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第九章 少女は王宮の夢を見るか
#9
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それから数日後、エディリーンは院長室に呼び出されていた。
一体何の用なのか、考えても心当たりは全くない。訝りながら、指定された昼過ぎの時刻に研究室を抜け出し、院長室に向かう。
「失礼します」
来訪を告げ、重厚な扉を開いて入室すると、左右には本棚、その奥、窓辺には院長の執務机があり、中央には来客用の低いテーブルと、その四辺に革張りの椅子が置かれている。その椅子に、院長のヴェルナーと、もう一人見知らぬ男が座っていた。しかし、その壮年の逞しい体躯の男は、エディリーンを見ると立ち上がって軽く頭を下げ、厳つい顔を少し綻ばせた。
「元気そうで何より。こうしてまたお目にかかれて、嬉しく思うぞ」
知り合いのように話しかけてくる男に首を傾げつつ、その顔を観察する。見覚えがあるような気がして記憶を手繰ると、
「……騎士団長様が、どうしてこのようなところに?」
その男は、アーネストたちと関わることになった、発端の事件――国境での戦の折に顔を合わせていた。南側の国防の要、リーリエ砦を預かるラヴィーネ騎士団の長、サイラスだった。
「先の戦では、ユリウス殿下の身命ならびに、国を守るのにご助力いただいたこと、深く感謝いたす」
頭を下げる男に、エディリーンははあ、と曖昧に答えた。あれは依頼を受けて仕事をしただけだ、感謝されるのは居心地が悪い。それに、何故騎士団長などという身分の人間が、自分のようなものに頭を下げるのだと、不審が先に立つ。
「ともかく、座りなさい」
促されて、エディリーンは入口を背にして椅子に腰かけた。
眉をひそめるエディリーンに向かって、ヴェルナーが口を開く。
「実は、お前に頼みたいことがあってな」
ますます首を傾げるエディリーンに、サイラスが後を引き継いだ。
「このところ、国境付近で魔術師によるものと思われる狼藉が相次いでいる」
彼の話によると、南側のフェルス帝国との国境付近で、近隣の村が襲撃される事件が断続的に起きているらしい。
最初にその者たちと遭遇したのは、近くに住む猟師だった。
猟師がいつものように獲物を探して森の中を歩いていると、黒いフード付きの外套をまとった二人連れを目撃した。近くの村の住民とも、騎士団の人間とも違う格好の二人を怪しく思い誰何すると、二人のうち一人がすっと手を掲げた。その掌から激しい風圧が発せられ、猟師は背後の木に激しく背中を叩きつけられ、気を失った。気が付くと、怪しい二人連れの姿はどこにもなかったという。
それ以降も、同じような事件がいくつか続けて起きた。騎士団も警戒を強めて付近の見回りを強化し、その二人連れに遭遇したが、相手の魔術によるものと思われる攻撃に翻弄されてしまう。
かろうじて足取りを追うと、その者たちが国境を越えて帝国側に逃げ込むのを見た。
そこで、騎士団側は帝国に厳重な抗議を申し入れた。貴国の人間が、我が国の領内で狼藉を働いている。そちらできっちり取り締まるか、犯人を引き渡してもらいたいと言ったのだが、帝国からはこちらこそ、貴国の不埒者が国境を超え、帝国領内で悪さをしている、事と次第によっては一軍を出すと言われてしまい、埒が明かない。
しかし、そうしている間にも被害は出続け、死者こそ出ていないものの、住民にも騎士団にも相当の負傷者が出ていた。魔術師の方も戦い慣れしているようで、剣や弓など通常の武器では歯が立たない。
どうしたものかと歯噛みしていたところ、先の親善試合で、戦に尽力してくれた少女の姿を見かけたことを思い出した。どういうことかと思い、詳しい経緯を聞くと、その少女は紆余曲折の末、現在は王立魔術研究院に在籍しているという。軍属でもない、一介の院生にこのようなことを頼むのは心苦しいが、他に頼れる人間も思い当たらない。どうか協力してもらえないかということだった。
「既に院長殿に話は通した。あとはあなたさえ了承していただければ、ご同行願いたいのだが……」
エディリーンは思案する。魔術師が関わっているとなれば、内心面倒だと思いつつも、放っておくわけにもいかなかった。
魔術師は、精霊と人との間に立ち、両者を取り持つ存在だ。境界に立ち、世界の均衡を見定める者。マナを扱う力は、そのための精霊たちからの借り物にすぎない。私利私欲のために術を行使することは、世界の理に反する。だから、その掟を破る者は厳罰に処するのが、古来からの決まりだった。
術を積極的に戦いに用いることも、禁忌の一つだ。みだりに魔術を使えば、世界のマナの流れが乱れる。だから、エディリーンも敵が魔術師であった場合、もしくはどうしても己の身が危ない時以外は、魔術を戦闘で使うなと、ベアトリクスから厳しく言われていた。
「このようなことを騎士団外の人間に頼むのは不甲斐ない限りだが、他に頼れる戦力がない。恥を忍んで、どうかお願いする」
「……わかりました」
エディリーンはわずかな逡巡の後、首を縦に振った。これは魔術師として、他人事ではない。
「では、出発はいつにしますか?」
「あなたの都合さえよければ、すぐにでもと言いたいところだが……」
言われたエディリーンは、少し困った表情を浮かべ、サイラスと院長を交互に見る。
「でも、明日以降の当番や課題は……」
どれくらいここを離れることになるかわからない。自分の仕事をユーディトやクラリッサに押し付けるようなことになっては、彼女たちに申し訳ないと思ったのだが。
「そちらはしばらく問題ないように、調整しよう」
