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第九章 少女は王宮の夢を見るか
#8
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試合はくじで当たった者同士の勝ち上がり方式で、エディリーンは次々と相手を負かして勝ち残っていった。
同じく勝ち残っていたアーネストは、驚愕と困惑の中にいた。この催しのことは先日話したが、さして興味もなさそうにしていた彼女が、どうしてここにいるのだ。――いや、先程ユリウス王子の姿を見かけた気がするから、きっとあの人のせいだろう。
しかし、驚いている場合ではない。このままでは次の相手は彼女だ。
並みの女性ではないのはわかっているが、女性相手に剣を向けるのは、騎士として気が引けた。だが、手を抜いて勝てる相手ではない。それはわかっていた。そして、手加減などすれば後で何を言われるか。長いとは言えない付き合いだが、彼女の気性は多少理解したつもりだった。
ここは一人の剣士として、本気で相手をするしかない。それに、純粋に彼女と戦ってみたい気がしたのも確かだ。アーネストは腹をくくった。
そして、いよいよ二人の試合の時が訪れた。二人は試合場に進み出て、向かい合う。両者とも、革の籠手と胸当てだけを身に着けた軽装だった。
アーネストは木剣を正面に構える。整った美しい構えだ。対してエディリーンの構えは、どこか無造作だった。だが、隙はない。それはわかる。
「始め!」
審判の合図が上がる。しかし、両者ともすぐには動かず、じりじりと互いの様子をうかがっていた。
このまま睨み合っていても仕方がない。先に動いたのはアーネストだった。
鋭く打ち込むが、エディリーンはそれを軽く躱す。続けて繰り出された攻撃も捌き、反撃に転じようとするが、アーネストも簡単には勝ちを譲らない。
初戦こそ相手が油断しきっていたのを見て突撃してきたエディリーンだが、それ以降はどちらかというと相手の出方を見てから動く、防御重視の戦い方をしていた。
単純な筋力や体格で勝てない相手に、正面からまともに打ち合っても負けるのは目に見えている。その分、エディリーンは技量や速さを磨いてきた。だから彼女の戦い方は、避けて受け流しつつ、隙を見て打ち込むことだった。そして、歳は若いとはいえ、ずっと実戦の中で生き抜いてきた彼女だ。騎士が使うような整った剣術ではない、どちらかといえば型破りな剣だが、その切っ先は鋭い。
アーネストも果敢に攻めるが、しなやかに攻撃を受け流し絡め取り、隙を伺う――否、狙い通りに隙を作らせようとするエディリーンの剣術も見事だった。どちらもなかなか決定的な攻撃を繰り出せない。
しかし、その瞬間は不意に訪れた。
エディリーンの足が、何故か一瞬止まった。大きく踏み込んでいたアーネストは異変に気付いたが、もう遅い。戸惑ったような表情を浮かべたエディリーンと、この一撃が入ると思っていなかったアーネストの驚愕の瞳が、刹那に交差した。そのことに気付いた観客は、果たしていただろうか。
アーネストの一閃がエディリーンの籠手を強かに打った。
そしてエディリーンはその衝撃をまともに食らったのか、派手に地面に転がり、木剣を取り落とした。アーネストは慌てて彼女の元に駆け寄る。
「大丈夫か、エディ!?」
助け起こそうとしたアーネストの手を払いのけ、エディリーンは忌々しそうに身体を起こすと、服に付いた砂埃を乱暴に落とす。
木剣を拾うと形ばかりの礼をして、背を向けて去ってしまった。
帰ってもよかったのだが、エディリーンは双子の姉妹とユリウスと四人で、そのまま最後まで観戦していた。
アーネストは決勝まで勝ち残ったが、最後は辛くも勝利を逃してしまっていた。
試合を終えたアーネストは、隅の方で目立たないようにして見物していた彼女たちを見つけ、足早にやって来る。
「エディ、さっきは悪かった。怪我はしていないか?」
「平気だ」
エディリーンは憮然とそっぽを向く。が、少し思い直して付け加えた。
「……別に、謝らなくていい」
籠手を着けていたので、怪我をするほどではなかった。少し赤くなっているが、すぐに引くだろう。仮にも剣の試合である、負傷することくらい想定内だ。彼女が不機嫌なのは、不覚を取った自分に対してだった。
「どこか具合でも悪いのか?」
先程の隙は、どう考えても不自然だった。心配そうに尋ねるアーネストに、エディリーンは口を曲げて黙り込む。
「……なんでもない」
ごまかすエディリーンだが、クラリッサが勢い込んで口を挟んだ。
「エディリーン様。きちんとお食事は摂っていますか? 本当に、お腹が痛いなどではないのですか?」
そのままエディリーンの額や首筋をぺたぺた触り、熱がないか確かめている。
「……本当に、大丈夫だから」
