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第四番
第45話 珊瑚の浜 2
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「あら、おじいちゃん、いらっしゃい」
一階におりると、庭から珊瑚の声がした。
静湖と准が出ていくと、珊瑚が老翁を庭に招き入れたところだった。
豊かな白いひげの翁は両手を背に組み、ふさふさとした眉毛の下の目を興味深そうに静湖たちに向けた。
「お客人、よく来なすった。更紗には会われましたかな」
えっ、と准が声をあげる。
静湖は少し間をおいてから、はい、と答えた。
珊瑚が目を見開き、翁と静湖を交互に見やる。
「しずくん、こちらは近所に住んでいる瑪瑙おじいちゃん。巫女一族の長老です」
「じゃあ、更紗さんやしずのご親戚?」
准が尋ねると、瑪瑙はいや、と目を落とした。
「わしは一族に婿入りしたよそ者にすぎません、更紗は遠縁です。それに巫女一族といっても今や流王に仕える巫女などおらぬ、わしはただの語り部ですよ」
「おじいちゃん、こちらは更紗のお子さんの静湖くんと、ご友人の准くんです」
珊瑚が紹介すると、瑪瑙は二、三度うなずいた。
「お噂は届いていましたよ。それもあって、今日はこの家に更紗が来ている気がして、見にきたのです。更紗に会われましたか、そうかそうか」
瑪瑙は心底嬉しそうに目を細める。その言葉には普通でない響きがあった。
静湖はこわごわと尋ねた。
「小さな頃から、お母さんは行方知れずだ、と聞かされてきました。この家に戻ってくるって……」
王宮の人々は、前の妃である更紗を行方知れずとだけ言い、詳細は教えてくれなかった。なにか深い事情があるのだろうと静湖は呑みこんできた。だが皆が、母は生きてはいまいと思っているのは明らかで、その感覚にいつしか静湖も染まっていた。
そんな静湖に、瑪瑙ははっきりと言った。
「更紗は流ヶ淵に入っていったのです。あの奥は〈宙〉になっておる」
「お母さんが〈宙〉に……?」
「更紗は〈宙〉に踏み入り、体は消えたかもしれぬ。ですが死んではいない。死とは大いなる音楽への帰還ですからね。更紗は未だそうはならず時々戻ってきます、この家にも」
静湖は驚きとともにつぶやいた。
「本当に生きているみたいにおっしゃるんですね」
「死んでおらぬのですから」
改めて庭から家を見あげ、静湖は母のことを思った。長い髪を風に遊ばせ、湖や庭を眺める母。先ほどそこにいた彼女は、静湖が思い描いた幻覚ではなく、本当に……。
言葉をなくしていると、珊瑚が明るく言った。
「しずくん、准くん。お料理をお出ししますから、あちらの家へどうぞ。おじいちゃんも、ご一緒にいかがですか」
珊瑚は奥の大きな家を指した。瑪瑙が両手をもんで応じる。
「ご相伴にあずかりましょう。いいですかな」
静湖と准は顔を見合わせ、はい、と二人で答えた。
*
珊瑚は巫女の付き人をする家の出身の神官で、今はこの巫女一族の本家を住みこんで守っているという。家は三階建てで、一階は居間と土間から成っていた。
部屋の中を見て待っていてほしい、と珊瑚が土間の台所へ向かうと、瑪瑙は大きな食卓の椅子に腰かけた。静湖と准は広い居間を歩く。棚には郷土品の細工物が置かれ、壁には光海の各地を描いた絵画がかかっていた。
「これは……」
静湖は幽谷を描いた絵の前で立ち止まる。遠くからは青い絵に見えたが、細部にはさまざまな色が落としこまれ、それらはよく見ると音符を成していた。
「流ヶ淵ですよ」
食卓から瑪瑙の声がかけられた。
「巫女が流王の声を聴くためにこもる神域です。その景色からは皆なにかを感じるもので、この画家は聴こえた音楽を描きこんだという。岬の付け根の山ですが、今は〈宙〉のゆらぐ場所となり、道も閉鎖されました」
