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第十一章 呼ぶ声は耳を掠めて
#5
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エディリーンはグレイス夫人や王女たちの守りをアーネストとユリウスに任せ、音のした方へ急ぐ。このマナの気配は、もう一人の黒ずくめの格好の男のものに違いなかった。
こんなに接近されるまで気付かなかったのは不覚だが、それを悔やんでも仕方がない。エディリーンを一人で戦わせることに、アーネストたちは渋い顔をしたが、魔術を使えない人間がいても邪魔になるだけだ。それに、戦う術を持たない王女たちを放っておくわけにもいかない。
周囲の足早に歩を進めながらも、周囲の気配を探る。あの少年のマナは感じない。あのまま拘束に成功して、戦線を離脱していてくれればいいのだが。
爆発音がしたのは、一階の奥――書庫の方だった。
書庫の前に辿り着き、扉を開け放つ。室内は埃が舞い、雨の音が一際大きく聞こえた。
それもそのはず、壁には大きく穴が穿たれ、遮るものがなくなった室内には雨粒が容赦なく侵入してくる。
そして、その崩れ落ちた壁の前には、黒ずくめの格好の青年が立っていた。脇には、少年が持っていた黒い魔術書を抱えている。
エディリーンは、男に対峙する。
「やっぱり来たか。目的は何だ。おとなしく白状すれば、あまり手荒なことはしないでやる」
爆発の衝撃で本棚の一部も崩れたのだろう、本が床に散乱し、雨が容赦なくそれらに染み込んでいく。貴重な本もあるのに。何より、これらはあの優しい老婦人の大切な思い出が詰まったものだ。それを踏みにじるのは許せない。そう思うのは、自分が思い入れのある場所やものを持たないせいかもしれなかった。
「お前は何故、今そこにそうしているんだ?」
青年は、静かに口を開く。その行動には似つかわしくない、雨音の中でもよく通る穏やかな声だった。
「俺たちは、何を望むことも許されなかった。自らの望みという概念すら与えられず、彼らの言うことに従う以外に生きる術を持たなかった。それなのに、何故お前だけが……」
しかし、質問の意図がわからない。いや、そんなことはどうでもいい。捕らえて、尋問はその後だ。屋敷への被害を抑え、王子たちの安全を守るためにも、迅速にこの場を制圧する必要がある。
周囲にもう一人の少年の気配はない。エディリーンは剣を抜き放ち、大きく踏み込む。
「はあっ!」
気合もろとも横凪ぎに刃を振るう。男は後ろに跳んで難なくそれを躱すが、それは計算の内だ。室内では戦いたくない。
男を屋外に追い立て、壁に空いた穴に、マナを凝縮させて障壁を出現させる。そして、自分自身の周りにも障壁を展開して身を守りつつ、剣を抜いて男に肉薄する。
「……俺たちの第一の目的は、お前でも王女でもない。戦力を削られた以上、これだけは完遂しなければ」
エディリーンは剣にマナを込め、上段から男に斬りかかるが、障壁を破壊するには至らない。男は眉一つ動かさずに呟く。
「そこか」
男は黒の魔術書を開く。禍々しい力が迸り出るのと同時に、周囲の雨粒が結集し、巨大な塊となってエディリーンに――正確には書庫に向けて降り注いだ。
水圧に耐えられず、障壁が決壊する。エディリーンも押し流されて地面に転がり、全身泥だらけになっていた。息ができなくなりかけ、激しく咳込む。
これでは書庫の本が。守れなかった。唇を噛みながら身体を起こすと、そこにはにわかには信じられない光景があった。男も、同じように驚愕に目を見開いている。
壁の穴には、エディリーンのものではない、淡く光る半透明の壁が現れ、屋敷を守っていた。
一体誰があんなものを。この場に魔術を使える人間は、エディリーンと目の前の男しかいないはずなのに。
男は口元を歪め、二度、三度と術を行使し、その障壁を破ろうとするが、よほど強力なもののようで、びくともしない。
その時、ふと何かに呼ばれた気がした。その声の主を探して、意識を集中する。それは、あの障壁、書庫の中から聞こえてくるようだった。
予想外のことに次の行動を決めかねている男より早く立ち直ったエディリーンは、ぬかるむ地面を蹴って走り、書庫の中に身を躍らせる。どうしてだろう、この障壁は自分を阻まないだろうという確信があった。
書庫の中はふわりと温かく、包み込んでくれるようだった。
無事だった書棚の隅で、障壁と同じ淡い金色の光を放っている書物があった。以前来た時にも見た、精霊が封じられた魔術書だ。主がいなくても穏やかに眠っているような気配がしていたその魔術書が、今はっきりと意思を持って動いているようだった。この屋敷を守っている。そう思った。
それが、頭の中に直接呼びかけてくる。
この力を使え。契約しろ、と。
危険な力は感じなかった。穏やかで、それでいて強い力を感じる。エディリーンはその魔術書に、そっと手を伸ばした。
その瞬間、魔術書が一際輝きを増す。そして、書に封じられている精霊が、彼女にはっきり語りかけてきたのがわかった。
互いに相手の力を自分の力として振るう。そのための契約だ。
エディリーンは指先を小さく切り、滲み出た血を魔術書の表紙に垂らす。契約のための言霊は、自然と脳裏に浮かんだ。
「大地に遍く力よ、今一度形を成して、我が元に止まり給え。導くは風、流るるは水。我は祈り乞う――」
これでいいのか。心に些かの迷いが生まれる。でも、今はこれが悪いものではないと信じるしかなかった。この疑念が、逆に悪いものを呼び込んでしまう可能性もある。