そう言われては、もう行くしかなかった。
「……わかりました。よろしくお願いします」
一体何の用なのか、考えても心当たりは全くない。訝りながら、指定された昼過ぎの時刻に研究室を抜け出し、院長室に向かう。
「失礼します」
来訪を告げ、重厚な扉を開いて入室すると、左右には本棚、その奥、窓辺には院長の執務机があり、中央には来客用の低いテーブルと、その四辺に革張りの椅子が置かれている。その椅子に、院長のヴェルナーと、もう一人見知らぬ男が座っていた。しかし、その壮年の逞しい体躯の男は、エディリーンを見ると立ち上がって軽く頭を下げ、厳つい顔を少し綻ばせた。
「元気そうで何より。こうしてまたお目にかかれて、嬉しく思うぞ」
知り合いのように話しかけてくる男に首を傾げつつ、その顔を観察する。見覚えがあるような気がして記憶を手繰ると、
「……騎士団長様が、どうしてこのようなところに?」
その男は、アーネストたちと関わることになった、発端の事件――国境での戦の折に顔を合わせていた。南側の国防の要、リーリエ砦を預かるラヴィーネ騎士団の長、サイラスだった。
「先の戦では、ユリウス殿下の身命ならびに、国を守るのにご助力いただいたこと、深く感謝いたす」
頭を下げる男に、エディリーンははあ、と曖昧に答えた。あれは依頼を受けて仕事をしただけだ、感謝されるのは居心地が悪い。それに、何故騎士団長などという身分の人間が、自分のようなものに頭を下げるのだと、不審が先に立つ。
「ともかく、座りなさい」
促されて、エディリーンは入口を背にして椅子に腰かけた。
眉をひそめるエディリーンに向かって、ヴェルナーが口を開く。
「実は、お前に頼みたいことがあってな」
ますます首を傾げるエディリーンに、サイラスが後を引き継いだ。
「このところ、国境付近で魔術師によるものと思われる狼藉が相次いでいる」
彼の話によると、南側のフェルス帝国との国境付近で、近隣の村が襲撃される事件が断続的に起きているらしい。
最初にその者たちと遭遇したのは、近くに住む猟師だった。
猟師がいつものように獲物を探して森の中を歩いていると、黒いフード付きの外套をまとった二人連れを目撃した。近くの村の住民とも、騎士団の人間とも違う格好の二人を怪しく思い誰何すると、二人のうち一人がすっと手を掲げた。その掌から激しい風圧が発せられ、猟師は背後の木に激しく背中を叩きつけられ、気を失った。気が付くと、怪しい二人連れの姿はどこにもなかったという。
それ以降も、同じような事件がいくつか続けて起きた。騎士団も警戒を強めて付近の見回りを強化し、その二人連れに遭遇したが、相手の魔術によるものと思われる攻撃に翻弄されてしまう。
かろうじて足取りを追うと、その者たちが国境を越えて帝国側に逃げ込むのを見た。
そこで、騎士団側は帝国に厳重な抗議を申し入れた。貴国の人間が、我が国の領内で狼藉を働いている。そちらできっちり取り締まるか、犯人を引き渡してもらいたいと言ったのだが、帝国からはこちらこそ、貴国の不埒者が国境を超え、帝国領内で悪さをしている、事と次第によっては一軍を出すと言われてしまい、埒が明かない。
しかし、そうしている間にも被害は出続け、死者こそ出ていないものの、住民にも騎士団にも相当の負傷者が出ていた。魔術師の方も戦い慣れしているようで、剣や弓など通常の武器では歯が立たない。
どうしたものかと歯噛みしていたところ、先の親善試合で、戦に尽力してくれた少女の姿を見かけたことを思い出した。どういうことかと思い、詳しい経緯を聞くと、その少女は紆余曲折の末、現在は王立魔術研究院に在籍しているという。軍属でもない、一介の院生にこのようなことを頼むのは心苦しいが、他に頼れる人間も思い当たらない。どうか協力してもらえないかということだった。
「既に院長殿に話は通した。あとはあなたさえ了承していただければ、ご同行願いたいのだが……」
エディリーンは思案する。魔術師が関わっているとなれば、内心面倒だと思いつつも、放っておくわけにもいかなかった。
魔術師は、精霊と人との間に立ち、両者を取り持つ存在だ。境界に立ち、世界の均衡を見定める者。マナを扱う力は、そのための精霊たちからの借り物にすぎない。私利私欲のために術を行使することは、世界の理に反する。だから、その掟を破る者は厳罰に処するのが、古来からの決まりだった。
術を積極的に戦いに用いることも、禁忌の一つだ。みだりに魔術を使えば、世界のマナの流れが乱れる。だから、エディリーンも敵が魔術師であった場合、もしくはどうしても己の身が危ない時以外は、魔術を戦闘で使うなと、ベアトリクスから厳しく言われていた。
「このようなことを騎士団外の人間に頼むのは不甲斐ない限りだが、他に頼れる戦力がない。恥を忍んで、どうかお願いする」
「……わかりました」
エディリーンはわずかな逡巡の後、首を縦に振った。これは魔術師として、他人事ではない。
「では、出発はいつにしますか?」
「あなたの都合さえよければ、すぐにでもと言いたいところだが……」
言われたエディリーンは、少し困った表情を浮かべ、サイラスと院長を交互に見る。
「でも、明日以降の当番や課題は……」
どれくらいここを離れることになるかわからない。自分の仕事をユーディトやクラリッサに押し付けるようなことになっては、彼女たちに申し訳ないと思ったのだが。
「そちらはしばらく問題ないように、調整しよう」
そう言われては、もう行くしかなかった。
「……わかりました。よろしくお願いします」
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