魔法使いの恋歌 〜波空国交響譚〜

星乃水晴(すばる)

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第三番

第29話 魔女の家 2

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 魔女に案内され入った家の中は、おもちゃ箱をひっくり返したようだった。

 床に積みあげられた革張りの本。見るからに珍しい鉱石や宝玉。壁には譜面や魔法陣が描かれ、天井からは石細工の音符や記号が吊るされて、揺れ踊っている。足の踏み場もないが、すべての品があるべき場で呼吸をしている落ちつきがあった。

 それらとともに年季の入った鍵盤楽器や弦楽器、笛やラッパが置かれており、中でも壁際の手回し式オルガンが目を引いた。オルガンはワゴン車になっており、その上には、魔法の品らしき橙色の石が山のように積まれている。

 静湖しずみは家の中を見回し、思いがけずほっとした。楽器や魔法の石は、あつかい慣れた身近な物だと感じる。じゅんたちは恐れているという魔女も、ひとりはやばやと窓際の丸机のもとに腰かけてくつろいでいるが、悪い人物には見えない。

「さて」

 魔女は、玄関口から動けずにいる静湖たちに顔を向け、ぱんぱんと手を打ち鳴らした。
 途端、静湖の体がふわりと宙に浮く。

「わぁっ」
「しず!」
「それっ」

 魔女が机の上で手を滑らせると、壁際のワゴンの上の橙色の石がざらららと床へ転がっていき、静湖の体は空いたその場にすとん、と落とされた。

「さてさて」

 魔女は颯爽さっそうとワゴンのもとへ歩みきて、びくびくしている静湖をよそに、脇のレバーを回しはじめた。演奏装置であるオルガンは、中に取りつけられた楽譜の曲を奏でるものと思われたが、一向に演奏ははじまらない。降りてもいいか、と静湖が魔女に尋ねようとしたとき、玄関にいた准が声をあげた。

「魔女さん、なにをなさっているんですか……?」
「この子の読み解きさ」

 魔女はなおもレバーを回しながら、ようようと答えた。

「最近なにか大がかりな魔法をかけられたようだから、それをね」

 静湖はいつしか催眠にかかったように回るレバーを凝視していた。魔女か、レバーか、このオルガンか、なにものかが上に載った静湖の様子をうかがっている気がする。どうしたの、なにがあったの、大丈夫、心を開いて、ほら──中になにかいるのだろうか、静湖は脇へ身を乗りだし、オルガンのパイプが並ぶ細工窓をのぞいた。

 その途端、オルガンが音を奏ではじめた。

 低く重厚なが、うねるようにかき鳴らされる。音楽は少しずつ色合いを変えながら、光差さぬ海の底を描くような重みで延々と流れる。その深さには、覚えがあった。静湖にとってその深く流れる海の音楽は、苦しいものではなかった。

 と思ううちに流れは一転し、地上の街角に舞いおりたかのように楽しげな音楽がはじまった。旋律と伴奏、飛びはねる装飾音が一体となり、街や城を形づくって響かせた。深窓の姫のもとに魔法使いの騎士が現れて、秘密の宝箱や大事な花の種をめぐって冒険をする、そんな物語のような調べが続いた。

 だがそれは深い海の中、ひとつのあぶくに宿った幻に過ぎなかったのか、音楽はまた重々しく、海の底へもぐっていく。死んだように眠る獣が、海の意志を夢見ながらたゆたっている。獣の夢のあぶくに、またきらびやかな世界が宿る。そのくりかえし──。

「そろそろいいだろう」

 魔女がレバーを回す手を止め、音楽が終わる。

 静湖は一気にうつつの世界に引き戻される。玄関では准が目を瞬かせていた。

 ワゴンの細工窓の下からは、ロール紙の楽譜が演奏中に吐きだされていた。魔女は巻き物のような紙束をつかみあげ、ふむ、と見入り動かなくなってしまった。

 静湖と准がおそるおそる顔を見合わせたとき、魔女はやっと口を開いた。

「先ほどの曲はおまえの音楽だ。意味がわかるな? そしてこれは、それを譜に打ちだしたもの。本来は、どんな楽器をいくつ並べても再現できない、どんな譜面にも起こせない、そのときどきのお前の心にあふれている曲だ。だがこうして形にしてみれば、からんでいる魔法を読み解くことはできるのでね」

