にある年齢だろう。
「もう、あなたって子はー!」
那由多は再び晶に抱きついて、髪をわしゃわしゃとかき回す。晶も迷惑そうな顔をしつつ、無理に逃げようとはしない。
口には出さなくても、それぞれきっと何か事情を抱えている。桜華堂で暮らすメンバーは、話せばそれを受け止めてくれるだろう。
家族とも同年代の友人とも違う、不思議な心地よい繋がり。それが心地よいと、昴は思うのだった。そうして夜は更けていく。
しかし、帰るつもりのなかった実家から、突如帰ってくるようにと、昴は連絡を受けたのだった。
世間では、学生たちが次々夏休みに入る。桜華堂に住む大学生の昴と、中学生の晶も然りだった。
「八月のシフト作るけど、皆予定は?」
カフェ・桜華堂のマスターであり、ここの大家でもある陽介が、そう聞いてくる。閉店後、居住スペースのリビングに皆で集まり、お茶を飲んでいる時だった。世間は夏休みムードでも、働いているとそうはいかない。特に、個人店である桜華堂は、稼ぎ時であった。
仕事の後は、こうして集まってのんびりしていることが多い。同じ空間にいながら、それぞれ本を読んだりテレビを見たり、好きに過ごしていた。集まるのは強制ではないが、部屋で一人過ごすのはなんとなく寂しいとき、人の気配を感じていたい時に誰かがいるというのは、なかなか悪くないものだと、昴は思っていた。多分、他の皆もそう思っているからここにいるのだと思う。
「あたしは特に何もー。普通に入れてくれて大丈夫ですよ」
那由多は眺めていたファッション雑誌から顔を上げて答える。
「俺も別に。日にちは指定しないけど、普段通り休みもらえればいいです」
仁も同じように答える。テレビから流れているのは、グルメ番組のようだった。仁は仕事が終わった後も、こうしてどんな店でどんなメニューが流行っているかなど、リサーチを欠かさない。
「昴君は?」
「あー……俺も特には」
「了解」
休みの希望は聞いているが、そこにプライベートを詮索する意図はない。それが、お互い気持ちよく過ごすための暗黙のルールだった。だが。
「あれ? 実家に帰ったりしないの?」
隣にどんな人間が住んでいるかわからない集合住宅暮らしとは異なり、ある程度気心の知れた仲である桜華堂の住人の間では、好奇心も発動する。
だから、何か聞かれても別段気を悪くしたりはしないし、那由多がそう聞いてきたのも、去年の夏は実家に帰省していたから今年はしないのかと聞いた、ただそれだけのことだ。
「……帰ってもやることないんで」
だけど、昴は歯切れ悪く答える。家のことは、あまり話題にしたくないのだ。昴の叔父である陽介は、そのことを知っている。一年目の夏休みは、義理として一応帰省したが、一回で懲りたというのが本音だった。あそこは、昴の居場所ではない。
ふうん、と那由多はそれ以上突っ込まない。そして、晶に話を振る。
「晶ちゃんは? 夏休みだし、親と会ったりしないの?」
晶も勉強の息抜きにか、下へ降りて来て、猫のスペランツァと遊んでいる。
春先に小さな子猫だったところを晶に保護され、桜華堂の一員になったスペランツァはすくすくと成長し、立派なやんちゃ坊主に育っていた。誰かの手が空いている時は遊んでもらい、ひとりでも室内を走り回ったりと忙しいため、部屋の掃除や片づけに一層気を遣うようになった。
「ん-、どうだろ。あの人、今どこにいるんだっけ……」
デリケートな話題に触れた那由多だが、晶は別段気にした様子もなく、しばし空を見つめる。
「もう、こんな可愛い子ほったらかして、あなたの親御さんは一体何をしてるわけ?」
那由多は晶に抱きついて頭をぐりぐりと撫でる。スペランツァは那由多の勢いに怯えて逃げてしまった。
晶は顔をしかめてその腕から逃れると、何やらスマートフォンを操作して、画面を見せた。
「これ。うちの母親」
画面を覗き込んだ陽介以外の面々は、目を丸くした。
そこには「バイオリニスト・和泉響子」の文字と、黒い細身のロングドレスに身を包み、バイオリンを構えて優雅に微笑む女性の姿が写っていた。
「この人知ってる。有名人じゃない」
彼女は、若くして名だたるコンクールの賞を総なめにし、世界に名を轟かせ、天才と呼ばれているバイオリニストだった。日本のみならず、世界を股にかけ、コンサートのチケットは凄まじい争奪戦となるほどの人物だった。
「え? この人が? お母さん? っていうか、和泉響子って、子どもいたの?」
触れていいものかわからなかった晶の家庭事情が話に上り、那由多は驚きと共に興味津々の顔をしている。昴と仁も、平静を装いつつ、耳をそばだてていた。親のことを晶自ら話題にしてくれたということは、彼女も桜華堂にだいぶ馴染んでくれているのだろうか。
那由多はしきりに目を瞬かせて、スマートフォンの画面と晶を見比べている。晶には確かに画面の中の女性の面影があり、親子だと言われれば納得するものがあった。むしろ、和泉響子は若いし、少し歳の離れた姉でも通用しそうな気さえする。
「大っぴらに話題にしないだけで、隠してるわけじゃないと思うよ。別にあたし、スキャンダルな存在じゃないもん」
晶は何とも思っていないような、飄々とした態度でいる。
「あ、マスターは知ってたわけ?」
那由多は一歩引いたところで彼らの様子を眺めていた陽介に水を向ける。
「一応ね。遠縁の子だって言ったじゃない」
本当に薄い繋がりだけどね、と陽介は付け加える。
そういえばそんなことも言っていた気がする。ということは、どんな繋がりか定かではないが、和泉響子は陽介と昴の親戚でもあるのか。
子どもを産んだ以上は母親業に専念するべきだなどと言っては、今日日時代遅れだろう。けれど、子どもを親戚に預けっぱなしで海外を飛び回るというのは、さすがにやりすぎではないかとも思う。
そんな一同の思いを察してか、晶は続ける。
「何て言うか、風来坊なんだよね、あの人。一緒に暮らそうとしても、すぐ飽きてどっか行っちゃうの。あたしもいちいちついて行ったら、学校にもまともに通えないから、日本で暮らすことにしたの。まあ、結局誰があたしの面倒を見るかで揉めて、期限付きであちこち転々としてるんだけどね」
晶は自嘲気味に肩をすくめる。自分の母親を「あの人」と呼ぶあたり、かなり達観している様子がうかがえた。軽い言い回しとは裏腹に、相当苦労してきたのだろう。
「だからね、別に会う予定とかないよ」
「……寂しくないの?」
「別に。もうすぐ高校生だよ。親が恋しい歳でもないでしょ」
そう屈託なく言うが、普通の日本の中高生なら、まだまだ親の庇護下にある年齢だろう。
「もう、あなたって子はー!」
那由多は再び晶に抱きついて、髪をわしゃわしゃとかき回す。晶も迷惑そうな顔をしつつ、無理に逃げようとはしない。
口には出さなくても、それぞれきっと何か事情を抱えている。桜華堂で暮らすメンバーは、話せばそれを受け止めてくれるだろう。
家族とも同年代の友人とも違う、不思議な心地よい繋がり。それが心地よいと、昴は思うのだった。そうして夜は更けていく。
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