ユーディトもエディリーンが何か病気でも抱えているのではないかと思っているようだが、医術や薬草学を研究している人間が自分の体調に無頓着とは、格好がつかない。
昨夜はあのまま眠ってしまい、気が付いた時には夕食の時間は終わっていた。昨夜だけでなく、食欲が湧かなくて食堂に顔を出さないこともしばしばあり、双子の姉妹もそれに気付いていた上での心配だった。どんな時でも食べて生き延びることを優先しろと教えられていたはずなのに、不覚もいいところだった。
けれど、それはそれとして、久しぶりに思い切り身体を動かして、気分が多少晴れたことは実感としてあった。
気を取り直して、エディリーンは顔を上げる。
「次は負けないからな」
その口角が、ほんの少しだけ満足そうに上がっていたのを、本人も自覚していたのだろうか。
アーネストは、おそらく初めて見る彼女の表情に、思わずきょとんとしてしまった。力強い瞳の輝きと、微かに綻んだ口に、目を奪われる。
「ああ。また機会があれば、その時は万全の状態で頼むよ」
微笑んで握手を求めたが、その手はすげなく払われた。そして、
「でもあんた、最後、わざと負けただろう? どういうわけだ?」
いつもの仏頂面に戻ったエディリーンは、目を眇める。
指摘されたアーネストは、困ったように微笑んだ。
「……何のことかな?」
あくまでごまかすつもりらしい。
「まったく、お前というやつは……」
そこに、ユリウスが呆れたように口を挟む。だが、のこのこといるべきではない場所に現れた主君を逃がすアーネストではない。アーネストはユリウスにじっとりとした視線を向けた。
「殿下……こんなところで何をなさっているのです?」
「自分の騎士の雄姿を見に来ても、バチは当たらんだろう? エディリーン嬢にも会えたことだし」
全く悪びれる様子のないユリウスに、アーネストは頭を抱えて深く溜め息を吐く。
「帰りますよ。一人でお忍びなんて、何かあったらどうするんです」
じゃあ気を付けて、と少女たちに言い置いて、アーネストはユリウスを引きずるようにして、本宮への道を登っていく。
クラリッサとユーディトは、その様子を少々呆気に取られて見送っていた。
彼らの姿が見えなくなると、エディリーンは二人を振り返る。
「わたしたちも帰ろう。美味しい店、案内してくれるんだろう?」
ろくにものを食べていないまま動き回ったので、エディリーンはへとへとだった。しかし、それを表に出さないよう、努めて明るい声で言う。
「はい、行きましょう!」
双子も、嬉しそうにそれに応じるのだった。
同じく勝ち残っていたアーネストは、驚愕と困惑の中にいた。この催しのことは先日話したが、さして興味もなさそうにしていた彼女が、どうしてここにいるのだ。――いや、先程ユリウス王子の姿を見かけた気がするから、きっとあの人のせいだろう。
しかし、驚いている場合ではない。このままでは次の相手は彼女だ。
並みの女性ではないのはわかっているが、女性相手に剣を向けるのは、騎士として気が引けた。だが、手を抜いて勝てる相手ではない。それはわかっていた。そして、手加減などすれば後で何を言われるか。長いとは言えない付き合いだが、彼女の気性は多少理解したつもりだった。
ここは一人の剣士として、本気で相手をするしかない。それに、純粋に彼女と戦ってみたい気がしたのも確かだ。アーネストは腹をくくった。
そして、いよいよ二人の試合の時が訪れた。二人は試合場に進み出て、向かい合う。両者とも、革の籠手と胸当てだけを身に着けた軽装だった。
アーネストは木剣を正面に構える。整った美しい構えだ。対してエディリーンの構えは、どこか無造作だった。だが、隙はない。それはわかる。
「始め!」
審判の合図が上がる。しかし、両者ともすぐには動かず、じりじりと互いの様子をうかがっていた。
このまま睨み合っていても仕方がない。先に動いたのはアーネストだった。
鋭く打ち込むが、エディリーンはそれを軽く躱す。続けて繰り出された攻撃も捌き、反撃に転じようとするが、アーネストも簡単には勝ちを譲らない。
初戦こそ相手が油断しきっていたのを見て突撃してきたエディリーンだが、それ以降はどちらかというと相手の出方を見てから動く、防御重視の戦い方をしていた。
単純な筋力や体格で勝てない相手に、正面からまともに打ち合っても負けるのは目に見えている。その分、エディリーンは技量や速さを磨いてきた。だから彼女の戦い方は、避けて受け流しつつ、隙を見て打ち込むことだった。そして、歳は若いとはいえ、ずっと実戦の中で生き抜いてきた彼女だ。騎士が使うような整った剣術ではない、どちらかといえば型破りな剣だが、その切っ先は鋭い。
アーネストも果敢に攻めるが、しなやかに攻撃を受け流し絡め取り、隙を伺う――否、狙い通りに隙を作らせようとするエディリーンの剣術も見事だった。どちらもなかなか決定的な攻撃を繰り出せない。