 それで、と魔女は静湖を見つめ、宣告した。

「記憶封印と、長距離転送」
「記憶封印……?」

 静湖はどきりとして訊き返す。

「どういうことですか」

 准も口を挟み、魔女はうむ、とうなずいた。

「記憶を封じ、おのれが何者かわからなくさせた上で、相当な距離を転送させられた。もっと詳しく言うなら、己そのもの、純粋な音楽そのものにまで、おまえはひとたび分解され、魔法の雨に連れられてきた先で、再構成されたということだ。己そのものがなんであるか見失っておかしなことにならずによかったな」

 静湖は言葉を失った。とても危険な魔術がかけられて、あの雨の日、丘の上で気がついたのだとは理解できた。そんなことがどうして……。少し深く考えようとすれば、混乱してしまう。

「それはつまり……しずには、あまり良くない魔法がかけられていたと?」

 准の問いに、魔女は渋い顔になった。

「こんな魔法で人を移動させるなぞ、最終手段に近い。使ったやつのつらが拝みたいね。おおかた王都から転送されてきたんだろうが、なにがあったのか考えたくないな……おまえをかくまえるような知り合いのもとへ送ろうとしたのだろうが、失敗かね? それとも私や彗がおまえの知り合いに含まれているのか?」

 え、と静湖は改めて魔女を見つめる。知り合い?

「記憶がまったくないんだね」

 魔女は床に転がっていた橙色の石を拾って、静湖に見せびらかすようにしたのち、ため息をついた。

「じゃ、言ってもむだだろう、〈流の祭司〉の坊」

 紙束を手に窓際の席へ戻っていく魔女に、准が食いさがって尋ねた。

「〈流の祭司〉と彗さんも言ってました。しずが何者か、魔女さんたちはご存知なんですね。もしかしてそれは──」
「ああ、本当にご本人かは、彗の話だけでは見極められなかったがね。しかしご本人だとすれば、なにがあってそんな魔法をかけられる羽目におちいったのか」

 魔女は長々とした楽譜を再び面白そうに眺めながら答える。静湖は話から置いていかれているようではらはらしていたが、目を白黒させていたのは准も同じだった。

「ご本人ってつまり、しずは王子様だってこと?」
「王、子……」

 静湖はごくりとつばを呑む。目まいがしてワゴンから落ちかけ、品々を踏みわけてやってきた准の胸にどさりと抱きかかえられた。

「しず!」

 静湖は頭を押さえる。ずきずきとして混乱する。
 かけられた魔女の声は心なしか優しかった。

「急かさないほうがいい。どうも自ら、記憶封じに同意しているきらいがある。思いだしたくないことがあるのだろう」
「ごめん、しず」

 准に謝られるいわれはない、静湖は彼の腕の中で小さく首を振った。

 魔女はその間にごそごそとなにやらをかばんに詰め、玄関口に立っていた。

「私もおまえたちについていこう。我が名はあかり、とある悪行魔法を終焉しゅうえんさせてやろうと目論もくろむ魔術師さ。おまえたちはいい獲物なのでね……ちょっくらこの傘を借りるよ」

 魔女、灯は、静湖の傘を手に取って、家の中であることもお構いなしに、ばさりと開きながら振り回した。

「それっ」

 准とともにワゴンの脇にいたはずの静湖は、振られる傘の内側を目にしたと思うや、湖畔の鎧の店の前に立ちつくしていた。隣にはぽかんとする准と、したり顔で傘をたたむ灯の姿があった。

「転送魔法もこんな散歩程度なら悪くないな、ふむ。さて、今度はおまえたちの家を案内してもらおうか」

 灯は二人に先立って店へ入っていき、あっという間に鎧や常連客らをかしづかせ、店の食客になってしまった。それが森の魔女だと信じる者はいなかった。

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