そうですか、と静湖が答えた時、珊瑚が魚料理を載せた大皿を運んできた。
「お待たせしました、炊きたてのご飯と一緒にどうぞ」
一階におりると、庭から珊瑚の声がした。
静湖と准が出ていくと、珊瑚が老翁を庭に招き入れたところだった。
豊かな白いひげの翁は両手を背に組み、ふさふさとした眉毛の下の目を興味深そうに静湖たちに向けた。
「お客人、よく来なすった。更紗には会われましたかな」
えっ、と准が声をあげる。
静湖は少し間をおいてから、はい、と答えた。
珊瑚が目を見開き、翁と静湖を交互に見やる。
「しずくん、こちらは近所に住んでいる瑪瑙おじいちゃん。巫女一族の長老です」
「じゃあ、更紗さんやしずのご親戚?」
准が尋ねると、瑪瑙はいや、と目を落とした。
「わしは一族に婿入りしたよそ者にすぎません、更紗は遠縁です。それに巫女一族といっても今や流王に仕える巫女などおらぬ、わしはただの語り部ですよ」
「おじいちゃん、こちらは更紗のお子さんの静湖くんと、ご友人の准くんです」
珊瑚が紹介すると、瑪瑙は二、三度うなずいた。
「お噂は届いていましたよ。それもあって、今日はこの家に更紗が来ている気がして、見にきたのです。更紗に会われましたか、そうかそうか」
瑪瑙は心底嬉しそうに目を細める。その言葉には普通でない響きがあった。
静湖はこわごわと尋ねた。
「小さな頃から、お母さんは行方知れずだ、と聞かされてきました。この家に戻ってくるって……」
王宮の人々は、前の妃である更紗を行方知れずとだけ言い、詳細は教えてくれなかった。なにか深い事情があるのだろうと静湖は呑みこんできた。だが皆が、母は生きてはいまいと思っているのは明らかで、その感覚にいつしか静湖も染まっていた。
そんな静湖に、瑪瑙ははっきりと言った。
「更紗は流ヶ淵に入っていったのです。あの奥は〈宙〉になっておる」
「お母さんが〈宙〉に……?」
「更紗は〈宙〉に踏み入り、体は消えたかもしれぬ。ですが死んではいない。死とは大いなる音楽への帰還ですからね。更紗は未だそうはならず時々戻ってきます、この家にも」
静湖は驚きとともにつぶやいた。
「本当に生きているみたいにおっしゃるんですね」
「死んでおらぬのですから」
改めて庭から家を見あげ、静湖は母のことを思った。長い髪を風に遊ばせ、湖や庭を眺める母。先ほどそこにいた彼女は、静湖が思い描いた幻覚ではなく、本当に……。
言葉をなくしていると、珊瑚が明るく言った。
「しずくん、准くん。お料理をお出ししますから、あちらの家へどうぞ。おじいちゃんも、ご一緒にいかがですか」
珊瑚は奥の大きな家を指した。瑪瑙が両手をもんで応じる。
「ご相伴にあずかりましょう。いいですかな」
静湖と准は顔を見合わせ、はい、と二人で答えた。
*
珊瑚は巫女の付き人をする家の出身の神官で、今はこの巫女一族の本家を住みこんで守っているという。家は三階建てで、一階は居間と土間から成っていた。
部屋の中を見て待っていてほしい、と珊瑚が土間の台所へ向かうと、瑪瑙は大きな食卓の椅子に腰かけた。静湖と准は広い居間を歩く。棚には郷土品の細工物が置かれ、壁には光海の各地を描いた絵画がかかっていた。
「これは……」
静湖は幽谷を描いた絵の前で立ち止まる。遠くからは青い絵に見えたが、細部にはさまざまな色が落としこまれ、それらはよく見ると音符を成していた。
「流ヶ淵ですよ」
食卓から瑪瑙の声がかけられた。
「巫女が流王の声を聴くためにこもる神域です。その景色からは皆なにかを感じるもので、この画家は聴こえた音楽を描きこんだという。岬の付け根の山ですが、今は〈宙〉のゆらぐ場所となり、道も閉鎖されました」
そうですか、と静湖が答えた時、珊瑚が魚料理を載せた大皿を運んできた。
「お待たせしました、炊きたてのご飯と一緒にどうぞ」
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