しかし、その瞬間は不意に訪れた。
エディリーンの足が、何故か一瞬止まった。大きく踏み込んでいたアーネストは異変に気付いたが、もう遅い。戸惑ったような表情を浮かべたエディリーンと、この一撃が入ると思っていなかったアーネストの驚愕の瞳が、刹那に交差した。そのことに気付いた観客は、果たしていただろうか。
アーネストの一閃がエディリーンの籠手を強かに打った。
そしてエディリーンはその衝撃をまともに食らったのか、派手に地面に転がり、木剣を取り落とした。アーネストは慌てて彼女の元に駆け寄る。
「大丈夫か、エディ!?」
助け起こそうとしたアーネストの手を払いのけ、エディリーンは忌々しそうに身体を起こすと、服に付いた砂埃を乱暴に落とす。
木剣を拾うと形ばかりの礼をして、背を向けて去ってしまった。
帰ってもよかったのだが、エディリーンは双子の姉妹とユリウスと四人で、そのまま最後まで観戦していた。
アーネストは決勝まで勝ち残ったが、最後は辛くも勝利を逃してしまっていた。
試合を終えたアーネストは、隅の方で目立たないようにして見物していた彼女たちを見つけ、足早にやって来る。
「エディ、さっきは悪かった。怪我はしていないか?」
「平気だ」
エディリーンは憮然とそっぽを向く。が、少し思い直して付け加えた。
「……別に、謝らなくていい」
籠手を着けていたので、怪我をするほどではなかった。少し赤くなっているが、すぐに引くだろう。仮にも剣の試合である、負傷することくらい想定内だ。彼女が不機嫌なのは、不覚を取った自分に対してだった。
「どこか具合でも悪いのか?」
先程の隙は、どう考えても不自然だった。心配そうに尋ねるアーネストに、エディリーンは口を曲げて黙り込む。
「……なんでもない」
ごまかすエディリーンだが、クラリッサが勢い込んで口を挟んだ。
「エディリーン様。きちんとお食事は摂っていますか? 本当に、お腹が痛いなどではないのですか?」
そのままエディリーンの額や首筋をぺたぺた触り、熱がないか確かめている。
「……本当に、大丈夫だから」
ユーディトもエディリーンが何か病気でも抱えているのではないかと思っているようだが、医術や薬草学を研究している人間が自分の体調に無頓着とは、格好がつかない。
昨夜はあのまま眠ってしまい、気が付いた時には夕食の時間は終わっていた。昨夜だけでなく、食欲が湧かなくて食堂に顔を出さないこともしばしばあり、双子の姉妹もそれに気付いていた上での心配だった。どんな時でも食べて生き延びることを優先しろと教えられていたはずなのに、不覚もいいところだった。
けれど、それはそれとして、久しぶりに思い切り身体を動かして、気分が多少晴れたことは実感としてあった。
気を取り直して、エディリーンは顔を上げる。
「次は負けないからな」
その口角が、ほんの少しだけ満足そうに上がっていたのを、本人も自覚していたのだろうか。
アーネストは、おそらく初めて見る彼女の表情に、思わずきょとんとしてしまった。力強い瞳の輝きと、微かに綻んだ口に、目を奪われる。
「ああ。また機会があれば、その時は万全の状態で頼むよ」
微笑んで握手を求めたが、その手はすげなく払われた。そして、
「でもあんた、最後、わざと負けただろう? どういうわけだ?」
いつもの仏頂面に戻ったエディリーンは、目を眇める。
指摘されたアーネストは、困ったように微笑んだ。
「……何のことかな?」
あくまでごまかすつもりらしい。
「まったく、お前というやつは……」
そこに、ユリウスが呆れたように口を挟む。だが、のこのこといるべきではない場所に現れた主君を逃がすアーネストではない。アーネストはユリウスにじっとりとした視線を向けた。
「殿下……こんなところで何をなさっているのです?」
「自分の騎士の雄姿を見に来ても、バチは当たらんだろう? エディリーン嬢にも会えたことだし」
全く悪びれる様子のないユリウスに、アーネストは頭を抱えて深く溜め息を吐く。
「帰りますよ。一人でお忍びなんて、何かあったらどうするんです」
じゃあ気を付けて、と少女たちに言い置いて、アーネストはユリウスを引きずるようにして、本宮への道を登っていく。
クラリッサとユーディトは、その様子を少々呆気に取られて見送っていた。
彼らの姿が見えなくなると、エディリーンは二人を振り返る。
「わたしたちも帰ろう。美味しい店、案内してくれるんだろう?」
ろくにものを食べていないまま動き回ったので、エディリーンはへとへとだった。しかし、それを表に出さないよう、努めて明るい声で言う。
「はい、行きましょう!」
双子も、嬉しそうにそれに応じるのだった。
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