「汝に名を与えん。闇を照らす光、輝き導く翼――アルティール」
そして、表紙に描かれた陣が輝き、閉ざされていた頁が開かれた。
こんなに接近されるまで気付かなかったのは不覚だが、それを悔やんでも仕方がない。エディリーンを一人で戦わせることに、アーネストたちは渋い顔をしたが、魔術を使えない人間がいても邪魔になるだけだ。それに、戦う術を持たない王女たちを放っておくわけにもいかない。
周囲の足早に歩を進めながらも、周囲の気配を探る。あの少年のマナは感じない。あのまま拘束に成功して、戦線を離脱していてくれればいいのだが。
爆発音がしたのは、一階の奥――書庫の方だった。
書庫の前に辿り着き、扉を開け放つ。室内は埃が舞い、雨の音が一際大きく聞こえた。
それもそのはず、壁には大きく穴が穿たれ、遮るものがなくなった室内には雨粒が容赦なく侵入してくる。
そして、その崩れ落ちた壁の前には、黒ずくめの格好の青年が立っていた。脇には、少年が持っていた黒い魔術書を抱えている。
エディリーンは、男に対峙する。
「やっぱり来たか。目的は何だ。おとなしく白状すれば、あまり手荒なことはしないでやる」
爆発の衝撃で本棚の一部も崩れたのだろう、本が床に散乱し、雨が容赦なくそれらに染み込んでいく。貴重な本もあるのに。何より、これらはあの優しい老婦人の大切な思い出が詰まったものだ。それを踏みにじるのは許せない。そう思うのは、自分が思い入れのある場所やものを持たないせいかもしれなかった。
「お前は何故、今そこにそうしているんだ?」
青年は、静かに口を開く。その行動には似つかわしくない、雨音の中でもよく通る穏やかな声だった。
「俺たちは、何を望むことも許されなかった。自らの望みという概念すら与えられず、彼らの言うことに従う以外に生きる術を持たなかった。それなのに、何故お前だけが……」
しかし、質問の意図がわからない。いや、そんなことはどうでもいい。捕らえて、尋問はその後だ。屋敷への被害を抑え、王子たちの安全を守るためにも、迅速にこの場を制圧する必要がある。
周囲にもう一人の少年の気配はない。エディリーンは剣を抜き放ち、大きく踏み込む。
「はあっ!」
気合もろとも横凪ぎに刃を振るう。男は後ろに跳んで難なくそれを躱すが、それは計算の内だ。室内では戦いたくない。
男を屋外に追い立て、壁に空いた穴に、マナを凝縮させて障壁を出現させる。そして、自分自身の周りにも障壁を展開して身を守りつつ、剣を抜いて男に肉薄する。
「……俺たちの第一の目的は、お前でも王女でもない。戦力を削られた以上、これだけは完遂しなければ」
エディリーンは剣にマナを込め、上段から男に斬りかかるが、障壁を破壊するには至らない。男は眉一つ動かさずに呟く。
「そこか」
男は黒の魔術書を開く。禍々しい力が迸り出るのと同時に、周囲の雨粒が結集し、巨大な塊となってエディリーンに――正確には書庫に向けて降り注いだ。
水圧に耐えられず、障壁が決壊する。エディリーンも押し流されて地面に転がり、全身泥だらけになっていた。息ができなくなりかけ、激しく咳込む。
これでは書庫の本が。守れなかった。唇を噛みながら身体を起こすと、そこにはにわかには信じられない光景があった。男も、同じように驚愕に目を見開いている。
壁の穴には、エディリーンのものではない、淡く光る半透明の壁が現れ、屋敷を守っていた。
一体誰があんなものを。この場に魔術を使える人間は、エディリーンと目の前の男しかいないはずなのに。
男は口元を歪め、二度、三度と術を行使し、その障壁を破ろうとするが、よほど強力なもののようで、びくともしない。
その時、ふと何かに呼ばれた気がした。その声の主を探して、意識を集中する。それは、あの障壁、書庫の中から聞こえてくるようだった。
予想外のことに次の行動を決めかねている男より早く立ち直ったエディリーンは、ぬかるむ地面を蹴って走り、書庫の中に身を躍らせる。どうしてだろう、この障壁は自分を阻まないだろうという確信があった。
書庫の中はふわりと温かく、包み込んでくれるようだった。
無事だった書棚の隅で、障壁と同じ淡い金色の光を放っている書物があった。以前来た時にも見た、精霊が封じられた魔術書だ。主がいなくても穏やかに眠っているような気配がしていたその魔術書が、今はっきりと意思を持って動いているようだった。この屋敷を守っている。そう思った。
それが、頭の中に直接呼びかけてくる。
この力を使え。契約しろ、と。
危険な力は感じなかった。穏やかで、それでいて強い力を感じる。エディリーンはその魔術書に、そっと手を伸ばした。
その瞬間、魔術書が一際輝きを増す。そして、書に封じられている精霊が、彼女にはっきり語りかけてきたのがわかった。
互いに相手の力を自分の力として振るう。そのための契約だ。
エディリーンは指先を小さく切り、滲み出た血を魔術書の表紙に垂らす。契約のための言霊は、自然と脳裏に浮かんだ。
「大地に遍く力よ、今一度形を成して、我が元に止まり給え。導くは風、流るるは水。我は祈り乞う――」
これでいいのか。心に些かの迷いが生まれる。でも、今はこれが悪いものではないと信じるしかなかった。この疑念が、逆に悪いものを呼び込んでしまう可能性もある。
「汝に名を与えん。闇を照らす光、輝き導く翼――アルティール」
そして、表紙に描かれた陣が輝き、閉ざされていた頁が開かれた。
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